第四編 所謂國體論の復古的革命主義

第九章

社会主義と『國體論』と云ふ羅馬法王
社会主義の唯物的方面よりも良心の独立の急務
國體論中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非らず
國體其者日本歴史其者の為めに復古的革命主義を打破す
現今の國體を論ず
社会主義の法理学は国家主義なり
君主々義或は民主々義の主権在論と個人主義の誤謬
今日に於て個人主義を唱ふるは前提の契約説を捨てゝ結論の主権論を争ふことゝなる
契約説の意義ありし階級国家時代
天皇と国民とは権利義務の契約的対立に非らず
中世の階級国家と近代の公民国家
政権と統治権
国家主権の法理
國體の進化的分類
君主が国家を所有せる家長国と君主が国家に包含されたる公民国家
法律学の動学的研究
今の学者が國體及政体の分類に無益なる論争をなすは進化論的研究なきが故なり
穂積八束氏と有賀長雄氏
『国法学』は歴史的研究にあらずして逆進なり
有賀博士は治らすの文字の形態発音によりて今日の統治関係を太古に逆進す
文字なき一千年間は天皇と呼ばれず
古代の権利と今日の天皇の権限
国家は地理的よりも寧ろ時代的に異なる
天皇の文字の内容の地理的時代的相異
法律学は文字の内容を決定するを以て重大なる任務とす
歴史によりて憲法を論ずと云ふ穂積博士と有賀博士の僭越
我が國體に於てと云ふ循環論法
日本国民は万世一系の一語に頭蓋骨を殴打されて悉く白痴となる
徹頭より徹尾までを矛盾せる白痴の穂積博士
君主々権論を取るならばザイデルの如く国家を中世の土地人民の二要素の客体とせよ
凡ての君主々権論者の国家観は近代の主権体たるを表はす国家主権論者の者なり
君主々権論者は国家観を中世の者に改むるか憲法第一条の大日本帝国を国家に非らざる国土人民のみと添削するか
穂積博士の恣なる文字の混用
皇位或は天皇を国家なりと命名することの結果
穂積博士は主観的に見たる国家を移して客観的に見たる天皇と等しと云ふ惑乱なり
穂積博士は皇位説を捨てゝ天皇の一身に統治権ありと云ふ
生命の延長と云ふ氏の遁路を生命の蕃殖 と云ふことを以て追究せよ
天照大神より延長せる統治権とは天照大神より蕃殖せる統治権と云ふことを是認して民主々義に至る
穂積博士の議論は万世一系の國體に限らず
憲法の文字と学理攻究の自由
『国の元首』の文字に対する凡ての憲法学者の態度
比喩的国家有機体説は維持すべからざる比喩の玩弄なり
国の元首とは比喩的国家有機体説の痕跡にして国家学説の性質を有す
天皇は国の元首に非ず
天皇は統治権を総攬する者に非らず
今の国家主権論者の政体二大分類を絶対に否認す
機関の意義
天皇と議会とは立法機関の要素なり
最高の立法を為す憲法改正の最高機関
立憲君主政体とは平等の多数と一人の特権者とを以て統治者たる民主的政体なり
紛々たる国家主権論者の無意義なる論弁
美濃部博士の議論の不貫徹
憲法解釈に於て智識の基礎を国家学に求めざるよりの誤謬
美濃部博士の基礎なき国家観
統治権総攬の文字は学理の性質を有する者に非らず学者は矛盾せる条文につきて取捨の自由を有すと云ふのみ
公民国家につきて政体三大分類の主張
一木博士は政体の差別よりなしと云ひ美濃部博士は國體の差別よりなしと云ふ
國體及政体の歴史的分類
国家主権論者 の國體と政体とを混同するを排す
吾人は国家人格実在論の上に国家主権論を唱ふ
法律の進化とは実在の人格が法上の人格を認識さるゝことに在り
国家が実在の人格に して法上に認識せられざりし家長国時代
羅馬時代の個体の観念と当時の人格の思想
君主主権論者と国家主権論者との臆説の暗闘
国民の信念に於ける国家主権論の表白
今日の国家は実在の人格が法上の人格に認識されたる者なり
『君の為に』と云ふ君主々権の時代と「国家の為に」と云ふ国家主権の時代
今日の国家有機体説と比喩的国家有機体説
国家意識は一人にのみ有せらるゝ者に非らず
君主の威力に非らず団結的強力と自己の画きたる観念なり
君主の基礎
井上博士と穂積博士は前提と結論とを転倒す
国家意識と政権の覚醒
原始的共和平等の時代と君主制の原始
アリストーツルの国家三分類を進化的に見よ
日本史に於ける君主国貴族国民主国の三時代
井上博士は君主々権論を主権体の更新と云ふことを以て説明す
今の凡ての学者は個人主義の法理学を先入思想とす
更新する国家の分子は主権体にあらずして主権体たる国家の利益の為めに統治者となる要素なり
『社会民主々義』と云ふは社会が主権の本体にして民主的政体を以て之を行使するを意味す
日本今日の國體と政体とは社会民主々義なり
社会主義は国家主権の國體の擁護者なり
政体今後の進化は国家の目的と利益とによる
国家機関の改廃作成に於ける国家主権の完全なる自由
社会主義の法理学は国家主義なりと云ふ理由
法理学を離れて事実論としては政権者の意志が国家の意志なり
社会主義と強者の意志

