山本内閣の倒壊と大隈内閣の成立   『太陽』一九一四年五月

 山本内閣の倒壊より大隈内閣の成立に至るまでの所謂最近の政変は、その前後に於て、我々政治の事を研究して居る者に種々の興味ある問題を提供した。今その中の二三の点を次に順を追うて論じようと思ふ。併しこれは素より、深く政界内部の事情に通じない余が、単純に外面に現はれた現象に就いて、多少学問的の評論を試みたに過ぎないといふことを予めお断して置く。


    一  山本内閣の倒壊

 山本内閣の倒れた顛末については、その間に面白い問題が少くとも二つあると思ふ。一つは、内閣倒壊の原因が貴族院の反対にあつたといふ点で、今一つは、之に対する政友会の態度である。
 山本内閣は、貴族院が海軍補充費の協賛を拒んだことが原因となつて倒れたのであるが、いつたい政治上の徳義としては、反対派が政府の原案に反対する場合には、都合に依つては必ず取つて代るといふ覚悟を必要とする。己れ代つて政府を組織する丈けの成算無くして濫りに反対するといふことは、原則としては之を許さぬのである。尤も法律上、貴族院の議員(貴族院には限らないが)は、取つて代る覚悟を条件としてのみ政府の原案に反対し得るといふのではない。寧ろ取つて代ることが出来る出来ないに関係なく、自己の信ずる所に依つて賛否を表することが法律上議員の義務であると云つてよい。併しこれは一片の法律論に過ぎず、実際の政治の徳義としては、自己の所信に依つて行動することに就いても、相当の責任を持たねばならぬものである。殊に彼等が、政党とは言ひ得ないかも知れぬが、夫れ/"\党派を造り、或る点までは共同一致の行動に出づる場合に於て、この政治的責任が最も重大なものと考へねばならぬ。然らば貴族院に於て政府に反対せる大多数の者は、果して己れ取つて代る丈けの成算があつたかと云ふに、此点は甚だ疑はしい。殊に彼等は両院協議会に於ても其の説を固執し、更に協議会の成案が問題となれる時、再び前説を固執して遂に之を否決した。その決心の強大なる丈け其れ丈け責任も非常に重かるべき筈である。普通の場合に於ては、貴族院は一応下院の決定に反対しても、両院協議会に於て下院が譲歩せぬならば、上院は暫く下院に譲歩するといふのが然るべき解決であると思ふ。若し下院が譲歩せぬ際に上院が飽く迄その説を固執するならば、その結果は己れ代つて新たに内閣に立つといふ政治上の責任を生ずるのである。この責任の自覚が甚だ稀薄にして、たゞ徒らに反対した−若し事実左様であつたとすれば−といふことは、政党政治の常道ではないと思ふ。但し断つて置くが、右の点は主義若しくは理論の問題である。而して現今の所謂腐敗したる海軍と目せられて居る者に、海軍拡張の事業を託することの可否といふ実際問題とは分離して考へたいと思ふ。而して此の実際問題は余が茲に論ずる所ではない。只余は、貴族院の反対が海軍収賄問題と関聯せるが為めに、反対した事それ自身までも世間の同情を博した点に多少の道理があると思ふ。故に此の場合、強いて貴族院の態度を責むるは酷に失するかも知らぬが、主義の問題としては、茲に一の疑問を投じて置く価値があると思ふ。
 貴族院の反対に会つて大に困憊せる山本内閣が取るべき処置、否政友会が此の際に取るべき処置如何といふことは、政治上甚だ明白であつた。即ち解散に依つて政府の信任を国民に問ふか、若しくは潔く辞職をするか、この二つの外に途は無かつたのである。然るに政友会は飽くまで政権に恋々として、都合によつては貴族院と巧く妥協して−換言すれば、多少党の面目を傷けてまでも政権を離れないといふ醜い態度を示した。余は此の点に日本の政党の弱点を認めねばならぬ。政友会の斯かる噛り附き的態度に対して、世間は思ひ切つて冷評熱罵を与へた。併し政友会としては、これ亦已むを得ない処置であつたと思ふ。単り政友会に限らず、他の党派でもこれと同一の境遇に陥つたならば、矢張り同じ態度に出でたであらう。不都合には相違ないが、斯の如きは畢竟日本の政党に共通の弱点である。何故かと云ふに、日本の政党は由来、政権を掌握することによつて始めて其の党勢の拡張も出来るので、この点は西欧先進国の政党とは正反対である。彼に在つては党勢を民間に張ることによつて始めて政権を掌握することが出来る。西洋のやうに斯く民間に於ける党勢の消長に依つて政権を取り、或は政権に離れるものなら、濫りに辞職する必要も無く、又徒らに政権に恋々たるにも及ばぬ。然るに我が国の政党を見るに、その議会に多数を占むるといふことは、政権の掌握若しくは政権掌握の希望に依つて、辛うじて之を維持して居るのである。左れば日本に於ては、政権に離れるといふことは直ちに党勢の衰微を意味する。又現在の政党は政権の掌握以外に党勢拡張の方法を知らぬゆゑ、たとひ馬鹿と云はれ阿呆と罵られても、政権には離れまいとする。斯かる状態は政党発達の上に変則なるのみならず、政治の進歩を阻害することも夥しい。何故かと云ふに、政権の掌握に依つて党勢を拡張するといふことは、実は其の地位を利用して有形無形の利益を提供し、之に依つて党勢を拡張するに外ならぬ。之を露骨に云へば、政権を利用し、利益といふ代価を以て投票を我が党に買ふやうなものである。而して此間に種々の弊害の生じ得るは言ふ迄もない。
 右の党勢拡張の報酬たる利益は、各地方の人民一般の利益なら未だしも、多くは一部分の利益、少数なる所謂地方有力者の利益といふことになり勝ちである。これ丈けでも、利益の不公平なる分配といふ事と、一般人民の利益を無視するといふ二個の大弊害が生ずる。且つ之に依つて国帑濫費に陥ることは免れない。故に余は政党の発達を衷心より希望する一人であるにも拘らず、政権の掌握に依つて党勢を拡張するといふ遣り方には、飽くまで反対せざるを得ない。これと同時に、党勢拡張策としては、一層文明的、合理的にして且つ一層確実な方法に出でられんことを、政友会のみならず、総ての政党に向つて希望するのである。


