統帥権の独立と帷幄上奏  『中央公論』一九三〇年七月

 私は本誌前号に於て「統帥権問題の正体」なる一文を公にした。最後の附記にも
ことわつて居る通り、身辺の事情に妨げられて残念ながら十分に委曲をつくすことが出来なかつた。其後該問題は内閣を代表する財部海相と加藤海軍軍令部長との折衝に移り、加藤軍令部長が暗に陸軍側の声援する所に押されて、結局全軍部を代表するの地位に立たされ今や問題は政府対軍部の懸引と云ふ形に重大化せんとして居る。やがて倫敦条約が枢密院の討議に上るの日には、老人連の無鉄砲な封建思想に累されて事は一層面倒になるだらう。実際政治の問題としてどうせ正しい解決の一挙につく見込のないのは勿論だが、民間輿論の大勢だけは常に正しい方向を指示して居るやうにありたいものだ。有力なる諸新聞の論調は幸にして大体正しい立場に拠つて啓蒙の責任を尽して居る。が、また中には少数ながら百年一日の如く頑迷なる軍国思想を振り廻はすものもないではない。ここに重ねて公にする此の一小篇は、主として統帥権問題の現代政局に在て占むる立場の全豹(ぜんびょう)を描くに努めたもので、必ずしも前論文と重複するものではないが、又格別世上の通論と違つた創見があるのでもない。たゞ紛雑なる論難弁駁を整理し多少之に理路の系統をつけた点に於て、問題の輪廓をいさゝか明瞭ならしめたるの効はあらうと自信する。本問に関する輿論の開拓に幾分でも貢献し得れば幸である。(五月十八日記)

    倫敦条約の締結に関する政府対軍部の確執

 両者確執の原因は政府が軍部の意見を無視したと云ふ事に在る。倫敦軍縮会議に臨む日本側の固執すべき方針として当初海軍軍令部は一定の意見を提出し政府の承認を得て居つた。後ち在倫敦全権使臣の請訓に対し政府が多少の譲歩を已むを得ずとして所謂妥協案に同意の指令を発せんとするに臨み、軍令部は頑として之に聴従しなかつた。そこで政府は其同意を得るに及ばずして遂に全権の新提議を容るるの回訓を発したのである。政府が何とかして軍部の同意を得ようと頻りに奔走したこと、その為に請訓より回訓まで半月余も掛つたこと、而して此上荏苒(じんぜん)として放任すべきに非ずさりとて折角こゝまで進行して来た会議を決裂に導くは種々の点に於て我国の不利なること等を考慮すれば、其間また諒とすべき情誼なきにあらざるも、併し政府が結局に於て軍令部の意見を無視したと云ふ事実に争ひはない。是に於て軍部は二重の意義に於て政府の態度を不快とすることになる。一は当該問題に付いて自家の意見の顧みられなかつたこと、二は之に由て政府が軍部を軽視するの端がひらかれ従て軍部威信の大に傷けられるの惧あること是れ。
 海軍軍令部条例に依ると、第一条には「海軍軍令部ハ国防用兵ニ関スル事ヲ掌ル所」とあり、第二条には「海軍軍令部長ハ天皇ニ直隷シ帷幄ノ機務ニ参」すとあり、又第三条には「海軍軍令部ハ国防用兵ニ関スルコトニ参画シ親裁ノ後之ヲ海軍大臣二移ス」とある。同じく国防用兵の事を掌り天皇に直隷して帷幄の軍務に参画するものに参謀総長がある。故に海軍軍令部の管掌する所は漠然と「国防用兵」とは云ふが専ら海軍に関するものに限るは明白である。而してその海軍に関する限り、海軍軍令部長は広く国防及用兵の全般に亙り帷幄に参して天皇を輔翼するの職権を有し、その職務の遂行につき何人の容喙をも認むるものでない。此点に於て海軍軍令部は全く政府の外に独立し寧ろ政府に対立する特殊の国家機関と許ふべきである。
 されば又軍部と政府との関係は枢密院と政府との関係に似て居るとも云へる。枢密院は政府の期待に頓着なく独自の見識によつて天皇の諮詢に応へる。之と同様に軍部が国防用兵の事につき帷幄の職務に参画するに方(あたっ)ては何等政府の意図を顧慮するの必要はない。枢密院と政府との意思の衝突は必ず後者の辞職を結果にもつこと従来の慣例であり、軍部との確執については夫れ程はツきりした慣行はないが多くの場合重大政変の危機を孕むことに疑ひはない。故に政府としては、政務の円満なる進行を図る為には、枢密院に対する場合と同じく軍部に対しても亦常に事前の諒解を得るに努むるを要するのである。こゝに所謂軍部威信の維持せらるる根拠があるのだ。然るに今度端なくも政府はこの軍部の意思を明かに無視して自家方策の遂行を押切つた。斯んな事は従来枢密院などに対しては到底政府のやり了うせぬ所である。軍部の快からずとするも怪むに足らない。こゝで負けては部内の衆怨を一身に集むるの恐れありとてか、加藤軍令部長の頑強に初念に執着するのもまた人情として恕すべき所であらう。