 

 

 

 

 以上三編。社会主義に関する重要な讒誣を排除し、其の根本の理
論たるべき者の大要を説述したり。社会主義の論究は斯くの如くにし
て略々足れりとすべきなり。只、此の日本と名けられたる国土に於て
社会主義が唱導せらるゝに当りては特別に解釈せざるべからざる奇怪

社会主
義と
『國體
論』と
云ふ羅
馬法王
 

の或者が残る。即ち所謂『國體論』と称せらるゝ所のものにして、 ― 社
会主義は國體に抵触するや否や ― と云ふ恐るべき問題なり。是れ敢
て社会主義のみに限らず、如何なる新思想の入り来る時にも必ず常に
審問さるゝ所にして、此の『國體論』と云ふ羅馬法王の忌諱に触るゝこと
は即ち其の思想が絞殺さるゝ宣告なり。政論家も是れあるが為めに其
の自由なる舌を縛せられて専政治下の奴隷農奴の如く、是れあるが為
めに新聞記者は醜怪極まる便佞阿諛の幇間的文字を羅列して恥ぢず。
是れあるが為めに大学教授より小学教師に至るまで凡ての倫理学説と
道徳論とを毀傷汚辱し、是れあるが為めに基督教も仏教も各々堕落し
て偶像教となり以て交々他を國體に危険なりとして誹誘し排撃す。斯
くの如くなれば今日社会主義が学者と政府とよりして國體に抵触すと
して迫害さるゝは固より事の当然なるべしと雖も、只歎ずべきは社会
主義者ともあらんものが此の羅馬法王の面前に立ちて厳格なる答弁
を為さゞることなり。少くも國體に抵触すと考ふるならは公言の危きを
避くるに沈黙の途あり、然るに弁を巧みにして抵触せずと云ひ、甚し
きは一致すと論じて逃るゝが如きは日本に於てのみ見らるべき不面目
なり。特に彼の国家社会主義を唱導すと云ふ者の如きに至りては、却
て此の『國體論』の上に社会主義を築かんとするが如きの醜態、誠に以て
社会主義の暗殺者なりとすべし。吾人は純正社会主義の名に於て永久
に斯く主張せんとする者なり ― 肉体の作らるゝよりも先きに精神が

