政界の回顧と展望  

 この一年間の政界に於て、最も著しい出来事は中心点が無くなつたといふことである。五月十五日首相犬養毅の殺されるまでは、ともかくも議会下院に多数を擁するの故を以て彼れの率ゐる政友会は、押しも押されもせぬ政界の中心勢力であつた。犬養兇死の結果としてその内閣が総辞職をすると、政友会の多数たるに変るところなくして、政権は遂にこの党に来らず、しかも人多くこれを怪しみもせぬ。これを議会の多数党が政界の中心王座を占むべしとするの原則の敗滅とみるべきか、そんな原則は実は我国に於てまだ確立して居なかつたのだとみるべきか、又は確立しては居たのだが一時非常の場合に際して暫くその適用を停止したに過ぎずとみるべきか、人に依つてその解釈にいろ/\あらうが、いづれにしても今日、政党は単に下院に多数を得たといふ事だけでは政界の中心に坐するを許されずといふ新形勢を展開しつゝあることは争ふべくもない。
 然らば政党に代つてこゝに何等か新しい中心勢力が出現したのかと云ふに、さうでもない。政党は駄目だ、彼等に国家の大事をまかされぬと唱ふるものは沢山ある、その主張を突つ張つて遂に政党内閣主義の伸びかけた芽を無理にもぎ取つた勢力も少なくない。政界の運行を現実に左右した点に於て、これ等を急に乗り出して来た新興政団とみるも妨げないが、併し彼等にはまだ独自のカを以て政界を自在に料理しようといふ積極的の準備がないらしく又その気魄にも乏しいやうだ。中には発言権は飽くまで要求する責任は負ひたくないとて、たゞ抜目なく遠巻きに自己の意に反するものを斥くるに有効な手段を取らうとするものもある。表面にあらはれないから正体が判らない。下院に多数を擁するといふ事は依然として政界に相当の優勢を占むる所以ではあるが、所謂多数党も思ひがけぬ重大障礙に遇つて一たび王座から蹴落されてから今にこれを排除してその地位を回復し得ず、さればと云つて勇敢に取つてこれに代るものもなく、中心勢力の王座は宙に迷つて今や政界は混沌を極めて居ると謂はなければならぬ。
 斎藤内閣はこの混沌たる形勢のうちに確乎たる継承人の現はれるまで目前の急務を託された臨時の留守番に過ぎぬ。外に何とも始末の仕様がないといふので無理に押し立てられたといへば、一面に於て一般の支持があつたわけではあるが、積極的にこの内閣でなくてはならぬと云ふのでないから、政局の安定と共に何時雲散霧消するかわからない。その運命たるや風前の灯にもたとへつべきものではあるが、政界現状の容易に安定すべくも見えぬ実情からいへば、この不安定といふ基礎を踏まえてまた一種の強味を有つと云ふことも出来る。
 目下の政局の不安定は、既存の中心勢力をたゝき壊してその跡に誰も出て来ないといふ事から来る。斎藤内閣のやうな御座なり政府をつくつて一時を糊塗して居るものの、蔭にうごく諸勢力の固よりこれに満足せざるは云ふまでもない。満足せないなら自分で乗り出したらいゝ。斎藤内閣の如き倒さうと思へばいつでも訳なく倒せるのだ、それが倒せないで却つて大事にもり立てて居るのは、要するに自分に乗り出すの準備が十分でないからではないか。この点で最も焦慮して居るのは云ふまでもなく政友会であらう。政友会の出鼻を挫いた一部の勢力は政党界の他の一角と呼応して近き将来に一新興政団をつくらんと策動して居るとやら。そして孰れの方面でも機運はまだ熟してゐないと観られて居るやうだ。それだけまた暗中飛躍も相当に烈しいわけである。思ひ切つた突進がないので決着の期があてもなく延ばされて居る形であるが、彼等自身の好むと好まざるとに拘らず、偶然の事実がいや応なしに政変をよびおこし遅滞なく決着をせまるの日が到らば、彼等は一体どうするつもりなのだらう。
 斎藤内閣が何かにつまづいて総辞職したらどうなる? これはありそうな事だ。さうなつた時の面倒を思つて出来るだけ潰れぬやうにと各方面で苦慮して居るのであるが、固より各勢力関係の誠実なる積極的協力の上に立つ内閣でないから、破綻の因子はつねに山ほどある。それに時局頗る多難と来て居る。周囲の人達の切望にかゝわらず斎藤内閣の遂に自滅せねばならぬだらうことは、今日むしろ多くの消息通の予期するところかも分らない。いづれにしても早晩政変が来るとしたらどうなる。政界はまだ安定を見せてゐぬ、政局の趨勢も見据えはつかぬ、政権は結局どこに落ちつくであらうか。
