兇変より新内閣の成立まで


 原氏の兇変に狼狽して閣員は先きに総辞職の決意を表し、此稿を草する時まで新内閣の詮議は猶ほ五里霧中の裡にある。此際例に依つて又しても吾人の眼を刺撃する常套現象は、憲政の常道を履み外づす可らずとの民間の要求が盛である事と、内閣組織の実際の相談は這の要求を裏切つて、全然二三者の暗室裏に進められつゝある事実とである。理義と現実との相隔離せること、蓋し我国今日の政界の如く甚しきはない。
 以上の現象は、言ふ迄もなく今日我国には元老閥族の勢力の尚ほ無視す可らざるものあるを語るものである。之を計算の外に置いては政局の進行を滑かならしめ得ざるが故に、流石の大政党も突進を遅疑して居るのだ。どうせ御鉢が自分に廻つて来るに極つては居るものゝ、内閣製造の空名は之を閥族に帰して、只管後日無用の妨礙を蒙らざらんとするは、今日の政党としては最も悧怜な遣口に相違ない。
 併し閥族には進んで自ら内閣を組織する丈けの勇気はない。是れ一つには政党の勢力にも因るが、主としては輿論の支持を欠くに由ると観るべきであらう。閥族は最早今日となつては、僅に政党政治に対する消極的牽制力たるに過ぎぬものとなつた。而かも彼は此れ丈けの勢力を利用して、せめても彼等の所謂大権内閣論の空名を護らんとして居る。政党を差し措いて内閣は作れぬ実勢ではあるが、政党が政党の資格に於て内閣を作るに非ず、凡ての内閣は必ず大命降下を辱くしたる政治家の作る所たるべしとの見解をば、曲りなりにも元老会議の惰性的慣例に由つて維持して居るのである。併せて彼等は出来る丈け自分達の畑に近い人を頭に推して政党を操縦させようと欲して居るのだらうが、左うばかりは世間が許さぬものと見へる。政党に意気地がないから閥族も相当にはびこつては居るが、閥族の野心家とて今日はさう軽く政党を視ることも出来ない様になつた。
 斯んな所に停迷して居るのが恰度昨今の状況だ。此際双方の面目と希望とを立て、併せて双方を十二分に安心せしむる解決は西園寺公の奮起であらうが、之は恐らく出来ぬ相談だらう。元老連は極力同公の起立を促して熄まず、政友会は無条件で一切を膝下に捧呈すると追つて居るが、之れで動く西園寺なら、彼は寺内内閣の倒壊の際既に起つた筈だ。今や凡ての解決の鍵は同公に托され居るといへば、是れ正に原内閣成立当時の政情其儘だ。然らば自然の順序は噂の如く高橋野田の辺に来るのではあるまいか。原はあの時既に総裁であつた。高橋野田は然らずなどゝ言ふ勿れ。人物に貫禄を欠くと謂はゞ、原の時だつて世間はさう気遣つた。遣らして見たら存外相当にやるだらうと思ふ。
 西園寺公の起つといふ事も夫れ程考へ得べからざる事ではない。高橋野田の孰れかゞ出るにしても、之は一個人の彼れに大命の降るので、新内閣は仮令同じ人々を以て作られるとしても前とは別のものだと云ふ解釈は飽くまで固執さるるだらう。変な話だが、日本の今日としては已むを得まい。憲政会は頻りに憲政常道論を振り翳して居るが、之は主として政友会の投げ出しの結果、官僚内閣の出現を見兼て政党官僚の慣れ合ひの現象を繰り返す場合を考へての反対であらう。
 どの道政党者流が内閣を作るのだから、少し位の元老閥族の容喙は已むを得ずとしよう。之を良いといふのではないが、事実勢力を有つて居るのだから致方はない。只之にも拘らず、政党を外にして内閣を作ることは殆んど不可能になつたといふ時代の潮流が面白いと思ふ。
 此潮流は段々年と共に固まりつゝある様だ。が、併し近年の様に政友会のみが常に多数党であつては頗る心元ない。何となれば、彼は何時官僚と相通ずるか分らないから、之には同じ流儀は他の政党にも倣はれるといふ事が必要だ。色々の人が同し事を繰り返すことに依て、始めて慣例は法規となるものである。此点に於て吾人はまた翻て憲政会の奮発を望まざるを得ない。
 誰が内閣を組織するにしろ、時代は今や多くの新しき問題を提供して其解決を迫つて居る。従来の政治家は之等の方面に余りに無理解であつた。今後の政治家にも果して何れ丈け期待し得るか甚だ怪しい。政変に際し若干光明ある解決に一歩を進めたるを悦ぶと共に、国民として為すべき仕事のまだ/\非常に多いことを想うて、我々は益々緊褌一番するの必要を痛感するのみである。

      〔『中央公論』一九二一年一二月〕