加藤総裁の演説を読む


 四月廿日大阪に開かれた憲政会近畿大会に於ける加藤総裁の演説は、現下内外の研究問題に対する最大野党の態度を明白に宣明したものであることは云ふ迄もない。憲政会が野党として政府の政策を自由に批判攻撃し得る立場と、加藤総裁其人が原首相と異り、本来相当に理屈つぽい人であること、は、一個の議論として観て総裁の演説をして敵党宰相のそれに比し著しく勝れたものたらしめて居ることも云ふを俟たない。予輩は第三者として厭くまで公平の見を持せんとするも、些か彼に酷にして此に寛なるの観あるは之が為めである。けれども総裁の議論に対しても予輩には又服し能はざる点も尠くない。何れにしても憲政会全体の態度を明にする為めに順序を追うて総裁の演説に短評を加へて見よう。

 加藤総裁は「議会の不当なる解散」「普通選挙に対する政府の固陋なる見解」「西伯利政策の行詰り」「経済政策の失敗」の四点に全力を集中して政府の失政を攻撃して居る。其中の議会の解散については明白に「普通選挙問題に藉口」して内閣寿命の延長策を計つたものに外ならない。即ち「内治外交の失敗の為め貴衆両院の痛撃を受け、進退其拠を失ひたる窮余の策に出で」たものと断定して居る。如何にも大胆な断定ではあるけれども、之れ正しく一般国民の実際的確信を飾る所なく表明したものと云つていゝ。不幸にして今日まで原首相を初め其政友の幾多の弁明も、又政府当局として為す所の実際に観ても、何等此確信を動かすに足る有力な反証を挙げてゐないのは我々の寧ろ政府並びに政友会の為めに惜む所である。
 第二の普通選挙論については之に関する政府の陋見を痛撃し、更に進んで即時施行の急務を説いて居る。之によつて政友会と憲政会との本問題に関する対照は甚だ鮮明となつた。只加藤総裁が憲政会を代表して説く所の普通選挙論の根拠に至つては遺憾ながら其浅薄低劣なるを惜まざるを得ない。総裁は云ふ、「成るべく多数の国民をして国家に対する義務を負はしむると同時に、国政に対する権利を与へ権利と義務と相俟つて初めて多数の国民をして渾然たる政治上の人格を有」せしめたいと云ふ迄は先づ/\無難としても、「今や国民は広く兵役の義務を有し、又納税の義務を有し、義務心の訓練已に年を経たり、然らば何ぞ之に向つて長く選挙権を拒否するの理由あらんや」と云ふに至つては予輩些か総裁の頭脳の健全を疑はざるを得ない。斯くの如き権利と義務との対立から何処を叩いても普通選挙を主張すべき理論は出て来ない。
 加藤総裁は更に進んで普通選挙を今日に実行するのは啻に適当なるのみならず又必要に迫られて居る、而かも之を実行して何等の弊害を見ないと説いて居る。何が故に適当と云ふかは聞かなくとも分つて居るが、之を今日に行つて弊害なしと観る所以については、世間は恐らく相当の説明なしには受取るまい。我輩は多年弊害なしと云ふ説を主張して居るから本誌の読者は或は之を怪まずに納得せらるゝかも知れないが、選挙権が拡張さるればさるゝ程弊害も亦正比例的に増加すると云ふのが今尚世間多数の迷信ではないか。此迷信を破ることが普通選挙論の本質を明かにし、併せて国民の政治的見解並びに道徳を開発する上に極めて必要であると思ふのに、此点を無雑作に取扱はれたのは我々の甚だ物足らず感ずる所である。単純な研究的興味から云つても加藤総裁が何の根拠に立つて無弊害を主張するかは我々の大いに与り聴かんと欲する所である。只普通選挙の施行を今日急迫の必要事なりとする所以に至つては、総裁は稍々詳細の説明を与へて居るが之とても一般国民は全体としてまだ十分に発達はしてゐないが一部少数のものゝ間に突飛に発達したものがあり、之が選挙権を熱求するから、自暴自棄の結果他を煽動して不穏の行動に出でぬやう早きに及んで広く之を与へた方がいゝと云ふやうな消極的な予防的な見地が唯一の理由だと云ふなら之れ亦余りに浅薄な考と云はざるを得ない。普通選挙の即時施行は右述べた事の外に更に積極的な道徳的な乃至文化的な効果はないものだらうか。此点についても総裁の立場は極めて薄弱なものと云はざるを得ない。
 要するに普選論者の一人として予輩は加藤総裁及び其党派が同じく普通選挙の実現の為めに努力せらるゝ事を大いに多とはする。けれども一度其立つ所の根拠を理論的に検要するに及んで予輩は其余りに心細い味方たるに失望せんとする。憲政会の普通選挙案が重要なる資格の一として「独立の生計を営むもの」の一項を挙げ、而かも此愚劣極まる条項を頑強に固執して三派提携の実を挙げ得なかつたのも畢竟之が為めであつたらう。下らない味方は時として敵よりも厄介な事がある。

