大 義   杉本五郎  平凡社 1938刊

 

序文

中佐は曩に大命を拝し今次事変の聖戦に向ふや、緒戦より之に参加し、長城山岳戦料子台の戦闘を始めとして北支各地に転戦、到る処偉勲を樹て「死之中隊」として名声を博し果敢勇猛を謳はれ、長駆敵を追うて山西省に入るや、山西の要衝蔚閣山高地の攻略に於て常に陣頭に立ちて肉弾以て敵陣に突入し、勇戦奮闘遂に北支の華と散る。
中佐は突撃敢行直前、敵前数十米の地点に於て、子孫の為に遺訓を書き遺して曰く「汝吾ヲ見ント要セバ尊皇ニ生キヨ。尊皇ノアル処常ニ吾在リ」と、中佐にして始めて此の言あり、尊皇に生きて遂に尊皇に忠死す、宜なる哉。「大義ノ章」は其緒言にある如く子孫の為に書き遺したるもの、悲願二百章の遺稿を志し出征半歳前に稿を起し、出陣するや兵馬倥偬の間依然之を続稿しありたるものとす。
惜むべし遂に中途二十章にして絶後す。然れども中佐の全精神既に稿に溢れ、其透徹したる誠忠の大信念、澄み切つた其心境は溌剌として全章に躍動す。是れ血と肉とを以て綴れる大文章にして悉く尊皇に溢れ大義に漲る、真に活教訓として永く世道人心を作興せしめ、国民覚醒の一大警鐘と謂ふも過言にあらざるべし。則ち一家の家宝として私蔵するを許さず、茲に河野氏に依り上梓して江湖に頒つ所以なりと謂ふ。
中佐は資性極めて純真淡泊且つ剛毅の士にして、決して現今通俗に唱へらるゝ右翼者流に非ずして、尊皇絶対を基調とする公正なる思想の抱懐者なり。而して中佐は一身の安固栄達を望まず、凡て大義に依りて一身を律し、果敢断行気力絶倫にして凝つては百錬の鉄と為り鋭利をも断つべしの意気に燃え、全身是れ膽、常々皇國の前途を憂ふること洵に深く、殉皇の大義を信奉し、終始一貫誠忠を実践し閲年大義の為に心身を砕き、毎に楠公父子を究め只管楠公の大精神を信条と為し、日夜研鑚修養怠るなく、早くより禅道を極め、又剣道の真髄に達し、所謂剣禅一如の境地に到達し、言動一致の快男子として衆より畏敬せられ、部下の訓育に当りては悉く殉皇大義より発せざるはなく、当に其正気天地に満ち何事も焼き尽さゞれば熄まざるの気概を以て文字通り一切を超脱して、真に滅私奉公の範を垂れたり。
殊に中佐最後の心境は純忠無雑にして、常断両頭を裁断せば一剣天に倚つて寒しの悟道に透徹したるものと謂はざるべからず。
不肖公私十年間の知己として茲に生前の人格武徳、特に純忠義烈鬼神をも哭かしむる其壮烈なる戦死を偲び、英霊に対し謹みて衷心敬弔の意を表し以て序となす。

  昭和十三年三月十日

                   陸軍記念日      石 田 義 顕

 



噫軍神杉本中佐

純忠玉の如く、心神に通ず。闇を突いて攀登す、死の中隊。

     大皇の醜の御楯といふものに
           かゝるものぞと進め真前に

事前の訓戒粛として肝に刻む、奮然隊を提げて陣頭に起てば、神将杉氏の下、神兵有り、殉皇の一団敵塁を屠る。胡弾は四彩し、君は絶後せり、聖骸は尚進む塁中の奇、直立恭しく東方を拝し復動かず。暁天の旭旗頃(このこ)ろ漸く明かなり。満身の熱血高峯に灑ぎ、浮雲長城に飛んで巫山尚遥かなり。
神州の聖姿を顕現せんと欲し、閲年心を砕く維新の業。奇傑の丹心人知るや否や、満腔の憂憤誰に向つてか述べん。

 汝、我を見んと要せば、尊皇に生きよ、我は尊皇精神のある処常に在り。尊皇の有る処、君常に在り、忠魂永久に皇基を護らん。

    昭和十二年十月十日

                           常 岡 瀧 雄


 

 

発刊に際して

大義の各章は、歩兵第○○聯隊第○中隊長杉本五郎中佐(当時大佐)が、部下青年将校指導指導のために綴られたものであるが、同時に又、これが、子孫乃至は後世青年への遺言書であることは、その緒言に依つて明かである。首章より第四章までは、昭和十一年八月廿五日に書き上げられ、其の後、一章乃至数章宛を書き綴つては、青年将校の指導に当てゝをられたのである。かくして第十六章まで書き進められた時、会々今次事変勃発し、昭和十二年八月一日、中佐も愈々出征されることゝなつた。中佐出征の際、常岡大尉は、陣中にあつても大義の章を書き続けることを懇々中佐に奨められ、中佐、亦、生のある限り必ず書き続けることを誓はれて、勇躍征途に就かれ、途中少位に進級、中隊長の儘、戦線に向はれたのであつた。其の後一ヶ月余、中佐よりは杳として何の便もなかつたが、九月十四日の朝、九月六日附の部厚の二通の封書が、編者の手元に届けられた。蓋し、常岡大尉出征の場合を慮られて、編者宛送られたものと思はれる。開封して見ると、一通には第十七章第十八章、他の一通には節十九章第二十章が、夫々封入してあつた。而して次の如き手紙が添へてあつた。

 拝啓愈々捨身の時機到来と存じ居り候。(中略)神武天皇御東征に比すれば極めて容易のこと、 皇國のため奮闘進兵の決意に候。只今午前二時三十五分出発迄に二時間有之候。文意整はず何卒御推察の程願上侯。生前の御指教厚く厚く御礼申上候。吾が児等又復御厄介と相成ることゝ存じ居り候。先生御健体愈々御自重御奮闘の程遥に懇望其事に御座候。紙もなきまゝに支那人のものに書き流したる次第に御座候。敬白

    九月六日午前二時四十五分 
                                                                 杉本五郎九拝

中佐の戦死の報を得たのは、それから五六日の後であつたが、思へば、九月十四日丁度中佐戦死の当日にこの遺稿が編者の手元に到着したのも奇しき因緑である。
中佐が大義四章を書き綴られたのは、長城線の戦が終り、部隊が懐来城内に暫く滞在してゐた時であつた。当時中隊長として種々軍務に忙殺されて居られたにかゝはらず、十七章以下四章を書き綴られたことは、如何に中佐が大義の至誠に燃えて居られたかと云ふことを物語るものである。当時親しく中佐の身辺にあつた岩村少尉・上田准尉及当番兵前川一等兵の直話に依れば、大義の章を書かれるのは、大抵皆が寝静つてからであつて、いつも午前一時・三時頃迄かゝつて書いて居られたと云ふことである。而して、これを書かれる時は、既に戦死を決意して居られ、従つて全くの遺書として書き綴られたものなることは、前記の書翰及び第二十章死生観の最後の橘曙覧先生の歌に依つて明白である。大義二十章は実にかくして出来上つたものである。
緒言は、出征前に令息への遺書として書いて置かれたものであるが、その緒言中にもある如く、中佐は、大義に透徹せんがために我執を去る手段として、禅道を選ばれた。中佐の禅は、禅のための禅ではなく、飽く迄殉皇精神鍛錬のため禅であり、大義に透徹せんとして我執を去るための禅であつた。されば、大義の章の中に多く禅語があり、仏教的言句のあるを以て、直ちに中佐の思想未だ日本精神に純粋ならずと為すものあらんか、そは々たる蛤的神道者流か、若くは偏狭なる日本主義者と云はねばならぬ。大義の章の一言一句は、実に生命がけの修行に依つて悟得された殉皇大義の誠心より迸り出でたるものであり、しかも其の言を更に実践躬行、死の瞬間まで行(ぎやう)し続けられたものである。其の点、世の徒に言説のみ巧にして、実得実行なき軽信慢心輩の日本精神の書物などとは凡そ根本からその類を異にするものである。読者諸賢、徒に中佐の偉徳を称することを止めよ。中佐の英霊が無窮に皇基を護ると云ふことは、決して単なる観念ではない。そは、中佐の精神を継承し、中佐の精神を実現して行く者が、永久に絶えない事実の謂ひである。されば、自ら殉皇の行を行することなくして、徒に中佐の徳を称へても、それはむしろ中佐を冒涜するほかならない。くどいようではあるが、大義の章を公刊するのは、中佐を譛めて貰ふためではない。中佐の如き殉皇の大士の続々として出で来らんことを冀ふほか何物もないのである。

               昭和十三年二月十一日         編 者 識



杉本中佐略歴

一、
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一、

明治
明治
大正
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
昭和
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
同 
  
同 
同 
同 
同 
同 
  
  
同 
  

三三年
四〇年
 二年
 二年
 七年
 七年
 八年
一〇年
一〇年
一〇年
一〇年
一二年
一二年
一三年
一三年
 三年
 四年
 五年
 六年
 六年
 六年
 六年
 六年
 六年
 六年
 六年
 七年
 九年
 九年
 九年
    
一○年
一二年
一二年
一二年
一二年
    
    
一二年
    

 五月二五日
 四月 一日
 三月二五日
 四月 一日
 三月一八日
一二月 一日
一二月 一日
 七月二七日
 八月 一日
一○月二六日
一一月二一日
 三月 九日
 七月一六日
一〇月三〇日
一二月一五日
一一月一六日
 九月 五日
 二月 一日
 四月 一日
 五月一二日
 八月 一日
 九月一五日
一二月一七日
一二月一九日
一二月二一日
一二月二六日
 七月一三日
 三月 一日
 三月 九日
 四月二九日
      
 三月 一日
 ○月 ○日
 八月 一日
 ○月 ○日
 九月一四日
      
      
一二月二六日
      

広島県安佐郡三篠町大字打越一ニ六四番地ノ三に生出
広島県天満小学校入校
同校尋常科卒業
広島県私立修道中学校入学
同校卒業
陸軍士官候補生として歩兵第十一聯隊に入隊
陸軍士官学校本科入校
同校本科卒業
見習士官を命ぜらる
任陸軍歩兵少尉、補歩兵第十一聯隊附
敍正八位
陸軍戸山学校入校
同校卒業
任陸軍歩兵中尉
敍従七位
大礼記念章授与
昭和三年支那事変に於ける勤労に依り金百円を賜ふ
敍正七位
陸軍科学研究所に入所
同所課程経了退所
任陸軍歩兵大尉、補歩兵第十一聯隊大隊副官
補歩兵第十一聯隊中隊長(第二中隊長)
第五師団臨時派遺隊編成下令
補第五師団臨時派遣隊第二大隊第八中隊長
宇品港出発
塘沽上陸、同日天津着
内地帰還の為天津出発、同日塘沽出発
授満洲国建国功労章及佩用允許
敍勲六等授瑞宝章(定期)
昭和六年乃至九年事変の功に依り敍勲五等授瑞宝章
 及金四百円を賜ふ同日授同事変従軍記章
敍従六位
動員下令
任陸軍歩兵少佐
長野部隊として宇品出発
山西省宛平県東西加斗閣山の戦闘に於て戦死、
 同日任陸軍歩兵中佐、同日敍正六位
 同日特旨により敍従五位(位一級追陞)
支那事変の功に依り功四級金鵄勲章並に年金五百円
及び勲四等旭日小綬賞を賜ふ


杉本中佐遺稿大義目録

 緒言
 第一章  天皇                    (23)
 第二章  道徳                    (26)
 第三章  「無」の自覚到達の大道         (29)
 第四章  神国の大理想               (31)
 第五章  皇道                    (36)
 第六章  解党                    (40)
 第七章  生活原則                 (44)
 第八章  七生滅賊                 (48)
 第九章  国防                    (51)
 第十章  第一等の人物              (59)
 第十一章  維新                   (68)
 第十二章  神勅                   (77)
 第十三章  信仰                   (96)
 第十四章  大命                   (106)
 第十五章  神社                   (128)
陣中遺稿
 第十七章  戦争                   (137)
 第十八章  皇國民の定義              (142)
 第十九章  行                    (146)
 第二十章  死生観                 (151)

 


     緒  言


吾児孫の以て依るべき大道を直指す。名利何んするものぞ、地位何物ぞ、断じて名聞利慾の奴となる勿れ。
士道、義より大なるはなく、義は 君臣を以て最大となす。出処進退総べて 大義を本とせよ。大義を以て胸間に掛在せずんば、児孫と称することを許さず。一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過すとも、専一に 大義を究明する底は、吾と相見報恩底の児孫なり。
孝たらんとせば、大義に透徹せよ。
大義に透徹せんと要せは、すべからく先ず深く禅教に入つて我執を去れ。もし根器堪えずんば、他の宗乗に依れ。戒むらくは宗域に止まつて奴となる勿れ。唯々我執を去るを専要とす。
次に願わくは、必死以て 大義擁護の後嗣を造れ。而してそは汝子孫に求むるを最良とし、縁なきも大乗根器の大士ならば次策とす。一箇忠烈に死して、後世をして憤起せしむるは止むを得ざるの下策と知れ。よろしく大乗的忠の権化、楠子を範とせよ。
歳々大義の滅し去ること、掌を指すよりも明白なり。汝ら 大義の章々を熟読体得し、協力一致、大義護持以て 皇國を富岳の安きに置き、
聖慮を安んじ奉れ。  至嘱々々