   二   後継内閣の物色

 山本内閣の辞表提出後、例に依つて元老会議が開かれ、数回に亙つて後継内閣の組織者を物色した。而して其の間に於て最も興味ある問題は、超然内閣の主義が勝つか、政党内閣の主義が勝つかといふことであつた。民間の輿論(少くとも新聞紙に現はれたる)は啻(ただ)に政党内閣の主義を主張したるのみならず、又この主義に非ずんば到底紛更せる時局を収拾する能はずと論じた。然るにも拘らず、党の責任者たる元老の方では、超然内閣主義を取つたらしく、結局清浦子爵を奏薦することゝなつた。先に於て世人は一時超然内閣主義の勝利を考へたけれども、これは結局前内閣派の反対の為めに、成立を見るに至らず、終に稍々政党内閣主義の色彩を帯べる大隈伯に大命が降ることになつた。この経過は先づ大体に於て、我が国の憲政が今日最早や超然内閣の存在を許さず、漸次政党内閣制に進まんとする傾向あるを示すものと見て差支がない。果して然らば進歩か退歩かといふことは別問題として兎も角も我が国憲政発展の上に一転期を劃するものに相違ないと思ふ。人或は言はん「政党内閣なるものは十数年以前より既に存在して居るではないか。明治三十四年以来桂公と西園寺侯とは相交代して、十年の間政権を遣り取りして居つたのである。桂公自身は政党を率ゐては居らなかつたが西園寺侯は常に政友会を提げて居つた。これ即ち政党内閣ではないか」と。併しながら此の見解は誤つて居る。桂公の内閣が政党内閣にあらざりしは言ふ迄も無いが、西園寺侯の内閣と雖も素より純粋なる政党内閣と称することが出来ぬ。この両者は所謂情意投合に依つて政権を掌握して居つた。而して超然内閣たる桂公の政府が常に政友会の援助の下に立つたことは申す迄も無いが、西侯の政友会内閣と雖も、元老乃至官僚の尠からざる援助の下に辛うじて其の政権を掌握して居つたのである。即ち政党を唯一の足場として立てる内閣ではない。故に形式は政界の二大勢力が相交代して政権を取つたなれども、之を以て政党内閣と称することが出来ぬのみならず、其の実政党内閣の端緒にすら著いて居たのではない。故に日本に於て政党内閣が出現した、或は出現しかつつたといふことを申すならば、明治三十一年六月の憲政党内閣のことは暫く措き、先づ今度の大隈内閣を以て其の端緒を開いたと云はねばならぬ。
 併し更に一考すれば、この間に未だ安心の出来ぬ点がある。即ち清浦子の超然内閣が成立しなかつたといふ事情に多少不明瞭な点があると共に、大隈伯の所謂政党内閣が成立せる事情にも亦多少徹底せざる点を認め得るからである。清浦内閣の不成立に終れるは、主として海軍側と政友会との陰謀の結果だといふことであるが、果して然らば、仮りに右の陰謀が無かつたとすれば、彼の清浦内閣の如きも立派に成立したことゝ思ふ。即ち超然内閣と雖も、到底成立し能はざる理由あつて成立を見なかつたのでは無い。左れば我が国現在の政界には如何(どう)やら超然内閣の成立し得る余地がありさうに思はれる。更に翻つて大隈内閣成立の経過を見るに、其の間に元老乃至官僚、少くとも政党とは直接の関係なき貴族院の勢力が参加して居ることを思はせる。して見ると、元老及び貴族院を疎外して内閣を組織し得る時期は未だ十分に熟し居らぬと言はざるを得ぬ。余が前に十分安心が出来ぬと言つたのは、実に此の点である。
 何れにしても、政党内閣といふものが先に成立した。たとひ前述の如き不安心なる点がありとしても今日の大隈内閣の成立は、右の如き曖昧の事情を減却して、政党内閣の機運を一歩進むるものであることを疑はぬ。この点に於て新内閣の成立は、我が憲政史上に重大なる意味を与ふるものであると信ずる。