 第一に問題になるのは政友会であるが、併しいま政友会が再び政権を獲得するのでは、五・一五政変の意義が没却する。五・一五事件は一個特異の殺人犯罪としてそれ自身一種の社会的意義を有するは勿論だが、これを機会に多数党たる政友会に政権が阻まれるといふ意外の現象があらはれた。これ犬養の暗殺が先きの原、浜口の遭難の場合とは異れる全然新しい特殊の政治的意義を有する所以である。この新しい政治的意義と犬養首相の暗殺と直接何の実質的関係にあるかは姑く別問題として、兎に角犬養が殺されると、突然どこからともなく多数党でも政友会には天下をやらぬぞといふ力強い叫びが黒幕の中から聞えて来たのである。その正体のまだはツきりせぬことは先きにも述べたが、政友会は正にその声に怖れて旗を巻いて退いたのは事実だ。無理に争へば自らも多くの犠牲を払ひ国家にも多大の迷惑をかけると懸念したからであらう。而してこの懸念は今日もはや全く取り去られたと観るべきか如何。
 政友会の鼻先がへし折られたとき、折角の憲政常道の再び歪められたことを残念だとする考が政界一部の玄人筋の間にはあつた。けれども国民の多数は何といふことなしに政友会の没落を痛快に感じたやうである。そは正体の判らぬ対抗勢力の行動に同情した結果と観ることは出来ない、矢張政友会の多年にわたる専恣横暴の反映であらう。して見れば政友会としては、有力なる対抗勢力を向ふに廻して今後の政戦に確実なる勝利を占めんとせば、何を措いてもあらためて天下の人心を収め直すことに骨折らなければならない。而して今日までのところ政友会はこの意味の名誉恢復のため何一つまじめに計画実行せるところ無いではないか。
 幸か不幸か日本の政界は概して因循である。政党は政権の争奪に目が眩んでゐるからいけないなどと云ふけれども、時に目の眩むほど政界の馳駆に積極的の熱心が他方に乏しいから独り政党者流に乗ぜられるのではないか。事に依つたら政党界の策士は、今こそ力強く或種勢力の我々を窮迫すれ、間もなく飽きて自ら政治圏外に退くに相違ない、暫く陰忍すれば天下は労せずして我々の掌裡に廻つて来るなどとほくそ笑んで居るかも知れない。私もこの楽天説には多少の同感を覚へる。大勢の推移としては斯んな見地から判断しても大過あるまいとも思ふ。併し差当りの問題としては、所謂或種勢力の政界進出の興味は凡そいつ頃薄らぎはじめるだらうかが綿密に考察されなければならぬのであらう。
 もと/\或種勢力の政界に進出したのは、貴族富豪などに往々見るやうに、消閑の道楽にやり出したのではない。そこには一定の目的がある、満洲問題の解決などもその中の重要な一つであらう。これ等の事の詳細は別の機会にゆづるとして、現にいま幾多複雑の問題を擁して居ることは事実だ。而してこれ等の問題は手をつけて見ると案外処理がむつかしく予期の如くすら/\と運ばず、一通りの解決までに今後何年かゝるか見据えがつかぬ。たゞ一段は一段と事が順当に進展して多難ながらも多大の希望を以て前途の行程を楽ましむるものはある。斯く観ると、或種勢力の政界進出の事実は今後相当に永くつゞくべく、又その興味も決して年と共に減退するやうのことはなからうと思はれる。彼れの立場が斯の如くである以上、政界の現状は従つてまた近く著しき異変あるべしとも思はれない。政友会が自ら屈して敵の軍門に降を容るるにあらざる限り、彼れに政権参与の機会ありやは一寸想像することが出来ない。況んや彼れ独占の内閣組織をや。