                 父  五 郎
   正 殿  外
        兄弟一統


 

大義



 

 

 

 

 

 

(一)仏説
須彌山上
ニ在ル天
ノ名
(二)天地
ト東西南
北トソノ
中間ノ方

 

 

 

(三)無我
ノ境地

   第 一 章 

     天  皇


天皇は 天照大御神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆 天皇に帰一せしむるための方便門なり。即ち 天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの、諸道諸学の最大使命なり。無なるが故に、宇宙悉く 天皇の顕現にして、大にしては上三十三天(一)、下奈落の極底を貫き、横に尽十万(二)に亘る姿となり、小にしては、森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根に喞(すだ)く虫の音も、そよと吹く春の小風も皆 天皇の顕現ならざるなし。
釈迦を信じ、「キリスト」を仰ぎ、孔子を尊ぶの迂愚を止めよ。宇宙一神、最高の真理具現者 天皇を仰信せよ。万古 天皇を仰げ。
日本臣民は自己の救済を目的とせずして、皇威伸張を目的とせざるべからず。勿論自己は 皇威に於て救はる。然れども救はれんがために 皇威伸張を念願するに非ず。 天皇の御前には自己は無なり。君民一如の自己尊きに非ず。自己に体現せられたる 天皇の尊きなり。
天皇への修養即ち忠は、飽く迄も 天皇それ自体のためならざるべからず。悉皆無所得々々々々々
(三)、 天皇は人生のためのものに非ず、人生、 天皇のためのものなり。大楠公の歌へる

  身のために君を思ふは二心
(ふたごころ)
     君のためには身をも思はじ

天皇は国家のためのものに非ず、国家は 天皇のためにあり。
此の大自覚は、世上的価値を倒換して、永遠悠久の 天皇に唯一最高の価値を認むる時、単純極めて明白に現れ来る。魂の救い永遠の幸福が究竟の目的ならば、 天皇は手段方便にして最高の存在に非ず。自己の学殖・職業乃至生活程度によりて、尊皇の程度に上下あらば、そは自己中心の人物なり。唯々身心を捨て果てゝ、更に何物をも望むことなく、只管に 天皇に帰一せよ。

 


    第 二 章

      道  徳


天皇の大御心に合ふ如く、「私」を去りて行為する、是れ日本人の道徳なり。 天皇の御意志・大御心とは如何なるものなりや。 御歴代皇祖皇宗の御詔勅、皆これ 大御心の発露に外ならず。別けて 明治天皇の教育勅語は、最も明白に示されたる 大御心の代表的なるものと拝察し奉る。換言すれば、 天皇の御意志は教育勅語に直截簡明に示されある故に、教育勅語の御精神に合う如く「私」を去りて行為すること、即ち日本人の道徳なり。而してこの御勅語の大精神は「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、個人道徳の完成に非ず。 天皇の御守護には、老若男女を問はず、貴賤貧富に拘らず、斉しく馳せ参じ、以て死を鴻毛の軽きに比すること、是れ即ち日本人道徳完成の道なり。 天皇の御為めに死すること、是れ即ち道徳完成なり。此の理を換言すれば、 天皇の御前には自己は「無」なりとの自覚なり。「無」なるが故に億兆は一体なり。 天皇と同心一体なるが故に、吾々の日々の生活行為は悉く 皇作 皇業となる。是れ日本人の道徳生活なり。而して日本人の道徳生活必須先決の条件は、「無」なりの自覚に到達することなり。

   橘曙覧先生歌

  大綱と天
(あま)つ日継(ひつぎ)を先づ取りて
       もろもろの目
(もく)をあむ国と知れ

 


   第 三 章

    「無」の自覚到達の大道


元来宗教・教育・芸術・武道・文学等凡官のもの悉く「無」に到るの道ならざるはなし。即ち寸毫も余す所なく「我」を捨て去る手段なり。無に到るの部分は此くの如く多種多様なるも、共通の根本道は唯一つ「人境不二」の道是れなり。換言すれば、境其物に成り切る境に没入一体化する無雑純一となること是れなり。時に日に月に此の訓練を重ねたる時、遂に人境共に無き無一物の境、否、無一物も亦なき絶対無の当体に到達すべし。

  真忠は忠を忘る、念々これ忠なるが故に (真忠忘忠念々是忠故)
  真孝は孝を忘る、念々これ孝なるが故に (真孝忘孝念々是孝故)

味わうべき此の一句。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一)仏ノ
悟リ

 

   第 四 章

      神国の大理想


「養正ノ心ヲ弘メ、六合ヲ兼ネテ都ヲ開キ、八紘ヲ一宇トナサン」の 神武天皇の大宣言、「四方ヲ経営シ万里ノ波涛ヲ拓開シテ、天下ヲ富岳ノ安キニ置カン」の 明治天皇の大信念、共に共に神国日本建立以来の大理想なり。山川草木悉皆靡々として靡かざるなき 聖天子の真姿顕現こそは、人類救済の根基なり。八紘一宇の大理想実現の前に、先ず国に 聖天子の真姿顕現を計らざるべからず。これなくして何の神国、何の人類救済ぞ。 天皇に帰命し奉れ。然れども万人悉く 天皇に帰一し奉ることの困難なることは、ここに蝶々を要せず。各方面における権威者・枢機参画者にして、君臣一体の実を把握しあらば(その体験に厚薄深浅はあれ)、燎原の火の如く国内に瀰漫すること、換言すれば、その程度に厚薄深浅はあれ、万人万古 天皇を仰ぎ奉るに到ること明白なり。
否々、大楠公の笠置山における「正成一人だに生きてありと聞召さば、聖運必ず開かるべしと思し召し候へ」と奏上せることを思へ。一人にて沢山なり。一人だに大透徹しあらば、心火により悉皆焼了し終らんのみ。身は是れ神国、心は是れ大御心、脚根下是れ高天原、神想具現に聖旗を進めん。
「四海ノ内誰カ朕ガ赤子ニアラザル」また「罪アラバ我ヲ咎メヨ天津神、民ハワガ身ノ生ミシ子ナレバ」の歴代 天皇絶対無限の大慈悲は「一切衆生成仏せずんば我正覚
(一)をとらじ」の法蔵菩薩の四十八の大誓願となつて現われ、将又十字架上における「キリスト」の贖罪の悲願となり、人類救済こそは、歴代 天皇の念願にして、肇国の大理想なり。
釈尊もキリストも孔子もソクラテスも 天皇の赤子なり。八紘一宇顕現の機関的存在なり。世界を救うて 天皇國となすこと実に 皇民の大使命なり。この聖戦途上鉄火に焼かるゝ何の恐るゝ所ぞ。元来 皇國に領土なし。現在の国土は 皇威の及べる地域のみ。
(或は曰く「四囲皆敵なり、内騒ぐ時に非ず」と。 天皇精神発動に依る戦争は領土拡張に非ず、人類救済なり。皇威を冒涜するもの内外共に敵賊なり、共に滅すべし。)
皇國元来無一物、人類各々その所を得て安穏なれば、 皇國皇民の大使命は終んぬるのみ。国各々真の平和を得て、永く其の慶を楽めば、 皇國の大理想は了したりといふべし。世界一家の達成は 天皇道に依るあるのみ。我國體こそは宇宙最高の道徳否宗教なり。世界を救い得る唯一無二の大真理なり。国号「日本」を三思せよ。「太陽」を国旗となす大信念を省察せよ。 天皇を「天津日嗣」と申し奉る、正に千省万思せよ。皇國の大理想自ら明かなるべし。

    橘曙覧先生歌

   一、 一日
(ひとひ)生きば一日(ひとひ)心を大皇(おほぎみ)
                 みためにつくす我が家のかぜ

   二、 大皇の勅
(みこと)にそむく奴等(やつこら)
                 首引き抜いて八
(や)つもてかへれ

   三、 大皇にそむける者は天地
(あめつち)
                 入れざる罪ぞ打つて粉
(こ)にせよ

   四、 国汚す奴
(やつこ)あらばと太刀(たち)抜いて
                 仇にもあらぬ壁に物いふ

            (昭和一一、八、二五)

 


   第 五 章

      皇  道


皇道とは 天皇の歩ませ給ふ大道なり。故に億兆共に歩むべき大道なり。至正至純は 天皇の実相にして、宇宙最高の大道なり。

 明治天皇御製

  浅緑澄み渡りたる大空の
     広きを己
(おの)が心ともがな

是れ正に天地と同根、万物と一体、至正至純なる 天皇の御姿なり。
この至正至純の大心より流露し来るものは

 明治天皇御宸翰の一節、

  「天下億兆一人モ其ノ所ヲ得ザルトキハ皆朕ガ罪ナレバ
   今日ノ事朕自ラ身骨ヲ労シ心志ヲ苦メ艱難ノ先二立チ」

との大慈悲なり。
至正至純なるが故に大慈悲なり。大慈悲なるが故に至正至純なり。
仏心とは大慈悲これなり。仏とは執着繋縛なきをいう。執着繋縛なきが故に「浅緑澄み渡りたる大空の広き」と同大にして大慈悲なり。大慈悲なき無執着無繋縛なるはなく、誠に至正至純は、宇宙の大と無限の慈とを兼ねたる宇宙最高の大道なり。世界指導の根本原理は実にこの天皇道なり。民また繋縛なく至正至純ならば 天皇と不二一体、君民一如なり。此の 天皇道こそ悉く以て依るべき大道に非ずや。人類救済の秘鍵に非ずや。唯一無二の避難所に非ずや。万古 天皇を仰ぎ、兆民相率いて驀直に 天皇道を進前せよ。怒涛襲いかゝるとも、鉄火に焼かるゝとも、万邦競い来るとも、莫妄想一途に 天皇道を直進せよ。是れ神国顕現の最良最短の直道なり。
世界の聖者説く所悉く是れ 天皇道なり。至正至純と純一無雑と混同する勿れ。北条高時に殉じたる八百人の家臣も、同仲時に殉じたる四百名も、将又北条義時に孝養を尽したる泰時も、将軍足利及徳川に殉じたる家臣も、乃至美濃部達吉・北一輝及其の学徒一党も、純一無雑の心境なる点に於て或は特筆すべきも、決して至正至純には非ず。純一無雑の大不忠なり。至正至純は 天皇なり。 天皇に殉ずるもののみ至正至純なり。即ち忠なり。即ち孝なり。


   第 六 章

        解  党

聖徳太子憲法第一条「和ヲ以テ貴シト為シ、忤(サカラ)フコト無キヲ宗ト為ス。人皆党アリ、亦達者(サトレルモノ)少ナシ。是ヲ以テ或ハ君父二順ハズ……」
実に人皆党あり、軍閥・政党・学閥・宗閥・財閥・無産閥・権閥乃至郷党あり。皆之れ党なり。各首領に従ひて党閥の拡張を之れ事として、殉皇の大義を滅却すること共に其の軌を一にす。
其の頭首を以て主体となす所、機関説と同罪なり。況や他国を模倣して 皇國を忘却する奴輩に至りては論外の一党にして、茲に引例するだに日本人として無限の屈辱を感ずれば除外す。
党あり、達者少なく、相争うて、皇國の安危を度外視す。誠に臣は君に、子は父に従はざること皆靡々として然らざるなし。最も解脱を旨となす宗教を見るに、開祖を中心となす党閥にして、開祖の命に千鈞を感じ是れに忤はざらんとし、各宗各派相争ふこと世間見るが如し。即ち解脱に非ずして開祖の奴隷なり。見よ、日夜仏前に経を読むことを知るも、 聖天子の詔を奉読奉戴するもの稀なり。尚以て宗教の日本化を高唱せんとするか。近時宗教家とし云へば、みな日本化を唱道す。然り而して 天皇陛下の尊像乃至名号を安置するもの極めて尠し。是れを以ても日本化は表面を糊塗せんとする一方便に過ぎず。日本人は己の子すら私すべからず。  陛下の赤子として育て教へざるべからず。門人或は弟子として赤子を私するのみならず、不逞の思想を流布せんとする学閥、多数以て 大権を(五字略)する政党、皇軍(十字略)皇民・皇士・皇財を私せんとする財閥、君と臣との間を閉塞せんとする権閥、多数を以て対立抗争を之事とし、引いては独裁せんとする無産閥、 皇國を自己郷族を以て私せんとする郷党、皆悉く、 聖天子の賊なり。速かに党を解け、而して 聖天子に帰一帰命せしむる為めの総べては方便門なりとの自覚に立ち返れ。
 大道は無門、千差路あり、
 この関を透得せば、乾坤に独歩せん、
乾坤独歩の大自在底の大丈夫児にして、始めて 君臣一如の当体を見得することを得るなり。大道は長安に通ずるも、長安に止まるべからず。更に竿頭離れ難き歩一歩を進めて、万古 天皇を仰げ。党は雲散霧消し去らんのみ。大丈夫憂うる所は 皇國の安危、撰ぶ所は、大義のみ。