     三 大隈内閣の成立

 大隈内閣の成立に対しては、新聞なども大に此を歓迎して居るが、我々学者の立場から見ても歓迎すべき幾多の理由があると思ふ。其の第一は、同内閣は紛更せる時局を収拾するに最も適当なる内閣なりといふ点である。今日全然政党を無視して内閣に立つことの至難なるは申す迄も無い。而して政友会内閣は議会に多数を制しながら辞職し、又直接に此の内閣を仆(たお)せる貴族院の人々にも取つて代る実力が無いとすれば、結局政友会に反対なる党派が内閣に立つより外に途が無い。然るに此等の各派が全部合同しても以て政友会に当るに足らず、且つ其の間の関係も頗る円滑を欠いて居る。要するに非政友合同については、非常なる困難が横はつて居ると見なければならぬ。而して此の難関を切抜けるためには、第一、能く非政友の諸派を聯合し得る人物を起さしむることを必要とする。第二、近き将来に於て政友会の多数を覆し得る丈けの実力と民望ある人物なるを要する。而して大隈伯は此等の要件を具備する唯一の人物であると信じられて居る。故に大隈内閣は、此際是非とも出現せねばならぬ運命を持つて居つたのである。
 新内閣を歓迎する理由の第二は、閣員の顔触が良好なことである。見渡したところ、一人として是れはと危ぶまれるやうな人が無く、手腕、学識、人格に於て何れも内外に誇るに足る人物である。此の如き顔揃であれば、政府の重みは国の内外に於て一段上加はり、殊に外交上に尠からぬ好結果を来すであらうと思ふ。一昨年仏蘭西のカイヨー内閣がモロッコ問題の失敗を以て絶頂に達し時局の紛更甚しきに至つて、現大統領のポアンカレーが起つて之を始末した。その時に当つて同国第一流の政治家が、此の難局を救はんがために皆進んで内閣に列し、その結果当時の仏南西内閣は所謂「偉 人 内 閣(グレートメンズ・キャビネット)」の名を内外に博し、欧州の外交界に於て仏蘭西は頓に重きを為したのである。彼のバルカン問題の起つた当初巴里が殆んど外交界の中心となつたのも、畢竟これが為めであつた。今日の大隈内閣は余程これと趣を同じうして居る。況やカウント・オークマの名が広く列国の間に喧伝せられて居る今日であるから、新内閣に於ける帝国の外交は今後頗る見るべきものがあると思ふ。少くとも対支外交の上には、余程強大なる影響があらねばならぬ。
 新内閣を歓迎すべき理由の第三は、其の政党内閣の色彩を帯ぶる点である。尤も前述の如く、純然たる政党内閣とは言へぬかも知れないが、少くとも政党を主たる基礎とする聯立内閣と云つて差支が無い。尤も理想としては純然たる政党内閣に越したことは無いが、今俄かに其の完きを求むることが出来ぬとすれば、これ以上を望むは余りに過当であらう。只我々は新内閣を以て、政党内閣の端緒として之を迎ふることは決して不当でないと思ふ。