社会主
義の唯
物的方
面より
も良心
の独立
の急務
 

吹き込まれざるべからず。欧米の社会主義者に取りては第一革命を卒
へて経済的懸隔に対する打破が当面の任務なり、未だ工業革命を歩み
つゝある日本の社会主義にとりては然かく懸隔の甚しからざる経済的
方面よりも妄想の駆逐によりて良心を独立ならしむることが焦眉の急
務なり。否、単に国民としても現今の國體と政体とを明らかに解得す
ることは社会主義を実際問題として唱導する時に殊に重大事なり。『國
體論』といふ脅迫の下に犬の如く匍匐して如何に土地資本の公有を鳴号
するも、斯る唯物的妄動のみにては社会主義は霊魂の去れる腐屍骸骨
なりと。
 而しながら今日に於ては。南都の僧兵が神輿を奉じて押し寄せたる
如く、『國體論』の背後に陰れて迫害の刀を揮ひ讒誣の矢を放つことは政
府の卑劣なる者と怯懦なる単者の唯一の兵学として執りつゝある手段
なり。而して往年山僧の神輿に対して警護の武士が叩頭礼拝して慰諭
せる如く、『國體論』の神輿を望みては如何なる主義も学説も只回避を事
とするの状態なり。然れば今、吾人が此の神輿の前に身を挺して一矢
を番へんとする者、或は以て冒険なりとすべし。而しながら吾人は平
安に此の任務に服せんとする者なり。何となれば僧兵の神輿中に未だ

國體論
中の
『天皇』
は迷信
の捏造
による
土偶に
して天
皇に非
らず
 

嘗て神罰を加ふべき真の神の在りしことなきが如く、『國體論』の神輿中
に安置して、触るゝものは不敬漢なりと声言せられつゝあるは、実は
天皇に非らずして彼等山僧等の迷信によりて恣に作りし土偶なればな
り。即ち、今日の憲法国の大日本天皇陛下に非らずして、国家の本質
及び法理に対する無智と、神道的迷信と、奴隷道徳と、転倒せる虚妄
の歴史解釈とを以て捏造せる土人部落の土偶なるなればなり。土人部
落の土偶は仮令社会主義の前面に敵として横わるとも又陣営の後へに転
がり来るとも、社会主義の世界と運動とには不用にして天皇は外に在
り。土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋の土人部落中亦之を
争奪して各々利する所あらんとするものありとも、社会主義は只真理
の下に大踏歩して進めば足る。 ― 思想の独立の前に何の羅馬法王あ
らんや。
 吾人は始めに本編の断案として世の所謂『國體論』とは決して今日の國
體に非らず、又過去の日本民族の歴史にても非らず、明かに今日の國
體を破壊する『復古的革命主義」なりと命名し置く。吾人は古来の定論た
る斯る輿論の前に逆行して立つを危険なりと信するが故に迫害を避け

國體其
者日本
歴史其
者の為
めに復
古的革
命主義
を打破
 

んが為の方便として恣なる作造を為すに非らず。日本民族の歴史と現
今の國體とは実に一歩も『國體論』の存在を許容せざればなり。鳴呼国家
大革命以後三十有九年、今日微少なる吾人の如きをして所謂國體論を
打破せしむるの余儀なきに至れる者抑々何の由る所ぞ。吾人は一社会
主義者として云ふに非らず、世界何の所に於ても学術の神聖を汚辱す
る斯くの如く甚しき者あらざればなり。実に学術の神聖の為めなり、
決して社会主義の為めに非らず。否! 國體其者の為めなり! 日本
歴史其者の為めなり!
 先づ現今の國體を論ず。

現今の
國體を
論ず
 

 而して主権の所在によりて國體を分つと云ふ一般の学者に従ひて、
国家が主権の本体なりや天皇が主権の本体なりやと云ふ国家学及び憲
法々理の説明を為さゞるべからず。
 真理は凡ての者の上に真理なり。社会主義は単に経済学倫理学社会

