田中内閣の満蒙政策に対する疑義

     一

 田中内閣は近く満蒙に於ける従来の懸案を解決し該地域に於ける我国の特殊地位を確保し、支那在来の曖昧なる態度を押し切つて無理にも我が確乎不動の立場を承認せしめることに決めたと云ふ。之に就ては八月初旬以来の新聞にもちよい/\記事が見えて居るから読者諸君も既に御承知の事であらう。さてこの新政策に対して我々は果して如何なる態度を執るべきであらうか。

      二

 第一に注意を要するは、この政策の徹底的遂行の為には或は武力干渉を必要とすべきことである。新聞伝ふる所に依れば、我が政府では張作霖を満蒙に於ける主権者と見做し、彼が該地域内に於て治安維持の為にする努力に対しては極力援助する、若し彼の力を以て治安を維持し得ざる場合には已むなく我は我の力を以て之に当らうと云ふのださうである。政治上日本政府にこの位の権利がないとは云へぬかも知れぬが、併し斯うした声明は断乎たる武力干渉の覚悟なくては云へるものではない。我々日本人は衷心から支那の一日も早く平和を恢復せんことを冀ふ。豈(あに)ひとり満蒙とのみ云はんやだ。特に満蒙の治安を最先の急務とする理由如何に就て私に多少の考はあるが、それにしても、我が武力干渉を以て強てその進行を促すの得策なりやは大に疑ふ所である。之に就て我々はもつと慎重に考へて見たい。満蒙の治安は出来るだけ早く恢復したいとする。而も我々は之が為に武力干渉の危険をまで冒してもいゝものかどうか。


      三

 第二に注意したいのは、この新政策は露骨な支那分割の端をひらくものなることである。当分支那は統一さるる見込はないと諦めて、せめて満蒙だけを別ものと見做し茲に独立の主権者を認めて有効なる外交関係を開かうといふのである。是れ事実に於て満蒙の独立を援助し支那の分割を承認するものではないか。満蒙の独立を必しも悪いと云ふのではない、支那の分割と聞いて今更飛んでもない大それたことと怖るるにも当るまい。現に支那は支那人自身に依て今日既に分割の勢をなして居るではないか。けれども我国の朝野は、従来斯かる勢を以て少数軍閥の野心の結果とするの立場を固守し、隣邦大衆の真の希望は平和なる統一的生存並に繁栄に在ることを確認し、この冀望の実現の努力に対しては徹頭徹尾満腔の好意と援助とを吝まなかつたのである。前若槻内閣が幾多の失政ありしに拘らず独りその対支非干渉主義に於て聊か吾人の嘱望に副ふ所ありとせられしも之が為めであつた。然るに田中内閣はこの折角の好意と同情とを弊履の如く棄て、支那分割の端を開くの惧あるをも憚らずして今や満蒙の独立に全幅の援助を辞せざらんとする。事の是非善悪、就中帝国百年の大計としてその果して当を得たりや否やは姑く別論として、我々は政策方針の変化の余りに急激なるに一驚を喫せざるを得ないのである。南を向いてゐたものが少しばかり東の方を向けと云はれるのなら格別驚きもしない、いきなり真北に向き返れと云はれて見ると、一寸どうしていゝのか分らなくなる。それだけ我々はこの問題に対してはもつと慎重に考へて見たいと思ふ。満蒙に於ける治安の確立するとせざるとは無論大に我国の利害に関係がある。併し之を確立する為めに支那の分割に導いても構はぬものかどうか。
 尤も人に依ては我国のこの新政策は必しも支那の分割を導くと限らないと云ふかも知れぬ。成る程その通りだ。併し分割の勢に導くを避くる限り、我の満蒙に於て獲得するのは全然空名に終ることを知らなくてはならぬ。将来支那は何等かの形に於て統一されたとする。統一政府は、先きに満蒙官憲の日本政府と私議して定めたものをば、承認せぬに決まつて居る。無理に承認させても、今日の商租権の如く全然名あつて実なきものであるべきも想像に難くない。故に之をそんな曖昧なものにしたくないと云ふなら、どうしても満蒙をば中央政府統制の外に置かなければならないのだ。乃ち見るべし、満蒙を独立せしむるに非んば我の権利は現実永久のものとならず、支那分割の責任を避けんとせば必ずやその権利は遂に空名に終るべきを。この辺の事理を十分頭に入れた上でないと、我々国民は迂闊に政府の景気のいゝ新方針を裏書するわけには行かない。

      四

 私一己の考としては田中内閣の所謂満蒙新政策にはどうも賛成は出来ぬ。云々の権利を獲又云々の立場を確保することに異議あるのではない。之を遂行するが為に執る所の方法が面白くない、殊にその時機が悪いと思ふのである。或人は今が丁度いゝ時機だと云ふ。今でなければ得られないと云ふそのやり方に私は反対なのだ。いつでも獲られる様なものを、いつでも出来る様な方法で、堂々と取つて貰ひたいと私は冀ふ。火事場泥棒的に利権を獲得する方法は欧洲戦争で終りを告げた筈だ、又斯うして獲物の永く我が掌中に残らぬといふ経験も近年我々は再三再四嘗め尽した筈だ。いゝ加減に腹を改めたらと我々は思ふが、世間には今度こそ一と儲けと同じ過誤を二度も三度も繰り返すものが多いのでこまる。
 支那の問題に対する無産階級の態度は、精密に調べて見たら所謂一にして足らぬものがあらう。併しその各分派を通じ何人にも異議のない出発点のイロハは、隣邦大衆の要望に対して満幅の好意を寄せ、従て之に対する我方の措置は飽くまで公正に始終するといふことである。この立場に立つて我々は、田中内閣の満蒙政策に対し茲に甚大の疑義を表明する者である。

                            〔『社会運動』一九二七年一〇月〕