国体論及び純正社会主義

　緒言　

　現代に最も待望せられつつあるものは精細なる分科的
研究に非らず、材料の羅列事実の豊富に非らず、誠に渾
べてに渉る統一的頭脳なり。固より微少なる著者の斯る
ことの任務に堪ふるものに非らざるは論なしと雖も、潜
越の努力は、凡ての社会的諸科学、即ち経済学、倫理学、
社会学、歴史学、法理学、政治学、及び生物学、哲学等
の統一的智識の上に社會民主主義を樹立せんとしたること
なり。　
　著者は古代中世の偏局的社會主義と革命前後の偏局的
個人主義との相対立し来れる思想なることを認むと雖も、
其等の進化を承けて今日に到達したる社会民主々義が、
國家主義の要求を無視するものに非らざると共に亦自由
主義の理想と背馳すといふが如く考へらるべきものにあ
らずと信ず。故に、本書は首尾を一貫して國家の存在を
否む今の社會黨諸氏の盲動を排すと共に、彼等の如く
個人主義の學者及び學説を的に鋒を磨くが如き惑亂を爲
さゞりき。即ち本書の力を用ひたる所は所謂講壇社會主
義といひ國家社會主義と稱せらるゝ鵺的思想の驅逐なり。
第一編『社會主義の經濟的正義』に於て個人主義の舊派
經濟學に就きて語る所少なくして金井田島諸氏の打撃に
多くを盡したる如き、第二編『社會主義の倫理的理想』
に於て個人主義の刑法學を輕々に駁して樋口氏等の犯罪
論を論破するに努めたる如き是れなり。社會の部分を成
す個人がその権威を認識さるゝなくしては社會民主々義
なるものなし。殊に歐米の如く個人主義の理論と革命と
を經由せざる日本の如きは、必ず先づ社會民主々義の前
提として個人主義の充分なる發展を要す。
　第三編『生物進化論と社會哲學』は社會哲學を生物進
化論の見地より考察したるものなり。即ち正確に名くる
ならば『生物進化論の一節としての社會進化論』と云ふ
べし。而しながら今日の生物進化論はダーヰン以後其の
局部的研究に於ては著しく發達したるに係らず全體に渉
りて尚混沌たり。即ち『組織』と『結論』となし。故に本
書は其の主たる所が社會哲學の攻究に在るに係らず、單
に生物進化の事實の發見として繼承せられつゝあるもの
に整然たる組織を建てて凡ての社會的諸科學の基礎とな
し、更に目的論の哲學系統と結び附けて推論を人類の今
後に及ぼし以つて思辧的ながらも生物進化論の結論を綴りたるものゝ始めなる無限の歓て、著者は無限の歡喜を有することを陰蔽する能はず。固より人類今後の進化につきては今日の科學は充分なる推論の材料を與へず且つ斯るものゝ當然として著者其人の傾向に支配さるゝ所の多かるべきは論なしと雖も、是愼重なる歐米思想家の未だ試むるに至らざるところ、後進國學者の事業として最も大膽なる冒險なり。（同）人類今後の推論は、北の所属する時代及びそれ以前までの材料による事意外になく、當然に本人の傾向に支配される。人類進化について歐米思想家も未だ推論を試みててゐない。歐米思想家も未だ試みたことのない生物進化論による人類進化の推論及び結論を導き出すことは、後進國學者北にとつても大膽な冒險となる事業である。吾人思うに、國學者を自負する北にとつて國學に生物進化論を体系化し導入して人類及び社會進化論を完成させ社會民主々義を樹立することが大いなる事業である。「而して著者は社會民主々義の實現が則ち其の理想郷に進むべき第一歩たるべき宗教的信念としてこれを社會民主々義の宗教と名け、社會主義と基督教との調和衝突を論爭しつゝある歐米社會主義者と全く異なれる別天地の戸を叩きたり。由來基督教の歐米に於て思想界の上に專權を振ふこと今尚羅馬法王の如くなるは恰も日本に於いて國體論と云ふものゝ存するが如し。日本の社會主義者に取りては『社會主義は國體に牴觸するや否や』の問題にて已に重荷なり。更に『社會主義は基督教と牴觸するや否や』といふ歐米の國體論を直譯にて輸入しつゝある社會主義者の或者の如きは解すべからざるも甚だし。而しながら本論は固より宗教論にも非らず又生物進化論其者の説述が主題に非ざるは論なく、人類社會といふ一生物種屬の進化的説明なり。著者は、憐むべきベンヂャミン・キッドの『社會進化論』が人類社會を進化論によりて説明せるダー井ン以後の大著なりとして驚歎されたる如き今日、この編を成したるにつきて聊かの自負を有す。