 さうすれば第二に問題となるのは超然内閣の出現である。どう云ふ種類の超然内閣かは読者諸君に取つては略ぼ明白であらう。その中心勢力たるべきものは始めから決まつて居るからである。何人を首班にいたゞくかに付てはいろ/\問題もあらう、誰かがロボットとして祭りあげらるることもあらうし又実際の力を有する人がその地位にすわることもあらう、その何れにしても遂行せんとする政策の大綱に変りはあるまい。たゞ彼れがその政策の実行の問題を政治的に如何に取扱ふかの点になると、談必ずしも容易でない。憲法がある、議会がある、議会には政党が控へて居る、これ等との見解の疏通をうまく付けないと如何なる名案も立憲的には行はれない。先に彼れの政治的手腕が要求せられる。これを面倒臭いと感じ自信のある国家最良の政策を強行するに何の憚る所ぞと云つてしまへば憲法停止になる、少くとも例のファッショになる。ファッショになるの可否得失はまた別の観点から論ぜらるべきだが、若しこれを避けるとすれば、超然内閣とても所謂立憲的に行動するために多少の技術が必要となる。この点から考へると、今後の超然内閣には従前のそれに比してより多くの難関があるやうだ。

 超然内閣の出現は我国の政界に於て最近まであつた。その中の代表的なものとして私はこゝに寺内内閣を例に取らう。寺内伯爵は表面は生粋の大権内閣主義である。内閣総理大臣は如何なる意味に於ても議会の多数の支持を受くるの故を以てその任に在るのではない一に陛下の御信任によるものである、とは天下周知の伯の持論である。彼れは屡々議会に於て不信任の決議をされても内閣は辞職するの必要を見ないと放言した。若し伯が大戦直前独逸の大宰相ビートマン=ホルウェッヘがしたやうに、不信任の決議を通過させて平然としてその任に留まつて居られたら、これに依つて我が日本の憲政にも一つの新らしい習律が出来たかも知れぬが、不幸にして我が寺内伯は、政府反対党の提出せる不信任案が将に可決せられんとするや、先例に倣つて議会解散の詔命を奏請した。これ暗に不信任案可決の政治的効果をおそれたものではないか。不信任の決議が政治的に当然総辞職を伴ふといふ原則の成立をこれに依つて断ずるのは尚早だとしても、不信任案あるに拘らず内閣は留任してもい、と云ふ習律の存在を否定する材料にはなる。いづれにしても議会多数党の政治的優勢は事実に於てさすがの寺内伯といへども認めざるを得なかつたのだ。他の数々の超然内閣も固よりこの点は同様である。
 事実の上に議会多数の政治的優勢を認めた寺内内閣は、全然政党の力を借ることなくしては憲政運用の任を完うし難きを観念し、忽ち政党と妥協した、議会に多数の支持を得ざれば政界の立憲的疏通は不可能だからである。さうすれば内閣は現に多数を擁する政党と提携すべさであるが、さうなつてゐない所に我国政界の特色がある。尤も現に議会に多数を擁する政党は普通の場合に超然主義者の申込に応ずる必要を見ないのでもある。そこで超然主義者は多数党の圧迫に苦んで居る少数党と結托し、多数党の思はぬ失態に乗じ或は種々の陰謀に現政府を救ひ難き窮地に陥れて、先づ以て天下を自家の掌中に握るのである。内閣を作つた時はまだ敵党が議会に多数を擁して居る、そこで不信任決議案の提出となり、議会解散となる。やがて来る総選挙は政党界の分野を一新して政府に多数支持の形式的根拠を提供することになる。多数の支持に押出されて政権を取ると云ふ立憲本来の原則とは真実の意義に於て緑の遠いものだが、仮令干渉・買収・請託等に依つて無理に作つた多数でも、とにかく多数の支持があるんだと云ふ空虚な形態に安心することが出来るのだから仕方がない。立憲本来の原則の方では人を馬鹿にして居ると怒つて居るかも知れないが、寺内内閣の方では、せめて形だけでもこの原則に遵拠した風を装ひ得ることに満足したのである。この点を近く出現すべく予期さるる超然内閣はどう始末するだらうか。
 寺内内閣のやり方には大隈内閣に先例がある。大隈内閣は多分に政党内閣の臭味を有つものであるが、少数であつた立憲同志会を擁し所謂大隈老侯の人気を看板にして政友会の大を挫いた点に特色がある。要するにとにかく先づ天下を取りさへすれば現在の多数を打破して自分の多数を作ることが出来ると云ふ事実を証するものである。こゝにあの時代超然内閣の容易に出現を見た理由がある。政党首領を直に内閣の首班に奏請し難い事情があるとする、誰でも然るべき人を奏請して内閣を組織せしめ、其人がどれかの政党と結托すれば当然政界の疏通はつくとされたのである。若しその見込が外づれたらどうする。総選挙に於て不幸多数をかち得なかつた、折角の人物ながら政界の流通がつかぬ、即ち已むなくその辞職となれば政局は再び政変当時の昔に逆転する。斯うなるを恐れては、迂闊に政界無根拠の人を奏請するわけに行かぬといふことになる。故に超然内閣の出現は、天下さへ取れば必らず議会に多数を集め得た時代にのみ見らるべき現象なのである。