   統帥権干犯論

        一

 政府対軍部のもつれの重点は寧ろその政治的意義の方面に在る。之に附随して倫敦条約の締結は統帥大権を干犯せるの点に於て憲法の条規又は其の趣旨に違反せるものでないかとの議論もある。倫敦条約と帝国憲法との関係も大事な論題ではあるが、併し之が解決されたとて政府対軍部のもつれまでが完全に解決さるると限らない。所謂統帥権干犯を主張する憲法論には、寧ろ軍部の立場を鞏固にする為に種々に工夫された俄(にわか)作りの説明が多いやうだ。それかあらぬか現代有力の憲法学者は口を揃へて今頃斯んな事の問題になるのを不思議がつて居る。学者の定論に在ては到底統帥大権干犯の問題の起る余地はない様である。
 併し念の為に統帥権干犯論の代表的なものの一二を吟味して見よう。
 (一) 海軍軍令部は国防と用兵を管掌の範囲とする。国防は兵額編制の事に関し憲法第十二条の所謂編制大権に当り、又用兵は軍機軍令に関し第十一条の統帥大権に該当する。而して軍令部はひとり用兵の事のみならず国防の事をも掌る所なるが故に、倫敦条約の内容は正に軍令部の職権の範囲内に属し、従て軍令部の意に反して出来上つた倫敦条約は少くとも其手続に於て憲法の趣旨と背いて居ると云ふのである。但しこの論は批准を拒むべしとする論の根拠とはなり得ようが、直に条約そのものを無効と主張する理由にならないことは勿論である。さて此説は論者の主張する如く憲法違反の論拠となり得るものだらうか。之を肯定する為には少くとも次の二点を前提せねばなるまい。(一)軍令部長の国防に関する帷幄の参画は政府の編制大権の輔弼と憲法上同一の効果を有すること、(二)輔弼参画に関する両者の意思相扞格(かんかく)する場合には軍各部の意見が政府のそれを圧して重んぜらるべきこと。併し斯の如きは今日の憲法条文並附属法規のうちに幾分でも証明さるるを得ることだらうか。私共の観る所では、斯種の主張の蔭にはどう探しても「軍事は一切文官に与らしむべからず」との攘夷的偏見以外の何物をも見出すことは出来ないのである。
 (二) 世上には、憲法第十一条の所謂統帥大権は帷幄の機務に専属するも第十二条の編制大権は全然政府の輔弼すべき事項だとの説がある。此説に依れば軍令部の権限は制度上国防の事に亙つても倫敦条約の内容は所謂編制大権の範囲に属するが故に、啻(ただ)に之を軍部専属の統帥権の干犯と云ふ能はざるのみならず、政府が独自に之を処理せる事実それ自体に強く文句をつけるわけに行かない。問題はせい/"\政府にも権限があらうが軍部にも権限があると云ふので、詰り政府対軍部の関係如何と云ふことに帰するだらう。之は寧ろ今後に解決せらるるを要する問題で、今のところ海のものとも山のものとも分らない。であるから、今の場合軍部が政府に挑戦する武器として之を採ることは、或る意味に於て頗る損だ。そこで論点を一転して、倫敦条約の締結は直接に統帥権そのものに触れると云ふ説を唱へ出したものがある。其説に曰く、同じく編制と云ふも兵備内部の細目的編制はまた統帥権の範囲に属する、従て倫敦条約の内容は直接に統帥大権に触れると。軍の編制を内部的と外部的とに分ち前者を以て統帥権の範囲に入るとの説はたしか美濃部博士が唱へられたと記憶する。従来統帥権の範囲に属するや否やを弁へず永年の慣行に従ひ軍の編制をば政府の容喙を排して漫然専断し来りし軍部に取て此説はたしかに一種の福音と響いたに相違ない。併しこは美濃部博士の一家の私見であつて、今のところ未だ学界の定説と許さるるまでには至つて居ない。よし此説に拠るにしても、倫敦条約の内容たる艦種並保有量の決定の如きは果して所謂内部的編制に該当するものなりや大に疑はしい。斯う考へると、此の主張も至て根拠の薄弱なものだと思はれるのに、議会両院の論戦に於ては不思議にも頗る重要視され、或は倫敦条約の締結は憲法第十二条に依つたのかの、又は統帥権と編制権とは互に相作用することなきかのと、頻に婉曲にして毒を含んだやうな質問が繰返されて居た。軍部との確執を前にして迂闊に思切つたことを云へぬと云ふ事情があつたにしろ、政府がこの平明にして一点の疑を容れざる愚問に村し徹頭徹尾答弁回避に終始したのは惨めなる陋態であつた。而してその結果実際政治上の問題として此点が遂に曖昧に附されたのは、我々の頗る慊らず思ふ所である。