社会主
義の法
理学は
国家主
義なり
 

学歴史学哲学の上に真理なるのみならず、法律学の上に於ても亦真理
なり。即ち、地理的に限定せられたる社会、即ち国家に主権の存する
とを主張する者なり。 ― 即ち社会主義の法理学は国家主義なり。故
に個人主義時代の法理学に基きて君主々義と云ひ民主々義と云ふこと
は明かに誤謬なり。従来の如き意味に於て君主々義と云へば利益の帰

君主々
義或は
民主々
義の主
権所在
論と個
人主義
の誤謬
 

属する所が君主なるを原則とし、民主々義と云へば国民が終局目的な
るを論拠とす。而して各々利益の帰属する所、目的の有する所に権利
が存すと云ふ根本思想に於て個人主義なり。社会主義 ― 法理的に云
へば国家主義は国家が目的にして利益の帰属する権利の主体たりと云
ふ思想にして主権は国家に在りと論ずる者なり。個人主義を持して今
の社会的団結を見るならば、其の原始に於ては個々
に結合せずして存
在せしとの臆測なるが故に当然に契約説によりて説明するの外なく、
而して契約説の誤謬にして人類は原始時代より社会存在なるとは生
物学の事実なるを以て、主権の所在の意味に於て君主々義或は民主々
義を論争することは理由なきことなり。故に君主々義或は民主々義を個

今日に
於て個
人主義
の主権
論を唱
ふるは
前提の
契約説
を捨て
ゝ結論
を争ふ
ことゝ
なる
 

人主義時代の法理学に基きて唱ふるならば、此の社会国家を個人の自
由独立の為めに(即ち個人の目的と利益の為めに)組織されたる者と断じ、
其の組織さるゝ以前に於ては国民各自に主権が(ルーソーならば平和に
ホッブスならば各人の各人に対する闘争をなして)存在したりと想像し
たる者なるを以て、組織前に各自に存在すと仮定せる主権が組織後に
於て何者に存するかを問題とする者なり。而して其の組織の方法は当
時の思想に於て契約説より外なく、従て契約説が棄却されたる今日に
於ては個人主義の主権所在論は前提を棄てゝ其の結論を争ふ無意義の
者となる。固より國體論が幕末に於て大なる意義ありしが如く、契約
説は一たび一切議論の基礎なりき。仏蘭西革命に至るまでに於ては、
今日の如く平等の法律の下に生ぜる階級に非らずして、法律其の者よ

契約説
の意義
ありし
階級国
家時代
 

りしての階級国家なりしが為めに、議会の如きも各階級各々異なれる
決議に於て其れ自体の目的と利益とを持して対立し、決して今日の如
き一国家としての法律にあらず、各階級の契約による一の条約的性質
の者なりき。故に契約説は個人主義の思想に執られて之を国家の起原
社会の原始にまで及ぼしては根拠なき臆説に過ぎずと雖も、其当時の
国家の説明、法律の解釈としては避く可らざる唯一の帰結にして又こ
の仮説なくしては一切の社会現象は解釈す可らざる者なりき。今日は
然らず、仮令資本家発達の為めに国家の機関は一階級に独占せられ社
会の階級は大割裂を隔てゝ相対するに至りしと雖も、そは経済学の取
扱ふべき所にして法律学の立脚点よりしては日本国は疑ひもなく一国
家なり。又仮令藩閥が天皇を擁して自己の階級に利益ある法律を制定
し議会は全く資本家の手足となりて其の階級の目的によりて法律に協
賛すとも、その一たび法律となる以上は法律学は事状を顧みず階級を

