支那留学生問題



 貰つたものを大事にせぬ癖に、呉れないと怒ると云ふのが人情だ。支那の留学生を従来可なり冷遇して居つたのに、此頃だん/\減少するやうになつたと云ふので、世間では大騒ぎして居る。殊に毎年一定数の官費生を、一高、高師、高工、千葉医専に収容するの文部省対支那政府の特約を本年を限り罷めようと云ふ風説が伝つてから更に一層問題は矢釜しくなつた。支那留学生優遇に関する一建議案も議会に於て近く問題にならんとして居ると云ふ事である。六菖十菊の嫌ひあれども若し此等の俄か造りの努力によつて少しでも優遇の実が挙るならば、一つには留学生の利益の為め、又一つには我国民の対支思想の開発の為め悦ぶべき事柄と云つていゝ。
 支那留学生の減少を憂ふる我国論者の中、日本を去つた学生が転じて欧米に遊ぶのを馬鹿に気に病むものがあるが之は取らない。日本を去つて欧米に遊ぶは、概して之を云へば支那学生界の悦ぶべき一現象である。中には日本が癪にさわるからとて面当てに米国辺に行くものも絶無ではなからうが、併し単に之れ丈けの理由で高い金を使ひ、多くの不便を忍んで遠方へ出かけるものはさう沢山はあるものでない。して見れば欧米に遊ぶのは皆相当の理由あり又相当の決心と相当の準備とがあつて行くのだから、支那人自身の開発の上に誠に結構な事ではないか。我々日本人だつて欧米に勉強に行く。支那人も我々の真似をすると言つて何も嫉妬を焼く必要はない。若し此現象について我々に問題とすべき点ありとすれば、欧米諸国が支那の学生を歓迎するにいろ/\努力して居るのに、日本のみ少しも此方面に意を注がない、甚しきは冷遇の結果彼等の滞在を不愉快ならしむる点があると云ふ方面であらう。
 我々は支那の青年が続々外遊するのを悦ぶ。欧米に遊ばんと欲するものに向つてはそれも大いにいゝ。遠慮なく行き給へと勧める。それと同時に我々は又退いて彼等を歓迎するの設備を大いに整頓する事に骨折りたいと思ふ。何となれば支那は今日尚大いに日本の教育機関を利用するの必要がある。欧米に行くものは其行くに任かしても尚大多数の青年は日本に依らざるを得ざる実際の必要があるからである。