 第三の西伯利問題に関する政府糺弾の論法は流石に剴切を極めて居る。此点は全然同感を表するに躊躇しない。総裁は第一に聯合国が昨秋兵力を以てする直接援助を罷め、兵器軍需及び軍費の供給を以て間接に反過激派政府を助くることに改めたのに、独り我国が秩序維持の名の下に三万に近き兵員を駐(とど)めたばかりか、時々自ら進んで積極的に過激派討伐の無謀なる方針を継続せることを責めて居る。更に進んで無謀なる空想の夢は破れて、多大の希望を繋けたオムスク政府が殪れた。之を期として米国が撤兵したのに、独り我国は米国の諒解を得たりと称して更に約半個師団を増兵し、何等明確なる理由あるにあらずして我忠良なる兵卒を西伯利の氷雪に曝らし、徒らに列国の疑惑と露国民の反感を招くに止るの愚挙を攻撃して居る。而して結論として総裁は軍隊の即時撤兵を主張し、居留民についても一時権宜の策として財産を纏め我勢力圏内に引揚げ、以て他日の好機会を俟つべきを勧めて居る。何れにしても西伯利問題は現在の国民にとつて一個の難関であり、又将来の国家にとつて一個の禍根である。世人多くは之を軍閥の専擅に帰して其横暴を抑ふるの急を認むるやうであるけれども、政府が自ら之を抑へ得ざるは事情諒とすべきものありとはいへ、又其責任を分たざるを得ない。加藤総裁が独り政府を窮迫するに余力を残さゞるは的を違へて力癌を入れ過ぎたの感なきにあらざるも、所論の筋其物に至つては国民の等しく同感を表する所である。

 第四に経済政策の失敗として物価問題、通貨問題より最近の財界の不安に言及し、盛んに政府を攻撃して居るが、此点については専門外の自分としては何等的確の批評を為し得ないけれども、只自分の感じを一言述ぶることを許すならば一部は当つて居り、一部は当つてゐないと云はざるを得ない。西伯利問題について加藤総裁の見解に我々が全然安心し得る程度に、経済問題に関する氏の政策に全然安心し得るや否やは多少の疑がある。尚之と関聯して思想問題に言及して居るが、然し我々の立場としては思想問題は尚之とは独立の問題として取扱つて貰ひたかつた。思想問題に対する政府昨今の方針を如何に観るかは我々の最も総裁に聴かんと欲する所である。其他支那問題、朝鮮問題、対米問題より日英同盟継続の問題等に亘つて我々の与り聞かんと欲する点がまだ頗る多いのに、此等が総て省略に附せられたのは些か物足りない。総裁は只上掲四つの問題を挙げて政府更迭要求の理由として居るが、国民の関心する現下の重要問題は、只此四つに限らないことを一言して置きたい。

                                〔『中央公論』一九二〇年五月〕