第四五〇・四五一号(昭二〇・七・二)

  沖縄決戦は何を訓へたか      大本営報道部
  戦時緊急措置法について
  義勇兵役問答
  情報局制定「国民義勇隊の歌」
  最近の預貯金、保険の心得

沖縄決戦は何を訓へたか  大本営報道部


 最高指揮官壮烈な最後

  矢弾(やだま)尽き天地(あめつち)染めて散るとても
    魂(たま)がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ

 醜虜侵寇を邀へ撃つて激戦正に八十
日、寡兵克く敵に多大の出血を強要しつ
つあつた沖縄本島におけるわが守備部隊
は、五月二十日を期し同方面最高指揮官
牛島満陸軍中将を先頭に、麾下の残存全
戦力をあげて最後の総攻撃を決行、沖縄
本島における組織的な地上戦闘は白刃に
血沫(しぶ)く愴絶な戦闘のうちにその段落を見
るに至つた。
 牛島中将はこの総攻撃発起に当り、祖
国に送る悲愴な袂別の電報を寄せ、上 
陛下に対し奉り、また下国民に対して
ひたすら自己の力及ばざるを深謝し、自
己の不徳を嘆じ、『重責を果し得ざりしを
思ひ、長恨千歳に尽るなし』と、沈痛な
る胸懐を吐露すると共に、皇國の必勝を
確信して、『或ひは護国の鬼と化して敵の
本土来寇を破摧し、或ひは神風となりて
天翔(あまがけ)り、必勝に馳せ参ずべき所存なり』
と、烈々たる七生滅敵の決意を披瀝して
ゐる。
 さきに硫黄島における栗林最高指揮官
の『七生太平洋の防壁たらん』との袂別
電報に注いだ血涙未だ乾かぬに、今また
沖縄よりの電報に接し、その一言一句に
われら国民の肺腑は抉られ、全身に血潮
の逆流するを覚えるのである。
 しかしながら、沖縄方面の戦ひはこれ
をもつて終了したのではない。航空部隊
による空中攻撃は依然熾烈に続行され、
敵艦船群に、また敵陸上航空基地に対
し、相次いでわが特攻魂が炸裂、輝かし
い戦果を加へつゝあるのである。
 敵の沖縄列島線に対する侵寇は、さき
の硫黄島上陸と一体をなす日本本土包囲
基地の設定作戦であつて、去る三月十七
日硫黄島全員最後の総攻撃が行はれた翌
十八日朝には、早くも敵有力機動部隊が
九州南方洋上に姿を現はし、沖縄作戦の
準備的航空撃滅戦を挑み来つたのであ
る。
 邀撃するわが航空部隊の特攻を主とす
る猛攻撃によつて、この機動部隊が甚大
な打撃を蒙り南方洋上に潰走するや、入
れ替つて新たなる機動部隊が南西諸島方
面に出現、二十三日列島戦全線に亘り艦
載機をもつて波状的に来襲し、一部の艦
艇をもつて沖縄本島に対する熾烈な艦砲
射撃を開始すると共に、同二十五日敵第
十軍の先鋒第七十七師が本島攻撃の足場
として慶良間列島に上陸、次いで同三十
一本島の西方神山島、前島に準備上陸
を行ひ、本島に対する重砲の放列を布(し)
き、翌四月一日払暁を期して敵第二十四
軍団及び海兵第三軍団の一部が、艦砲、
重砲、航空機の間断なき砲爆撃の掩護下
に、本島西南岸に上陸を開始し、こゝに
沖縄本島地上作戦の火蓋が切られたので
ある。