       二

 統帥権に関する憲法論上の通説として多くの人に信ぜらるる原則は、憲法第十一条の所謂統帥大権は憲法第五十五条に対する一例外を為し政府の輔弼範囲の外に在りとする事である。この見解は伊藤公の『憲法義解』以来多くの学者の採る所であつて、恐らく立法の精神もこゝに在つたのであらう。併し此説の当否に付ては軽々に断じ得ざるものあるを思ふと共に、若し之より推論して帷幄の下に於ける軍部の輔翼範囲は統帥事項に限るなどと考ふるものあらば、そは大なる謬りなるを訂さざるを得ない。之等の点について私の考へて居る事を略記すれば次の如くになる。
 (一) 単純に憲法の条文からいへば、政府の輔弼範囲は一切の国務に亙り憲法第五十五条には本来例外あるべきものでない。例外を認めず国務施行の絶対的統一を期することが近代政治の最重要の原則でもある。
 (二) 然るに今日我国の憲政運用の実際に於て、軍務に関し、全然政府に由らざる輔弼の行はるる部面がある。陸海軍大臣参謀総長及び海軍軍令部長の帷幄上奏に由る輔翼が是である。
 (三) 軍部の帷幄上奏を規定せる制度は或る意味に於て憲法の重要原則に違反するものでないかの問題を起し得ぬと限らない。之を問題とせずして多年文句なしに承認し来りしは、我国の歴史に於て憲法発布以前から既に兵政分離主義が採用されて居つたからだと説く人がある。伝統的慣行は固より憲法解釈上重要なる一元素たるを失はぬも、又時勢の変遷に応じて厳重なる再吟味に附せられねばならぬものでもある。
 (四) 軍部の輔翼は政府の輔弼に対して優勝の効果を有するものか如何。統帥権に関する世上の通説に拠るとすれば、憲法第十一条の事項に付ては問題はない。が、第十二条の事項になると議論の余地がある。帷幄上奏と云ふ文字に附する意味の厚薄如何に依て自ら見解の相違あるを免れぬが、今次の問題に付て見るに、軍部は優勝とまでは行かなくとも少くとも対等の効果を主張し、政府は表面の態度を曖昧にし乍らも心中では堅く自家の優越を押通さんとするものの如くである。是亦一つには時勢の然らしむる所であらう。
 (五) 帷幄上奏に由る軍部の輔翼範囲は独り統帥事項だけではない、憲法の条文に照合して云へばその第十一条と第十二条とに亙るのである。故に憲法規定の所謂統帥大権編制大権の区別を其儘取つて軍部専属の輔翼事項と否らざるものとを分つ標準とするは当らない。統帥事項は大体に於て帷幄の機務に属せしむるを適当とすべきも、其中に全然国務に亙るものなしとせぬ。編制事項に関しても、現に美濃部博士が内部的編制権なる項目を立て之を統帥権の一作用と認めて居る如く、之を統帥権の作用と認むるの可否は姑く別として、兎に角其中にまた帷幄の機務に属せしむるを可とすべきものあるは明である。軍部と政府との権限の交錯を論ずるに方りて統帥権と云ふ文字に拘泥し過ぎるは、時に理論の精密を外れる恐がないでもない。
 (六) 軍部側では政府を責むるに頻りに統帥権の干犯を以てする。帰京早々の財部海相との会見に於ても加藤軍令部長は熱心に統帥権独立の保障を求めたとやら。併し此場合の所謂統帥権は、帷幄上奏の途に由て軍部の有する特権の全体を代表する総名であつて、所謂憲法上の統帥権ではないらしい。さうでなければ、軍部乃至加藤軍令部長の折角の主張も意味をなさぬからである。国民的常識が統帥権と云ふ文字に附する特殊の尊厳さなどが、軍部の人をして自らこの言葉を濫用するに至らしめたのであらうが、本問題に於ける主たる論点は決して単なる統帥権の帰属如何ではないのである。
 猶ほ序ながら一言する。以上海軍軍令部について述べた所は其儘参謀本部にも適用する。今度の問題の解決如何は引いて他日参謀本部の立場にも重大の影響を及ぼすので、陸軍の首脳部は暗に海軍側に声援して政府対抗の陣容を盛ならしめて居るとやら。要するに今度の問題はその根底に付て観るに単に海軍のみの問題ではない、謂はば海陸両者に取ての大問題なのである。従て心ある国民も亦、海陸両面に跨る所謂軍閥問題の清算の端緒を見得べしとして、今次の紛糾の成行に多大の関心を寄せて居るのである。