天皇と
国民と
は権利
義務の
契約的
対立に
非らず
 

超越したる日本国の法律として見るべきは当然也。故に中世の契約説
時代の憲法は、君主と貴族、或は国民との条約的性質を有したるも、
今日の憲法は決して契約に非ずして君主と国民とは憲法の訂結を以て
権利義務の関係に於て相対立する二個の階級にあらず。君主の行動の
制限さるゝは国民の権利の前に自家を抑制せざるべからざる義務の為
めにあらずして、国民の義務を負担せしめらるゝは君主の要求の下に
君主の権利を充さんが為めにあらず。即ち、国民の負担する義務は国
家の要求する権利にして、君主の主張する権利は国家の負担する義務
なり。日本国民と日本天皇とは権利義務の条約を以て対立する二つの
階級にあらず、其の権利義務は此の二つの階級が其の条約によりて直
接に負担し要求し得る権利義務に非らず。約言すれは日本天皇と日本
国民との有する権利義務は各自直接に対立する権利義務にあらずして
大日本帝国に対する権利義務なり。例せば日本国民が天皇の政権を無
現す可からざる義務あるは天皇の直接に国民に要求し得べき権利にあ
らずして、要求の権利は国家が有し国民は国家の前に義務を負ふなり。
日本天皇が議会の意志を外にして法律命令を発する能はざる義務ある
は国民の直接に天皇に要求し得べき権利あるが為めにあらず、要求の
権利ある者は国家にして天皇は国家より義務を負ふなり。 ― 是れ中

中世の
階級国
家と近
代の公
民国家
 

世の階級国家と近代の公民国家との分るゝ点なり。(階級国家の中世史
に付ては後の歴史解釈を見よ)。固より今日に於ても法律其者の上より、
君主と云ひ貴族と云ひ一般国民と云ふが如き階級的形跡の者なしとは
云はず。而して其の法律によりて利益の帰属する所が或る見解(特に政
治学上の見解)を以て見れば君主のみ或は貴族のみに限らるゝ者無しと
は云はず。是れ国家とは進化的生物(『生物進化論と社会哲学』に於て個体
を定義したる所を見よ)にして國體と云ひ政体と云ひ其の生物の成長に
従ひて進化し、人為的に進化の過程を截然と区劃する能はざる者なれ
ばなり。而しながら今日の国家を以て中世時代の階級国家と見るべか
らざる法理学上の根拠は中世の如く君主或は貴族が其れに帰属すべき
利益の主体として有せず、国家の目的の為めに国家に帰属すべき利益
として国家の維持する制度たるの点なり。例へば天皇無責任の利益は
或る見解を以てすれば帰属する所天皇なるかのごとく解せらるべきも、
法理学上よりしては国家の目的と利益との為めに存する法規なり。又
貴族及び或る限られたる者のみ貴族院議員たるべき権利あるは又等し
く利益の帰属する所其等の階級にあるが如く見らるべきも、国家の目
的と利益との為めに存する法規なりと解することは法理的見解として
は避くる能はず。固より君主と云ひ貴族と云ひ又国民と云ひ、等しく
其の地位に応ずる独立自存の目的を有し其れ/"\
自己に帰属する利益

政権と
統治権
 

を有するを以て固より権利の主題たりと雖も、其の権利とは所謂政権
にして、君主に在りては重大なる権限を有する皇位に如くの権利たり。
貴族に在りてはまた特別なる権限を有する貴族院議員或は其の撰挙を
残すべき権利たり、国民に取りては多く撰挙の際に重要なる機関たる
所の撰挙者の地位に即くの権利なり。而しながら皇位に即く権利、撰
挙者たる権利は決して主権にあらずして主権を行ふべき地位に対する
権利なり。故に近代の公民国家に於ては如何なる君主専制国と雖も又
直接立法を有するほどの民主国と雖も、其の君主及び国民は決して主
権の本体に非らず、主権の本体は国家にして国家の独立自存の目的の
為めに国家の主権を或は君主或は国民が行使するなり。従て君主及び