     四 政党内閣論

 政党内閣を論ずるに当つて先づ第一に考ふべき点は、其の是非得失の問題よりも、可能不可能の問題である。而して可能不可能の問題は、之を次の三点より考へねばならぬ。
 第一、政党内閣の制度は事実上可能なりや否やといふ問題である。政党内閣の制度の完全に行はるゝには、大体に於て二大政党の対立を要件とする。小党分立の状態に在つても、内閣は矢張り政党を基礎として組織せらるゝが普通の例であるけれども、二大政党対立の場合でなければ政党内閣の制度の妙用は之を発揮することが出来ぬ。而して二大政党の対立と云ひ、或は小党分立と云ふも、畢竟勢の問題であつて、人為を以て左右することは出来ない。例へば選挙権拡張の如きは、一片の法律を以て之を実行することが出来るけれども、制度法律の変更によつて、直ちに小党分立の勢を変じて之を二大政党に集中せしめることは不可能である。故に政党内閣たるものは、是非得失の論は別として、其の国々の政党関係の実際上、或は完全に行はれ得ることもあり、或は行はれ得ぬこともある。併しながら斯く具体的の場合を暫く措き、単に抽象的に考へると、凡そ一国の政見は二つに分れる。即ち二個の政党に分派するのが大体の趨勢である。世には現状を維持する上に利益を有する者もあり、又一方には現状の打破に依つて境遇の改善を計らんとする者もある。この心理的基礎に依つて、一国の政見は大体「保守」「自由」の二党に分れる。尤もこの点は尚ほ詳細なる論及を要するも、茲には簡単に結論丈けを挙げたのである。兎も角二大政党の対立といふことは原則である。
 然るに多くの国に於て小党分立を見るのは何故なりやと云ふに、是等の国に在つては、特に二大政党対立を妨ぐる原因が存するからである。先づ独逸の例を申せば、独逸は保守自由の二つの思想が大体政界の分野を彩る外に、各聯邦の利害の衝突、新旧二者の反目、被合併地方の異人種の反抗等の種々なる原因が、数多の政党を発生存在せしめ、之に社会党まで加はつて、全体に於て十五六の政党に分れて居る。若し夫れ墺地利の政党に至つては、人種の争の激烈なる国柄とて、議会に三十有余の小党派が分立して居るのである。これ皆特別の理由あつて然るもので、これを以て直ちに二大政党対立の原則を非認することは出来ない。現に是等の国に於ても、小異を棄てて大同に合するといふ傾向が近来特に著しく見えて居る。又最近の仏蘭西が二大政党対立の勢に進みつゝあることは『太陽』前号に於ける米田氏の論文にも明白に述べられて居る。要するに特別なる妨害の原因無き以上は、たとひ小党分立の状態に在りとも、其れが漸次二大政党対立に近づきつゝあることが各国を通じて政界の大勢である。翻て我が国には此の大勢を妨ぐる原因があるかと云ふに、余の考に依れば、我が国には斯かる原因は存在して居らぬ。我が国に在つては、宗教の争は政治上何等の意味なく、人種も大体に於て単一なり、地方の利害も著しき懸隔が無い。左れば早晩二大政党対立の勢を持来すべき回状であると云はねばならぬ。故に此の点から見ると、我が国に於ける政党内閣の樹立は、事実上必ずしも不可能では無いと思ふ。