　第四篇『所謂國體論の復古的革命主義』は則ち日本の基督教につきて高等批評を加へたるものなり。即ち、社會主義は國體に牴觸するや否やの論爭にあらずして我が日本の國家其者の科學的攻究なり。歐米の國體論がダー井ン及び其の後繼者の生物進化論によりて長き努力の後に智識分子より掃蕩せられたる如く、日本の基督教も亦冷靜なる科學的研究者の社會進化論によりて速やかに呼吸を斷たざるべからず。この編は著者の最も心血を傾注したる所なり。著者は今の凡ての君主々權論者と國家主權論者との法理學を悉く斥け、現今の國體と政體とを國家學及び憲法の解釋により明らかにし更に歴史學の上より進化的に説明を與へたり。著者は潜かに信ず、若し本書にして史上一片の空名に終るなきを得るとせば、そは則ち古今凡ての歴史家の擧りて不動不易の定論とせる所を全然逆倒し、書中自ら天動説に對する地動説といへる如く歴史解釋の上に於ける一個の革命たることに在りと。この編は獨立の憲法論として存在すると共に、更に始めて書かれたる歴史哲學の日本史として社會主義と係りなく見られ得べし。
　第五編『社會主義の啓蒙運動』は批判の全く進化的過程のものなることを論じ第二編『社會主義の倫理的理想』に於て説きたる階級的良心の説明と相待て階級闘争の心的説明をなしたり。而して更に國家競争に論及し帝国主義が亦世界主義の前提なることを論じたり。權威なき個人の礎石を以て築かれたる社會は奴隷の集合にして社會民主々義に非らざる如く、社會主義の世界聯邦論は聯合すべき國家の倫理的獨立を單位としてのことなり。百川の海に注ぐが如く社會民主々義は凡ての進化を繼承して始めて可能なり。個人主義の進化を承けずして社會主義なく、帝國主義の進化を承けずして世界主義なく、私有財産制度の進化を承けずして共産社會なし。故に社會民主々義は今の世の其等を敵とせずして凡てを包容し凡ての進化の到達點の上に建てらる。彼の社会主義の理想は可なりと雖も果して実行せられ得るやといふが如き疑惑は、今日の社会民主々義を以て人為的考案のものと解して歴史的進行の必然なる到達と考へざるが故なり。本書が終始を通じて社会主義を歴史的進行に伴ひて説き又多く日本歴史の上に其の理論と事実とを求めて論じ、殊にこの編に於て儒教の理想的国家論を解説したるが如きこの故なりとす。
　凡ての社會的諸科學は社會的現象の限られたる方面の文科的研究なるを以て、單に經濟學若しくは倫理學の如き局部の者を以て社會主義の論述に足れりとすべからず。殊に本書は煩瑣なる多くの章節項目の如き規矩を設けず、議論の貫徹と説明の詳細を主として放縦に筆を奔らしたるが故に一つの問題につきても全部を通讀したる後ならずしては完き判定を下し得ざるもの多し。固より一千頁に渉る大冊を捧げて斯る要求を敢てする著者の罪は深く謝する所なりと雖も、全世界の前に提出せられたる大問題の攻究として多少の労力は避けざるべきなり。
　著者は辧護を天職とする所謂學者等にあらず、又萬事を否認することを以て任務とする革命家と云ふものに非らず。只、學理の導きに從ひて維持すべきは維持すべきを説き棄却すべきは棄却すべきを論ずるに止まる。學者の論議は法律の禁止以外に自由なり。故に、著者は本書の議論が政府の利�uに用ひられて社會黨の迫害に口實を提供するに至るとも、若しくは又社會黨其れ自身の不利と惡感とを挑發するに至るとも少しも係はりなし。例へば、萬國社會黨大會の決議に反して日露戰爭を是認せる如き、全日本國民の輿論に抗して國體論を否認せる如きその例なり。