沖縄決戦の性格

 敵がかく沖縄を日本本土攻撃の包囲基
地として撰定、来寇し来雑つた戦略上の主
たる理由として考へられることは、敵側
戦争担当者によつて、既にしばしば言明
せられたところに依つても明らかな如
く、沖縄が地政的に見て、
 第一には、日本本土上陸作戦或ひは支
那大陸接岸作戦の跳躍台として、
 第二には、陸海空三軍の前進根拠地と
して、
 第三には、日本本土爆撃及び封鎖によ
る消耗作戦の基地として、それぞれ恰好
な要点を占めてゐることに要約されるの
である。従つてこれらの地政的条件を備
へてゐる沖縄への敵の侵寇作戦には自ら
その戦略的特徴が大きく浮び上つて来る
のである。
 即ち一つは沖縄がわが九州より本州へ
連なる北翼と、先島列島より台湾に連な
る南翼とによつて形成されてゐる逆八陣
地の中央に位し、わか航空作戦に地理的
な利点を与へてゐることであり、他は沖
縄本島の地上作戦がわが軍にとつてガダ
ルカナル島以来、悲劇的結末を見た他の
島々と同様に、決戦の条件として最も重
要な補給の道なき離島作戦の性格を持つ
てゐることである。
 この二つの戦略的特徴を静かに検討す
る時、われわれは沖縄決戦の重点が正し
く航空作戦に課せられてゐることを知り
得るのである。地上作戦で支へ航空
作戦で撃つ、これが沖縄決戦の根本
的性格であつたのである。

 さればこそ敵の上陸作戦も、これに対
する極めて周到なる準備の下に行はれて
ゐるのである。即ち敵は航空作戦におけ
るわが優位性を崩壊せしめんとして、北
翼たる九州、四国方面に対し有力なる機
動部隊による航空撃滅戦を繰返し、南翼
たる台湾方面に対しては、比島基地より
する戦爆聯合によつて、わが航空基地に
虱潰し的連続空襲を実施、然る後総数実
に千四百隻といふ空前の多数艦船を動
員、敵補給本部長ソマヴィルの言葉を借
りて表現すれぼ『太平洋に架せられた蜿
蜒たる輸送船の橋』をもつて今次作戦を
開始し来つたのである。

敵の圧倒的物量攻勢

 この一千四百隻といふ艦船の数は、敵
がさきに『北仏上陸作戦に使用した船の
トン数よりも多い』と称した硫黄島作戦
の八百隻に比べ六百隻も多く、更にまた
尨大な面積をもつルソン島作戦に使用し
た一千三十三隻より三百六十七隻も上廻
つてゐるのである。
 このことは敵が上陸開始にあたり、沖
縄本島に対して行つた準備砲撃が九日間
に及び、さきのレイテ島上陸作戦におけ
る三日間、ルソン島の四日間、更に硫黄
島の三日間に亘る各準備砲撃の期間に比
して、著るしく長期に亘つてゐるのと同
様に、圧倒的物量攻勢によつて本作戦を
一気に押切らうとする敵の、周到強引な
作戦企図の現はれと見ることが出来るの
である。
 即ち敵攻勢はこゝにも亦、局所絶対優
勢主義を堅持し従来の島嶼作戦公式をそ
のまゝ、全島隈なく艦砲射撃の雨を注
ぎ、間断なき飛行機の爆撃をもつて地上
を掩ひ、更に太平洋作戦に未だ嘗て見ざ
る優秀装備の陸海最精鋭師団八ケ師を投
入し来つたのである。