    帷幄上奏について

        一

 軍部が政府の外に超越し政府に対抗する独立の勢力を為す所以の根拠は帷幄上奏である。帷幄上奏は今日の制度の下に於て如何様に認められて居るか。
 (一) 内閣官制第七条に曰く「事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下附セラルルノ件ヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スベシ」と。即ち事の軍機軍令に関するものは閣議の討議に上すを要せず、天皇自ら之を内閣に下附するものの外は陸海軍大臣に於てそれ/"\之を専決し、たゞ内閣総理大臣に報告すればいゝと云ふのである。原則として内閣はその決定に与らない、陸海軍大臣が単独に帷幄に参して決定に与るのである。
 (二) 陸海軍大臣は陸軍省官制及び海軍省官制の附表に依り夫れ/"\陸海軍大中将を以て任ぜねばならぬことになつて居る。従て内閣総理大臣は事実に於て軍部大臣を監督することが出来ない。軍部のボイコットに依て内閣の瓦解を見又は其の不成立に終つた例もあるが、少くとも組閣に際し軍部の或種の注文を容認するを条件として軍部大臣の就任を見ると云ふが常である。之等の関係はまた一層に於て帷幄上奏に由る軍部の特権を不当に強むる原因ともなる。
 (三) 参謀本部条例並に海軍軍令部条例に依れば、参謀総長及び海軍軍令部長は国防用兵に関する部務を統轄し天皇に直隷し帷幄の機務に参画すとある。斯くして参謀総長と海軍軍令部長とは陸海軍大臣と共に軍務に関する帷幄の最高輔翼機関を為すのである。
 (四) 帷幄の輔翼と政府の輔弼との権限の分界に就ては今日の制度上何等定まる所はない。軍部の独立又は統帥権の独立を主張する者は、動もすれば以上の範囲に侵入する政府の越権を苦慮するも、原則として政府の輔弼範囲の広くして及ばざるなきを信ずる者に取ては、寧ろ軍部の不当なる進出が問題となるであらう。現に今度の紛糾に付ても軍部は統帥権の干犯を呼号して居るのに対し、天下の輿論は挙つて軍部を制して正当なる規道に復せしむる為め何故に浜口内閣がこの好機会に乗ぜぬかを責めて居るではないか。要するに帷幄上奏の制はそれと内閣の輔弼との関係が明に法定されない限り、制度として妥当のものと云ひ難いやうである。
 同一の事項を二つの機関に管掌せしむると云ふは其自身妥当な制度でないが、夫れでも両者の間に適当な協調が行はるれば実際上面倒な事も起らずして済む。換言すれば甲の行動が適当な範囲内に於て為されたとすれば事実に於て乙の黙認を得るに難からず、斯くして期待された事実は有効に成立するを得よう。たゞ何を以て適当の範囲とするか、之に関しては法文上に何等の拠りどころがない、さすれば矢張り結局は世上の批判に待つの外はなからう。斯うなると此事に関する争に於て軍部側の立場は残念ながら頗る分が悪るいと謂はねばならぬ。