    橘曙覧先生歌

  皇國の御ためをはかるはかに何
     することありて世の中に立つ

               (昭和一一、九、九)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一)先人のなしたあと

    第 七 章

        生活原則


君民一如は、永遠の平和を世界に確立すべき唯一無二の大原則なり。
一如的生活が人間の人間たる特質にして、世界人類が意識すると否とに拘らず、期せずして欲する所のものは、一如なり。一如を國體とせるもの、世界に於て我が日本のみ。
昭和三年十一月十日 御即位礼当日、 紫宸殿の御儀に於て賜りたる 勅語に
  「皇祖皇宗国ヲ建テ民ニ臨ムヤ、国ヲ以テ家ト為シ
   民ヲ視ルコト子ノ如シ。列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽ク、
   兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上二奉ジ、上下感孚シ君民体ヲ一ニス
   是レ我ガ國體ノ精華ニシテ当ニ天地ト竝ビ存スベキ所ナリ」

わが國體を其の儘に、親子一如、師弟一如、夫婦一如、労資一如、兄弟一如、自他一如、仏凡一如、神人一如、生死一如と顕現せば、娑婆即ち浄土なり。君民相剋の國體が其の儘に生活に具現せるが、諸外国殊に欧米諸国の対立闘争の社会なり。悲しむべし、此し相剋生活を常道なりとして、これを模倣せんとする徒横行し、一如の國體生活は破壊せられ、対立修羅の社会を此の 皇土に実現せり。
我見我慢を抱蔵して一如なし。あるものはただ対立闘争のみ。対立を緩和し、以て平和を得たりとせば、是れ単に一時的現象に過ぎず。一如を行
(ぎやう)するも、其が個人・一家将又一社会を出でざれは、国亡ぶることは世界興亡の跡歴然として吾人に物語る。亡びざる迄も國體の変革を招来せること先蹤(せんしょう)(一)べて是れなり。独り我が国のみ厳乎として万代揺ぎなきこと天地の如くなるは、唯々 君民一如を國體とせるが故なり。
看取せよ、君民一如は 大君に一体化することなり。 大御心を以て心となすことなり。断じて 君民共和に非ず、君民同和に非ず、君民共治に非ず。 大君に一元化することなり。茲に始めて天地と同根不動の國體生るゝなり。わが國體を深く省察して、之を日常の生活に具現する時、換言すれば、國體的生活を行する時、相剋相喰む修羅の社会は消滅し、人類の待望せる八紘一宇の大理想は燦乎として顕現せん。万古 天皇を仰ぎ奉れ、是れ人類浄化の最大原則なり。
 
    利
(くぼさ)[もうけ]のみむさぼる国に正しかる
           日嗣のゆゑをしめしたらなむ

 


   第 八 章

      七生滅賊


私利私慾に耽り、國體を無視する奴は、時の古今、洋の東西、国の内外を問はず、将又貴賤貧富を論ぜず、皆悉く 大御心に背ける賊なり、朝敵なり。然れども、忘れ易きは自己胸中の賊、実に平げ難きは自己心中の朝敵なり。聖賢悉く此の所に苦しむ。釈迦も孔子も今尚修業最中とは、実に此処を道破せるなり。
深く内省して胸中の賊を把握せよ。日夜心中を奔馳するものは強賊高氏にして、大楠公は常に戦死しつゝある悲しむべき胸奥を凝視せよ。
西哲いわく、「善人たらんとすれば、先ず悪人たるを知れ」と。即ち自ら悪事をなせりとの自省のみならず、悪人たることを知れとの意なり。汝自ら高氏なることを知れ、私利私慾の権化なることを知れ。

  大皇に背ける者は天地
(あめつち)
         入れざる罪ぞ打つて粉
(こ)にせよ

須く破邪顕正の剣を心奥の強賊に振ひ滅却せよ、打つて粉にせよ、躍如たる善人、真正日本人の姿は出現せん。然り而して

  一秒生きば一秒心を 大君に尽せ
  一日生きば一日心を 大君に尽せ

生れては忠孝の民となり、死しては国家の神となり一意 皇祚を護る。是れぞ日本人の真姿なるぞ。
付言す
「松影の暗きは月の光かな」
万古 天皇を仰ぎ奉るが故に心胸の賊を内省し得。
天皇を仰ぎ奉ることに依り、滅賊の大精神を発現し、破邪の利剣も振ひ得るなり。

  橘曙覧先生歌

    ますらをが朝廷
(みかど)思ひの忠実心(まめごころ)
          眼を血に染めて焼刃
(やいば)見澄(すま)

              (昭和一一、九、三〇)

 


   第 九 章

     国  防


普天の下、率土の浜、 皇臣皇土に非ざるなし。世界悉く 天皇の赤子にして、 天皇の国土なり。然るに何をか国防というや。論者曰く、「国防とは国家の独立及永昌を確保するの謂ひなり、即ち外敵の侵入及攻撃に対する国家の防衛、国策遂行に対する妨害の排除は勿論、海外に於ける利権の擁護等をも包含するものとす」と。世界通念としては、斯く論ずるも当然ならん。主権在民の国家ならば、かく論ずるを至当とせん。
天皇國日本は然らず。万邦無比の國體たる 皇國には、自ら万邦無比の国防真義なかるべからず。万邦無比ならば、正に無比なる大精神に生くること、是れ 皇國国防の基調なり。八紘は 天皇の所有なり。何をか国家の独立永昌といふや。
何故に、天壌無窮の 皇運扶翼といはざるや。外敵の侵入及攻撃に対する国家の防衛とは何んぞや。何故に、伏
(まつろ)わぬ朝敵、 皇道布施を妨害する賊徒を排撃すると謂はざるや。
太陽は万物を育成す。太陽を以て国旗となす、世界に君臨せらるべきは、天津日嗣の 天皇にお在しますことを歴々分明に表現す、肇国以来の大信念なり。
天皇は万国を修理固成し給ふ。然しながら 天皇は世界修理固成の機関に非ず。即ち 天皇は世界のためのものに非ず、世界こそ 天皇のために存するなり。どこ迄も主体は 天皇にお在します。尊皇は絶対なり。涅槃経に曰く、「五戒を受けざれども、正法を護ることをなさば、乃ち大乗と名づく。正法を護る者は応
(まさ)に刀剣器仗を執持すべし。刀仗を持つと雖も、我是等を説きて名けて持戒といはん」と。世界唯一最高の正法は正に
天皇にお在します。
挙世刀剣器仗を執持して
天皇を守護し奉るべし。是れ世界最高の持戒なり。最高の道徳宗教なり。これ 皇國国防の真義なり。
御鏡は 天照大御神の神体、祖宗の大霊、最高の正法なり。御剣・御玉は其の用なり。即ち 御玉は正法流通の大慈悲心以て伏
(まつろ)はしむるの用となり、 御剣は毀正謗法の伏はぬ輩を払拭するの用となるものなり。鏡なき玉用は正法に非ず、鏡なき剣用は覇道なり、玉なき剣用は暴なり、剣なき玉用は観念の遊戯なり。然して鏡は絶対なり。
御鏡を体となし、剣玉両用を兼備するもの、即ち大義を護持して 皇道の宣布に驀進し、八紘一宇を顕現するもの 皇國国防の真実義なり。
然るに今や世界を挙げて魔軍一体以て大義を侵犯せんとす。
皇旗を東方に凝視しつゝも百尺竿頭更に一歩を進め得ざる伊太利・独逸・(五字略)に聖手を与えよ。然り而して魔軍の統領(五字略)に対し驀直に降魔の正剣を彼の頭上に振へ。
此の遠慮なくんば 皇國破滅の近憂あらん。「正道を踏み国を以て斃るゝの精神なくんば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽侮を招き、好親却
(かへつ)て破れ、終には彼の制を受くるに至らん。国の凌辱せらるゝに当りては、縦令(たとひ)国を以て斃るゝとも、正道を踏み義を尽すは政府の本務なり」と。流石に大西郷の遺訓、屈従を以て国際協調と思惟する軽薄分子以て正に範となすべし。
天皇は救世主、皇國は挙げて其の使徒なり。天皇の、世界に名実共に君臨し給ふは、何れの日ぞ。世界をして「祖国日本」と呼ばしむるは、何れの年ぞ。幾度か死生の難関を突破し、幾十度か蒼竜の窟に下らざるべからざるか。将又幾十年を経るか、幾百年を経ざるべからざるか。天孫民族よ、此の辛酸苦修に堪へ得るの 皇覚ありや、日露戦は僅か二年なりしに、しかも戦争の惨禍国内に何ら及ぶ所なかりしに拘らず、既に非戦論澎湃として瀰漫せる当時を回顧せよ。又大正十二年関東大震災当時、治安維持に兵力五万を要したりしことを思ひ起せ。実参実悟なき空見識、何するものぞ。全日本臣民!! 皇國は正に興亡の岐路に起てり。一瞬の苟安を許さざる秋なるぞ。欧州大戦勃発当時の露独両国内の思想乱離の状態が、其の儘五年後に現はれ、亡滅・変革を来したることを深く慮れ。 皇國を滅するものは決して他に非ず、大義なき(五字略)なることを牢記せよ。皇國総べての機構悉く大義護持而して布伝の機関たらざるべからず。論者或は云はん、「皇道布施の足場を守るこそ国防なり」と。
天皇は国家のために存し給ふものに非ず、国家が 天皇の御為に存する日本國體なることを認識する時、足場の防衛は
天皇の御為にして、国防の本義は、実に
天皇御守護に存すること明々白々なり。太陽は火団なるが故に万物を育成す。使徒は自ら「万古 天皇を仰げ」の一句に身を焦がせ。然して 皇國自ら聖火団となれ。斯くして修理固成の大使命は達せらるゝなり。誠に 皇國国防の真骨頂は茲に存す。
故に 皇國の国防は「皇基を恢弘し、皇道を宣布し、朝敵の侵犯及攻撃を撃砕剪除するにあり」と謂ふべく、断じて機関説的外国模倣の国防観の存在を許さず。

 孝明天皇御製

  戈執りて守れ宮人九重の
     御階
(みはし)の桜風そよぐなり

 橘曙覧先生歌

   神国の神のをしへを千よろづの
      国にほどこせ神の国人

            (昭和一一、一〇、一六)

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一)自信のなきこと

 

   第 十 章

     第一等の人物

古今に其の理想人物を求むる時、年の長幼、性の区別を論ぜず、万人斉しく指すものは、高位に非ず、高官に非ず、蓄財に非ず、唯々事の大小に拘らず、道のために殉ぜし忠臣義士なり。殊に敬慕して暫くも止まざるものは、大義に殉ぜし忠烈の大士なりとす。然り而して殉皇忠烈の大士をして現世に蘇らしめなば如何、而かも万人敬拝して止まざる殉皇刹那の行持を現代に生かしめなば如何、時流に逆い、権勢と闘い、大義顕揚に驀進したる此等忠烈の大士は、正に当代随一の大危険人物と目せられんこと必せり。回顧せよ、如何に冷酷且薄幸の運命に飜弄せられたるか、如何に仇敵の如く追放・処断・迫害を受け、甚しきは九族滅殄
(めつてん)せられたるか。
誠に大楠公を以てして、尚且三百年間逆賊なり。「先覚憂世の士は、生きては刑戮
(けいりく)に遭ひ、死しては万人敬慕して神に祀る」と、古人はいみじくも道破しつるもの哉。時の古今、洋の東西を問はず、悉く然らずや。
凡庸に先つ数十百年、既に大義の衰亡を憤り、国の安危を慨し、憂憤難に赴きしもの、実に先覚憂世の大士なり。死して祀る程ならば、何ぞ生前其の言を用ひざる、其の行を学ばざる。其の言行を用ひることに依り、私利我慾の徒亡減して、極めて和平裡に 皇國は不断の進歩をなすに非ずや。
殉皇忠烈の大士は秩序の破壊者に非ず。
御神勅乃至 祖宗の神策を如実に成就せんとする所の穏健中正の士なり。
凡庸度し難き蛤的者流こそ、日新月進の 皇國の国是を阻まんとする奴輩なり。此の奴輩なかりせば、如何に 皇國は名実共に駸々たりしことか。
歴史は常に陰惨血腥き此の一事を繰返す。歴史こそは、一面、殉皇の大士と凡庸我慾の姦賊との戦の展開なりともいうべし。
看取せよ、三千年一日の如く、古も今も変ることなき姦賊の跳梁跋扈の様相を。
菩提樹下釈尊真性徹見の修業の其れの如く、無数の魔軍と闘い、 皇國解脱の一途に奮進するもの、実に殉皇先覚の大士なり。
然るに何事ぞ、今人、口に説けども、心常に大義を捨てゝ、一途に高位顕官たらずんば、財家を以て畢生の願望となし、自利・利己の極致を把行して洒々落々、百官亦聖賢の行履説話をなして賢者の風を形づくれども、実は大義を顧みざること土芥の如く、昼は名利に耽り、夜は愛着に酔う。外、持戒を表して大人の装をなせども、内、貪慾を抱いて常に密犯をなす。金的を得たるものは得々として他を顧みず、之を得ざるものは怏々として他を怨む。上下左右相剋相討の修羅の巷を現出し、挙世滔々紛騒乱離、手脚を下すに所全くなし。受け難きの人身を 皇國に受け、聞き難きの正法を今こゝに聞き、何すれぞ、殉皇清節の大士たらんとはせずして、
官位名利の奴隷に甘んぜんとする。何すれぞ、五十年の自己を築き上ぐるに汲々として、無窮なる 皇運扶翼の大道に、永遠に生くることを放擲する。キリストは「幸福なる哉、義のために責められたる者、天国はその人のものなり」と。げに大義に殉ずるものこそ永遠無窮の大生命に生くるものなることを千省万思せよ。
古往今来、宇宙を友とせる偉人・傑士・聖僧の死に臨むや、松風泉石の間名月を吟ずる如く、従容迫らず、凡庸慚死の一句を吐露して、浩然として逝く、正に万斛の清涼颯々として尽きず、俗凡者流の企て及ぶ所に非ず。
然れども生死超脱の辞世の句中、尊くも気高き最高の一句は、実に砲烟弾雨の中、無名戦士臨終最後の一叫
天皇陛下万歳」の聖声是れなり。
此の一句こそは、実に古今冠絶の如何なる英傑の辞世にも百千万倍勝りたるの聖句なり。此の無名戦士此の聖叫、此の心境乃至此の態度は、世界最高のものたらずんばあるべからず。然して尚此の無名聖士にも増してすぐれたる第一等の人物は
天皇陛下万歳を日夜自己生活に具現し奉行しつゝ神勅顕現成就に全身全力を傾倒しつゝある聖者なりとす
即ち天下第一等のこの聖者は
(一) 全智全能尊皇絶対そのものなり。従て
(二) 忠姦を峻別し得る明敏なる洞察力を発揮して時流を看破して 神勅のまにまに 神国を富岳の安きに置かんと欲して
(三) 天皇の外天下何物も恐れざる絶大なる断行力を発現し、一閃乱麻を断ち、以て
(四) 皇運を無窮に扶翼し、 皇業を四海に宣布し、八紘一宇の 神勅を此の土に建立せんとする組織的にて且高邁なる神識神慮を具有す。
尊皇は絶対なり、他の三者は自然に流露する作用なり。
吾人未だ尊皇に絶対なり得ざるが故に、洞察力を欠き、断行力に乏しく、高邁なる神慮湧出せず。真に此の四者を兼ね備へたる天下第一等の人物は、古今を通じ蓋し大楠公唯一人か。日夜只管殉皇の一途に驀直進前以て 尊皇絶対に近爾せんことを努めよ。洞察力に明敏を欠くも断行力旺盛なるあり、断行力乏しきも組織的なる識見を有するに至るもあり、かくして両三乃至百千一体となれば、大楠公近爾の人物たるに到るべし。
信不及
(一)なれば致方もなし、彼此相依りて第一等の人物たらんことを努めざるべからず。
冀はくは 皇國一体、此の聖者第一等の人物となりて、叡慮を安んじ奉らんことを。