「凡ての社會的諸科學、即ち經濟學、倫理學、社會學、歴史學、法理學、政治學、及び生物學、哲學等の統一的智識の上に社會民主々義が成立する。」

「彼の、社會主義の理想は可なりと雖も果たして實行せられ得るやといふが如き疑惑は、今日の社會主義を以て人為的考察のものと解して歴史的進行の必然なる到達と考へざるが故なり。本書が終始を通じて社會主義を歴史的進行に伴ひて説き叉多くの日本歴史の上に其の理論と事實とを求めて論じ、殊にこの編に於て儒教の理想的國家論を解説したるが如きこの故なりとす。」
　
「」

「全世界の前に提出されたる大問題の攻究」
　
「」

「學者（北）の論議は法律の禁止以外自由」

「後進國學者の事業として」

「欧米の國體論を直譯によりて輸入しつゝある社會主義者の或者の如きは解すべからざるも甚だし。」

「現今の國體と政體とを國家學及び憲法の解釋によりて明らかにし更に歴史學の上より進化的に説明」

「」

「現今の國體と政體とを國家學及び憲法の解釋によりて明らかにし更に歴史學の上より進化的に説明を」

「社會黨の大勢力と雖も多數決を挿んで思想の自由を經視する能はず。一學究の著者に取りては政府の権力と云ひ社會黨の勢力と云ひ學理攻究の材料たる以外に用なし。」

「故に、著者の社會主義は固より『マークスの社會主義』と云うものにあらず、又その民主々義は固より『ルーソーの民主々義』と稱するものにあらず。著者は當然に著者自身の社會民主々義を有す。著者は個人としては彼等よりは平凡なるは論なしと雖も、社會の進化として見るときに於ては彼等よりも五十歳百歳を長けたる白髪禿頭の祖父曽祖父なり。」
　
「新しき主張を建には當然の路として舊思想に對して排除的態度を執らざるべからず。破邪は顯正に先つ。故に本書は專ら打撃的折伏的口吻を以て今の所謂哲學者階級に對する征服を以て目的とす。以下云々」

壹編　社會主義の経済的正義
　第一章
　
「所謂社會の秩序と國家の安寧幸福―政府の迫害と學者の讒誣―貧困の原因―機械の發明―機械工業の結果にあらず―経濟的貴族國―経濟的勢力―人格なき経濟物―奴隷制度―個人主義の舊派經濟學―個人主義の發展と歴史の進化―個人主義經濟學の革命的任務―スミス當時の貴族國經濟組織―經濟界の民約論―個人主義の叛逆者―階級に阻害されたる自由競争―機会と云ふ封建城廓―自由競争の二分類―機械中心問題の社會的諸科學―個人主義は革命に至る―個人主義の論理的歸結―官許無政府黨員―所謂社會主義に混ぜる個人主義」