わが地上部隊の猛爆猛闘

 かくて、四月一日、つひに沖縄本島に
上陸した敵は、比較的順調な進撃を続け
て、三日目には東海岸にまで達し、この作
戦を『極めて安易な上陸であつた』と、
本国に報じたのである。しかるに本島を
南下した敵主力が、八日頃より那覇−大
山を結ぶわが主陣地の外廓に達するや、
忽ち猛反撃に遭遇し戦線は俄かに停滞す
るに至つた。敵の熾烈な砲爆撃下にも拘
はらず、戦況は一進一退を続け、爾後四
十日間に亘る激戦の結果、敵に許した進
出は僅かに四キロに過ぎなかつたのであ
る。
 驕慢な敵国内の輿論は、この遅々とし
て進捗せぬ作戦と、続出する人的、物的
損害の大きさに業を煮やし、次第に作戦
当事者に対する不満を露骨に示し始め
敵陣営の焦慮は漸く色濃くなつて来たの
である。そして、つひにニューヨーク、
サン紙の記者デーヴィット・ローレンス
によつて『沖縄作戦は真珠湾以上の軍事
的無能力を示すものである。沖縄作戦で
蒙つた損害から見るならば、この作戦は
失敗といふより他はない』と、痛烈な非
難が六月四日附同紙上に発表されるに至
り、沖縄戦の最高責任者たる、ニミッツは
大いに激昂し、直接ローレンスの所説に
反駁を加へたのである。これに対しロー
レンスはニミッツの反駁を更に逆襲し
て、沖縄作戦の失敗に関し、目下米海軍
当局が調査を開始してゐるといふ事実を
明らかにし、遺憾なき泥試合振りを発揮
した。
 かゝる状態に焦慮した沖縄の敵陸上軍
最高指揮官バックナー中将は、戦局打開
のため後方の炊事兵まで第一線に駆り立
て、力攻これ努めたが依然として思はし
くない戦況に堪り兼ね、つひに海兵第八
戦闘聯隊の先頭に立つて督戦中、わが砲
兵の的確な集中射撃を浴びて戦死を遂げ
るに至つた。

悲痛、補給なき戦ひ

 しかしながら、この間激戦の連続によ
つて失はれゆくわが戦力は補填するに途
なく、次第に形勢は不利を加へ、五月二
十四日義烈空挺部隊が敵飛行場強行着陸
の壮挙を決行、一時的に戦勢を支へたも
のゝ六月上旬わが主力部隊は本島南部島
尻地区に戦線を整理するの止むなきに立
ち到つたのである。
 これが掩護に任じたる那覇西方小禄地
区の海軍部隊は、同地点を死守し奮戦を
続けたが、遂に敵の重囲に陥り、同月十
三日太田実海軍少将指揮の下に全員最後
の斬込みを敢行、次いで島尻地区の残存
全戦力も同二十日を期し、牛島最高指揮
官を先頭に、最後の攻勢を実施、わが将
兵の一部は、南部島尻地区の拠点に立籠
つて敢闘を続けつゝあるが、同二十二日
以降連絡途絶し状況不詳となつたのであ
る。
 思へば圧倒的物量攻勢を邀へ撃つて八
十余日、補給の途なき寡勢をもつて終始
敢闘を続け、人員の殺傷実に八万といふ
甚大なる出血を与へて、敵の沖縄作戦の
プログラムに重大な蹉跌を生ぜしめ、深
刻な精神的打撃を加へたのである。
 この間、わが航空部隊の活躍は真に目
覚ましきものがあり、作戦開始以来列島
線周辺における敵艦船の撃沈破は、実に
六百隻に上る赫々たる数字を示してゐる
のである。しかも航空部隊の攻撃は今も
依然として熾烈に続行されつゝあるを思
ふとき、この離島作戦の不利を堪へ、寡
勢克く三ケ月の貴重な時を稼いだ地上部
隊の勇戦は、潰えたりと雖も、作戦的に
は赫々たる勝利として讃へなければなら
ない。