 橘曙覧先生歌

   御ひかりを朝夕うくる御めぐみは
         身を粉にすともむくいえられじ

   天皇に背ける者は天地に
         いれざる罪ぞ打つて粉にせよ

             (昭和一一、十、二三)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一)至極の道、覚なり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(二)事理を決択すること

 

   第十一章

       維 新


維新は 神勅成就にあり、 皇謨顕現にあり、本来具有底の大義を明かにし、万古 天皇に帰一せしむるにあり。
一箪の食・一瓢の飲も、神食神飲なりと欽仰す、実に維新の実証なり。一個半個も此の人物を増し行く行為こそ維新なり。個身に明徳ある如く、国に明徳あり、之を 天皇と申し奉る。明徳を明かにするは修養の根基にして、心賊剪除の血闘を、永遠に続けざるべからず。明徳顕然たらば、姦悪其の影を没し、賊勢盛んなれば、忠臣其の跡を潜む。忠姦の死闘こそ修養、而して忠の勝ち行く聖姿こそ維新なり。即ち本来具有の正心に還り行くを向上と謂ふべく、之を維新と名づく。
一個の維新成れるを聖者とし、一国の維新成れるを 天皇國となす。
国憲・国法・文物・制度乃至百事悉く明徳具現の手段にして、賊心芟除の方便たらざるべからず。自己を善人なりと思惟乃至鼓吹するものに善人なく、反省なきものに修養なし。自己の欠陥を認むるか乃至自己は悪人なりと自覚する時、躍如して菩提心
(一)は生起し、向上進前寸歩を退かず、滅賊の力澎湃として全身に滾る。是れ維新の発起なり。
皇國の現況を以て十成底となすものありとせば、そは向上心なき増上慢の個人と斉しく、冒涜不敬之に過ぐるものなく、速やかに焚了し去るべき存在なり。
天皇一元化が 皇國の完成にして、茲に至る道程が修養即ち維新なり。維新は一時の現象に非ず。名利獲得の手段にも非ず。連綿不断なる捨身滅賊なり。子々孫々相伝へて実行し、寸暇も止むべからざる聖業なり。古往今来 皇國に於ける総べての戦争は、悉く維新到達の手段、殊に日清戦争・北清事変・日露戦役・世界大戦参加・満洲事変等の如きは、皇道布施の大業にして、中大兄皇子の入鹿誅戮・大楠公の高時高氏征伐・明治維新の幕府討滅と何等異るなき 皇謨顕現の維新なり。世上維新とし言えば、所謂国内的に考察するを例となすも、是れ國體を知らざるの痴論、伏
(まつろ)わぬ輩に対する膺懲が戦争なり、維新なり。境の内外は問う所に非ず、共に維新なり。風碧落を吹いて浮雲尽き、月青山に上る玉一団、雲尽きぬれば、元より空に有明の明徳は、本来の真姿を露呈し、大義は歴々分明となる。
大義に立脚して日進日新、明け行く空の如く、向上の一路進んで止まず、是れ維新成就の根本方策なり。
古殻を超出して一大復古をなすの秋に方りては、一大果断非常の人材を要す。是れ亦独裁人物の謂ひにあらずして、勤皇絶対第一等の人物を指すこと論を待たず。此の殉忠の大人物を廟堂に網羅して、翼賛の聖責に任ぜしめ、内を治むるに、 詔勅を大綱となして諸
(もろもろ)の目(もく)を編むを以てし、之を中外に施すを外交の大方針となし、以て内外打成一片、億兆一心、天壌無窮の 皇運扶翼に邁進すること、維新成就の秘法なり。捨身滅賊此の秘法を実行して止まざれば、軈(やが)て 天皇を主・師・親と仰ぎ、人類一和、兆民其の堵(と)に安んずるの 皇謨は実現成就し、維新は完成せらるゝなり。

    吾子には散れと教へて己れ先づ
           嵐に向ふ桜井の里

大楠公の偉大なる一に茲の所たり。「父なき後は必ず高氏の天下だ、其の節汝が自己の一身を全くせんと欲し、禍福を計較して利に嚮い、大義を忘れて我家多年の忠節を失い、以て彼に隷属し、我が祖先の名を辱め汚すが如き行為があつてはならぬ、我汝を此の世に留め置くは親子の情に伴
(ほだ)され、汝を不便(ふびん)に思つてのことに非ず、唯々 大君のために滅賊のために汝を残すのだ」と。挙世悉く魔賊たりとも、正道を踏んで不退転、最愛の吾子をも此の荊棘の難道を歩ましめんとする大楠公の大愛大悲、親子相伝以て朝敵を滅せんとす。而かも死に臨むや、七生滅賊を末期の一句となす。釈氏によれば、「罪業深き悪念に似たれども」と詳知しながら、敢て此の辞世の一句をものす。嗚呼、壮烈殉皇の義心、一点私心あるものゝ企て及ぶ所に非ず。楠公逝いて六百年、今何処にか其の生を受く、誰人か其の衣鉢を継ぐ。禅家に於ては、「其の嗣を得ざれば、如何なる聖者も堕地獄の罰を受く」と、其の嗣法を得ることは、大法護持のために斯くも厳乎として尊き極みとせられあり。古来兵法乃至芸道諸家の極意相伝亦然り。況んや無比の正法國體守護のために其の嗣を得ることは、最緊最要最重最大の事にして、嗣法の資に於て吾子を以て好適となせる正成公に学べ。身も心も譲り与ふべきは吾子なり。児の教育を他に全委すべからず。子を教ふることは親の努むべき喫緊の責務にして、大慈大悲大愛の至極なり。全力を傾尽して殉皇の大節を鍛錬伝授すべし。教育に従ふもの、又維新遂行の人物養成を以て念願とせよ。教育の尊厳全く茲にあり。若し其れ吾児にして其の嗣たるに適せざれば、青年乃至後世の士に此れを選ベ。「見(げん)(二)、師と等しくして師の半徳を減じ、見、師に過ぎて始めて譲るに堪へたり」、一世の智勇を傾倒して出藍の後嗣を作れ。正に七生滅賊の実行なり。斯くして始めて、天壌と共に窮りなく維新完成への一途を驀進し得るなり。然らずんば七生滅賊も空論なり。無窮の 皇運扶翼といふも勇ましき一時の空声・空念仏に終るのみ。上下一体 皇國は今やこの一箇の殉皇純忠の火団と化し、 天業を恢弘し、 皇道布施の世界維新に邁進せよ。少くも東亜の維新即ち 天皇を盟主とし奉る東亜の結成に奮進せよ。而して漂へる人類を救へ。一人を済へば一人の維新、十人を度すれは十人の維新、一国を救えば一国の維新なり。

 頼三樹三郎の刑死に遭うや

   わが罪は君が世思ふまごころの
          深からざりししるしなりけり

 平野二郎国臣

    今更にわが身惜しとは思はねど
           心にかかる君が世の末

 同

    山守とならんはかなき我が身かは
           世をなげきてぞ憂目をもみる

              (昭和一一、一二、五)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   第十二章

      神 勅

皇祖皇宗の賜へる 聖詔乃至聖言聖行は、総べて 神勅ならざるなきも、 天照大神の下し賜える 肇國の神勅は、実に世界の斉しく依るべき神典なることを宣言し、同時に國體の無比なる所以を明徴にせんとす。

    神 勅

  天照大神勅皇孫曰
  葦原千五百秋瑞穂国是吾子孫可王之地也宜爾皇孫就而治焉行矣
  宝祚之隆当与天壌無窮矣  (日本書紀)

   天照大神スメミマニ勅シテ曰ハク
   アシハラノチイホアキノミズホノ クニハコレアガウミノコノキミタルベキクニナリ
   ヨロシクイマシスメミマユキテシロシメセサキクマセ
   アマツヒツギノサカヘマサンコトマサニアメツチトキハマリナカルベシ


古事記にある所を要約すれば

 「天照大御神 太子
(ヒツギノミコ)天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
  詔
(ノ)リタマワク、今葦原ノ中国平(コトム)ケ訖(ヲ)ヌト白ス、
  カレ言依
(コトヨサ)シ賜ヘリシマニマニ降リマシテ知(シ)ロシメセ
  ト詔リタマイキ。
  天忍穂耳命ノ白
(マウ)シタマハク
  僕
(アレ)ハ降リナム装束(ヨソヒ)セシ間(ホド)ニ御子生(ア)レマシツ、
  御名ハ日子番能邇邇芸命
(ヒコホノニニギノミコト)
  コノ御子ヲ降スべシト白シタマヒキ。
  是ヲ以テ白シタマフ随
(マニマ)
  日子番能邇邇芸命ニ詔科
(ミコトオホ)セテ
  コノ豊葦原水穂国ハ汝
(ミマシ)知ラサン国ナリト言依(コトヨ)サシ給フ、
  カレ御命
(ミコト)ノ随(マニマ)ニ天降(アモ)リマス可シト詔リタマヒキ」

古語拾遺に記しあるところを要約すれば、

 「天祖
(アマツミオヤ)天照大神 高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)
  相
(トモニ)(ノリゴチ)テ曰(ノタマハ)ク、夫レ葦原ノ瑞穂国ハ
  吾ガ子孫
(ミコ)ノ王(キミ)タルべキノ地(クニ)ナリ。
  皇孫
(スメミマノミコト)(イ)デマシテ治(シロシメシ)(タマ)
  宝祚
(アマツヒツギ)ノ隆ナルコト当ニ天壌卜窮リ無カルべシ、
  即チ八咫鏡及草薙剣二種
(フタクサ)ノ神宝(カムダカラ)ヲ以テ、
  皇孫ニ授ケ賜ヒテ永ク天璽
(アマツシルシ)ト為ス、
  矛玉
(ホコタマ)(オノズカ)ラ従フ」

大日本は神国なり。 天祖始めて基を開き、日神長く統を伝え給ふ。大義天地を貫き、君臣の分炳乎として日星のごとし。
君無窮なれば、扶翼の臣また無窮ならざるべからず。七生滅賊以て 皇統を無窮に扶翼すべきはこの 神勅に瞭々明白に包含す。

    神 勅

   天照大神手持宝鏡授天忍穂耳尊而祝之曰
   吾児視宝鏡当猶視吾可与同床共殿以為斎鏡
   又勅曰
   以吾高天原所御斎庭之穂亦当御於吾児
                         (日本書紀古語拾遺)

