露西亜の敗戦  『中央公論』一九一五年一〇月

 戦争勃発以来、久しく協商例の有力なる恃みと目せられし露軍は、今年五月以来、独墺軍の猛撃に遇ひ、一溜りもなく潰走して見苦しき失敗を重ね、世の協商側に同情ある者をして著しく失望せしめた。而して此露西亜敗戦の原因は、主として軍器の供給の足らざるに在ることは、万人の観る所を一にして居る点である。
 単に兵数から云つて今日最も優勢の地位を占むるものは露西亜である。何となれば、露西亜の人口は其欧羅巴に在る者のみを算へて一億二千五百万を超え、約独逸の二倍、墺匈国の二倍半に当る。今日各交戦国は何れ丈けの兵数を出して居るか精密の事は分らないが、軍事専門家の言ふ所に依ると、敵味方合して千万人を超ゆるだらうとの事である。果して然らば、独墺側の兵数を大略其の半分と見るときは、此方は今や漸く兵力の供給は尽きんとしつゝあると見ることが出来る。何となれば、統計学上満二十歳以上五十歳以下の男子数は、全人口の約二割に当るを普通とするが故に、独襖に於て此種の戦務に堪へ得る人数は凡そ二千四百万人なるに、実戦に当る五百万人に加ふるに、約之と同数なるべき後方勤務員と、軍需品の製作其他に従事せる者とを加ふる時は、略々此数に達すべきを以てゞある。兵力の供給の尽きて居る点は、仏国も同様であるが、英国と露国とは此点に於てまだ/\余裕がある。殊に露国に於て其余裕が最も著しい。尤も人によりては、兵力の多寡は人口の大小に依りては決まらない、訓練せられたる壮丁の多少に依らねばならぬといふ者もあるけれども、成程十万二十万といふ小規模の戦争なら、之も理窟はあるが、今日の如く千万も対峙する戦争では、訓練を受けた壮丁のみではトテモ足りない。甚しきは未丁年の少年をすら駆り集めて、之に三ケ月とか半年とかの速成的訓練を施して戦楊に送り出す際である。正規の訓練を受けた受けぬは、殆んど問題とならないのである。
 さて露国は兵力に於て斯くも優勢であるのに、何が故に斯くも敗衄を重ねて振はざるやといふに、之れ一に軍需品の供給が行届かない為めである。之は固より今日に至つて始めて明になつたのではない。戦争の始めから明白であつた。只何故に早くより之に応ずるの策を講ぜなかつたかゞ不思議である。要するに、露国は此頃益々此方面の必要を感じ、之れ迄とても盛に我国に一部の供給を仰いで居つたが、今度愈英仏両国の協議を得て、大規模に我国の製造力に恃(たよ)ることゝなつた。斯くて軍需品の供給が潤沢になつたなら、露軍は必ずや其頽勢を挽回するであらう。
 併し露軍の頽勢を挽回するは近き将来に在りと思ふならば大なる間違である。露由の出征兵数は驚くべき多数であり、而かも我国の供給力には限りがある。固より我国以外よりも供給を仰ぐべしとするも、全軍に亘りて一通りの供給を為す事すら、決して容易の談ではない。今例を取りて之を明にせんに、我国の小銃製造能力を一日二千挺と仮定する。然らば一ケ月六万挺一ケ年七十二万挺である。最近の電報に依れば、露政府は新に八百万を召集せりとの事であるが、之は其数に多大の懸直(かけね)あり止思ふけれども、暫く之を事実とすれば、之に供給する小銃を皆我国で引受くるとすれば、十一年の星霜を要する。若し夫れ火薬の供給に至つては更に甚しい。一人の携帯弾丸を仮りに百二十発とすれば、百万人分の弾丸を作るには、火薬約二百七十噸を要する。而して我国一日の火薬製造能力を五噸とすれば、約二ケ月を要する。八百万人分ならば一年四ケ月となる。斯く考ふる時は、露軍の軍用物資充実するのは、何時の事やら一寸見当が付かぬと云つてもよい。
 幸にして軍用物資供給難は今日敵の独墺側にもある。最近我国の某新聞は、独逸の小銃弾丸製造力は一日二十
五万発に達すとて驚嘆して居つたが、併し一日二十五万発では大した役には立たぬのである。二十五万発の弾丸は、一人一向の携帯量を百二十発とすれば約二千人分に過ぎない。然らば独逸は毎日二千人分、即ち一ケ月六万人分、一年七十二万人分しか作れない。仮りに三百万人の兵士を戦場に出して居るとすれば、一回の携帯量だけを充実するに四年あまり掛る訳である。独り弾丸のみでない。万事が此調子だらう。只独逸は比較的に敵方よりも供給力が豊富なるが故に、戦争に於て勝利を得つゝあるのであらう。
 近頃露軍は南方に於て多少勢を盛り返したと報ぜらるゝも、事実果して頽勢の本当の挽回なるや否や疑はしい。事によつたら独逸側が後方より物資の供給を待つ間攻撃の手がやまつて居るといふだけの話かも知れない。協商側殊に露軍の供給能力が、一転して独逸のそれを凌駕するに至るまでは、露軍の敗績を重ぬるは、已むを得まいと思ふ。
 只問題は露軍の軍器供給能力は、将来果して独墺側のそれを凌駕することあるべきや否やに在る。日本よりする供給は、如何に奮発しても大勢を動かす程のものではあるまい。夫れでも来年の春頃までには大に露軍に重きを加へるだらう。只結局に於て恃む所は英国に於ける製造能力の完成である。之もあまり永い問題ではあるまい。
 露国の敗戦に牽達して、近頃我国に於て二つの問題が唱へられて居る。一は日露同盟論であつて、一は増師否認論である。前者は先づ仏国に起りて東洋に波及し、最近我国の論壇を賑はし、現に本誌本号に於ても朝野識者の之に関する意見を集めて居る。後者は我国の非軍備拡張論者の間に唱へらる、ので、露国があんなに弱いのなら、何も朝鮮に二個師団を増設するの必要がなかつたとて、今更当局者の不明を詰らんとするのである。予は元と増師賛成論者では無い。併し乍ら、今日前記難者のいふ如き論点より増師の計を難ずるのは当らぬと思ふ。何となれば、露の敗軍は必しも露の弱きに非ず、数百万の大軍を動すの準備に欠くる所あリしが故に、独逸には負けたが、東洋にて五十万や六十万の兵で日本と戦ふといふやうな場合ならば、或はモット強いのかも分らない。
 加之朝鮮に二[個]師団を置くといふことは、単に露西亜に対抗する意味ばかりではない、一般東洋に於ける帝国の地位を強固ならしむる意味もあるからである。故に増師の計画を難ぜんと欲せば、東亜に於ける帝国今日の地位を維持するに、朝鮮に於ける二個師団の増設は必しも必要に非りし所以を、別の方面より論明すべきである。露西亜の敗戦は直に増師否認の理由とはならない。必しも増師論を弁護せんと欲するの意あるに非ざるも、不徹底なる政論の流行を喜ばざるが故に茲に敢て之を三日する。