過去一年(明治三十一年)の国民思想

     一 明治三十一年以前の国民思想

 歳革まり人老いたり、『新しき日本』も何時しか三十一の齢を数へ了りぬ。


     二 日本主義と世界主義

 吾人の所謂る日本主義とは、一言すれば、日本の国性國體を第一義とし、外より来れる一切
の勢力を個中に調攝し同化せむとする主義の謂訊なり。漫りに世界の文明と謂ふ、こは抽象の
観念に過ぎず、実在せるものは独り国民の文明あるのみ。人の人たる所以に於て同ずる所ある
べきは言ふまでも無し。されば抽象の観念としては、素より天下に人道ありと謂ふを妨けじ、
されど人道の名によりて存在する実際の勢力は是れある無き也。若し夫れ理想としては、人類
平等の生活を希望するも不可ならじ、されど是に到達する方便としては、換言すれば実際上の
主義としては差別見に拠るの外なく、所謂る差別見の標準は国家なり。されば日本主義は、日
本国家の繁栄進歩を以て国民倫理の規準となす。実践道徳の規準としては、国家以外に求むる
用なし。
 斯く日本主義が、国家を以て実践道徳の規準と立するの故を以て、直に個人の幸福を蔑視し、
人道の発達を希望せざる主義と見倣さむは、いみじき誤謬なるべし。個人を離れて別に国家な
く、随つて個人の幸福を損害して、別に国家の繁栄を希ふの矛盾なるは言ふ迄も無し。又同じ
人類として生を斯世に享けたるもの、若し得べくむば博愛平等の生活を営まむの願は、恐らく
人類先天の性情なるべし。日本主義、争でか如上の真理を認めざらむや。唯々是等の目的に到
達する実際上の主義として、国家に至上の権能を認めたるのみ。そは異なりたる人種が異なる
風土に邦して、茲に数千年の歴史を経由せば、おのづから国性國體の他邦に殊なるものを生ず
べく、随つて世界平等の主義を以て直に是れに臨むは、即ち是れ国性國體を無視し、其邦の自
然の発達を拘束するの結果、所謂る角を矯めて牛を殺すの弊に陥らむを恐るればなり。又個人
主義によりて直に個人の幸福を現じ得べかりし時代は、既に/\帰らざるべう過ぎ去りたり。
今の世にありて人類の集合生活は国家を単位とす、されば個人の幸福は国家の富強繁栄を通じ
て間接に到達し得べきのみ。如上の意味に於て、国家は個人の幸福を実現し、人道の発達を期成する方便なりと観むも慥に一面の真理なるべし。されど同時に認むべきは、国家が是の場合
に於て唯一の方便なることなり。既に唯一の方便ならむには、即(や)がて是れ実際上の目的にあら
ずや。是れ日本主義が同時に国家主義たる所以なり。
 若し夫れ世界主義に至つては、全く別種の原理に本くを見る。是の種の思想によれば、世界
上の人類は其の等しく人たる所以に於て歳時方処の差別を容るべからず、人類生存の目的、素
と平等絶対なる人道の円満なる実現に存する以上は、国性國體の差別見に執着し、国家を以て
倫理の標準と為さむは偏狭なるに過ぐ、人類の道徳的意識の欲求する所のものは、さる編狭な
るものに非ず、遙に高上に、遙に偉大なる理想にあるなり。畢竟、国家は個人の為に存するも
の、個人が国家に尽すべき義務あらば、そは個人自らの幸福に利益あるが為のみ。人の人たる
所以の目的は、単に其人の住する国家の幸福を円満に現ずるに依りて果さるべきものに非ず、
唯々吾人人類が世界永久の真理と認めたる所に従ひて、天地と共に悠遠の生命を保つにある
のみ。かの国家主義の如きは、国家てふ一の形式を捉へ来り、強て個人を拘束せむと擬す、取
りも正さず方便の末に走りて目的の本を遺(わす)れたるもの、謬れりと謂ふべし。我が国民は、その
人たるに於て、世界の何れの国民とも同く、我が国家は、その国たるに於て、世界の何れの国家
とも異らず。さらば国性國體を言ひて、偏へに差別の一面に拘泥せむは謬らずや。忠君愛国
を以て実践倫理の標準と立(りつ)するも、亦やがて人道究竟の大理想を蔑視して、一国家一国民の小
理想に執着するものと謂はざるべからず。且つ夫れ世界には世界の大勢あり、鎖国攘夷の昔な
らばいざ判らず、苟も世界の一国として国際関係の中に存立せる以上は、是の大勢に背戻せむ
は極めて無謀のわざなるべし。日本国民は、如何に忠勇なりと称するも、土地小にして国貧し、
是の貧小を以てして世界列国の強大と竝立せむと欲せば、世界の大勢を迎合し、随伴して、敢
て抵抗せざらむことを務めざるべからず。若し国性國體にして是の世界の大勢に適せざるもの
あらば、宜しく我れを枉げて彼れに調攝すべし、是れ今日の世に処し、我が国家の安全及び発達を企図する上に於て、万已むを得ざるなり。かの日本主義、及び国家主義なるものは、己れ
を見ること余りに高くして、是の主客の弁を転倒せり。
 是の如きは所謂る世界主義の主張なり。是の種の論者の中には、或は世界主義者の名によりて
呼ばるゝを好まざるものあらむ。されど世界を先にして国家を後にする点に於ては、慥に是の
名称に適応せるもの也。