国家主
権の法
 

国民の権利義務は階級国家に於けるが如く直接の契約的対立にあらず
して国家に対する権利義務なり。果して然らば権利義務の帰属する主
題として国家が法律上の人格なることは当然の帰納なるべく、此の人
格の生存進化の目的の為めに君主と国民とが国家の機関たることは亦
当然の論理的演繹なり。
 故に階級国家時代の契約説と個人主義の仮定とを維持する者に非ら
ざるよりは、現今の憲法を解して君主と国民とが権利義務に於て対立
する者となし、君主或は国民を主権の本体と断ずるの理由無し。

 


      ・

國體の
進化的
分類
 

 而しながら国家は始めより社会的団結に於て存在し其の団体員は原
始的無意識に於て国家の目的の下に眠りしと雖も(『生物進化論と社会哲
学』に於て原人時代を論じたる所を見よ)。其の社会的団結は進化の過程
に於て中世に至るまで、土地と共に君主の所有物となりて故に国家は
法律上の物格となるに至れり。即ち国家は国家自身の目的と利益との
為めにする主権体とならずして、君主の利益と目的との為めに結婚相
続譲与の如き所有物としての処分に服従したる物格なりき。即ち此の
時代に於ては君主が自己の目的と利益との為めに国家を統治せしを以
て目的の有する所利益の帰属する所が権利の主体として君主は主権の

君主が
国家を
所有せ
る家長
国と君
主が国
家に包
含され
たる公
民国家
 

本体たり、而して国家は統治の客体たりしなり。此の国家の物格なり
し時代を『家長国』と云ふ名を以て中世までの國體とすべし。今日は民主
国と云ひ君主国と云ふも決して中世の如く君主の所有物として国土及
び国民を相続贈与し若しくは恣に殺傷し得べきに非らず、君主をも国
家の一員として包含せるを以て法律上の人格なることは論なく、従て
君主は中世の如く国家の外に立ちて国家を所有する家長にあらず国家
の一員として機関たることは明かなり。即ち原始的無意識の如くなら
ず、国家が明確なる意識に於て国家自身の目的と利益との為めに統治
するに至りし者にして、目的の有する所利益の帰属する所として国家
が主権の本体となりしなり。此れを『公民国家』と名けて現今の國體とす
べし。
 斯く國體を進化的に分類せず、国家が人格なるか物格なるかに論点
を定めざるが故に今の君主々権論者も国家主権論者も無数の矛盾撞着
の上に立ちて意味なき争論を繰り返へすに過ぎず。元来彼等は法律学

法律学
の動学
的研究
 

の研究方法に於て根本より誤まる。國體と云ひ政体と云ひ決してアリ
ストーツルの統治者の数と云ふが如き形式的数字に多少の補綴を為し
て解せらるべき者にあらず。今日の法律学は希臘古代の如く静学的に
思弁に耽るべき者にあらずして、國體及び政体は進化的過程の者とし
て、即ち歴史的進行の社会現象として動学的に研究すべき者なり。若
し今の憲法学者にして此の態度あらば今日の進化の程度に在る独逸帝
国の統治権が聯邦各国に在りや又帝国にありやと云ふが如き論争も起
らざるべく、英国を以て君主政体なりや民主政体なりやと云ふ議論も
無かるべく、特に今日大多数の立憲君主国と名けらるゝ者につきて ―
― 君主々権論者も国家主権論者も共に陥れる如き実に由々しき誤謬も
存在せざるべきなり。法律現象を動学的に研究せず國體或は政体を進
化的に考へざるならば、古代の國體及び政体、中世の國體及び政体は

