所謂地方分権論に就て   『中央公論』一九二五年十二月

 地方尊重論の擡頭 地方長官公選論の如き、一制度論としては固より愚劣取るに足らぬが、地租委譲論その他と共に、最近勃興せる地方尊重論の一面の代表と観るとき、其処に我々は大なる意義を認めることは出来る。今日の日本の制度文物は何も彼も東京中心だ。中心ばかり太つて地方の肢体は疲弊し切て居る。日本将来の健全なる発達の為にはこの傾向に一大斧鉞を加ふるの必要があるとて、最近広く地方にも文化の恩沢をわかつべしとの議論が起つて居る。之等を汎称して操觚界は地方分権論と云つて居るが正確な用語でないことは申すまでもない。が、其の指示する標目は決して之を察知するに難くない。
 中央集権の由来 日本は昔から所謂中央集権制であつたのではない。徳川時代に於ても江戸は日本の中心として第一の繁昌を示しては居つたが、文化の中心は併し乍ら各藩の城下に散在して居つたのだ。所が今日では富も人才も目ぼしいものは悉く東京に集り、何事も東京へ出なくては仕事が出来ぬといふ様になつた。最近貿易関係に於て関西が異常の発達を示して居るが、之を外にして何一つ東京以外で用の弁ずることはあるか。而して是れ実は維新以来の新しい現象なのである。且つ斯くなるには当時の政治家を非常に苦心せしめたといふ歴史もあることなのである。
 維新の当時明治新政府の基礎は甚だ鞏固でなかつた。中央統一の力至て微弱で謂はゞ尾大(びだい)振はずの概があつた。加ふるに諸大名は幕末江戸在住を免ぜられてより各々其郷国に蟠踞(ばんきょ)し、徳川幕府倒れても封建割拠の形勢は依然として存続して居つた。是れ新政府当路者の非常に危惧せし所。此儘に放任しては統一国家の実遂(つい)にあがる可らずとして、彼等は一方に廃藩置県を断行し、他面に厳命を発して諸大名に東京在住を迫つたのである。当時諸大名は人質にでもなるやうの心持で嫌々ながら東京に移住したのであつたが、斯くして兎も角も当時に於ける最大の富と最高の才能とはみな東京に集ることになつたのである。外にも細かい理由は沢山あらうが、之がまづ一番重要な原因を為すものと謂つていゝ。
 斯く考へれば、今日の中央集権の勢はつまり維新当時の要路者の政策の成功に外ならない。由て来る所一朝一夕に非るが故に、今其弊を矯めて、俄かに形勢の転回を期するも亦なか/\に困難なわけだ。それだけ吾人は識者の此方面に於ける慎密深刻なる研究の今後大に進められんことを希望してやまない。
 大名の郷国帰住の堤唱 右の如き重大なる問題が解げ地方長官公選論や地租委譲論などの皮相論に依て代表されて居るのを私は甚だ心細く思ふ。此事に就てはもつと色々の施設があつて然るべきものと思ふ。既に実行せられて居るものの中に就きては、僅に高等教育設備の各地方に立てられつゝあるを喜ぶべき現象と数ふることが出来る。其外に於て差当り最も卑近にして且最も実際的効果の多きものとして私は旧大名の郷国帰任を提唱したい。今日もはや彼等の地方蟠踞を憂ふる理由なきは言ふまでもなく、東京に居つては畢竟彼等は無用の長物である。彼等の為にはかつても未だ全く消滅に帰せざる旧領地に対する威望を利用し、帰つて其地の文化の開導につくす外、社会に奉仕する使命として今日彼等に残されたるものは無いやうである。強て東京に居ればこそ無用の金も使へば余計な政治道楽などにも手を出す。斯くして彼等が昨今漸く心ある一部民衆の怨府となつて居ることにも多少は気付いて居らう。彼等をして身を全うせしむる為にも又彼等を社会の有用に奉仕せしむる為にも、其の郷国帰任は必要である。地方の疲弊を憂ふる者に取り此事一実際策として強ち空想視すべきではあるまい。