 超然内閣が政党と結托するの例を開いて以来、先づ天下を取つた者が容易に多数を作り得るといふ実例に間違ひがなかつた。政党を離れた超然主義者ひとりで多数を作れぬは勿論であるが、多年培養の結果漸く深い根柢を民間に築いた政党でも、猶ほ長い間政府の直接間接の援助なくしては多数を作るを必し得なかつたのである。併し年と共に政党の政治的地盤は民間に広く且つ深くなつて行く、これに反して単純なる官僚の政治的影響はだん/\民間に薄らいで行く、時勢の趣くところ斯くなるを致方なしとせねばならぬのであらう。斯くして総選挙を中心として観る限り、超然内閣主義の民間に於ける政治的威力は最近著しく衰退した。それの最も著明な例は大正十三年の清浦内閣の悲惨な没落であらう。清浦内閣は政友・憲政・革新の三派を敵に廻し、僅に政友会の過半数が分離独立して作つた政友本党を味方に立て、大隈寺内両内閣等のやつた先蹤を踏襲し、必勝を予期して華々しく総選挙を争つた。従来の例から云へばとにかく勝利だけは得た筈だと思はれたのに、結果は案外の惨敗に終つた。政府を乗取つても必ず勝つと限らぬといふ新しい例が先にはじめて儼乎として現はれたのである。
 天下を取りさへすれば多数を得られるといふ実例は、現に最近の政友民政の更代に於けるが如く今に見られては居る。併し少数党が或種の勢力と結んで超然内閣を組織し以て総選挙に臨んで昔のやうに必勝を期し得るやは、今日非常に望み薄となつた。そこで超然内閣の出現は昔とは違ひ最近はなか/\むづかしくなつたと云はれるのである。

 斎藤内閣に代つてまた一種の超然内閣が出来たとする、斎藤内閣出現の際とは事情も違ふので各党各派の支持する挙国一致内閣の形態を装ふことは出来まいから、その内閣は思い切つてファッショで行くの暴勇なき限り、一応議会の多数党に一般的援助を求めるだらう。原敬時代の政友会なら群議を排しても応じただらうが、今日の政友会は寧ろその反対に出ようとする空気が濃厚だと観ねばなるまい。民政党は申込みを容れぬと限らぬがこれだけでは心元ない、そこで国民同盟だとか中立議員等にまでわたりをつけて相当の支持者をつくり上げることに骨折るだらう。やがて議会解散となり総選挙となる。以前でもこの間には随分と識者を顰蹙せしめるやうな干渉等が行はれたのであつたが、今度は選挙民も思ふやうに操縦が出来ず選挙の結果にも多大の不安があるといふことであるから、その間に行はるる干渉は剛柔両面にわたりて無類に辛辣なものでないかと思はれる。殊に選挙に於ける直接の干渉もさることながら、選挙戦前後に於ける議員の争奪が猛烈に行はれはせまいかと懸念される。強て多数を作らんとして戦後に於て醜悪なる議員の争奪のあつたことに付ては田中政友会内閣の時が格別著しい。戦前の争奪は一つの新しい戦術として今後に期待されるのであるが、これはつまり政党分野の攪乱に外ならない。現政党を排して新勢力を民間に割り込ましむるは労多くして効が挙らない、既成政党の分野をみだして出来上つた一半を奪取するのが遥かに安全だ。斯う云ふ意味の現象は考方に依つては既にボツ/\起りかけて居るとも観られるが、いよ/\盛に行はれるやうになつたら随分政界の徳義が蹂躙されることであらう。
 それまで努力しても超然内閣が結局負けたらどうなる? いよ/\ファッショで行くか又はあきらめて政党内閣主義の復帰を許すか。これは一つには政界に発言権を有する諸勢力の意気にもよることだが、一つにはまた国民意向の動きにもよる。国民の意向などいふものは極めて漠然としたもののやうで、また案外に易へざる大きな牽制力でもある。いづれにしても近き政変を機として我が日本は東に行くか西に行くかの岐れ目に立たされると思はれるのである。

〔『経済往来』一九三二年一二月〕