今の学
者が國
體及政
体の分
類に無
益なる
論争を
なすは
進化論
的研究
なきが
故なり
 

全く法律学の研究外に逸出すべく、従て其の進化を継承せる現今の國
體及び政体を説明する能はざることゝなる。『國體論』と云ふ迷信を有する
日本の如きは此の為めなり。故に彼等の解釈は其の無数に異なれるに
係らず、日本国につきて進化的考察なきが為めに今日の國體と政体と
を説明する能はざるに至りては共に一なり。国家学の原理によりて国家
を進化的に見よ。今日の國體と政体とは明かに解せらるべく、紛々た
る学者の分類が何の価値だも無きことを発見すべし。故に法学博士穂
積八束氏の如きは此の点を解せざるが為めに終に匙を投じて國體も政
体も分類的に取扱ふべからざる者なるかの如く云ふに至る。大学筆記
に曰く『國體は歴史の結果にして各国一ならず、故に一般普通の國體と
云ふことなし、また予じめ学者が國體の種類を列挙しつくすことを得
ず。過去及び将来に於て主権の所在は歴史の結果として種々なる変動
あり得べきなり。故に余は國體を説くは或る特定の国、時代を論ずる
者にして一般に且つ抽象的に國體分類を列挙すること能はずと信ずる
者なり。我が憲法を説くに当り我国の歴史によりて定められたる國體
を説くの外なし』。
 固より穂積八束氏の如きが仮令歴史によりて國體を定むと云ふとも
其の動学的研究に非らざるは論なく、単に万国無比の歴史なるが故に
万国無比の國體なりと論ぜんが為めに過ぎず。而して其の所謂『特定の
国』と云ふことの特別なる日本国を指せしものなりとするも、其の所謂
『特定の時代』につきては彼より何者も聞けることあらず。偶々『国家統治
の主権は万世一系の皇位に在りて変ることなかりしは我國體なり』と云

穂積八
束氏と
有賀長
雄氏
 

ふかと思へば忽ち『維新革命は主権を回復せる者なり』と論ずる如き何の
拠る所あるやを解する能はず。故に斯る歴史的智識の全く欠けたる者
よりして、其の所謂歴史によりて定まると云ふ我が國體の動学的説明
を期待せざるべし。只誠に奇怪なるは天下の歴史家を以て認識せられ
つゝある君主々権論者の一人法学博士有賀長雄氏が等しく進化的研究
なきことなり。有賀博士は穂積博士と等しく君主々権論者の権威にし
て、等しく主権の所在は歴史によりて定まると主張する者なり。而し
て主張に背かず其の著『国法学』の如きは緒論として日本の国民対皇室の
歴史的叙述に少なからざる頁を費やしつゝあり。吾人は主権の所在は
歴史によりて定まることを信じ、国家主権論の基礎は全く日本歴史に
求めざるべからざることを信じ、國體及び政体は只動学的研究により
てのみ解せらるべきことを信ずる者なり。而して有賀博士が歴史家の
意義を以て『日本国民を悉く天照大神の子孫なりとし此の事実のみを以
て日本国民に対する天皇主権の基礎となすは歴史を考へざる俗論なり』
と喝破し、穂積博士の如き君主々権論者は博士の前には誠に価値なき
者となれる如きを見て、『国法学』が君主々権論に有力なる歴史的根拠を
与ふべき者なるを期待したり。恐らくは博士も期したるべし。而し乍ら
今日の意味に於ける統治権と云ひ統治と云ひ天皇と云ふ文字を二千五
百年間同一不異の者と考へ、却て歴史的進行に反して逆進して論じ昇

『国法
学』は
歴史的
研究に
あらず
して逆
進なり
 

れるを見て、吾人は実に日本国中未だ一人の国家の進化的研究をなす
者なしと断言せざるを得ず。固より吾人と雖も最古の歴史的記録たる
古事記日本紀の重要なる経典たることは決して否まず。而しながら有賀
博士の如く神武紀元後十四世紀後なりと云ふ其等によりて、而も『夫の
豊葦原の瑞穂国は我が子孫の王たるべき地なり、爾皇孫就きて治らせ、
宝祚の隆えまさんこと天壌と共に極まりなかるべし』の僅少なる一言を
論拠として一学説の根本思想となすは明かに不謹慎極まる独断論なり。
斯る十四世紀後の支那文字にて『王』と云ひ「治らす』と書かれたりとも、其
の文字の形態発音の似たるが為に今日の『統治権』に当て嵌めて十四世紀
前の太古と十世紀後の今日とを一縄に結び付け得るや。古事記日本紀
に至るまでの十四世紀間に渉る長き間は ― 少くも外国文明に接触す
るまでの十世紀間は全く文字なく前言往行存して忘れず縄を結びて事
を記したりと称せらるゝ程の原始的生活時代なりしぞ。之を仮定して
下の如く考へよ。若し今日以後十世紀間文字なく、火星と交通によ
りて火星の文字を以て十四世紀後に明治歴史が書かれたりとせよ。十

