有島君の死はわれ/\友人に取つて何と云つても堪へ難き悲みの種だ。社会的に謂つても彼を喪つたことは非常に惜しい。
 僕の知る限り彼程良心に忠実な人はない。彼程自己の所信に忠実たらんと努めた人は外にあまり多くなかるべく思はるゝ。その所謂良心なり又所謂所信なりが、客観的判断に於て真の正しきものであつたかどうかは別問題だが、彼自身の問題としては彼は徹頭徹尾真と誠とを以て自己の生活を一貫せんと奮闘した人だ。
 併し世間の事は自分の思ふ通りにのみは往かぬ。世の中がもと/\不完全な以上、自分だけ正しい純な生活をしやうといふのは土台無理だ。が有島君に於ては此意味の妥協をすら認容するを肯じなかつた。而して彼れは物質的にも精神的にも頗る恵まれた境遇の裡に順調に育まれて来た丈け、彼の生活はさうした環境から到底離れ去り得ざるに拘らず、彼の良心は常に自己の低迷安住を烈しく責めて已まなかつた。我々に在ては単に食ひ且つ眠るといつた類の所謂日常茶飯事に就てすら、彼は常に深刻なる反省を加へ痛烈な煩悶を感じて居つたらしい。君と会談する機会をもつ毎に、僕は其の異常な苦労性を笑ふよりも、寧ろ自分のなれ切つた平凡さに恥ぢ入らしめらるゝことが多かつたのである。
 されば或る意味に山肘て有島君に取て生は則ち悩みであつた。こゝに彼れの作物なり行動なりに現はるゝ光りの一面の源はあつたと思ふ。而して彼れに大なる過失を犯すことありとせば、以上がまた同時の其の有力なる一原因でなければならぬ。

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 何時何んな場合に於てゞあつたか忘れたが、僕が君の様にさう堅苦しく考へては一日も此世に活きては居れぬではないか、斯うしてうまい料理に舌鼓を打つてるといふが既に自分の思想に取つては大きな妥協なのだ、絶対的に所信に忠ならんとすれば死んで了うの外はない、と冗談まじりに放言すると、有島君は意外に沈痛の面持にしばし沈黙深思して一座を不思議に緊張せしめたことをおもひ出す。今になつて考へて見ると、有島君は結局良心の純真を傷けるに忍びずとして肉体を棄てゝしまう運命の人であつたのかも知れない。
 併しこの運命を遂ぐるの機会を波多野夫人との恋愛昂進の際に求めたことに対しては、どう考へても遺憾の情を禁じ得ない。外の場合ならイザ知らず、此場合我々の観て居た本当の有島君は、まだ/\死の解決に急ぐべきでなかつたと僕は思ふ。
 有夫の婦を恋するのが間違だと云ふ様な陳腐な考は僕と雖も固より執らぬ。在来の結婚法の不都合な結果、有夫の婦が異日夫以外の男に恋愛の対象を見出すといふ事実を不思議とも思はない。従つて斯うした婦人に在来の道徳を強ゐ形式的の貞操を迫つて其自由を極度に拘束するの不当なることをも僕は承認する。目覚めたる婦人が旧式道徳よりの解放を要求するのは、其の方法の是非は暫く措いて、其事自身頗る意味のあることだと信じて居る。併し乍ら我々の飽くまで忘れてならぬことは、そはその婦人の問題であつて、断じて他の男の問題ではないことである。換言すれば、有夫の婦が其夫に向つて自己の新しき恋愛関係の処理を求むるが当然の話だとしても、其間に新しき恋人たる男が干入して人為的に其解決を促進せしむべき権利は毫頭ないと信ずるのである。
 波多野夫人のことは別問題とする。彼女が現在の夫をすてゝ有島君に走らんとせる経緯にも諒とすべきものはあると仮定して置かう。而して来り投ずるが儘に之を受け容れて事件を退つ引きならぬ極地に追ひ込むは、俗情の誘惑だ。有島君にして本当に波多野夫人に真心からの恋愛を感じて居つたのなら、出来る丈け波多野夫人の此際に於ける義務の成就を助くべきではなかつたか。義務とは何かといふに、所謂三角関係の処理を、古き形式的道徳の打破から新しい合理的秩序の建設へ導く様に片附けることに外ならぬ。この点に於て有島君の執つた態度に僕達は限りなき遺憾の情を禁じ得ない。

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 さは云へ有島君の悲惨なる解決は、やはり彼の飽くまで所信に忠ならんとする努力の結果に外ならぬことは認めない訳にゆかぬ。道徳的批判に於て僕は到底彼に与みすることは出来ぬけれども、彼が徹頭徹尾真と誠とに終始せることを観て、僕は彼の生涯は亦真個一芸術品たるを失はぬと思ふ。間違つたとしても一種人を魅する味がたゞようて居るではないか。
 料理法の指示に従て彼れ此れと精密な調合をしてもうまい味が出ると限らない。出ても必しも同じ味とは限らない。法則に合はねば概してうまい味の出ぬを常とするが、名匠の手にかゝると、破格の調合からも云ひしれぬ特異の味の出ることがある。教訓を求むる様な目で有島君の死を観てはいけない。一種の味をあぢはうときに始めて死んだ彼も我々の間に尚ほ昔ながらの親しみを以て再現して来る。彼は我々に対して余りに親切であつた。概して彼は人として余りに美しかつた。彼自身の足助氏に送つた「温い思出のみ残る」の一言は即ち今の僕達の感情そのものだ。而してこの温い思ひ出がまたどれ丈け我々残されたる友人達の心を温めるか分らない。只之が為に我々は彼の過失に対してまでも眼を掩うてならぬことは勿論である。

        〔『中央公論』一九二三年八月〕