     天照大神ミテニタカラノカガミヲ持チ、
     天忍穂耳尊ニ授ケテホギテノタマハク
     アガミコ此ノ宝ノ鏡ヲミマサンコトマサニ吾ヲ視マスガゴトク、
     トモニミユカヲ同ジクシミアラカヲヒトツニシ、
     以テイワヒノカガミトナスベシ
     又勅シテ曰ク
     吾ガ高天原ニキコシメスユニワノ穂イナホヲモチテマタマサニ
     ミマゴニマカセマツルベシ(日本書紀古語拾遺)


古事記の記述を要約すれば、

 「此ノ鏡ハ専
(モハ)ラ我(ア)ガ御魂(ミタマ)トシテ吾(ア)ガ御前(ミマヘ)
  拝
(イツ)クガゴト斎(イツ)キマツレ」

日夜 天照大神と御同座、誠に戒律の極致、無上信仰なり。 天照大神其の儘の御心に成らせられ、即ち 天皇は真に現人神として万民を統べさせ給ふ、祭政一致とは実にこの謂ひにして、これ神の政治なり。
借問す、大命を奉じ、閣班に列し、綱紀を紊乱して、平々洒々職を辞するも敢て死せず、而かも何事ぞ、再び政権を強奪せんと狂奔し、以て政治の常道なりとす。知らず、神域を犯すは何れの夷人ぞ。
現人神を中心に神集
(ツド)ひに集ひ、以て 皇運を無窮に扶翼する、是れ 皇國の政道なり。断じて私利私党の存在を許さざるなり。
無窮の 皇運扶翼を以て、教育の淵源となし給へる 大御心を深く拝し奉れ、 神勅顕現が教育の根源なることを銘記せよ。
殉皇は宝鏡に一元化する最高道徳にして、無上信仰なり。神化するの唯一道なり。
天照大神は復
(マ)た吾々に肉体を養うて行くべき道をも教へ給へり。斎庭之穂の神勅是れなり。日本書紀巻一に

 「天照大神喜びて曰く『是ノ物ハ則チ顕見蒼生
(ウツシキアオヒトグサ)
  食ヒテ活クヘキモノナリ』とのたまいて、乃ち粟・稗・麦・豆を以て
  陸田種子
(ハタツモノ)と為し、稲を以て水田種子(タナツモノ)と為す」

とあり、実に国民の生活を保証遊ばし給ひしがこの 神勅なり。
明治天皇の国威宣揚の御詔勅の中に

 「今般朝政一新ノ時ニ膺
(アタ)リ、天下億兆一モ其ノ所ヲ得ザルトキハ、
  皆朕ガ罪ナレバ」

と宣はせられたる 大御心、全く 天照大神の御精神、神勅に昭々乎たり。物心共に偏在し、浮浪の民あるは、神勅冒涜なり。国民斉しく恐懼慚死すべし、何の面目ありて 祖宗の神霊に相見せんとはする。
無比の國體も観念に終らんとするか、生活に具現せずして、何の國體明徴ぞ。心も身も悉く 天皇より賜はりたる恩賜品なり、仏前に茶菓浄膳を日夜に供御すれども、 天祖の御前に供御せざる忘恩の徒、正に罪科彌天)餓死せよ。「普天の下、率土の浜、皇臣皇土に非ざるなし」の一句、「一人の天下にして、万人の天下に非ざる」の意、共に共に此の 神勅に明白に拝察し得るなり。万邦無比の國體歴然として此の 神勅に顕はる。

    神 勅

 高皇産霊尊
(タカミムスビノミコト)(ヨリ)テ勅(ミコトノリ)シテ曰ク(古語拾遺ニハ天照大神勅セラレタルゴトク解セラル)

吾則起樹天津神籬及天津磐境当為吾孫奉斎矣、汝天児島根命・天太玉命宜持天津神籬降於葦原中国亦為吾孫奉斎焉 
                         (日本書紀巻巻二古語拾遺)

吾ハ則チアマツヒモロギオヨビアマツイハサカヲ起シタテテ、
当ニスメミマノ為ニイハヒ奉ルベシ、イマシアマツコヤネノミコト・アマノフトタマノミコトヨロシク天津神籬ヲタモチテ葦原中国ニ降リマシテ、亦吾孫ノ為メニイハヒ奉ルベシ (日本書紀巻巻二古語拾遺)



神籬
(ヒモロギ)とは霊籠木(ヒコモルキ)、霊の寵る木、神霊の鎮ります木といふ義にて、榊へ紙又は麻布などを附けたるものにして、神様が天降つて御宿り遊ばす木という義なり。
磐境
(イハサカ)とは祭場祭壇なり、神籬を安置せる所が磐境なり。従つて、神籬と磐境とは心と身、二にして一つ、不二一体なり。
心は是れ 天照大神、身は是れ高天原、心身一体、君国一元、君臣一如なり、滅我殉皇の大精神を以て 皇孫に帰一し奉れ、しかして「マツラン」「マツル」とは、「マツラフ」ことにして、大君に合一し奉ることなり。即ち天も地も挙げて 皇孫を寿
(ことほ)ぎ、天壌無窮の 皇運を扶翼せんこと、是れ此の 神勅の真実義なり。
神籬磐境の思想は不二一体の妙所を指針せるものにして、更に別言すれば、神籬は人、磐境は境、即ち人境不二の妙境、無我境を以て事に当り、以て 皇運を無窮に扶翼せよとの義なり。人境不二の妙境把握、決して容易の見をなす勿れ。 日神に於かれて尚且「同床共殿」の行事を励み給ふことを思へ。不二妙境の極致、況んや凡庸幾十百度か蒼龍の窟に下るの苦練を積め。行
(ぎょう)し難きを能く行し、忍び難きを能く忍び、以て鍛錬せざるべからず。軽信慢心の徒の能くする所に非ず。乞う更に第三章及第七章を看取せよ。
然り而して、三つの 神勅を綜合謹察するに、 天皇は 天照大神に在しまし、幽顕一貫、唯一最高の現人神にして、天地の太祖、万物の根源、従つて無窮の宝祚は絶対無条件の神定の大事実、万古実に不動不変、天神地祗乃至一切衆生山川草木皆悉く 天皇の彌栄
(いやさか)を寿ぎ、無窮扶翼の聖行に帰一没入するの 神想、三勅を通貫す。誠に世界浄化の根基、宗教道徳の大本は、茲にあることを教へ賜ひたるものなり。
独断に非ず、専断に非ず、盲信に非ず、霊眼を活開して此の 三神勅に参せよ。此の 神勅こそは無上真理宇宙法則の成文化なることを徹見せん。大地は打ち外づすことあるも、此の言に疑ひなし。
自己を救ひ、他を済ひ、乃至世界を救済せんと念願するものは、 神勅顕彰に没我精進せよ。「詔ヲ承ケテハ必ズ謹メ」神勅顕彰は即ち世界維新なり、天孫民族捨身の大使命は全く茲にあり。 天業侠弘 皇道宣布といふも、将又八紘一宇といふも、神勅成就の異名なり。
皇祖皇宗 神勅具現に日夜の聖闘を続け給ひ、祖先亦血戦死闘をなして、 神勅成就に邁進せり。吾等又 神勅のために何んぞ喪身失命を避けんや。伏はぬもの即ち 神意に合一せざるものを討平 皇化せられたる 神武御東征は、実に維新の規範なり。
今や正に 神武御東征再挙の秋、 神勅体得は方今喫緊の急務なり。茲に 聖詔を掲げて更に 神勅に徹底し、國體を不惑に立せんとす。

   神武天皇建国の大詔

  (上略)上ハ則チ乾霊
(アマツカミ)国ヲ授クルノ徳(ウツクシビ)ニ答ヘ、
  下ハ則チ皇孫
(スメミマ)(タダシ)キヲ養フノ心ヲ弘メ、
  然ル後六合
(クニノウチ)ヲ兼ネテ都ヲ開キ
  八紘
(アメノシタ)ヲ掩ヒテ宇(イヘ)トナサソコト、亦可(ヨ)カラズヤ (後略)

是れ古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる「養正」の道義を以てする世界維新の大皇謨、 天皇親帥の下大和民族の大進軍なり。

   明治天皇皇威宣揚の大詔

 (前略)表ニハ朝廷ヲ推尊シテ、実ハ敬シテ是ヲ遠ザケ、
 億兆ノ父母トシテ絶エテ赤子ノ情ヲ知ルコト能ハザルヤウ計リナシ、
 ツイニ億兆ノ君タルモ唯名ノミニ成リ果テ、
 其ガ為ニ今日朝廷ノ尊重ハ古ニ倍センガゴトクニテ、
 朝威ハ倍々衰ヘ、上下相離ルルコト霄壌ノ如シ。
 カカル形勢ニテ何ヲ以テ天下ニ君臨センヤ。
 今般朝政一新ノ時ニ膺リ、天下億兆一人モ其ノ所ヲ得ザルトキハ、
 皆朕ガ罪ナレバ、今日ノ事、朕自ラ身骨ヲ労シ心志ヲ苦シメ、
 艱難ノ先ニ立チ、古列祖ノ尽サセ給ヒシ蹤
(アト)ヲ履ミ、
 治蹟ヲ勤メテコソ、始メテ天職ヲ奉ジテ億兆ノ君タルニ背カザルべシ。
 往昔列祖万機ヲ親ラシ不臣ノ者アレバ自ラ将トシテ之ヲ征シ給ヒ、
 朝廷ノ政総テ簡易ニシテ、此
(カク)ノ如ク尊重ナラザルユヱ、
 君臣相親シミ、上下相愛シ、徳沢天下ニ洽ク、
 国威海外ニ輝キシナリ(中略) 
 朕ココニ百官諸侯卜広ク相誓ヒ、列祖ノ御偉業ヲ継述シ、
 一身ノ艱難辛苦ヲ問ハズ、親ラ四方ヲ経営シ、汝億兆ヲ安撫シ、
 遂ニハ万里ノ波涛ヲ拓開シ、国威ヲ四方ニ宣布シ、
 天下ヲ富岳ノ安キニ置カソコトヲ欲ス 
 (後略)

神勅成就のために、御自ら身骨を労し心志を苦め艱難の先に立たせ給ふ、唯々恐懼措く所を知らざるなり、 皇道宣布の御紹述、吾等奮起せざるべけんや。

 「広く会議を興し万機公論に決すべし」

是れ立党の基本原則なるかの如く愚且つ不敬にも大言叱呼する政党者流、

 「官民一途庶民に至る迄各々其の志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」

の条に到りては、物心の偏在、失業の大量製産、怨声下に満つるも意に介せず、現状維持に鞠窮如たり。

 「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」

 立党既に数十年弊習続出、外国模倣の旧来の陋習を以て天地の公道と誇る、咄!! まさに大死一番 神勅に蘇れ。

 「智識を世界に求め大に 皇基を振起すべし」

凡百の事象悉く此の聖章に叛逆す。 皇基振起即ち 神勅成就が万学乃至政道の根基なることを深く悟れ。

   大綱と天津日嗣を先づとりて
         もろもろの目をあむ国と知れ

五ケ条の御誓文は実に 神勅顕現の大指針なり。

  大正天皇御即位大礼当日紫宸殿の御儀に於て賜りたる勅語

 朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ、惟神
(カンナガラ)ノ宝祚ヲ践ミ、
 爰ニ即位ノ礼ヲ行ナヒ、普ク爾臣民ニ誥
(ツ)
 朕惟フニ、皇祖皇宗国ヲ肇メ基ヲ建テ、列聖統ヲ紹
(ツ)ギ裕(ユウ)ヲ垂レ、 
 天壌無窮ノ神勅ニ依リテ万世一系ノ帝位ヲ伝ヘ、
 神器ヲ奉シテ八洲ニ臨ミ、皇化ヲ宜
(ノ)テ蒼生ヲ撫ス、
 爾臣民世世相継キ、忠実公ニ奉ス、
 義ハ則チ君臣ニシテ情ハ猶ホ父子ノコトク、
 以テ万邦無比ノ國體ヲ成セリ、(中略)祖宗ノ神霊照鑑上ニアリ。
 朕夙夜兢業天職ヲ全クセムコトヲ期ス、
 朕ハ爾臣民ノ忠誠ソノ分ヲ守り、励精其ノ業ニ従ヒ、
 以テ皇運ヲ扶翼スルコトヲ知ル、(後略)

國體の無窮なる所以を説示し給ひ、戦々兢々 神勅顕彰を御祈念遊ばさるゝ 聖慮の程、畏くも畏き極みなり。感憤興起せざらんや。

  今上陛下御即位大礼当日紫宸殿の御儀に於て御下賜の勅語

 (前略)皇祖皇宗国ヲ建テ民ニ臨ムヤ、
 国ヲ以テ家トナシ民ヲ視ルコト子ノ如シ。
 列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽ク、兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上ニ奉ソ、
 上下感孚
(カンプ)シ君民体ヲ一ニス、是レ我カ國體ノ精華ニシテ、
 当ニ天地卜竝ヒ存スヘキ所ナリ、(後略)

瞥見忽ち國體の真髄に徹し、 宝祚の無窮なる所以を把握し、世界救済の根本道は全く此の 聖勅にあることを大悟せん。

 天皇陛下は 天照大神
 国    は  神  国
 民    は  神  民
一系同統、祖先殉忠の誠血は
(こんこん)として渾身に溢る。大神輪を転じて、誓つて 神勅成就に前進せん。
天地神明来り鑑よ。

