後藤子爵の新運動    『中央公論』一九二六年五月

 後藤子爵の所謂新運動は、たゞ其の声明だけを見ては、政治運動をやるのか教育運動をやるのか能く分らなかった。私共は後藤子爵の帝国政界の進歩に貢献し得べき最有効な方法は寧ろ教育運動に在るを思ふのであるが、最近聞く所に依れば、純然たる政治運動をやるのが本旨だといふ。子爵がその最も好む所又最も長ずる所に途を択(えら)んだものとすれば、是亦致方がないのであらう。

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 後藤子爵が此際政界に打て出るといふは、或る意味に於て頗る時機の宜しきを得たものと云ふことが出来る。そは(一)小党分立の形勢漸く成らんとして頗る新党樹立の余地に富むからである。(二)既成政党の最近の議会に示せる醜状は、国民をして容易に新規の運動に耳目を寄せしむるに足るを以てゞある。(三)現在各党の首領或は威望に欠くる所あり或は新に国民不信の標的となるあり、近く政変あらん乎、国民は恐らく之等の政客に大権の帰着するを欲せぬであらう、従て後藤子爵の如きが挺身政界に呼号せば、之に多大の希望を繋げて多数の同志の参加を見るも図る可からざるを以てゞある。
 併し乍ら後藤子爵の声望と力量とを以てするも、其の新に組織さるゝ政党に一時に多数の党員を羅致し得ざるべきは略(ほ)ぼ明瞭である。但し目下の政況は子爵の傘下に集る者の著しく多数たることを必しも必要とはしない。只各方面から甚しく毛嫌されなければいい。此点に於て子爵が運動開始に先立つて各政党首領を歴訪せるが如きは、頗る賢明なやり方だといへる。うまく行けば現憲政会内閣を嗣ぐものが二流三派の聯合せる後藤内閣だといふことになるかも知れない。併し斯う云ふ結果を万一に期待しての運動なら、後藤子爵の蹶起は断じて政治革新の為のものではない。単純な政治運動だとて決してわるいとは云はぬ。苟くも政治の革新を目的とすと叫び国恩に報ずと声言する以上、後藤子爵の運動は自(おのずか)ら田中床次(とこなみ)の諸氏と全く其行き方を異にする所なくてはなるまい。然らざれば子爵の進退は、晴曇に依て白雲の去来すると一般、私共の利害とは何の係はりもない。私共は市井の雑事以上の興味を、その成敗の上に感ずることは出来ないのである。

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 政界革新といふ道徳的目的を標榜しての政治運動なら、後藤子爵は少くとも次の三点に於て、今後の態度を最も鮮明ならしむる必要がある。
 (一) 既成政党のすべてに向つて大胆なる宣戦を布告すること。何となれば後藤子爵の標榜さるゝ政界の革新といふことが、元来既成政党の腐敗に促されて起つたものだからである。
 (二) 国民の利害を代弁する本当の政党たるを期すること。従来の政党は孰れが勝つたつて国民の大多数は痛痒を感じない。感ずるものは少数の在郷運動屋だけである。本当の政党なら、国民に向つてその実行せんとする政策を公約し、その実現に向つて突進すべきである。
 (三) 断じて陰密醜汚なる手段を取らざること。当今の政界に於て此事を厳守するは、足を遊廓に踏み入れて身の潔白を保持するよりも難い。併し之を忽にしては今日の政党と何の択ぶ所もなくなる。国民の期待は寧ろ其の難きを忍んで飽くまで野暮な潔癖を押し通さんことにある。
 斯んな態度で押し出したら、案外人も附いて来まい、他党との聯絡も取りにくいだらう。実際家からは継子扱ひされて当分政権の廻つて来ぬも請け合である。多情を以て知る、後藤子爵の政治慾は、果してこの不景気な立場に甘んずるか、一見疑なきを得ざるも、苟くも政治革新を以て立つ以上、国民の期待は最少限度の要求として前記三項の恪守を迫り、此点些の妥協譲歩を許さぬのである。而も斯の如きは、当初に於てこそ実際政客の侮蔑を得んも、数年の後遂に必ずや最後の勝利を得て、政界は始めて真に革新され、国民亦心から子爵の忍耐と誠意とに感謝するに至るだらう。子爵年高しと雖もなほ数年の活躍に堪ゆ。仮りに自らは十二分の効を見る能はずとするも、最後の勝利は常に正義に帰す、子爵の意思は之を継ぐもの必ず天下其人に乏しからじ。目前の成功を念頭より斥け、専ら子爵の所謂「政治の浄化」の為にその渾身の力を注がれんことを私共は切に祷る。