      三 両者の比較

22


 今是(こ)の世界主義と、先に述べたる日本主義とを比較せむか、目的に於ては両者必すしも相容
れざるにあらず。そは個人を省いて別に国家なきを認むる点に於て両者相同じく、所謂る幸福
とは、意識あり人格ある個人に就いてのみ言ひ得べしとする点に於ても亦両者相同じかるべく、
また人生究竟の目的を平等円満なる幸福の実現に存すとする故に於ても亦両者恐らくは相同じ
かるべければな叶っさらば其の申鮎は、是の完売の目的を警視する方法の上に布すと見るの外
なし。日水玉事は、印象々以て是の究尭の理想に到達する唯一の方便となし、唯一の方位学¢
が故に、官際上団民道徳の最高標準となす。そは同家は偶然にして成立せるものにあらす、既に
             つ
蛾立し又漸く発達するに障れ.先に是の特殊の囲家を成立せしめたる所以の要素は、金・其の
差別性を閑態し来旦d簿に囲家と蜜際上相容れ難き諸他の性質を現じ挙るべし0されば世界
に於ける各閑民の到達すペき先覚∽理想或は同一なりとするも、そを嘗現する所以の方法は−
各閥民に於て各t異ならざるを得ざるペければなり。是に於てか、日本王我は閥性と姐怯とに
木きて国家某撃ぞ執る。世界王碍は即ち以演く、隣家は方便なるが故に闘豪王巷者流が思惟す
    レ
る如く爾かく尊重すべきに非ず、さわば囲性と云ひ、同値と云ふもの、将官に依りて見事もし
くは破壊するも亦必すしも不可ならすと。されば仲界主事は形式論の上に於ては、囲革廿唯一
方便とするに於て、必すしも日本主事に輿なるに非ざれども、而かも国家其物の資質に附して

は、必すしも的性又は同腹の動かすべからざるものあるを認めサ、是れそが日本主事と異なる
要鮎なるペし。
 同家の概念に就いて世界王手の日本王養に異なること既に是の如し、其他もろ′1の賓技倫
理問題に閑して蔑多の輿詭あるは、絢に已むを得ざるなり¢其二言言はば、他界王我はu本
王手が・やがて囲家主撃仏るに反して個人王義なり。濁り融合道徳に於て然るのみならす、政
治上に於ては、個人を以て君羊Tし拉文する霊水顔素なる々認めむと欲す0されば、『睨は姐家な
り』とのルイ十四世の音によりて尤も通常に言ひ表はさるペき我が同性に関しては、紹射的に
仁木主義と其の杯繹を異にせるもの也。世界壬我の側にある人は、我が圃民が忠孝に関して有
する道徳的意識な以て、人道の理想に庚れる慮偶の鶴念となし∵てを勧奨する駅家王我の道徳
                                        レ
を以て偏狭国柄なりと†。彼等は歴牢曙見ること、姐家主我者流の如く衝かく重からす、され
ば歴史によりて結成せられたる文物は、必すしも隣艮性情の中に淡くペからざる根栴あるを信
ぜす、憶つて是の如き文物にして、彼等の理想とする所に逢ふものは、外来一時∽勢力により
て容易に埼正し、又は打破することを得ペく、且つ是町如き矯正もしくは打破は、必すしも組
民性情の満草ぜ懐くるものに非ざるを信すっ白兎の弘に於ても世界王蕎は全く日空壷と正反射
の王張々対するものと謂ふペし∂