 橘曙覧先生歌

  神国の神のをしへを千よろづの
         国にほどこせ神の国人

  天皇は神にしますぞ天皇の
         勅としいはば畏みまつれ

  利
(くぼさ)《もうけ》のみむさぼる国に正しかる
         日嗣のゆゑをしめしたらなむ

  たのしみは神の御国の民として
         神の教へをふかくおもふとき

  御ひかりを朝夕うくる御めぐみは
         身を粉にすともむくいえられじ

           (昭和一一、一二、二〇)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


(一)南泉和尚

 




 

(二)過去の罪業

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(三)心身を放ち置くなり

 

 

 

 

 

 

 

 

(四)斗は一斗ますは一斗二升を入れる竹器転じて人の器量の小なるをいふ

 

 

 

 

    第十三章

        信  仰


 信仰は一如なり。ゆえに、永久不退転、対者に芥子
(かいし)許りも背馳なき実行ならざるべからず。実行は義を行ふより大なるはなく、義は君臣を以て最大となす。大義実践は実に信仰の最高峰なり
世論往々武士道実践を以て道の至極となす、大いに誤り了れり。武士道は大逆無道、藩主に対する忠誠の義を以て極則となす。義は義なるも小義、節は節なるも小節。宇宙双日なく乾坤唯一神、 天皇よりも藩主に忠たらんとする、正に武士道は道は道なるも逆道なり。甚だしきは、朝家無力の致す所、武家専権の緒を開く、となす学者あり、武士道擁護とはいえ、何ぞ其の言の不逞なる。此の義を推し進むれば、君君たらざれば臣は臣たらず、社稷のためには君主も亦軽しとの結論に到達して、禅譲放伐の思想乃至君主は君臨すれども統治せずとの結果となり、体に於て民主国と何の択ぶ所かある。

 軍人に賜りたる勅諭の中に

  遂に武士となり、兵馬の権は一向
(ひたすら)に其武士どもの
  棟梁たる者に帰し、世の乱れと共に政治の大権も亦其手に落ち、
  凡七百年の間武家の政治とはなりぬ。
  世の様の移り換りて斯くなれるは、
  人力
(ひとのちから)もて挽回(ひきかへ)すべきにあらずとはいひながら、
  且は我國體に戻り、且は我祖宗の御制
(おんおきて)に背き奉り、
  浅ましき次第なりき。(中略)夫兵馬の大権は朕が統ぶる所なれば、
  その司々
(つかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ、
  その大綱は朕親
(みずから)之を攬(と)
  肯て臣下に委
(ゆだ)ぬべきものにあらず、
  子々孫々に至るまで篤く斯旨
(このむね)を伝へ、
  天子は文武の大権を掌握するの義を存して、
  再
(ふたゝび)中世以降の如き失体なからんことを望むなり。

諄々乎として武士道は國體に戻り、祖宗の御制に背けることを諭示し賜ひ、ふたたび中世以降の如き失体なからんことを要望し給ひたるに、何事ぞ、この武士道の復活を絶叫して止まざるものあるとは。実に悪逆無道の限りに非ずや。
唯一無二の大道は大義実践なり。如何なるか是れ道、古徳
(一)曰く、「平常心是道」と、更に説いて曰く、「道は知にも属せず、亦不知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不疑の道に達せば、猶ほ大虚の廓然洞豁(かくぜんどうかつ)なるが如し」と。春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有るが如く、捨身滅賊を以て平常心となし、更に閑事の心頭に挂(か)くるなくんば、誠に大義実践の至極、 天皇信仰の極致と謂はずんばあるべからず。
結城入道道忠聖図成らず、中途に重病のため起居も叶はず、定業
(二)極まりぬと見えける時、善知識の曰く、「今は御臨終も遠からず、相構へて後世善所の御望み惰(おこた)る事なくして、称名の声の内に三尊の来迎を待ち給ふべし、御心にかゝることあらば御子息の御方へも伝へ申すべし」と。入道既に目を塞がんとしけるが、かつぱと跳ね起きてからからと打ち笑ひ、「我已に齢七旬に及んで 聖恩身にあまる今更に思ひ残すことなし、たゞ今度罷り上つて遂に朝敵を亡ぼし得ずして空しく黄泉の旅に赴くこと、多生広劫までの妄念なり。されば愚息親朝にも『我が後生を弔はんと思はば、供仏施僧の作善をも致すべからず、更に称名読経の追善をもなすべからず、唯朝敵の首を取つて我が墓前に懸け双(なら)べて見すべし』と云ひおきたる由伝へ賜りたし」と、刀を抜きて逆手に持ち歯噛(はかみ)して死す。
大楠公の臨終にも相似て 何ぞ其言の悲壮なる、其行の忠烈なる、血涙滂沱禁ずる能はず。全身全霊更に私心なく、三世一貫唯々絶忠、大義実践の亀鑑、臣道の最高峰、信仰の絶峰なり。
道元禅師曰く、「仏法とは自己を習ふなり、自己を習ふとは自己を忘るゝなり」と。自己を忘るゝとは身心を放下
(ほうげ)(三)し、放下も亦放下着、放下し尽くして、無も亦無き大虚の廓然洞豁なるが如く、真に不疑の大道に達せるの謂ひなり、斯くして宇宙の大法則、至正至純の大精神は髣髴として箇身に顕然たり。是れ君臣一如の当体、 天皇信仰の根基なり。
万法は最高峰に到る千差の行持、中路に歩を止めて奴となる勿れ。諸宗諸学の信仰は半途の虜、高峰に非ず。万難を踏破して極頂を窮めよ。皇國の真姿自然に透得せん。然して 聖詔実践は其の直路最捷道なり。國體明徴は國體観念の正持のみにあらず、國體の実行、 聖勅の実践は、其の骨髄なり。 聖徳太子は、「私ニ背キテ公ニ向フハ是レ臣ノ道ナリ」と、悠久不変 天皇に帰一し 聖詔実践を以て臣の道なりと誡示し給へり。聖賢は敬すべし、信ずべし、然れども絶対の信を捧ぐべきは 御一神のみ。釈尊の教典を要せず、孔孟の教へを要せず、耶教亦不要、唯々 聖詔の実行あるのみ。
山崎闇斎曾て問う、「孔孟大軍を親帥し来り 皇國を攻むる時如何」。孔孟の心髄に触れ得ざる蝦蟆
(がま)躍れども斗(とそう)を出でずして答ふる能はず。闇斎自ら答へて「孔孟を捕へて 天子に献ぜんのみ」と。善なる哉、流石に大義名分を命脈となす崎門学道、其言や誠に忠なり。釈迦一度釈軍を帥ゐ攻むれば、皮を得て其髄を得ざる輩忽ち其の軍門に降りて、釈典あるを知つて 皇典を解せず、来世を希うて 皇運の無窮扶翼を知らず。キリスト耶軍を提げて来れば、耶も亦 皇慈の一転化なるを解せず、脆くも一敗其の十字架上を仰信し、 皇神を軽んじ礼拝だにせざるあり。
(とつ)哉咄哉。何んぞ其の無能不逞の甚しき。其の他近時簇々(そうそう)たる形を装ふ浮游宗に至りては茲に喋々を要せず、言語道断の一語に尽く。欧米の諸邦民主軍を総動し来れば、最高無比なる 皇國體を忘却して、忽ち其の配下を盟(ちか)うて、大義を捨つること弊履の如し。蘇邦共産軍を主体とし、人民戦線を先駆となして席捲し来れば、倏忽(たちまち)赤賊の奴となりて乱舞其の防衛を甘んず。
嗚呼、三千年の魑魅魍魎一時に蠢動し、大義黒漫々、名分七花八裂、無二の國體も唯空名に終るか。 皇國の危機、速かに惑と疑とを払拭して不惑不疑 聖詔実践に直心たれ。無私忘我期せざるに矩
(のり)を越えざる 聖詔の実践こそ、至忠至孝正(まさ)しく信仰の最高峰、是れ危機脱得の秘法なり。世界 皇化の礎石なり。

 明治天皇御製

   善きをとり悪しきをすてゝ外国
(とつくに)
          おとらぬ国となすよしもがな

國體を解せずして何の善と悪ぞ、 皇基を振起するもの善なり、皇基を危くするもの悪なり。天孫民族善悪取捨の秤竿
(しょうかん)は実に大義なり。否々世界民族の以て正邪判断の根本基念となるものは、 皇國國體たらずんばあるべからず。宇宙最高済世の大法則は 皇國一如の國體なり。國體の真髄を把握し三世通貫不動不転 大御心のまにまに実行せよ。
是れ真実の信仰なり。

 橘曙覧先生歌

    一日生きば一日心を大皇の
           みためにつくすわが家のかぜ

 川合清丸翁の橘中佐に贈りたる詩


  生爲忠孝民 死作國家~
  一意護皇祚 眞成日本人

  生キテハ忠孝ノ民トナリ、死シテハ国家ノ神トナル
  一意皇祚ヲ護ル、真成ノ日本人

             (昭和一二、一、三一)

 







    第十四章

       大  命


万山重からず君命重し、一髪軽からず我命軽し。平重盛は父清盛の不臣を諫めて曰く、「父命を以て王命を辞せず、王命を以て父命を辞す、家事を以て王事を辞せず、王事を以て家事を辞す。 君と父とを竝べて親疎を分つことなく、君に付き奉るは忠臣の法なり」と。実に重盛は國體を弁へ、君臣の大義に透徹せる忠臣というべし。
昭和十一年二月二十六日の(三十一字略)勅命に抗するに至る。然して(二十三字略)之亦抗勅の徒なり。其の他一身一家一門の利害を以て、外忠誠を誓ひ、内王事を辞し、勅命に抗しつゝあるもの幾百千万人ぞ。身のために 君を思ふ輩、皆此の類なり。個人主義・自由主義・功利主義の徒悉皆此の同類にして、日本国内に蠢動する(四字略)の共産党の如きは、唯物の事を以て 勅命に抗して、日々反乱しつゝある鬼畜の類なり。北条高時鎌倉に切腹するや、一門二百八十余名・部下八百七十名之に殉じ、六波羅探題北条仲時の臨終には、四百二十二名殉死し、九州探題北条英時の死に方りては、三百四十名の家来之に殉ず、其の行は壮なるも、彼らは皆一門の事を以て、王事を辞したる不忠の臣と謂はざるべからず、不孝の子と謂はざるべからず。一門並びに相恩の家臣門人ならずとも、又順逆の理明かならざりしと雖も、北条義時乃至高時及び足利高氏(十三字略)は、共に私事を以て 王事を辞し、且つ之に抗したる不臣不逞の輩、心事は燐むべしと雖も、断じて軽視許容すべからず。若し夫れ思想的に共鳴し参加せりとせば、主魁と同罪、不忠の極み、断乎として極刑に処すべきものなり。古人曰く「父もし 王に背かば、父を捨てゝ 王に参ずるは孝の至りなり」と。誠に 皇國の真髄を道破せるものと云ふべし。承久の変において、北条義時及び子泰時、 後鳥羽上皇を隠岐に、 順徳上皇を佐渡に、 土御門上皇を土佐に流し奉り、 仲恭天皇を廃し、後掘河天皇を擁立し奉りて不臣の至極、今もし義時を此の主謀者なりとなすも、泰時は不臣の父に随順せるもの、 皇國に於ては不孝の極なり。父命を以て 王命を辞したるもの、不忠の限りなり。隠岐島に十九年間櫛風沐雨具
(つぶさ)に煉獄の惨苦を嘗めさせられ、遂に崩御遊ばされたる 後鳥羽上皇を御追憶申し上ぐる時、就中、