         二

 帷幄上奏の途に由て軍部は従来どれだけの事をして居つたか。
 (一) 統帥事項は勿論編制の事に至るまで軍部は之を独断専決し政府は全然之を与り知らなかつた(編制権の一部を政府の手に収めたのは華府会議以来の事である)。こは固より制度の上に何等の根拠あつての事ではないが、軍部が日本政界に於て居然たる大勢力たりし事の自然の結果、永年の慣行として動かすべからざる不文の原則となつて居たのである。華府会議の如きが無かつたら其後いつまで続いたか分らない。今日でも依然として此地位を軍部に維持せんとしてか、頼りに軍部の特権は制度及び慣行に依て定めざるべからずと説くものがある。
 (二) 海軍軍令部条例の改正第六条には部内参謀の分掌事務として左の四項を挙げて居る、必ずしも政府の補弼を排斥せざるの趣旨に解すれば大体妥当なものといへる。
 一、出帥及作戦ノ計画 艦船ノ配備並其ノ進退役務ニ関スルコト
 二、艦隊軍隊ノ編制運動法 運輸通信演習検閲ニ関スルコト
 三、軍港要港防禦港其ノ他軍事上必要ナル地点ノ選定及其ノ防禦計画ニ関スルコト
 四、軍事諜報翻訳編纂ニ関スルコト
 (三) 大正十一年二月議会に於て帷幄上奏のことがやかましい問題となつた時、陸軍当局は各新聞紙を通じて「帷幄上奏の弁」なるものを発表した。之を今日に持ち出すのは或は陸軍部の迷惑かとも思はれぬでないが、其後之を訂正したと云ふ話も聞かないから、姑く之に依て陸軍側の見解を忖度することにしよう。従来どう云ふ見解を執つて居たかを見るには直接の役に立つこと勿論である。さて之に依ると、参謀総長及海軍軍令部長の帷幄上奏を行ふのは「其職責上国防用兵ノ計劃ニ関スル事カ或ハ直接軍隊ノ指揮命令ニ関スルコトデアルカラシテ其ノ内容ハ直接政務ニ関係アルモノデナイ」と断じ、次で「今帷幄上奏ノ事項ニセラレテ居ル所」は次の様なものだとて十二項目を例示して居る。
  一、作戦計劃ニ関スル事項
  二、外国ニ軍隊派遣ニ関スル事項
  三、地方ノ安寧秩序維持ノ為メ兵力使用ニ関スル件
  四、特別大演習等ニ関スル件
  五、動員ニ関スル事項
  六、平戦時編制
  七、戦時諸規則
  八、軍隊ノ配置ニ関スル事項
  九、軍令ニ関スル事項
  十、特命検閲ニ関スル事項
  十一、将校同相当宮ノ平戦時職務ノ命免及転役
  十二、其ノ他軍機軍令ニ関シ臨時允裁ヲ仰グヲ要スル事項
 之に由て陸軍側の所謂「直接政務に関係なき統帥事項」の何たるかが略ぼ分るだらう。
 (四) 明治四十年九月軍令第一号として「軍令二関スル件」なるものが発布された。第一条には「陸海軍ノ統帥ニ関シ勅定ヲ経タル規程ハ之ヲ軍令トス」又第二条には「軍令ニシテ公示ヲ要スルモノニハ上諭ヲ附シ親署ノ後御璽ヲツ(けん)シ主任ノ陸軍大臣海軍大臣年月日ヲ記入シ之二副署ス」とある。美濃部博士の説に依れば、此年二月に発布になつた公式令は総ての勅令に内閣総理大臣の副署を必要としたので、軍機軍令に関するものは一般勅令の例に従はず陸海軍大臣のみの副署を以て足ることにする為め、軍令と云ふ特別の形式を定めたのだと云ふ。軍機軍令に関するものに付ては内閣の議を経ず主任の軍部大臣が直接に上奏裁可を仰ぐことが出来るのだから、この異例を開いたとて制度上怪むに足らぬ様だが、之に由て所謂軍令は法制局の審査を免れ、従て軍令其ものの適否に関する外部の批判を絶対に封ずることになつたのは、別の意味に於て穏当を欠くものと云はざるを得ぬ。統帥事項だから軍令の内容になる、軍令として規定せられたるが故に統帥事項なのではない、軍令と云ふ制度の濫用は右の限界を不当に混乱するの恐れなきを得ない。
 (五) 明治四十年来軍令の形式に於て発布せられたる諸法規を点検して私のいつも驚くのは、其中に所謂国務に関渉するものの頗る多いことである。国務にわたる限り之はまた政府の輔弼範囲に属するものであるが、政府が軍部に対してその権限を争はざる限り、事実に於て政府の管掌区域は軍令の発布毎にそれだけ縮少されるわけになる。之を以て直に軍部の不当なる進出を云ふ可らずとするも、政府の退嬰を以て当然の事態と甘んずべきにあらざるはまた申すまでもない。
 (六) 更にモ一つ怪訝に堪へざるは、統帥事項の何たるやに関し陸海軍の間に見解の往々一致せぬことである。
 例へば海軍大学校令は勅令(大正七年)であり陸軍大学校令は軍令(大正十二年)である。陸軍と海軍とは同一に見られないなどの牽強附会の弁明もあらんが、類似の施設であり乍ら海軍に在て勅令によるものの陸軍に於て軍令の形式を取るものは外にも沢山ある。海軍に在て軍機軍令に関せずと認むるものを、何故に陸軍に於ては統帥事項と認めねばならぬのであるか。是に於て私は疑ふ、軍令の制度あるに依て軍部の特権は不当に拡張されて居るのではあるまいかと。