是のこ義の異同、略壷の如し。憮に川南者の雷以て名琴上に苧すとなすものあれど
も、そは類同の一両を見たるのみ、驚践の倫理問陰に関しては、両者は常然渦中ふペき理巾を
有するもの也0顧みれば維新このかた享十一年開の閲艮M蒜伽吸は、所詮是の雨者の碩碩消長に
外ならざりき。殊に最近の過去一年に於て牢駄の最も分明となれる々見ろ。是れ明治三十一年
                     な′■
の思想キ瞥見するに先ち、特に従来の思潮井びに日本王我と恍界王手との綱領を明にしたる所
以なり0

      巧 明治三十一年に於ける二重義の滑長

 山度び教育勅語に頓押し、再び教育宗教衝突論に挫折し、三度び日活戦中以後に於ける随民
                                        たか
滞納の勃興によりて大打撃を被れる世界‡事は、明治三十一年に入りて漸く反動の気勢を長め
来れ巾。一正一反の常理.むしろ自然の超勢とや音はまし。そはすペての物、其の昌柴の極み
             な
に適すれば、人これに抑れて漸く其の徳を感ぜす、却て其の快庖を自覚し初むればなり。図家
主義、今や累年の積弊に乗じて縦拭無整に思想界を揉踊したりしかば、其の主張或は中正を離
るるあるを免れす、弦に漸く一部人心の不満を招き、邁に世界主義者流の反動を誘致するに到
れり、是れはた勢なわと謂ふペし。

 ことレ                       土
 是年の一月、楷界王撃ぞ以て目せられたる西園寺侯は文相S椅子に憑れり。侯が国民新約の
                              きすが
記希に語りて、フロ木の文明は西洋流ならざろペからざるkぜ公言せしは、流石に時勢に侍りた
ればにや、其の蟹曾同からざりしかど、一国の文相が畢攻上の意見としては、髄に冊界王手者流
の耳には野に呼ペる人の蟹とも聞えしなるペし。基督教の難読「世界の日本」の一記者等は、
察谷の悪者として是を讃美せり∧}彿蘭西の一倍侶は、「世界王‡と日本王‡」と絃する一筋子を
                                       なん
公にして」日本某義拘束‡‡の偏狭なる々駁撃せり。偶数と耶ポ教とは同舟難に琴フて県越も
         レかふ ハ≠ら
其怨みを忘るるの攣に傲ひ・紳学ぜ味方とする日本王‡に射して攻守同翠ゼ作りたり。無節操
なる同民新附の如せは・しばしば駅家王頚の頑挙ぜ呼ばはりたり。教育報触記者は「日本主義
と岬界某頚−と檻し、日水玉頚の偏執l宝柵じて『感情によりて立てる極増設』なりとせり。他
                                                        ニ)
界王‡王張者ならざる一部の思想家にも亦反射の想見を公にするものあり。杜郡水城の如きは、
『明治思想の嬰遷』を「.日本」紙上に論じ、日本‡我々以て時勢を知らすとなし、『十年前の閲
      て ザんニl)
粋王寺の観然たる躇現に過ぎす』と彗看せりり耶蘇教の常淡々以て日せらるる人々は「新桝紀T
と名くる一弊誌を発刊し、主輩小崎弘道氏は其の初甥に於て『若し吾人にして泰世の政治王養
を執らむか、常人は併せて共の宗教王‡(即ち肘界蓋彗・ぜも執らざるべからす』と公言せり。
凡そ是等の事曹は、明治三十一年の後半期に於て、岬界王寺的思想の鬱勃として再び興り来仁









むとすろの徽なりき0
                        も−・く
 されど如上S・反動は、大勢に於て素より言ふに足らす、融合は伐然として図豪王者に謳歌せ
                               −】
り。されど偶然なる政治上の事変よりして、一時是の王客の任地を顕倒せしめたるは、三十一
年に於ける思想史上の一大事蜜として特に大審し近くペきなり。政治上の事変とは、音ふまで
もなく七月に起りたる所謂る政篤円閣の樹立みニニふ〇

      王 政纂内閣と閲民思想

 所謂る政浣円閑の樹立が国民思想に及ぼしたろ慰響として見ろペきもの、一にして足らざれ
ども、所詮は世界壬我∽演張に凝りっ是れよで仲界某我は言論の上にこそ唱へられたれ、未だ
曾て政治上の勢力によりて扶育せられたる事なし。一西脚寺候ありしと維も、二十年来凶家宝
巷によりて結成せられたる教育靴曾をば如何ともする無かわきJ基督軟骨井に宗教畢校は、冊
                 つく
界王養の驚行の筑に多少∽カキ澄したりと雄も、日本王我が閥家教育にょりて鼓吹せらるるに
                          かな           々b′ヽ
比すべく−らあらす。佃界王‡の無勢カは、薫より閥民性情に栴はざるにも由るべしと雄も、抑l
そが政治、教育∽上に何等の根純なき丁とも亦英一重囲なりしなり。されば所謂る改宗門閥の
                                   ′ヽ一b
槻文は、是の王寺の宣備にとりて古市の援兵にも校ぷペかりき。