 御製

   我こそは新島守よおきの海の
           あらきなみ風こゝろして吹け

この一悲曲を拝唱する度毎に、三百六十の骨節驀然一散、八万四千の毫竅
(ごうきょう)熱血滾(たぎ)る。義時・泰時の如きは、八つ裂きにして打つて粉にするとも、飽き足らざる大悪党なり。
嗚呼、 皇史三千年、天日全かりし日幾何
(いくばく)なりしぞ。
回顧すれば、私事を以て 王事を辞し、消積の両極、其の何れたるを問はず、王命を干犯せる連綿たる一大汚史にあらずや。然れども未だ 皇位を覬覦
(きゆ)せるもの、道鏡一奴を除いて曾て之れあらざりしに、此の聖代何事ぞ、 皇祚を打倒せんとする鬼畜共産党、 皇位を覦ふ迷妄大本教徒等簇々として輩出す。正に是れ 皇基の危機なり。
醍醐天皇延喜元年、菅原道実公佞姦藤原時平の讒
(ざん)に遭ひ、順逆の一大事なるに、さらに弁疏の意なく、只管に 勅命を畏み、太宰府に貶(へん)せらるゝや、常に謫居の門を閉じて謹慎し、日夜恩賜の御衣を捧持して余香を拝し、 聖恩無窮を喜び、 聖寿無窮を祈る。嗚呼、何ぞ其の心の敦厚忠烈なる。高杉東行の歌へるが如く、「君見ずや忠鬼と爲る菅相公、霊魂尚ほ在り天拝峯・・・古より讒姦忠節を害し、忠臣 君を思ふて躬を懐(おも)はず」讒と否とを問はず、 勅なればいとど畏み鰭伏(ひれふ)し奉り、君君たらずと雖も、詔を承(う)けては必ず謹み奉る、是れ 皇國臣道の第一義なり。
大楠公献策遂に用ひられず、大命出づるや一途に畏み、愚案湊川に出陣し、 大君を思へば心安らかならず、一子正行を残して、 天皇の御守護に任ぜしめ、躬は忠鬼と為り、三世一貫更に私心なし。忠厚の権化、百世相伝へて感憤興起せざるなし。大命重し、身命を羽毛の軽きに比す、 皇軍の亀鑑たり。
軍人に賜りたる勅諭の中に、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ、されば朕は汝等を股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、其
(それ)(しん)は特に深かるべき」と宣(の)らせらる。股肱とは頭首の指すまゝに働きてこそ健康体なれ、股肱頭首の命に応ぜざれば病体なり。大命に死力を尽すは、 皇軍最高の大使命たらざるべからず。即ち 聖心と一体的活動をなすこそ 皇軍の本質たらざるべからず。軍隊内務書綱領第一に、「軍は 天皇親率の下に 皇基を恢弘し、国威を宣揚するを本義とす」と、「頭首・股肱」と「天皇親率」不二一体昭々乎として 聖論歴然たり。
政党の反國體性は憲政常道と称し多数を擁して政権を(四字略)強要し、大命を左右し奉らんとするにあり。今若し他の容喙を許さざる条規を楯に、軍が大権の発動を阻止したりと仮定せば、そは 皇軍の本質を游離したる軍閥なり。大命よりは条規の存在を重しとなしたる機関説思想なり。政党の國體不明徴に比肩す。財力以て 大権を動かさんとする財閥と何の差異ありや。異学以て 皇基を危くせんとする学閥と其程度何
(いづ)れぞ。 天皇に伏はぬものを討平すべき 皇軍自ら 天皇に伏はぬ不逞の存在となり、剪滅せらるべき朝敵と化し去らんとするか。山川草木悉皆靡々として靡かざるなき 聖天子の真姿顕現こそは、天孫民族別けても 皇軍の最大唯一の使命なるぞ。微賤以て股肱たる絶対無限の恩寵を辱くせる 皇軍、大義護持のためには、昭和一億の民衆と戦ふとも、将又世界を焼土と化すとも、可惜の念更に無き大信念に安住せざるべからず。政党・財閥・学閥・乃至宗閥の顰(ひそみ)に倣(なら)ひて軍閥と化する勿れ。軍閥に冠せらるゝものは、天業恢弘に非ず、世界皇化に非ず、唯々軍国主義・帝国主義戦争の醜名のみ。今既に、二心、三心、「山はさけ海はあせなん世」ともならば如何なりなん、思ふだに 皇國の前途、冷水万斛。「君のためには身をも思はじ」と表には叫びつゝも、裏には常に一身一家の名聞利慾乃至一軍一党の主張貫徹を条件としてのみ忠節を誓ふことなきか。従
ひて名利獲得乃至主義貫徹のためには愛国の美名の下、 大君を機関説的存在となすことなきか。 天業翼成の中核は 皇軍なり。
先づ、殉皇の聖火となれ、然して諸賊焚了以て八紘一宇の大誓願に法輪を転ずべし。

 橘曙覧先生歌

   天皇
(すめらぎ)の大御使と聞くからに
         はるかにをがむ膝をり伏せて

   天皇は神にしますぞ天皇の
         勅としいはゞかしこみまつれ

   天皇の勅に背く奴輩
(やつばら)
         首引抜いて八つもてかへれ

   天皇に背ける者は天地に
         いれざる罪ぞ打つて粉にせよ

            (昭和一二、二、一一)

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(一)悪者の義。悪魔


(二)瑞巌和尚 
(三)目を醒すこと 






 


(四)常見人の心身は過去、現在、未来、共に常住と見る妄見、断見、人の心身は断滅して続生せずと見る妄見。 

 

 

 

 

 

 

(五)大悟無我の道人は常人の窺ひ知る所にあらず 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(六)肉団身、人身を指す

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(七)五蘊と云ひ身と心となり、色は身の事、物質有形の事、受は事物を受け込む心、想は事物を想像する心、行は善悪を作用する心、識は事物を分別する心の本体なり

 

    第十五章

     神 社

(註、茲に所謂神社とは、普通の意味の神社、即ち死せる人を祀れる神社には非ずして実に生身の神社なり、著者の所謂神社人なり。読者諸賢、冀はくば普通の神社の観念を以てこの章を読むこと勿れ。)

仏教は無我を本とし、儒教は仁を説き、耶教は愛を叫ぶ。この三徳を兼備し、諸宗諸学を統合し、人類を救済し給ふは、実に 天皇御一神にお在します。天皇に透徹せる士は、即ち 天皇を御神体とする神社なり。その氏名を冠して、和気神社(和気清麻呂公を祀れる護王神社の謂ひに非ず、和気清麻呂其の人なり)、楠神社(湊川神社の謂ひに非ず、楠公其の人のことなり)、乃木神社(乃木大将を祀れる乃木神社のことにあらず、乃木希典其の人の謂ひなり)と称呼すべし。日本臣民は須く皆 聖心を御神体とする神社ならざるべからず。君臣一体は正に此の神社の謂ひなり。此の身は既に 天皇の宿らせ給ふ神社、尊重すべし、鍛錬せざるべからず。広く世界に智識を求めて、 聖神を悟り、神域を清浄広大にせよ。 皇國に受け難きの生を受けながら、尚且つ 本尊を我慾我執とし、仏とし、異神・異学とす。何ぞ其の思はざるのはな甚しきや。
大なるかな、 皇道、 天皇に私あることなし。明徳太陽に等し、洋々乎として万物を発育す。 天皇は御生れながらにして御姓もなく、御氏もなく、宇宙唯一神、是れ 上御一人と申し奉る所以なり。
古来洋の東西を問はず、聖賢の求めんとするものは、皆 皇道に存して余蘊
(ようん)なし。聖賢、無我・仁・愛を以て修道の極致となしたるは、大卓見と謂ふべくも、此の帰趨中心明かならず、乃至非現実的なりしために、彼等自らの道も祖国に行はれず、祖国亦亡滅す。聖賢 皇國に生を受けたりしならば、救済の大原則は 皇道に存することを体得し、皇運扶翼の一途驀進は、即ち人類救済なる所以を了解せしならん。
大御心を心となし得たる時、始めて、君民一如、君臣一体なり。聖心を以て体となさんと欲せば、私心を去れ、私心を去らんとせば、行持鍛錬せよ。行には動静両面あり。事々物々に自己を突入滅却、莫妄想驀直進前底は、動的行の要諦なり。但し難中の難、道元禅師曰く、「外相は世人と変らず、ただ、内心を調べ行く人こそ、真の道心者なり」と。鍛錬の進歩は内なるぞ、自己究明底は静的行の秘鍵なり。西哲曰く、「神に昇るの道は自己に降るの道なり」、また曰く、「神の深さを探らんとすれば、須く汝自身の精神の深きを探れ」と。 天皇を知らんと要せば、自己は無なることを知れ。自己を究明して無極に到らざれば、 尊皇を叫ぶも 天皇と相隔る、実に天地遥かなり。無私無極なる故に、君臣不二一体、 大御心は我物となり、日夜の所作悉く 皇作 皇業たり、心既に 大御心たり。
一切を 天皇に一元化せんとする無縁大悲の誓願たる忠は、箇身のみの奉還に非ず、一切をして奉献せしめんとする仏行是れなり。汝波旬
(はじゆん)(一)の宮殿たる勿れ。外道宮殿を占拠するが故に、自己本来の面目を失却す。甚しきは正法を誹謗す。正法誹謗は正に罪中の至罪、外道は正法に違へるを謂ひ、正法は 天皇信仰なり。
古徳
(二)毎日自ら主人公と喚ぶ、復自ら応諾す、乃ち云ふ、「惺惺著(三)、喏、他時異日、人の瞞を受くる莫れ、喏々。」自己胸裏の主人公 天皇を常時内省せよとの教示、終日紅塵を走つて、自己主人公を失却する勿れと誡めたるの警語と悟れ。日々夜々に斯くの如く千思万省、遂に勉めずして中(あた)り、思はずして得る、平常心是れ絶対尊皇底の道人たらざるべか
らず。学道の人、真を識
(し)らず、聖主を識らざるが故に、従前の識神悪知悪覚乃至異神を以て本体となす、是れ無量劫来生死の本と知れ。
世の所謂愛国者・尊皇家と称へらるゝもの多くは自己を捨て得ざるがために、常に 君臣二体なり。無窮の 皇運に限りを付け、百年に泣き、五尺に屈す、皆是れ暗窟裡の徒なり。真の尊皇家は然らず、殉皇無雑打成一片にして、君臣両忘たり。真忠の忠を忘るゝ底、常見
(四)も迷、断見も妄、常断両頭を裁断せば、一剣天に倚つて寒し。無窮の 皇生命躍如たり。

   水鳥のゆくもかへるもあとたえて
         されども道は忘れざりけり

両忘一如を道得せる言、

  雁過長空影沈寒水
  雁無遺蹤之意水無沈影之心  

   雁長空を過ぎ、影寒水に沈む
   雁に遺蹤の意なく水に沈影の心なし

君臣両忘の端的を頌出したる語、
祭神あり、祭主あり、神殿ありと見るは未だ悟らず、大悟底は三位一体、一も亦無し、是れ真正の見解、真の神社人なり。

  諸天花を捧ぐるに路なく
(五)
  外道潜
(ひそか)(うかがひみ)るに見えず

風も洩らさぬ綿々密々、夢だにも 君を見奉り 聖主を懐
(おも)ふ 念々是れ忠、念々是れ滅賊、念々是れ大悲、是れ実に神社人の真面目なり。
往々庸愚の学人、愛国とし言えば、一国に限定せらるゝの故に、偏狭となし、学得するに足らずとす。嗚呼、何んぞ其の無学無能の甚しき、誠に憐むに堪へたるも、又以て万国冠絶の國體を否定せんとするもの、共産主義と同罪、国を亡滅に導く輩、極刑に処すべきの徒なり。天孫民族は万邦無比に独善の王座を占拠すべからず。他に比類なき 皇國なればこそ、皇道を宣布し、世界をして斉しく 皇光に浴せしめんと至心に念願する大慈悲行とはなるなり。純乎たる日本精神は太陽精神、従ひて世界の指導精神、人類救済の大法則なり。 天皇を一国に制限せんとするこそ、実に偏狭・不敬・無智・度し難きの奴徒。
学んで奴となる勿れ、名利の隷となる勿れ、諸学の研鑚に依り、無尽蔵なる 皇國精神、未知の世界を開発認得せざるべからず。中庸に云く、「誠者不勉而中、不思而得、従容中道聖人也 
(誠は勉めずして中(あた)り、思はずして得、従容として道に中る聖人なり)」と。悲惨惨烈の極頭、知慮尽き果つるも尚且つ従容として正道を踏んで 皇運扶翼を忘れず、臨終 聖寿無窮を絶叫す、是れ聖人なり。此の皇漢ならずんば非常の秋常に自己以外総べてを忘却し去り、国を亡ぼすに到る、前蹤皆是れなり。心の欲するまゝに行
ひて而かも矩を越えず、 皇道の一途を邁進底の大義漢となれ。
臨済いわく、「赤肉団
(六)上に一無位の真人あり、常に汝等諸人の面門より出入す、未だ証拠せざるものは看よ看よ」と。
                                        ヽ
 宇多天皇の御言葉

  百姓ノ単寒、朕見ルニ忍ビズ、既ニ富国ニ謀ナシ、
  唯、体ヲ貧民ニ合センノミ。

 後醍醐天皇御製

  世治まり民安かれと祈るこそ
        わが身につきぬ思ひなりけり

 孝明天皇御製

  澄し得ぬ水に我身は沈むとも
        濁しはせじな四方の民草

恐れ多くも一無位の真人に降り給ひて、衆生を済度し給ふは、御歴代の 天皇にお在します。衆生仏を憶念すれば、仏も亦衆生を憶念す。然るに 皇祖皇宗 衆生を憶念し給ふに、衆生の 祖宗の大御心を憶念せざる幾百千万人ぞや。臣の罪、五逆の外に超出す、而かも 君憶念し給ふ。嗚呼、茲に到れば筆尖涙滂沱たり。吾正に罪科彌天、何を以て此の大罪を償はん。
真に君臣一如ならば、色受想行識
(七)、即ち是れ 皇の五蘊、諸作諸業皆 皇作皇業なり。是れ真実真正の神社、他は総べて虚仮なり。
無位の真人未だ見得せざるものは、看取せよ、看取せよ。
釈経に曰く、「百千諸仏を供養せんより、一箇無心の道人を供養せんに如
(し)かず」と。実に、一箇無心の道人とは 上御一人の御事なりと、汝等諸人恐懼せざるや。深く 神勅の章に参せよ。

  衆生無辺誓願度
  朝敵無尽誓願断
  法門無量誓願学
  皇道無上誓願成

            (昭和十二、三、二一)