　
「社會主義の深遠なる根本議は直に宇宙人生に對する一派の哲學宗教にして嚴粛なる科學的基礎の上に立ち、貧困と犯罪とに理性を攪亂せられて徒に感情と獨斷とによりて盲動する者に非らず。而しながら貧困と犯罪とを以て蔽はれたる現社會より産れて、新社會の實現に努力しつゝある實際問題たる點に於て論究の順序が先づ貧困と犯罪の絶滅ならざるべからず。故に吾人は第一編『社會主義の経濟的正義』に於て社會主義の物質的幸�ｂ�説き、第二編『社會主義の倫理的理想』に於て社會主義の�拐~的滿足を論じ、社會主義の哲學を説き、社會的諸科學の根本思想足る者を述べ、以て第四編『所謂國體論の復古的革命主義』に入りて古來の妄想を排して國家の本質及び憲法の法理と歴史哲學の日本史を論じ、第五編『社會主義の啓蒙運動』に實現の手段を論ぜんとす。」
（一―一）第一編第一章の冒頭の文である。北の問題意識の原点は、貧困と犯罪の絶滅である。現實社會の貧困と犯罪の絶滅を以て達成されるのが、新社會の實現である。其の条件として、貧困と犯罪の絶滅を最初に取り上げる。第一編で社會主義の物質的幸�ｂ�説き、第二編で社會主義の�拐~的滿足を論づる。第三編で社會を進化せる者として捉へた社會主義の哲學を説く。第４編に於ては國家の本質と憲法、歴史哲學としての日本史を論づる。第五編で新社會實現の手段を論づる。第一巻の構成を示してゐる。　
「貧困と犯罪―實に社會主義の實現によりて斯の人生の悲慘醜惡なる二事が先づ社會より跡を絶つとせば、社會主義はこの地球を導きて天國に至るべき軌道を發見せる者と云ふべし。而して社會主義は實に此の發見のために今や全地球に征服の翼を張るに至れり。」
（一―一）北は社會主義の實現によつて、この世から貧困と犯罪が無くなるとすれば、社會主義はこの世を天國へと誘う發見と考へた。そして此の發見により、社會主義は今や地球上を征服しつつある。冒頭の緒言を考慮に入れれば、茲で使われてゐる社會主義とはマルクスの社會主義とは違うであらう事を念頭に置ひて措くべきである。思ふに階級闘爭史観による者で無く、現社會の現實が原点である。　所謂社會の秩序と國家の安寧幸福
　
「然るに顛倒の甚しき。却て今の政府と學者とは社會主義を迫害し讒誣するに當りて、常に必ず社會の秩序を紊亂すといひ、國家の安寧幸�ｂ�傷害すといふ。」
（一―二）現實の社會の貧困と犯罪の撲滅を原点としてゐる社會主義の筈なのに、今の政府と學者は迫害し讒誣する。社會主義を社會の秩序を亂し國家の安寧秩序を破壊する物といふ。是は社會主義を正しく理解してゐないからである。
「而しながら斯くの如き誣妄は已に現今の社會に秩序あり、今日の國家に安寧と幸�ｂニあることを確實として云へるものなり。」
（一―二）このやうな謂れのない社會主義に対する拒絶は、現實の社會に秩序が在り、國家に安寧と幸�ｂﾆが存在してゐる事が前提となつてゐなければならない。
「社會主義は實に反論せざるべからず、現今の社會に紊亂すべきだけの秩序ありや、今日の國家に傷害すべからざるほどの安寧と幸�ｂﾆありやと。」
（一―二）而しながら、此の事に就いて政府と學者に対し、社會主義は反論すべきである。現今の社會に亂されるだけの秩序は存在するか、今日の國家に、傷つけられる程の安寧と幸�ｂﾍ存在するか、と。
「今日の科學的社會主義は徒らに感情的言辭を弄して足れりとするものにあらず、理性にして其の光を文明の名に蔽はれざるならば、此の反問は實に凡ての口より聞かるべき疑問なり。」
（一―二）今日の科學的社會主義は徒に感情的な言葉を弄して滿足するものではない。理性の光が文明と云ふ名に蔽はれてゐなければ全ての人々より聞かれる疑問である。政府と學者に対し、現今の社會に秩序は存在するか、安寧と幸�ｂﾍ存在するかと。
「若し或る階級の權勢と榮華とを築かんがために警察官の洋刀と軍隊の銃鎗とによりて危ふく支へらるゝ状態を指して秩序なりと云はゞ、現今の社會は斯る秩序の精微複雜なるものを有す。身命を失ふもの日に限りなくして財産は野蠻部落の如く多く各自の物質力によりて各自に保護せらるゝに係らず、吾人は財産を保護し身命を安固にすといふ法律の下に國家の安寧幸�ｂ�受けつゝあり。」
（一―二）もし、或る階級の權勢と榮華の爲に警察權力や軍の力で、危ふく支えられた状態を秩序といふならば、秩序が在ると云わざるを得ない。野蠻部落の如く命を失ふもの日に多く、また其の財産は己の力によりて己で守らなければならない。然し現下の日本は、其の財産と命を守ると云う法律の下に、國家の安寧幸�ｂ�受けつゝある。
「社會主義は斯る状態の秩序と斯る安寧幸�ｂﾆを以て地球の冷却するまで維持すべきものなるかの如く信ずるものにあらざるが故に、政府の迫害と學者の讒誣とは此の意味よりせば誠實憂慮より出づるものなりとすべし。同類なる人類の血と汗とを絞り取りて肥滿病に苦しむものに取りては今日の國家は安寧幸�ｂ�與ふべしと雖も斯る滋養物の供給を負擔せしむる社會の秩序は血と汗との階級にとりては紊亂すべからざるほどに尊貴なるものとは考へざるべし。生るゝとより死に至るまで脱する能はざる永續的饑饉の地獄は富豪の天國に隣りて存す。」