                                        一
 議院に多数を占むる改革が円閤を組織すとは、取りも亙さす政治上の勢力が人民の手に移り
キゎの謂なり○我か同鰹か兆してか、る意味に於ての政篤内閣を容れ得ペきや否やは弦に諭す
                      〓)
るまでも賭けれども、常時伊穣侯に代りて内閣を組織したる怒政簸の多くの政治家は.苧違
      いf
の如き謬見を懐きしなり0されば彼等は君王の信認々形式上の事なりとし、議院に多数々占む
る改装には、即ち時の内閣一ゼ組織するの資力あのと思惟したりし也。『内閣は悪政篤の出店なり』
と竺ロするを侍らざりし忘耶の政治家が、英青利流の民主政治を以て我邦に擬せしは寧ろ明白
なる事撃仏りとす8か、る大謬見の上に悪政鴬の円制は電にも角にも組織せられたり。綾等は
           ニ〓
ニ十年兆夢想したる彼等の衆何有郷が山胡偶然にして驚現せられたるに独尊し、英彿流の突飛
なる思想より日覚めて囲賠的性を熟考すペかりし時捜なるをも妨へす、忌悍なく是の大謬見を
首藤せり0柁等の言は最早や霊山にあらすして事驚なり、而かも是の事嘗たるや、一団政樵の
上に硯はれたる最縞の事宰仏り。泄界王手はか、る目前の大援に合して如何ばかり準山々撃っ
したるペき0さ誉貫に鬱勃たる菜慣の偶掛り経き折柄なれば、反動の気勢はさながら撃ゼ映
したらむ如く、薄々然として融合に鍾俊せり。
 悪政準申の慧這英国流∽民政主義にあり○彼等は陛下の御信任にょりて其の内閑々組織し
ながら、却て、それ々多数人民の意志を代表せろ政篤の常然の横利なりとの様に思惟したりき。










 民政王‡は印ち個人‡滋なり。個人‡我なるが故に、君主は蜘豪の去械に非すして代表者なり
 と思惟せらる。民政※我は非常去政慣なり。非常‡政性なるが故に、君王は圃樺の本性なれど
 も行川の械なしと思惟せらる。かく観衆れば民政去‡ば鞋充用謂る三権分立を理想とするもの
 也。如上の怒味に於ての民政よ頚か、到底我が同値姐性と州容れざることは問はすして明なる
 ペし。されば政賎以外の融禽は、一致して是れに反射せしか、他界王識者流のみ狩り口々極め
 て‖延れに謳歌し、帝閥教育曾の席上に於て、公然勅語椅同の希望々演説せしものすらありき。
 ‖延∽帖のくりなき一個∽事蜜は、民政壬‡とは惜との関搾に就いて口M後の断案を促しぬ。モ
 は他にあらす、時の文剤尾崎行雄氏がなしd所謂る北ハ和演詮‖むれなり。所謂る共和演説をなし
し鳩崎氏の心事は、今更是れ▲付問ふの要なかるべし。もし是をして平時にあらしめば、是の如
   ヽりγら
きは有勝なる填紺の失言のみ、索より深く歯牙に憑くるに足らざるなり。而かも耽論が是の改
印の失言を捉へて窮迫して侶倍する研なく.事の結果をして尾崎氏の退官と志政賎円他の瓦解
 に終らしめたるは、又以て突飛なろ民政論に射する反抗の気勢の、如何ばかり常時の融合に充
満ゼしか奇想像するに足らむか。北ハ和演訣は畢寛民政王我と同性との関係問題々呆出し、国民
をして十分是れを考質し、解滞するの横合な得せしめしものなり。尾崎氏∽退官と悪政鴬門閥
                        lりら
 の瓦砕とは、即ち是の解繹が事蜃の上に著はれたるものと見るを得ペけむか。されば吾人は、