 支那が今日尚大いに日本の教育機関を利用せざるべからざる理由は、主として次の三点にあると思ふ。
 第一は支那自身に於ける教育事業の腐敗である。最近数年、中央政府も地方政府も、一切のカを挙げて兵員の維持並に増加に費したので、さらでだに財政が極度の困難を極めて居る。教育事業の如きは最つ先に廃止されたのである。高等の諸学校は云ふ迄もなく、目前の急には代へ難いとて普通教育すら捨てゝ省みない。日露戦争後一時支那は大いに教育の振興を計つたけれども、あの際に作られたいろ/\の新らしい学校は、今日跡形もなくなつた。斯くして学校は無い、然れども時勢の要求は人才の輩出を促して止まない。先に於てどうしても外国にたよらざるを得ない訳になる。然らば何処へ行くかと云ふに、一番便宜な所が我が日本である事は云ふを俟たない。
 第二に日本は留学に便宜である。物価も安い。尤も此頃は段々高くなつて西洋と大差はない。否、為替相場の関係から欧羅巴方面は却つて安いと云ふものもある。が、併し大体から云へば日本よりも少い金で大丈夫だと云ふ訳ではなく、又莫大な旅費もかゝる。資力の豊富でないものは矢張り西洋には行けない。のみならず日本は近い。イザと云ふ時には何時でも帰れる。余り僻遠の出身でない限りは夏冬の休みにも帰れる。さう云ふ所から余り遠方に行きたくない、又遣り度くないと云ふ連中でも日本に留学する事なら大した面倒とも思はないのである。
 第三に同文であると云ふ事がまた非常な便利である。日本に来るのでも正式に勉強すると云ふ段になれば、言葉は習はねばならぬ。日本語の熟達は外国語の練習と同じ程度の苦しみではあるが、併し単に読む丈けの事なら日本語の方はわけもない。仮名を覚えれば大抵の本は読める。斯う云ふ点から日本で勉強すると云ふ事は少くとも早急の間には合ふ。又帰つて何か取調べをするにしても、日本に学んだものなら日本の材料を直ぐ用立てることも出来る。報告を書くにしても、日本にある材料を基とし、仮名を取つて字を置き代へれば、早速の間には合ふ。斯う云ふ点から日本で学問をすると云ふ事は将来の為めにも非常な便利である道理である。
 斯う云ふ理由で若し他のすべての条件が同一なら、支那の外国留学生の大部分は皆喜んで日本に来る筈だ。優秀なる才能を有し、好運な境遇に在る少数のものは姑く別として、現代の支那が要求する多数の青年は、放任して置いても日本に来るに極つて居る。仮令欧米諸国が留学生招致の為めいろ/\便宜を図るとしても此点に於て日本を凌駕し得る筈はない。然るにも拘らず事実日本の留学生は適当以上に減少しつゝあるはどう云ふ訳か。之れ畢竟日本政府が対支政策を誤つて、支那の青年を排日運動に激成せしめた為めではないか。
 若し日本が多数の支那留学生を招致せんとならば、政治方面に伏在する根本的原因を取除かなければならない。之れ以外の他のすべての案は畢竟するに末流をいぢくるものに過ぎない。併し之は一朝一夕の問題でないから其解決を姑く他日に譲るとして、差当つては支那留学生の教育の為めに我々はも少し便宜を与ふる方法を講ずることが必要であらう。此点については官民一致の協力を必要とするは云ふ迄もない。
 之について民間には団匪事件賠償金還附を唱ふるものがある。即ち亜米利加の故智に倣つて支那の青年に恩を売れと云ふのであるが、之は頗る適当な方策である。只今日の政府が果して此金を斯う云ふ目的に支出し得るや否やが実際家の間に一つの問題となつて居る。使ひ様によつては、又何にもならない事もあるが、要するに此金を基本として留学生の便宜を図ると云ふ事は主義として誠に結構な事に相違ない。次に文部省と支那政府との支那留学生収容協約を継続すべしと云ふ論もあるが、之は必ずしも我々より強ふべき事ではないと思ふ。向ふより要求があつたら大いに便宜を図つてやるべきだが、之を全然先方の自発的行動に任かしていゝ。
 民間の議論の中で最も有力なのは、門戸開放の要求である。官私立を通じ、日本の学校はもつと広く支那人に門戸を開放すべしと云ふのである。之も遣り方如何によつては甚だいゝ。只支那人なるが故を以て過分の便宜を留学生に与ふると云ふ事を意味するいのなら之は支那留学生自身の為めでもなければ、又学校の教育的目的にも背くものである。予輩は支那人なるが故を以て日本人と一所に勉強せんとするものに対し、特別過分の便宜を与ふる必要はないと思ふ。日本人と同じやうにやらうと云ふなら全然同じ歩調を取らせ、其間に何等の情実を認めない。此点に於ては厭(あ)くまで厳重であつていゝ。又斯くする事が其支那人自身の為めにもなるのだ。けれども前に述べた通り、日本は国が近い丈けに支那から速成の目的を以て来る人も多からう。殊に年も老つたから余り長く外国に居れないとか、又今から六つかしい外国語を稽古する暇もないとか云ふ類ひの人で、而かも本国に何等の便宜が無い為めに日本にでも行かうと云ふやうな人も多からう。斯う云ふ人は青年と一所にコツ/\やる必要もなければ又学校から矢釜しい試験などで鞭撻する必要もない。斯う云ふ人々には只聴講の便宜を与へてやればいゝ。斯う云ふ所から所謂聴講生の制度を大いに拡張する必要はないかと考へて居る。文部省が指導者となり各高等諸学校当局者を集めて此点を計られたら至極結構だらうと考へて居る。即ち我輩の意見としては広く門戸を開放して我国教育機関を利用するの機会を彼等に与ふるはいゝが、速成の目的を有するものには聴講生の制度を設け、其他の学生は全然日本学生と同様に取扱ふべく、其中間の制度を採つてはいけまいと考へる。聴講制度のやうな楽な方法で日本の学生と同様の特権に与らんとするやうな要求は日本の教育界の名誉の為めにも、又支那留学生の修養の為めにも断じて排斥しなければならない。
 終りに予輩は民間の有志に向つて此処に二つの事業を勧告したい。一つは寄宿舎を作ることである。日本の学校も寄宿舎には困つて居る。況んや外国の留学生に於ておや、中にも最も困つて居るのは婦人留学生だ。此方面に民間有志の大いなる活動を望まざるを得ない。但し遣り方の如何によつては全然労して功無き結果に至ることあるは予め警告して置く必要がある。も一つは奨学基金(スカラシップ)の設定である。昨今記念事業の一部として大学なぞに奨学基金を寄附するものが多いが、未だ曾て支那留学生の為めに此美挙あるを聞かない。欧米諸国には外国人の為めにする此種の基金が少からずある。日本人でも米国なぞで此金を利用して勉強した人は甚だ多い。いろ/\な点に於て最も関係の深い支那の為めに有つて然るべき此種の美挙が未だ曾つて無かつたのは我国富豪の怠慢と云はなければならない。聴く所によれば昨今我国二三富豪の中に此点を計画して居るものがあるさうだ。果して然らば之れ実に真に日支親善の一助となるのみならず、最も品のいゝ方面に於て日本人の対外的高義を示すものとして甚だ賞讃に値する事柄だと考へる。

                                〔『中央公論』一九二一年四月〕