      三

 以上私は帷幄上奏の制度は現代憲法政治の系統内に在て其自身根本的に再吟味せらるべきものであり、且つ現制度の下に於てもその運用上に過誤なからしむる為めには大に矯正せらるるを要するものであることを説いた。併し乍ら近年輿論の狙上に於て帷幄上奏の制度が痛く難詰せられたのは、右の如き理論上の論点からではなくして、寧ろ此制度の濫用に依る軍閥の跨跪(こき)といふ事実に基くものであつた。今度の問題にしたところで、軍閥跨跪と云ふ考が念頭にあればこそ軍部に対する輿論の追究が烈しいのだ。追究があまりに烈しいから軍部も亦馬鹿に頑強にならざるを得ないのであらう。軍部の見解を政府は如何なる程度に尊重すべきかも重要なる問題だが、問題が単にこれだけの事なら、今現に見る程政界に大なる波紋をえがくわけはない。
 所謂軍閥の勢力が一時内政にまで喰ひ入つて居たことは今更呶々するまでもなからう。帷幄上奏の制度の濫用に依り政府の最も悩まされたのは外交の方面である。殊に極東の外交に於て、外務省を代表する者と軍部より派遣された者との行動が動もすれば相表裏し、相手方をして日本に二重の政府ありと誹笑するに至らしめたのも我々の耳目に新なる所である。多くを語る代りに、屡々台閣に列したことのある政界の某名士が数年前或雑誌に公表せる論文の一節を次に示さう。「…元来陸軍ハ陸軍ノ必要ノタメニ世界ノ各地二特派ノ機関ヲ置イテ居ル。而シテ是等ノ機関カラ来ル所ノ情報ハ参謀本部ニ集中スルノデアル。参謀本部ハ豊富ナル報告ヲ世界ノ各地―殊ニ極東ニ於ケル各方面ヨリ得ツゝアルノデアル。此ノ情報ハ直接ニ参謀本部ニ集マリ、而シテ是等情報ノ発セラレル土地ニ駐在セル外交機関等ヲ経由スル事ハナイノデアル。是等ノ情報コソ、所謂軍閥ナルモノガ外交機関ニ対シテ物言ヒヲ付ケル根拠トナルモノデアル。之ニ由ツテ陸軍ノ首脳者ハ其報告ヲ基礎トシテ外務ノ外交機関ヲ圧迫スルノデアル。而シテ外交ノ進行即チ外交家ノ協調トカ世界ノ大勢トカカラ割出シテ進ムベキ微妙ナル外交作用ヲ制圧シテ、不自然ナル国家機関ノ発動ヲ促ストイフ事ガ往々アルノデアル。斯クノ如キ弊ハ恐ラク歴代ノ外務大臣ニシテ之ヲ経験セナカツッタ者ハ一人モ無イト言ツテ可カラウ。外務大臣ヲ経験シタル所ノ二三ノ所謂前外相ガ相会シテ往事ヲ語ル場合ニ、常ニ其話頭ニ上ルモノハ、陸軍軍閥ニ圧迫セラレタ苦痛デ持チ切ルトイフノデモ、略ボ其間ノ消息ガ知レルデアラウ。」
 右は数年前の所記であるが、最近でも同じ様な事の屡々繰返されたことは、例へば田中内閣の対支外交の上にも歴然として居る。
 いづれにしても帷幄上奏の制度は近代の歴史の上に於て余りにひどく又余りにしば/\濫用されて居る。その為めに如何に政府乃至日本其自体が迷惑をし損をしたか知れない。この苦がい経験は、仮令この制度が本来妥当なものとしても、実際上に於ける改廃廓清を叫ばしむるに十分の理由を提供するものである。況んや軍部それ自らが今日なほ此点に関し些の反省の跡をも示さざるに於てをや。

 