                               一
撃か国民、殊に幼蹄なる政篤者流をして・我が囲慣の概念纂州切に魯得せしむるS横合々作り
たろ壷に於て、共和演詮の大富慣値を認めむと欲する宕。 ≡
さはれ、尾崎氏∽退官と・是れに績いて起りたる坪謂る攻篤内閣の瓦解とは、所詮民主思想
の敗北表せるものに外写らざりき0世界王手者流の落脈如何ばかり誉りしぞ0事の璧沖にか
               きすが ちか
かはるもの、彼等の無琴ぜ以てしても流石に明ら至蔓呂ひ表はし得ざりけむ、警蜃喩によ
りて度に其の史慣を漏らすも与、今日に到るも鏑ほ準貪っ共設の詭故に写るや、往芸人を
して∵茅公宰ぞ具するなきやを疑はしむるもの無きにあらす0例へば某新榊竺詑彗〜、還
家は表に於て明に人民の爵に要す、整エも亦位に其議に於て人民と共に蜘家てふ械抑鰹
与志蒜分空写もの也−缶と逆ペて、民政王者∽眞撃ぜ説き、若しくは某彗註者が英切の例
を引きて我が国鰹に比擬し、妄皇は君臨して治めザ』の妻芸以て、立志新玉軟性の足利なり
と論ぜしが如き、何れか民政王手の失敗に射する、世空事モ欝盈椚の激語に彗言ペき。
                     なんす
然れども大勢の赴くところ、区あ反誓た伺革るあぞ、一団家王攣か鵡↑こして融合の嘗勢
            一qと
カキ把持すること故の如し。

      六 結 論





        .….】】.■一..渕酎酌削削剛削別椚酎m



 日至義と肘界王護との消長として見たる過去二年の閲民思和議ほご疋の如し、されば今後
の思潮を如何にすペきか、一触曾の串は代人の意志の活動より成る.よろづ自然の緩行に委ね去
らむは、やがて人類白山の音志を故郷し去れる一hのなり。
                やヽ
 拘束王養に反射するものは、動もすれば言ふ、『吾等は閥家珂鰹の諾々榊き飽きたり、日本観
代にして、其固を愛せサ、其君に忠ならざるもの河鹿にかあるペき」と。果して然る乎っ惟ふ
に是の如きは未だ歯家主彗細者の盈とする所々解せざるには非ざるか0吾人を以て見れば、盟
友王寺は、是れまでよりも蔑盾の熱心を以て詮かれざるペからす○開き飽きたるものをして欲
するがま、に開き飽かしめよ。碓が歯民の隣家的将帥にして、未だ覚醒せられざるもの鏑ほ甚
だ多き以上は、組家主我論者は.是等の昧者の日登むるまで、撃ゼ限に叫ばざるべからす0我
が姐家は、今日是の如き昧者の銭に.如何ばかり苦められつ、あるか〇
 吾人をして事学芸和らしめよ○融合は公共心乏しき民衆によりて如何に苦みつ、ありやを思
へ。公汲フ槻木だに瞥賀の濫硯あらざれば保護し難きに非すや0人は己れあるを知りて他ある
                   ため な
を知らサ、況や閉あるをや○慈善は品名の儀に潰さる、自己の名⊥霊阿く標傍せらるるに非ざれ
                             ▼−▲−
ば、表の寄附にだも應ぜすと云ふ。彗圃家事ある時・位欝誘ふ娼はす勤革勧むるにカなく
ば、何によりてか団民の幸男心を凝舞すペき。革術界は閲家的観念なき聾者の多きが演に殆ど

                                         すゑ
死相を現ぜむとす、泄利固纂と潰す所なくして如何に自ら高ぷるとも、所詮は死拳のみ。柑未
               〓)
にして串多し、観民荷終に疲弊せる今日、珂家共の賓を舶ちて教育に力む、固家と路す錐きも
の々巻ふの謂れやある..是の際、笹者にして大に拘束的粕帥を振作する無くむば、所詮は舵畢
者のみっ文拳は珂家的観念に乏しき詩人小説家によりて衰新∽極みに陥れり。国民の欲求は竃
                                                             ●一フ
も蹄みられサ、彼等は詩人、小訟家の私有私念を附かせらるるに倦み果てぬ。瑞霧界の慰籍を
輿へむもの、今や共の人甚だ乏しきなり。団家的純朴の政治界に乏しきや、政府も改革ら議員
も選擬人も、目指す所は唯く私利あるのみ、政治豪の其の筋を安るは猫ほ鈍}希の其の撃ゼ挙句か
如し。個人壬我々唱へたるもの、何時しか珂豪壬我に変じ、平民主義を訟きたるもの、忽ちに
して滞悶の奴隷となり、超然王番の本尊にして悪法山・止をさへ唱へたるもの、其の郡合の露に
 い つ
は何時にても攻親と墟携するを滞らす。改装の進退は一に窺略に出で、袈員の左右も亦私利に
ホく。目的は手投を料餅すとは恐らく彼等の金科玉保とする所なるペしっされば手段としては
賂言を忌まサ、偽善を作らサ、而して其の目的や私利のみ、野心のA′。小心粕独学レて肝膿相
野hすと揚言し.陰に南端を挿して慎重の態度と栴す。同家の公職を以て自紫の爪牙となし、
若しくは逆襲の利詫を慮りて正理を柾属するが如き、彼等が日常の行路也J而して己れ悔いす、
人努めず、詐諾々以て機敏となし、構隅々以て政略となす、蕩々然として百鬼稗行の布様なり。