有賀博
士は治
らすの
文字の
形態発
音によ
りて今
日の統
治関係
を太古
に逆進
 

四世紀後の火星の文字の古事記日本紀に表はれたる火星の『王』『治らす』
と云ふ文字を学明治の統治関係を説明するを得べしと思ふや。今日
の吾人が仮りに縄を結びて記録とし、其の縄が十世紀間腐朽せざるほ
どの金属なりとするも、又吾人の頭脳が驚くべく進化して十世紀間の
前言往行が言語によりて祖父の口より孫の耳に伝へられて誤りなしと
するも、火星の文字は火星の思想を表はし、十四世紀後の進化せる国
民は十四世紀後の思想を以て火星の文字を使用すべし。然らば、有賀
博士が、王と云ふ文字が国王の王に似、治らすと云ふ文字が統治の治
に似たるが為に、斯る文字なき時代の太古と其文字の用ひられたる支
那文明の輸入時代と、更に欧州文明の今日に使用さるゝ全く異なれる
統治権の思想とを変遷進化なき者と独断して、今日の統治関係を以て
原始的生活時代の文字なき数千年前まで逆進して憚らずとは已に歴史
家の資格に於て皆無なるを知るべし。吾人は断言す ― 王と云ひ治ら

文字な
き一千
年間は
天皇と
呼ばれ
 

すと云ふ文字は支那より輸入せられたる文字と思想とにして原始的生
活時代の一千年間は音表文字なりや象形文字なりや将た全く文字なか
りしや明らかならざるを以て神武天皇が今日の文字と思想に於て『天皇』
と呼ばれざることだけは明白にして、其の図民に対する権利も今日の
天皇の権利或は権限を以て推及すべからざる者なりと(吾人は文字無
き一千年間の原始的生活時代は政治史より除外すべきを主張する者な
り、後の歴史解釈を見よ)。

古代の
権利と
今日の
天皇の
権限
 

 斯く文字の形態発音に於て同一ならば内容も古今異らずとの歴史家
なるが故に、家長として土地人民を所有せし時代の天皇の権利を無視
し、雄略が其の臣下の妻を自己所有の権利に於て奪ひし如き、武烈が
其の所有の経済物たる人民を恣に殺戮せし如き、後白河が其の所有の
土地を一たび与へたる武士より奪ひ其寵妾に与へし如き、斯る所有権
の主張を今日の天皇の権利を以て逆進して論じ、以て或は暴逆無道な
りと云ひ不仁違法なりと云ふにいたるなり。当時の天皇は今日と全く
意義を異にせる国家の所有者と云ふ意義にして、人民は人格にあらず
国土と共に天皇の『大御宝』として経済物なりしなり。而して斯る歴史家
の或者は当時の天皇の権利を認識して斯る逆進的批判を為さゞること
ありと雖も、而も却て当時の天皇の権利を以て今日の天皇に粘着的に
論下し、尚国土及び人民を自由に与奪し殺戮するを得べき家長なるか
の如く云ふ。今日の天皇は当時と全く意義を異にせる国家の特権ある
一分子と云ふことにして、外国の君主との結婚によりて国家を割譲す
る能はず国家を二三皇子に分割する能はず、国民の所有権を横奪して
侵害する能はず、国民の生命を『大御宝』として毀傷 295