沖縄の戦訓

 然らばこの作戦的勝利の依つて来る原
動力は何であつたらうか。これには先づ
特攻精神の遺憾なき発揮を挙げなければ
ならない。即ち海空の各特攻隊により敵
艦船群に与へた尨大な損害及び陸の挺身
斬込隊の敵地上軍に揮つた猛威は、物的
損耗を超えて敵の心胆を凍結せしむるに
足るものであつた。
 次ぎには整備された本格的築城であ
る。敵はわが主陣地を評して『欧州戦場
においても嘗て見ざる強靱且つ柔軟なる
陣地』といひ、その一割一点の拠点が直
ちに強固なる攻守両用陣地となり、敵は
進出するためにその一拠点毎に『燻し出
し戦法』といふ表現を用ひねばならぬや
うな困難な戦闘を繰返したのである。
 更に大なる要因としては、軍に対する
地方民の統制ある協力を逸することが出
来ない。即ち、沖縄本島における男子中
等学校は全校生徒をもつて『鉄血勤皇隊』
を組織し、一部特別訓練を受けた者は、
敵上陸に先立つて召集令を受け軍務に服
し、他は陣地構築を始め伝令、輸送等の
任務を途行、女子中等学校の生徒は『乙
女勤皇隊』を結成し、傷いた将兵の救護
や戦闘員の炊事を引受け、弾雨下、敢然
として頑張りつゞけた。また、師範生の
奮闘も格段の目覚ましさがあつたのであ
る。
 一般男子は学徒隊に対して義勇隊を組
織し、島田沖縄県知事統率の下、軍に協
力、或ひは竹槍その他の武器を携へ戦列
に参加した。働き得るものは婦女子と雖
も老幼を遠隔地に後送した後、敢然とし
て兵站任務に服したのである。特に、慶
良間列島における可憐な国民学校児童
の、手榴弾を抱いての敵中突撃の報に至
つては、たゞ頭を垂れていふべき言葉を
知らない。
 これを彼の独仏戦場において、ドイツ
の電撃作戦に追はれた仏国避難民の群れ
が道路に溢れ、戦場に増援される自国機
械化部隊を途中に立往生せしめた醜態と
考へ合せる時、そこに民族魂の相違をま
ざまざと見せられる思ひがあり、この沖
縄島民の統制ある軍への協カこそ、本土
決戦に備へて結成されたわが国民義勇隊
に示唆するところ大なるものがある。

勝利への基盤

 今や沖縄本島における組織的地上戦闘
は終了した。敵はこゝに陸上航空基地の
推進とその拡充を急ぎ、虎視眈々わが本
土上陸の機を窺つてゐるのである。これ
を邀撃するわが方策は、去る臨時議会に
おける阿南陸相の演説によつて閘明せら
れたる如く、敵来寇せば海上においてこ
れを葬り、陸上に迫つた時は水際にこれ
を撃砕し、更に免かれて上陸したる敵に
対しては圧倒的兵力量をもつて随所にこ
れを撃滅するのである。しかもその準備
は既に整つてをり、過去の離島作戦にお
いて得た尊い戦訓が、この時こそ真に物
をいふのである。
 嘗て外人記者団が去る会見において、
特攻精神に関し二時間に亘つて説明を聴
いたが、遂に理解することが出来ず、そ
れは『アウト・オブ・ルール』即ち反則で
あると評してゐる。即ち戦争の常規を超
えた皇國護持の国民的熱願こそ、揺ぎな
き勝利への基盤である。
事実必死の境に
身を置いた一人の兵の発揮する能力は、
真に想像を絶する威力を発揮するもので
ある。まして一億国民の一人々々が特攻
精神に燃えて立上る時こそ、その威力は
従来の戦争の常識をもつてしては到底計
り知るべからざるものであり、周到な物
的準備と相俟つて、皇國の必勝は些かの
疑ひもないのである。


航空機増産特輯号の発行お知らせ
 
敵の機動部隊から飛び立つた航空機は北
海道を始め、本土のあちこちを爆撃し、敵
の艦艇は小癪にもわが太平洋沿岸地方に艦
砲射撃を加へて来ました。
 この傍若無人の振舞ひ、断じて見遁がし
てはいけません。
 一機よく一艦を屠る。われわれは今こそ
この一機を送るため、最後最大の力を搾り
出さねばなりません。
 この意味から本誌次号は航空機大増産の
ための特輯号としました。一般には七月末
から八月初めに売出される予定です。