                            モレり
是の時、誠意を以て同孝三ラでものあるも、徒に迂偶の準ぞ貫はむのみ0
 閥豪的観念に乏しきものは狩り政肘、改装、篤員、議員のみならす・蜜に全錮の選挙人、商
工業家、概ね琴bざるは推し。試みに地租埠徴集に反射し−若しくは賢成せるものに鋭よJ反
射せるものは農民地主にして、質成せるものは商工業者なるは費サらすや○農民の反射せるは、
地租檜徴が産接に彼等に不利なればなり、商工業帝が賛成せるは、彼等に有金なればなり0あ
はれ是の開に何の闘豪的督義ありて存せりや0国家が地租檜徴の案を立てたるは、軍備放浪て
′竺同家的事業の寧仏わ、之を賛否する者は即て自家の利害より打外し挙Q、一あはれ姐民と閲家
との関係は是の如くにして鳳満なるを得ペしとするか。落人は一朝有事の日に際せば−かくの
如き民衆の甚だ積み少かるペき官費へすむばあらざるなりGか、る民衆の逆襲せる議員等も亦
               〓)
偏へこ選畢匠の利率ゼ先にして閥家全性の休域を慮らす・黎売選舜人の歌心を貫はむが銭には、
如何孝心ものをも犠牲となすを避けざるなり。吾人はT旦誓言るの時、か、る議員も亦同家
                                                         ・■−■・∈
の虜に甚だ心細きものなるを思ふなりっ選壌人となり、被選挙人となる、一地方の利害素より
関心サるを要すと雄も、是を統率する所の闘家的精紳を快如せば、議院は最早や閥家的の議院
                九なが
に非ざらむ。局に革Qものの迷ふは強ちに恕すべからざるに非ざるも、閥民を拳けて倍として
怪訝するある無し。吾人はか−る圃民の亦等しく頼もしからざらむを費ふるな.り0

 是の如き事例は社合に充ち満ちたり、融合人民の大々多数の団豪的観念は、偽ほ未だ概醍せ
られざるなり。吾人は撹醍せられすと云ふ、そは我が国民が先天的に小山君愛国の情緒に富める
ことは、吾人が組民の名容によりて固く信認する所なればなむ。誰か人他の書なるを以て、敬
                                                   二)
青々要せすと謂ふ・らのあらむ、さらば何ぞ濁り団豪王手論庸の昔々以て賓撃仏りと謂ふや。吾
                                        わす
人の見る研によれば、日活戦牢このかた、国家主事は名のみ唱へられて、官はむしろ止琴bれた
                                   もTレ
りっ教育者は倫理の時間に勅語徳名を誇サるを以て隣家主事の道徳を訓へたりと心得、教育の
全系々包有的に統率する所以な知らす。政論豪の観象を言ふものは.固性珂鰹の観察に本かす、
外邦の戌見を慣山水り、時に鰭ひて機宜の粁を弄ぷもの多し、其設に根栴の軟くペからざるな
く、系統の貫ける無し。固随なる開腹論者は世界の大勢に疎くして、其読や保守に過ぎたり。
是の際、高上の理想に本き、正大の見地に嫁り、中正不偏ハ仏る圃家王手の嘩昔々遍く海内に宣
                                       ほか
侵し、以て国民精帥の統丁ゼ大成せむは、濁り囲内民人の利編の窺∽みならサ、外世界に面し
てl圃の光柴を鴇燻すろに於て最大急務ならサとせむや。吾人は我国の前途に於て、国家主義
                         ニl)
論者の働くペき事業の、逢に前日に償雀せるものあるを認む。
                                     (l二十二年一月)