対支出兵

 居留民保護の目的を以て出動した帝国軍隊は図らず支那両軍の一部隊と衝突し、引いて遂に悲しむべき日支交戦の一大修羅場を展開せんとして居る。今では居留民などはそツち退(の)けになり、出動した軍隊そのものの絶対安全を目標として戦線も相当広汎なものになりそうだ。一旦抜いた刀は納める様にして納めて貰はねばならず、必要があれば国力を挙げても帝国の利益と名誉の為に戦ひ続けるを辞せないが、さるにても斯んな事のために直接多大の犠牲を払ふ在外幾万の将卒に対しては、我々国民として実に何の言葉を以て感謝すべきかを知らぬ。戦争に確然たる名義がないからとて、異域に心身を労する正直なる兵士の至誠を粗略に考へてはいけない。
 いづれにしても今度の様な形で支那と戦ふは我国に取て一大不祥事である。直接の責任の何方にあるにしろ、之に依て双方の蒙むる有形無形の損失は測るべからざるものであり、殊に我国に於て、現在は固より、その東洋に於ける将来の立場を思ふとき、真に寒心に堪へざるものがある。(一)第一我々には今日支那を敵とし戦はねばならぬ何等の理由もないのだ。否、寧ろ支那との敵対は如何なる形のものでも此際出来るだけ之を避くべき必要があるのだ。何を以て斯く云ふやは今更説くまでもなからうから略するが、此点から観ても今次事変の不祥事たる所以は分らう。(二)それに今次の戦域は今後可なり拡大する恐れがある。彼れから挑まれて已むを得ず起つた事だとしても、現に見るが如く殆んど両軍の全部が極度の反感を我に示すの形勢なるが故に、自家の防衛と云ふことがなか/\容易の業ではないと思ふ。青島より済南にかけての山東一帯の保障占領ですむかどうかすら判明せぬ。而してこの戦域の拡大はまた同時にそれだけ支那国民の反感を一層深からしむべきを以て、我々としては一刻も油断は出来ぬのである。斯くて相対峙する両者をして益々強く反目せしむるの結果となるは、日支両国の和平を念とする我々の果してよく忍び得る所だらうか。
 之等の事情は、ひそかに恐るゝ多数の国民をして対支軍事行動の上に余り熱意を有たしめぬ結果にならぬだらうか。併しそれはこの軍事行動の原因たる政治的動機に対する疑問に出づるものであつて、之を移して出征将士に対する国民的冷淡を是認するやうのことあつてはならぬ。出征の将卒は出兵すべきや否やの政治的決定には全然与つてない。その決定の結果に基いて忠実に其の為すべき務を果して居るのみである。之に対つて満腔の感謝を捧ぐるは我国民の当然の義務ではないか。ことに動もすれば国民の同情の薄らぐの恐れあるだけ、それだけ我々は今次の出征将卒には格別多大の同情を寄すべき必要を認むるものである。