（1-2）在る階級の爲に警察官の洋刀と軍隊の銃鎗とによりて、危ふく支へられたる秩序と野蠻部落の如く自らの財産は自らが護らなければ為らないにもかかわす、我々は財産を保護し身命を安固にすといふ法律の下に、國家の安寧幸�ｂ�受けつゝあると信じられてゐる。このやうな秩序と安寧幸�ｂﾌ状態を、社會主義は永遠に維持するべきものとは考へてゐない。故に、政府の迫害と學者の讒誣は、社會主義が在る階級の秩序を紊乱し安寧幸�ｂ�傷害するものと憂慮される事も理解される。同じ人間であるに係らず、他の人間の血と汗とを絞り取つて肥滿病に苦しむ在る階級には、今日の國家が安寧幸�ｂ�與へてゐると云へる。而しながら、此の肥滿病に滋養物の供給の負擔をさせる社會の秩序は、血と汗を絞り取られる階級にとつては、紊亂してはならないほどに尊貴なる社會秩序とは思へない。一生涯脱する事の出来ない永續的飢饉の地獄は、富豪階級の楽園の当に隣りに存在する。
「この餓鬼道の餓死より遁れんが爲に男は盗賊となり女は賣婬婦となり、而して國家は赤煉瓦を築きて盗賊に安寧を與へ、妓樓を警官に護衛せしめて賣婬婦に幸�ｂ�受けしむ。」
（同）此の永續的飢饉より遁るゝ爲に、男は盗賊となり女は賣婬婦となる。皮肉な事に彼等にも國家は、赤煉瓦の中と警官に護衛された妓樓の中に於てのみ安寧幸�ｂ�用意してゐる。
「この幸�ｂ�受く可き賣婬婦を繁榮ならしめんがために賣婬の料を以て政府は設けられ、洪澣の法典は學者の腦漿を絞りて安寧を與へらるべき盗賊の歡迎のために存す。」
（同）遊郭の中でのみ、この幸�ｂ�享受することができた賣婬婦の賣婬料を以て政府を造り、多くの法典は學者の頭腦を絞り赤煉瓦で蔽われた監獄の中に措いてのみ、盗賊の安寧を与えられるべく存在する。
「文明の華なりと稱する新聞紙は強窃盗の記事、毒殺刄傷の報道、老病の縊死、貧婦の投身、幼兒遺棄、乞食の凍餓といふが如き記事を補綴して其の文明の華を紙面に飾りつゝあり。而して殘忍に慣らされたる吾人には其の紙面に附着せる斑々たる血痕と紙背より洩るゝ悲鳴の聲を忘却して、斯る平凡なるものゝ代りにより一層の悲慘なる出来事の物語を待たしむ。
」
（一―五）文明の華と稱す新聞は強盗・窃盗・毒殺・刃傷・老病による首吊り自殺・貧しさからの投身自殺・幼兒の遺棄・乞食の凍死といふが如き記事を綴りて紙面を飾る。其の殘忍さに慣らされてしまつた我々には、其の背後に在る血痕や悲鳴は最早麻痺し届かず。一旦記事に載れば平凡で陳腐なものと化し、すぐに忘却され、より一層悲慘なる出来事を我々は期待して仕舞ふ。
「斯る永續的饑饉を出すべき秩序、凍餓の幸�ａA殺傷の安寧は學者の奴隷的辧護を受くべき或る階級に取りては一指も觸れしむべきものに非らざるべしと雖も、社會と國家とは實に社會主義の下に眞の秩序と安寧幸�ｂﾆを求めざるべからず、あゝ貧困と罪惡、これ人類に伴ふ永遠の運命のものか。」
（一―三）永續的饑饉、凍餓、殺傷を出す秩序と安寧幸�ｂﾍ隷属的辧護を受けるべき或る階級に取りては改革しては為らないものであるが、社會と國家とは社會主義の下に眞の秩序と安寧幸�ｂ�求めて行かねばならない。貧困と罪惡とは、人類の永遠の課題であらうか。實に北のこの項での本来的問題はこの貧困と罪惡との柵から人類を解き放つことに在る。
「基督教徒は是れ�~の御旨なりと誣ひ、佛教徒は未來に於て極樂に行くべしと僞はる。而も貧民はたとへ極樂に行くとも已にマルサスの在りて人口論を以て拒絶すべく、己れの形に似せて作れる男をして盗ましめ女をして婬を鬻ぎて糊口せしむるの殘虐は�~の觀念と相納れずして惡魔の名あり。（
一―三）貧困と罪惡とを、基督教徒は是れ�~の思召しと欺き偽り、佛教徒は未來に於て極樂に往けるのだと偽る。而も貧民は極樂へ行けると雖も今生の社會に在つては、マルサスのいふが如く平等社會の實現は不可能であると拒絶してゐる。嗚呼�~は人をして己れの形に似せて創れるといふが、男に盗ましめ女に婬を働かせしめ、その日を暮らすを強ひるや。嗚呼�~よ、この殘虐は�~の觀念とは相容れぬものであり、正しく惡魔と称すべきものなり。嗚呼今は、貧民が貧民である事によつて、社會の秩序と国家の安寧幸�ｂｪ保たれてゐる。
　政府の迫害と學者の讒誣
　「而しながら社會主義者は決して斯る傷害に對して徒らに憤怒するものにあらず。新しき理想の前に舊思想の横はりて急歩ならしめざるものは社會進化の常態にして、彼等は障害として横はると共に社會維持の或る任務に服し以て新社會の誕生までを蔽ふべき卵殻たるものなり。」
（一―三）永續的饑饉を出すべき秩序・凍餓の幸�ａE殺傷の安寧等は或る階級に取りては觸るゝベからざることでは有るが、この障害に対して社會主義者は徒に憤怒せるものにあらず。新しき理想の前に旧思想の横はりて在るのは
（30ページ続く）

