露国に於ける主民的勢力の近状


 四月十七日倫敦発の電報はいふ。

 立憲保守党露国に組織せられつゝあり 其の主唱者には七名の帝国参議院議員、若干の元老院議員(高等検察官)の外政府の高官少なからず 内務大臣「ブリギン」氏は彼等が此運動に加はり居ることを承認せり主唱者等は今回総会を開いて改革実行に関する諸問題を議定せんとし数千通の招集状を全露国に発せり 而して代議院組織の計画案は既に彼等の手に起草せられありといふ。

 此電報は以て露国に於ける人民的勢力の近状を察せしむるに足るものあり。
 抑も露国に於て憲法要求の声の唱へ出されたるは固より昨今の事に非ず。然れども之を唱ふる者の如何なる階級に属するやを見るに、先づ始めは学生にして、次いでは職工労働者(即ち工業に従事する労働者)に過ぎざりき。然らば憲法要求の運動に関係せるは少数の学生又は職工の輩に止り、人民の大部分を為す所の農民の階級に至ては殆んど全く之に関係なかりしなり。故に彼等運動者が如何に過激の方法を執り又如何に其声を大にしたればとて必竟是れ虚勢を張るに過ぎずして、其実際の勢力としては決して未だ廟堂の貴族を動すに足らざりしもの、如し。況んや露国の上流貴族は実に意気あり智略ある傑物に富むに於いてをや。露国上流の比較的人傑に富めることと同国大多数下民の余りに無智蒙昧なりしことゝは、不思議にも今猶ほ欧洲の天地に儼然たる一大専制国を存立せしむる所以也。
 日露戦争以前の露国を顧みるに、当時上流貴族の階級は優に所謂革命党社会党の如何なる計画をも急破一掃するの実力を有して余りありき。進歩主義の平民党は政府の辛酷なる抑圧を蒙るに拘らず日に月に同志者を増加して止まず、進歩主義革命主義の漫延や誠に素晴らしきものありしとは云ヘども、妄に政府の権力の強大なるを顧みては、露国に於ける革命主義の実現や前途誠に遼遠たるの感なきを得ざりしなり。然るに図らざりき。今茲に倫敦電報によりて立憲保守党の設立を聞かんとは。
 此電報に依れば政府方の上流階級が自ら進んで立憲政体の樹立を期するに在るものゝ如し。これまで人民の一部の者が血を流して希望せし立憲制をば政府方自ら其設立を声明するものなり。是れ政府が先きに無辜の人民を殺してまで争ひし所のものを今自ら我より之を許さんとする者に非ずや。露国政府は何故に此一大反覆を敢てしたるや。是れ識者の注目を怠るべからざるところ。
 露国政府のこの一大反覆を解明するに二様の道あり。第一に露政府の一派が時勢の赴く所国利民福の示す所に依り到底立憲制に依らざるべからざることを心から信ずるに至れるものとすれば、かの反覆は更らに怪むに足らず。併し今日の露国政府が一朝にして其頑迷を改め、吾人と共に文明の恵沢をたのしまんとするに至りしとは如何にしても信ぜられず。然らばかの反覆を説明するの道は即ち、露国内に於ける人民的勢力の著しく勃興して政府も少しく危険を感ずるに至りし結果、之を慰撫するの必要より斯の手段を取りしと見るの外なき也。予輩は実にかの倫敦電報の所報を以て露国に於ける人民的勢力の激増を察する者なり。
 露国に於ける人民的勢力の激増を来せる原因は疑もなく日露戦争なるべし。予の推考する所に依れば日露戦争の結果は最も痛切に最も直接に人民をして専制政治の害毒を感知せしめたるべきが故に、如何に魯鈍蒙昧なる農民と雖も、茲に眼を開き耳を傾けて進歩主義の主張を見聞せざるを得ざるに至り、之と同時に露国の国難は政府をして自ら兵力を遠く東亜のはてに割かしめたるを以て幾分か内部に於ける抑圧力を減じたるならん。一方は日に日に其勢力を増し、他方は戦局の進むにつれて其勢力を減じつゝあるが故に、両者の力に変調を来すは理の当然なり。是れ即ち今春以来露国の彼方此方に騒擾紛乱の絶えざりし所以なりし也。而して今や政府方自ら節を屈して立憲党組織の報に接す。如何に彼等の窮厄せるかを想像せよ。
 遮莫(さもあらばあれ)立憲制の樹立は固より彼等の素志に非ず。彼等の意或は立憲党の組織によりて一時の小康を得ば、更に他日力を回復し得たるの時を以て大に民力を圧せんとするに在るやも計りがたし。露国人民たるもの眉に唾して此奸計に乗るべからざると同時に益々此好機会を利用して大に其勢力を四方に張るべき也。之を要するに、日露戦争の結果たる露国の人民的勢力の激増は結局同国人民を専制の害禍より救ふに至るべきや疑を容れず。吾人は今や東欧の天地に漸く文明の微光のひらめき初めたるを見て大に之を祝する者也。(翔天生)

                              〔『新人』一九〇五年五月〕