     問題解決の私案

 新聞の報ずる所に依れば、財部海相と加藤軍令部長との折衝はなか/\困難で、或は軍令部長の辞職を見るに至るかも知れぬと云ふ。軍令部長に辞職されては枢密院での論議が面倒になる、さりとて今更政府は之れまでの立場を一擲しておめ/\軍部に降参するわけにも行かぬ、是に於て何とか軍部の面目を立て、所謂円満に局を結ぶの方案はないかと云ふことになる。面目さへ立てて呉れればと加藤軍令部長の態度も満更でないと申すものもある。うまく行けば是れも亦政界の策士に取て一つの解決案には相違なからうが、併し斯かる姑息的妥協は一時当面の紛糾を始末するに過ぎずして、軍部対政府の根本問題は依然未解決の儘に残されるのである。次に掲ぐる解決私案は、右の様な当面の急に役立たせようとするものではない。
 解決策について詳細に説述することは別個独立の一論文を為す程の紙数を要する。こゝに之を書き続くるは適当でないから、そは別の機会に譲ることにする。次にはたゞ私見の綱目だけを列挙して本小篇の結論に代へようと思ふ。
 (一) 此際を機として「政府輔弼の範囲は広くして亘らざるなき」の原則を確立すること。
 軍事に限つて素人に関係さしていけないとする理窟はない、玄人のみに委かすべきだと云ふなら、政治的治外法権区域を為すべきもの豈ひとり軍事に限らんやだ。殊に軍事を以て天皇の特権なるかに観じ、之を政党政治家の蹂躙に附するは国体の尊厳に関すなどとの説に至つては、かの天皇中心主義を楯として議会中心主義を排撃せんとするの僻論と同じく、昭代の白昼に横行を許すべき議論ではない。兵馬の事が天皇の大権なるが如く、行政も裁判も教育産業の事も等しく天皇の大権に属せざるはない。而して之等すべての大権が大臣宰相の輔弼によるべく且つ其の輔弼機関は常に必ず統一なかるべからずと云ふが、現代政治の最も重要なる根本原則である。輔弼機関の統一と云ふことは必ずしも玄人を忌避すると云ふことではない。玄人の専門的技能を最も有効に発揮せしむるの方途は、政府監督の下に於ても立派に組織することが出来るのである。
 (二) 右の原則を完全に確立する為めには現行制度の上に種々の改革を施す必要がある。 この事も本稿を熟読せらるれば略ぼ見当がつく筈である。試みに其の重なるものを列挙すれば次の如くである。
 (イ) 軍部大臣文官任用制の採用 軍部を内閣の監督の下に置く為め此制の採用は実際上最も有効である。それだけ軍部に取て此制の採用は致命傷であり、従て現行武官専任制をば最後の牙城として彼等の極力死守する所以である。但し文官任用制採用の理由は軍部を内閣監督の下に置く為めばかりでないことは勿論だ。
 (ロ) 帷幄上奏制の廃止 政府以外に最高輔翼機関を作り国権の発動を二途に出でしむ可からざるが故である。