緒言
第壱編　社會主義の經濟的正義
第一章
所謂社會の秩序と國家の安寧幸福―政府の迫害と學者の讒誣―貧困の原因―機械の發明―機械工業の結果にあらず―経濟的貴族國―経濟的勢力―人格なき経濟物―奴隷制度―個人主義の舊派經濟學―個人主義の發展と歴史の進化―個人主義經濟學の革命的任務―スミス當時の貴族國經濟組織―經濟界の民約論―個人主義の叛逆者―階級に阻害されたる自由競争―機会と云ふ封建城廓―自由競争の二分類―機械中心問題の社會的諸科學―個人主義は革命に至る―個人主義の論理的歸結―官許無政府黨員―所謂社會主義に混ぜる個人主義
第二章
経済的貴族国の歴史的考察―個人的労働時代の勤倹貯蓄―マークスの価格論の誤謬―『大日本史』と『資本論』―資本は掠奪の蓄積なり―経済的土豪―資本家発達の歴史―日本の土地兼併は資本の侵略なり―工業革命の日本―賃銀奴隷間の餓鬼道的競争―経済的群雄の元亀天正―恐惶―企業家の所謂「自己の責任」―恐惶を負担するものは全社会なり―経済的元亀天正―恐惶―企業家の所謂「自己の責任」―恐惶を負担するものは全社会なり―経済的元亀天正はツラストの経済的封建制度に至る―ツラストの物価低落は経済的兵火なきが故に事実なり―ツラストの誅求苛斂は封建なるが故に亦事実なり―売買関係の私法にあらず公法の統治関係となる―経済的封建制度は経済史の完結にあらず―革命の発火点は権利思想の変遷にあり社会主義は権利論によりて立つ―個人主義の掠奪せる所有権神聖の金冠―　012
第二編　社會主義の倫理的理想
第三編　生物進化論と社會哲學
第四編　所謂國體論の復古的革命主義
第五編　社會主義の啓蒙運動