政党運動と政治教育運動 『中央公論』一九二六年三月「小題雑感数則」

   先達(せんだつて)私が労働党の創立に骨折て居るといふ風説が新聞に出たといふので、二三の友人から此際新政党の結成に力を注ぎ以て大に国民の政治教育に尽瘁して貰ひたいと云ふ様な注文を受けた。忠告の趣旨は大体感謝して之 を了承するが、一面之等の人々の間には政党運動と政治教育運動との本質の無理解があるのではないかと疑はれる。多少礼を失するの嫌あるかも知れぬが、茲に之を論議するを許されたい。 
 政治教育の目的は何ぞ。政党の誘引に迂(う)つかり乗らぬやう国民の聡明をひらくことではないか。各種の政党の いひ分を普ねく聴き公平に判断してその最良なるものに味方する様にと勧告することでないか。この目的を達する為めには各人にすゝめて如何なる政党とも腐れ縁を繋ぐこと勿(なか)らしむること、換言すれば正義に味方する為に 一応はすべての政党に背かしむることが必要だ。もつと極端に言へば政党運動の裏を掻き彼等の言ふことなど迂つかり信用するなと警告する必要があるのである。 
 斯く考ふると、政党運動の直接の目的は政治教育と正に全然相反することは論を待たぬ。何となれば政党運動 の方は己れに味方せよと国民に迫るものだからである。政党運動は間接に政治教育に資することはある。我国在来の政党の如く、運動の方法を一に醜悪なる手段に求むるものに在ては、寧ろ教育の目的を蹂躙する以外の何物 でもないと云はねばならぬが、若しそが誠実に行はるゝものである限り、仮令直接の効果を我田引水に期するも のであつても、猶ほ大に一国民の知見をひらくの手だてにはなる。故に誠実なる政党運動は間接に政治教育に資す ることはあると云ふのである。従て教育的見地より観ても、誠実なる政党運動は之を歓迎し、醜悪なるそれは極 力排斥すべき理由はある。けれども政治教育を直接の目的とする者に取て、同時に政党運動に骨身をくだくとい ふことは、到底出来ない筈のものであると思ふ。
 政党運動は自分の信ずる所を以て人に強ゐんとする実行運動である。之に反して政治教育運動は一時の所信に 執せず、常に一層よりよき立場を求めんとする用意を怠らぬ様にと世人を警醒する道徳運動である。範疇同じか らざるを以て、仮令人格的には自ら相協働する余地はあるとしても、社会的の運動として分業的に発現するとき、 其間の本質的差異は十分に之を明白にしておく必要があると思ふ。政治教育に当て居つた人々が時勢の要求に応 じて漸次政党運動に入らんとする昨今、私は特に此点に特別の注意を向ける必要を感ずる。