 (ハ) 軍令の廃止 上記二項の成立の当然の結果でもあるが、仮りに上記二項の成立なしとするも、軍令の廃止せざるべからざる理由は既に本稿中に詳しく述べた通りである。
 猶ほ以上の改革に関連して(イ)新に統帥事項輔翼機関を政府監督の下に設け其の専門的技能を十分に発揮せしむる設備も必要だ。同時に軍部官憲に対しては例へば司法官の場合の如く特に身分上の保障を与へるもよからう。
 (ロ)又軍事に関する特別の諮詢機関を設くべしとならば、嚮きに発布されたことのある防務会議(大正三年六月)の如きを再興するもよからう。之は内閣総理大臣の監督の下に「陸海軍備ノ施設ニ関シ重要ナル事項ヲ審議ス」るもので、総理大臣の外、外務・大蔵・陸軍・海軍の四大臣に参謀総長・海軍軍令部長を加へて組織さるるものであつた。私はその時々の情勢に依ては之に貴衆両院議長を参加せしめたいと考へて居る。
 (三) 現行制度の改革が差当り面倒ならば少くとも(イ)軍令審査権を政府に収め、(ロ)帷幄上奏に由る輔翼は純然たる軍内部の参画に止らしむるの一点を確実ならしめたい。
 軍令規定の内容が果して正確に統帥事項であるかどうか、之を軍部自身の判断にまかして置くのは間違つて居る。軍部の承認を得るや否やは別論として、一応政府に之を争ふの権利はある筈だ。軍機軍令は事秘密に属すとは云ふものの、既に軍令として発布されたものに付ては最早秘密を云々すべきであるまい。軍令の成立其自体に干与しようと云ふのではない、作られたるものの当否を判定すると云ふのである。政府が之を審査するのは必ずしも軍令の性質を傷けるものではないのである。猶ほ審査の衝に当るものの法制局であるべきは論のない所であらう。
 軍部の特権が政府を圧して居たのは一に全く慣行の情勢による、制度の上に根拠があるのではない。既に(一)に示した様に政府がまた軍事に関する自家の輔弼責任を主張すれば、帷幄上奏に由る輔翼は之を支持する諸規程の示す通り自ら純然たる内部の参画たるに止まらざるを得ない。従て内閣の議を経ずして之を外部に発動せしむることは出来ぬことになる。但し内部の参画に止まるとしても、既に上奏裁可を得たものなる以上、政府は全然之を無視することは出来なからう。けれども政府の輔弼は性質上本来自由無碍のものである、軍部の輔翼が政府輔弼の条件をなすべきでない。是に於て政府は如何の程度に軍部の意思を顧慮すべきやの問題を生ずるも、併し政府が自由無碍の立場に拠つて輔弼の責任を完うすべきだとするの原則には、些の動揺をも許すべきではない。
 斯く論じ来ると、残る所は我が現行国法の系統中に在て政府と軍部との関係を如何に解釈するかの一事である。これは規定の上に明文なく、学説として未だ十分の研究がつくされて居ない。今度の問題を機としてこれから段々諸学者の研究が公にされるだらう。