 出征将卒に対する同情感謝の問題と出兵の是非に関する政治的批判若くは責任の問題とは自ら別だ。出兵の必要なかつたとしても、今更中途で引揚げろなどとは云はぬ。たゞ群議を排して出兵を決行したに就ては、政府に於て負ふべき当然の責任があり、この責任は出征の成功不成功とは関係なしに永久に残るのである。国家百年の大計としては寧ろ此方が重大問題だ。戦争の物々しさに眩惑してこの重大なる政治的責任を等閑に附してはいけない。
 山東出兵に関して論ぜらるべき政府の責任問題には、大要次の四方面がある様に思ふ。
 (一)支那に対する日本の正義の問題として先づ考へて見る。日本の山東出兵が事実に於て彼国南北両軍の内争に対する一大支障たるは疑ない。日本の正義は之に対して如何なる態度を執るべきであるか。幸にして南方を援助せよとの議論はないが、間接に北方を助くる結果になることに対しては世論案外に寛大である。併し北方が成功して南方の失敗することが事実我国の利益になると仮定しても、公然北方と同盟でも結ぶに非る限り、名義を他に頼りて屡々南方の進路を遮るのは、普通の場合に於て許さるべきことでない。先に普通の場合といふは、特別重大の理由あればまた別だといふ意味である。
 (二)そこで特別重大の理由とは何かと云ふ問題になる。漠然たる言ひ方だが、日本帝国の生存発達に直接の関係ある重大な理由があれば、支那側に向つて暫く陰忍して貰はうと云ふに必しも無理はない。たゞ呉々も考へねばならぬは、場所は彼国領土の中原であり、而も彼等は国家的甦生の為め決死の奮争を進めて居る最中だと云ふことである。斯う云ふ諸般の事情を併せ考ふる時、単純なる「居留民保護」と云ふだけの理由で彼国人を十分納得せしめることが出来るだらうか。この問題に付ては、昨年の山東出兵の際本誌上に述べた(七月及び八月号本誌時評欄参照)と同じ意見を今以て正しいと信じて居る。要は可なり大きな苦痛ではあるが出来る丈け早く居留民を引き揚げしめて支那の人達の邪魔にならぬ様にせよと云ふに帰する。
 (三)姑く国際的正義の問題を別として単純なる利害打算の観点から論ずるも、山東の一角に在留する同胞の利害は斯れ程までの大犠牲を払ふに値するものだらうか。私は必ずしも之等同胞の利害を全然無視せよとは云はない。支那の内紛に干渉するの事実を生ぜざらしむる為め一時引き揚げたらはからうと思ふのである。或は云ふ、折角安住して居るものを引き揚げさせるのは可愛相だと。併しこの結果として起つた排日騒ぎの為め南部支那ではもツと多数の同胞が這々の態で引揚げを余儀なくされて居るのではないか。又云ふ、引き揚げに依て失ふ所の損失は大きいと。併し出兵を繰り返し不本意な戦闘に貴き血を流すことの損失はその幾層倍になるか分らない。之を要するに今次の戦ひは我が日本帝国の喜んで為す所でないは勿論のこと、且つ居留民をさへ引き揚げれば当然避くることを得たものである。この意味で事前に出兵反対の声は可なり民間にも強かつた。一旦出兵を決行した以上、我々国民は行くところまで行つて最終の効果を収むべきを主張するけれども、更に遡りて現政府が結果の始めから予見すべかりしに拘らず群議を排して何故に出兵を決行せしやに就ては、飽くまでその政治上の責任を追究するの必要を見るものである。
 (四)結果の予見すべかりしと云ふ事に就て或は一応の異見を挿む人があるかも知れぬ。他国の兵隊同志が顔を合はしたからとて必しも喧嘩するとは限らない。我が軍隊の派遣はもと/\単純な居留民保護を目的とするものに過ぎず、彼国軍隊の行動を妨げる意思は毫頭ない、双方誠意を以て忠実に各々の立場を守る限り衝突を見る心配は全然ない筈であると。併し之は白々しい屁理窟に過ぎぬ。形式的な国際談判の席上ですら昨今斯んな抗弁は流行せぬが、政治家が政策決定の理由を論ずるが如き場合に斯んな愚論は断じて許されぬ。況んや種々の情勢は一般民間よりも政府当局の方が一層斯うした不祥事の発生を予見すべかりしを語るに於てをや。その故如何と云ふに、(一)第一今計の支那が理由の如何に拘らず日本の出兵と云ふ事に極度の反感を有することは、少しく彼我の形勢に注意する者の何人も知恵する所でなくてはならぬ。(二)加之これまでの出兵が北軍を援助して南軍の目的を見事に失敗せしめた事実に鑑み、同じ事を繰り返すことが如何に南方側の神経をいらだゝせるかも十二分に打算してあるべき筈だ。田中内閣が支那北方軍閥と特殊の関係に在りとする支那の邪推は一笑に附すべしとするも、我が出兵を彼等が如何に苦痛とせしかは、今日まで唯この事の了解の為め幾度彼方の密使を迎へたかを省みれば分る。斯う云ふ明白なる形勢を前にして断然出兵したとすれば、政府に於てまた深く期する所ありたるの結果と観なくてはならぬ。(三)更にもう一つ政府として必ず警戒すべかりしことは赤露系共産党の活躍である。之に就ては先般の南京事件で彼我共に苦い経験を嘗めた。支那側も之には深甚の注意を払つたらう。併し我国としては之に安心して平穏無事を推定するわけには行かぬ。現に赤露系共産派の魔手は如何の決心を以て常に東洋諸国に事を起さんとして居るかは、過般の共産党事件でも明白過ぎる程見せつけられた筈である。詰り共産党の本部では世界各国に於ける自派勢力の打算をあやまり、何処の国でも階級反感の機運は余程熟したものと観て居る。日本などでも最早秘密に運動するの必要はない、覆面を脱いで表に顕れた方が却て多数の味方を傘下に集め革命の目的を達するに便宜だと考へて居る。此意味の指令に基いて遂に馬脚を現したのが最近共産党員の検挙を見るに至つた一因ではないか。之と同じ赤露本部の誤算は、国際間に戦争が起れば各国の無産階級は必ず之に反対の運動を起し、国と国との戦よりも各国内部の階級戦の方が大きくなる、斯くして革命の成功すべき機会を作る為め、国と国との争は出来る丈け之を激発した方がいゝと云ふ信念を抱かしむるに至つた。南京事件は斯かる指令に基いて起れることの明白なる今日、済南出兵に際して全然この点を考慮の外に置いていゝと云ふ理窟はない。尤も済南に於ける南軍一部隊の掠奪開始は共産系の使簇に出でたと云ふ証拠のあるのではない。私の知る支那の友人中には之を否定する人も多い。が、之は相当に予想し得べき事であり、且つ今後紛乱の機会を利用して新に活躍を恣にせぬとも限らぬ。事実の如何は別問題としても、共産系の浸潤の相当に濃厚な支那の事だ、此処に出兵するに際して若し之等の点を些でも等閑に附したとすれば、それこそ重大な政治責任を辞することは出来まいではないか。
 出兵は是非とも成功さしたい。軍事行動は軍事行動としての完全な目的を達して貰はないと困る。之が為に我々は凡ゆる犠牲を辞するものではない。殊に出征将卒には無限の感謝を表し之を慰安する為に最善の方法を講じたいと思ふ。併し之と政府の政治的責任とは全然別問題だ。不快な比喩ではあるが、生れた児が可愛いからとて親の私通を看過するわけには行かぬ。風教上の問題としては何処までも原因たる事実に遡るを要すると同じく、帝国百年の利害の上からは、田中内閣の政治的責任は飽くまで之を糺すの必要はある。而もこの必要は事件の進展と共に今後ます/\重大さを加ふべきは言ふまでもない。

                              〔『中央公論』一九二八年六月〕