 第二、政党内閣の制度は法律上可能なりや否や。一部の学者には、政党内閣の制度は帝国憲法と相容れない。即ち憲法上許すべからざる制度なりと説く人がある。併しこの議論の誤れることは、先に深く論ずる必要が無い。蓋し政党内閣は一種の政治上の慣例であつて、而も政治上の慣例は法律の範囲内に於て、十分存在の余地を有するものである。而して政党内閣の制は毫も憲法上の大臣任免の大権を制限するもので無いことは、特に世上の理解を求めなければならぬ。
 第三、政党内閣の制度は道徳上可能なりや否や。先に道徳上といふ語は余り適切でないが、これは日本の国体から見てといふ意味である。政党の首領が原則として常に政府を組織するといふことは、憲法上差支ないとしても、国体の上から如何なものであらうかといふ杞憂を抱く人がある。これは大体デモクラシイを嫌悪する思想と同じ系統に属し、勿論重大な誤解に基ける考であると思ふ。天皇は何(ど)の途(みち)御一人の御考で大臣を任命せられるのではなく、必ず何人かに御下問になる。その御下命を拝するのが少数の人か、或は多数の人かといふ丈けの違はあらうが、要するに少数多数何れかの意見が、陛下の最後の御決定に何等かの影響を持つて居るといふことは同一である。而して少数の意見が天皇の御決定に影響することが国体上差支なくして、多数の意見の影響する方が国体上不都合であるといふ理窟はない。さて此の両者の何方(どちら)がよいかといふことは別問題として、国体に対する関係に於ては両方とも全く同一であることは、特に識者の了解を得なければならぬ。況や国民は悪く天皇の赤子にして、忠良なる臣民たる特権は決して君側の少数者のみの壟断を許すべからざるに於てをや。
 以上三点の論拠に照して、余は政党内閣の制度は我が国に於て可能なりといふ結論に達した。而して次に来るべきは、この可能なる政党内閣の制度が政治上好いものか将た悪いものかといふ問題である。この問題についても、余は具体的の観察を離れて、出来るだけ抽象的に考へて見たいと思ふ。若し我国現在の政党を眼中に置いて論ずれば、彼の様な不始末な政党に政権を託すべからずといふ一理ある議論も起り、政党内閣の得失に関する理論上の問題は為めに蔽はれる気味がある。我国現在の諸政党が我々の理想に遠きものなることは事実であらう。然しこれを以て政党内閣制度の利害得失といふ主義の問題に累を及ぼしてはならぬ。要するに余は、理論問題として熱心に政党内閣を歓迎する論者である。凡そ隠密の政治は、如何に立派な人間が局に当るとも、必ず醜穢なる弊害の生ずるを免れない。而して公明なる政治は、議会の十分にして有効なる監督の下にのみ行はれるものである。また議会の十分にして有効なる監督は政党内閣の制度に依りてのみ完全に行はれるものである。超然内閣は隠密主義なるが故に弊害も多く外面に現はれず、世人もまた明証なきの故に、たとひ之を感知するも敢て訐発せず。之に反し政党内閣は公明政治なるが故に、些細の弊害も直に明白となる。従つて人動もすれば後者の弊害を説くに急にして、前者の弊害を寛容するの傾あれども、斯の如きは両者の得失を比較するに当つて、決して公平なる態度と称する訳には行かぬ。現に実際の例に見るも、政党の弊害なるものは、多く超然内閣の組織者たる官僚の政党操縦に発して居る。これは独り日本のみならず、西洋諸国に於ても同一である。
 前述の理由に依つて余は政党内閣を歓迎し、従つて大隈内閣の成立を以て、我が国の憲政発達上喜ぶべき現象であると云ふを憚らぬ。


     五 非政友三派合同論   附 普通選挙制論

 余は本邦憲政発達の上から、大隈内閣の成立を歓迎する。従つて此の新しき内閣に対して、国家の為めに健全なる発達を遂げて、折角芽を吹き出した政党内閣制を十分鞏固なるものとするために、最善を尽されんことを希望する。この見地からして、余は最も根本的の要求として次の諸点を註文したい。
 第一は、大隈内閣の大傘の下に集まつた所謂非政友三派は、出来るだけ感情を一掃して、今日の提携を続けて貰ひたいといふことである。若し此の点に失敗すれば、彼等は忽ち天下を両分して其の一を有するの実力を失ひ、ために再び政友会と官僚との妥協に後戻りをするの虞なきにあらず。斯くては我が国憲政発達のために憂ふべきことであると思ふ。故に内部に多少の内訌離散を見るとも、少し許の犠牲は国家のために忍んで、宜しく大同に従つて提携を続けて貰ひたいと思ふ。若し又右の三流が、従来の行懸り或は歴史を重んずるなら、必ずしも合同しなくてもよい。彼の英吉利の労働党が、幾多の政社の聯合であり、又所謂統一党が、保守党と自由統一党との聯合として、三十年来渾然たる一体となつて行動し来りたる如く、各自の独立を保ちつ、合同提携するの途もあると思ふ。
 第二は、此の際大に奮発してもつと有力なる勢力となつて欲しいことである。三派合同して尚ほ一政友会に当るに足らずとあつては、政党内閣の存続の上に甚だ心細い。勿論今日の勢を以て議会を解散したならば、少からず政友会の勢力を動揺せしむることが出来やう。然しながら一挙政友会の過半数党たる地位を破り得るや否やは、必ずしも断言は出来ない。況や目下借物の容(うつわ)なる大隈伯の勢望を除かば、彼等が総選挙に於て華々しい成功を収
め得るや否や、これ亦疑問である。この点から余は新らしき政府党に向つて、政友会と異れる地盤に立脚地を開拓せんことを勧告したい。換言すれば、此の際多数国民の輿望せる普通選挙制を断行して、新たに選挙権を得べき物の間に其の立場を開拓せんことを勧告したい。選挙法を今日の儘に放任して、政友会と同一の地盤を争ふのでは、恐らく政友会を凌駕することが至難であらう。
 普通選挙制の採用は、新政府党の立場から、従つて政党内閣制の確実なる発達の上から希望すべきことであるのみならず、又憲政発達の為めに、各方面から之を研究する必要があると思ふ。聞く処によれば、新内閣は現行選挙法に於ける選挙資格中の財産的制限を低下し、且つ新たに教育的標準に依つて選挙権を拡張せんとする方針であるとのことだが、余の考では、選挙法を現今の儘放任するよりは、これ丈けの改革でも多少の進歩であると思ふ。併しながら、これ亦姑息の手段に過ぎない。何故に思ひ切つて普通選挙制を採用しないかを怪む。普通選挙論については、識者の間にも重大な誤解がある。それは人間の知識の進歩の度が未だ洽(ひろ)く選挙権を与ふる迄に達して居らぬといふ点に在る。その証拠として、彼等は選挙場裡に於ける選挙民の腐敗を数へる。併しながら、選挙人が僅少の金の為めに投票を売るといふことは、余の考では寧ろ制度の罪であると思ふ。凡そ人間の弱点に乗ずる機会を与ふるが如き制度であればこそ、神聖なる宮内大臣ですら賄賂を取るではないか。僅少の金に目が眩むといふことを責むるなら、その罪は選挙人にのみ在るのではない。故にこの点を以て選挙権拡張論否認の論拠とするならば、余は反対に、同一の論拠によつて、某々等多数の大臣を即刻免職すべきことを要求する。選挙権の行使に必要なるは、候補者の人格を判断する能力である。これ丈けの能力があれば、選挙権を附与するに毫も差支が無い。要は唯、買収などの行はれぬ制度にさへして置けばよいので、即ち普通選挙制を採用するより外はない。
 現在我が国民の発達の程度は、決して普通選挙制を布く程度に熟して居らぬとは信じられぬ。現に西洋の文明国と称する国々の中にも、実は日本ほど教育の普及して居る国が尠い。最近の統計に依れば、所謂「読み且つ書き能はざる者」の数は人口千人中、白耳義は約百人、仏蘭西は四十五人、英吉利は三十五人、和蘭及び瑞西は約二十人の割合で、最も尠きは丁抹(デンマーク)や独逸の○・○七人である。日本には精密の統計は無いが、独逸や丁抹と大差は無いと聞いて居る。而もこれは今日の統計であつて、更に遡つて右の諸国が普通選挙を布いた当時を見るならば、その程度が一層低かつたに相違ない。而も此等の国が普通選挙を断行した後、尠くとも断行以前の如く弊害の無いのを見ても、我が国民の教育程度は、普通選挙制に堪へると云つて差支が無い。且つ又普通選挙制の長所を挙ぐれば、先づ普通選挙を行ふことに依つて、国民一般の利益が法律上偏頗なく、平等に保護せらるこしとや、又之に依つて国民は更に大に政治教育を受くる機会を得ることや、又買収其他の不当手段が選挙場裡より駆逐せらるゝ結果として、真に手腕あり見識ある人物が議会に選出せらるゝことや、其の他利益を数ふれば限りが無い。尚ほ此等の点については、他日研究の結果を発表したいと思ふ。要するに政界廓清の如きも、普通選挙を布くことに依つて確かに其の端緒を得ることゝ信ずる。
 余は以上の理由に依り、新内閣に向つて他の重要なる諸問題と共に、この普通選挙制を断行することに依つて大に政界の面目を一新し、更に之に依り与党の確実なる立脚地を造り、以て本邦憲政の進歩発達に貢献せられんことを希望する。