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一)あかざのつゑをつく、

   第十六章

      高天原


神皇正統記開巻劈頭に曰く、

 大日本は神国なり。天祖始めて基を開き、 日神長く統を伝え給ふ。
 我国のみ此事あり。異朝には其類無し。

と。古今論じて、高天原の所在に及ぶや、議して決せず、紛々として百出千来、摸索不着なり。脚下を照顧せよ、外に向つて馳求して何の極かあらん。
日神長く統を伝え給ふ 神国を外にして、何の高天原ぞ。

  尽日尋春不見春
  杖藜踏破幾重雲
  帰来試把梅梢看
  春在枝頭已十分

  尽日春を尋ねて春を見ず
  杖藜
(じょうれい)(一)踏破す幾重の雲
  帰来試みに梅梢を把
(と)りて看る
  春枝頭に在りてすでに十分

如何なるか是れ高天原の実相、神正神純之れなり。 聖天子の大御心を以て心とし、更に私心なき時、神正神純にして、此身は即ち高天原の小なるもの、天地は即ち高天原の大なるもの、長者は長高天原、短者は短高天原なり。 皇國無窮の大使命は、世界の高天原化なり。即ち 天業を恢弘し 皇道を宣布し、八紘一宇の実現にあり。
明治初頭廃仏の喧しき秋、占部神祗官一日独園和尚に問うて曰く、「地獄極楽が真に存在するものならば、我に見せよ」と。和尚答へて、「地獄極楽御覧になりたくば、随意に御縦覧遊ばせ、仏家では地獄極楽を決して隠さず、諸人の面前に洒け出してある、眼を開けば直ぐに見える。然し神道の高天原や下夜国
(よもつくに)を見た人でなくば、地獄極楽は見えませぬぞ。貴官は高天原や下夜国へ旅行召されし事ありや」と、迫れば、占部氏一言の返事もなく、梶Xに退散せり。
枯骨者流は常に概ね此類なり。外に向つて天国を探り、神を求め、極楽を尋ね、仏を問うて寧日なく、脚下を忘却して現実を游離し。国の興廃常なき例証は、限前露堂々、将又青史歴然たり。
皇國亦万邦冠絶といふも名のみに成り果てたるか。外に向つて高天原を論じ、神を古人化し、神域を固定し、天国極楽を他に向つて馳求す、自己本尊者流と共に亡国の大素因、共産主義者の蘇国を祖国となすと同断、共に亡国の大姦なり。
神道は 皇國の大本、忠君殉皇の大節を以て宗とす。然らずんば虚妄なり。神道家真に 「天皇は 天照大御神と同一身に坐しまし、普天の下・率土の浜、皇臣皇土に非ざるなし」と、信念しありしならば、幾百千年、兵政の大権、権武両門に帰せるを、何んぞ洒々平然として眺め去らん。必ずや此等不逞剪除の急先鋒たりしならん。又神道家真実に、「神社の祭神は 皇道翼賛の権化、純忠の大士にして、決して怪力乱神にあらず」と、悟りなば、何んすれぞ三冬無暖気底の暗窟裡に独坐して、自ら潔しとせんや。直ちに進んで自ら祭神の化身となり、滅賊の一途に驀進せん。是れ祭神の大精神に合一する祭祀の大本旨に非ずや。
聖天子は無私絶対に坐しますが故に、時空を超え宇宙に満ち給ひ、「森羅万象悉く 聖姿の顕現ならざるなし。」是れは之れ 聖君先天自然の悟得底(第十二章神勅を徹見すればさらに明かなり)、従ひて「宇宙悉く 聖天子の所有ならざるなし」とは、臣として金剛不壊
(ふえ)の信仰にして、「四海の内誰か 朕が赤子にあらざる」とは、 聖天子大悲の 聖信なり。此の正念に安住するもの天孫民族なり。万有をして此の正念に覚醒し、 日神聖天子に帰一安住せしむる、是れ世界 皇化の真実義なり。
さはあれ、 皇化途上に横はれる幾多の大難関は、皇史三千年を一瞥すれば、了々として明白なり。想起せよ、神武天皇御東征、 当時を回顧せば、今後の世界 皇化も比すべき難事にも非ず。難事は寧ろ自己 皇化なり。自己 皇化せば、爆薬に点火したるに等しく、諸賊焚了せずんば止まざるの殉皇心勃然として爆発せん。然らば自己 皇化の道如何。曰く、「聖勅実践のみ」。
高天原は神国なり、神国は 天皇國なり。 天皇國は 天照大御神と同一体に坐します 天皇を仰信し、 大御心を以て億兆一心、救世の大慈悲心国是れなり。正念を忘却せる文字葛藤片言隻語を捕へての対立抗争に余念なき凡愚乃至閑言語裏の奴となる勿れ。只管に精進して 聖天子の下に至正至純 聖意を体して、高天原成就に一切を放擲せよ。
げに高天原は 聖天子の大御心のままに、千古の 聖勅、教育勅語、軍人勅諭を実践し、聖寿を無窮に祝ぎつつ、対立なき一如生活の行はれある聖域なり。
第六・七章を参見すべし。

 明治天皇御製

   よもの海みなはらからと思ふ世に
        など波風かたちさわぐらむ

   開けゆくときにいよいよ仰がれぬ
        聖の御代のたかきをしへは


 橘曙覧先生歌

   真心といはるべしやは真ごころも
         正しき道によらで尽くさば

   潔き神国の風
(ふう)けがさじと
         こゝろくだくか神国の人

   神国の神のをしへを千よろづの
         国にほどこせ神の国人

   尊かる天日嗣
(あまつひつぎ)の広き道
         踏まで狭き道ゆくな物部
(もののべ)

   愚
(おろか)にもまどへるものか大勅(おほみこと)
         たゞ一道にいたゞきはせで

             (昭和一ニ、四、三〇)

 



陣中遺稿


 


   第十七章

       戦 争

大義明白なる戦争発起も、之に従ふ上下、大義不分明ならば、各々自己を執つてその保存に懸命の努力を終始せん。(八十八字略)万端悉く 皇軍の面目(十八字略)現皇軍が 皇化第一線の使徒たること(十五字略)聖上を尊崇し奉る、戦庭に立つもの皆靡々として然らざるなし。歩一歩を進めて、皇道宣布に邁進(三十六字略)尊皇だに透徹しあらば、皇道布施の大業は自ら流れ出づる清泉なり。極大尚少しと憂ふべきは 尊皇の聖精神、極少尚多しと忌むべきは自己保存の汚精神。此の自己保存の汚心を剪滅し、尊皇の聖心を拡大し行く、是れ心的戦争、即ち修養なり、一身の維新なり。尊皇を無視する利己的不逞を一掃し、君民一如の國體を顕現する、是れ一国維新戦なり。御稜威布施途上障碍たる不靡国を討伐し、皇化に進前する、是れ世界維新戦、即ち 皇國の対外戦なり。身・国・世界と区別すれど、三者一貫せる精神は一なり。尊皇と其の宣布にあるのみ。故に皇國の戦争は聖戦なり、神戦なり、大慈悲心行
(ぎやう)なり。
即ち 皇軍は、神将・神兵ならざるべからず。此の精神だに徹骨徹髄透徹しあらば、忌むべき 皇軍汚辱の自己功名保存の利己的戦争とはならざるなり。神将は戦術秘奥の極上を傾倒し、神兵は訓育精華の極底を吐露して、殉皇す。茲に万生化育の聖業は進む。 皇軍の真面目躍如たり。(百二十六字略)世界興亡の足跡を仔細に検討せよ。其の滅亡の最大原因は常に飽くなき利己心、停止を知らざる自己保存ならずや。(四十五字略)国を廃頽に導くものは共産輩に非ず、人民戦線に非ず、乃至社会主義にも非ず。此等の主義は日本精神練磨の大砥石なり、為に 皇精神は愈々光を放つ。亡国は底なき自己保存、飽くなき利己心にあるのみ。
戦争は一身乃至世界の修養なり、利己心滅却にあり、自己保存崩壊にあり。我執無きものにして始めて尊皇絶対、外に向つて 御稜威を布伝し得るのみ。
軍よ、(十六字略)より脱却せよ。戦は先づ心に向つて開始せよ。一身の維新を計りて、真の日本軍人に蘇生せよ。かくして始めて、軍は 皇軍、将は神将、兵は神兵、戦は聖戦なり。

    昭和十三年八月三十一日

   長城戦参加有感以誌

 

 

 


   第十八章    

       皇國民の定義

威武も屈する能はず、貧賤も移す能はず、富貴も淫する能はざる者、是れ大丈夫の漢、何故に然るか、殉皇の大精神内に充溢すればなり。殉皇の精神是れ日本精神、殉皇の大士是れ日本人。
自己無きが故に万徳自ら備はる、是れ副作用、根基は殉皇の聖心なり。殉皇なるが故に、自己保存を極少も尚多しと忌み、尊皇を極大も尚少なりと優ふるなり。殉皇の所以を以て最大幸福は忠死、最大不幸は自己保存と信念するなり。
総べて 皇國民たるの準基梯尺は大義なり、悟迷・智愚・真偽・善悪美醜・邪正・理非・曲直乃至大小等は、大義の深浅厚薄に依つて、一切定むべきものなり。大義の真髄を把取体得せしむるもの、修養教育乃至政治の眼目ならざるべからず。心の欲するまゝに行うて而も大義に協ひあるもの、修養至れる日本人と謂ふを得べし。「平常心是れ殉皇」底是れ真の 皇民なり。行かんと要せば即ち行き、眠らんと要せば即ち眠る、食はんと要せば即ち食ふ底の自在人無執着の士、必ずしも修養至極の人には非ず。批の無執着自在底の精神が殉皇行為に於て自然に終始するに到りて、即ち作為なき自然的行為が常に殉皇なる時、始めて 皇國臣民としての修養は至れりと謂ふべし。
教育は指針、修養は実行、政治は物心両面を深く考慮して、臣民を真の 皇民たらしめ、皇國を富岳の安きに置くにあり。三者一体を以て 皇國の理想とす。真の無執着は此の心身を捨了せざるべからず。大死一番絶後に蘇るとは、心身破棄の行為なり。生にして此の心肉を脱体する実に難中の難、人十度にして此を善くすれば、我之を百度するの大根気無くんば、無執着殉皇の聖精神は決して得べからず。真の日本人たる亦難い哉。鈍鉄鋳るも鈍刀の規範を脱する能はず。名刀は始めより素地あり。大和民掛は名刀の素材たり。宗教乃至凡百の学悉く是れ鍛錬の材料なり。名工は古往今来の殉皇の大士、以て官錬千鍛すべし。而して八紘一宇の第一線の戦士たれ。
尊皇と 皇道宣布、是れ 皇國民定義の二大綱領なり。

 
           (昭和一二、八、三一)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一)毘盧舎那仏のこと、仏の頭上を踏み行くこと

 

   第十九章

       
 行

行なき智識、行なき教育、行なき修養、等々有り得べからざる言句なるも、世上滔々然らざるなし。肉身の歳月乃至智識の修得は常に止まる所を知らず、流れて止む時なけれども、心の年齢に到りては極めて幼推にして、更に進むこ上を知らず、道を聞いて大いに笑ふ。高位高官一度開口せば、美辞麗句流るゝが如く、釈・耶・孔・孟も三舎を避くるに間暇なき程に溢出すれども、行に於ては曾て省ることなく、徒に他を責むるのみ。下亦他を怨んで自己省察の余地更になし。上下交々利を執つて、言説に急にして、自行を云為するもの曾てなし。或人因に鳥巣道禅師に問う、「如何なるか是れ仏法」。禅師曰く、「衆善奉行、諸悪莫作」。人曰く、「三歳の童子と雖も之を知る」。師曰く、「三歳打童子も亦知ると雖も、八十歳の老翁も之を行ふこと能はず。」と。皆知ることは古聖人よりも多く之を知る。行ふことは即ち得じ。実に三歳の童子にも亦おとる。
従ひて道の深浅を知らず、高位高官に登るを以て修養又は向上と誤思するか。更に向上修養を考へず、増上慢に陥り、自己保有の極峯に坐して動かず、自己身辺修飾に汲々として利己飽くなし。「漸く入れば漸く深し」の妙諦も、粉飾例証の一句に止まりて、其の真諦を把する能はず。
誠に憐むに堪へたるも、世間皆靡然として此の徒なり。自己に行なきを以て 皇國の現状も達見する能はず。日新日進の国是にも拘らず、旧体を保持して十成と思惟し、無窮の 皇運を知らず知らずの間に阻止す。
行なきが故に自己の真底を知らず、国家の現況を洞察する能はず。行有るが故に自己修養の難事を知る。況んや国家の向上修養の如何に至難なるかを見得し、慨然国難に赴くに至るなり。
歩々進み得て始めて山の高きを知り、海の深さをも知る。眺むるのみにて如何ぞ其の真実に徹し得ん。世皆此の眺望底の輩のみ。道を聞いて内心大いに笑ひつゝも、外観道を以て扮装之れ努む。之れ大方の人士なり。
孜々として行する漢にして、始めて道の愈々遠く愈々深きを感じ、謙譲となり、自己の極小を知り、道の極大を知る。
達磨大師は、「正法は深重なり、永劫に忍び難きを能く忍び、行し難きを能く行する底の鉄漢にして始めて得べし。軽信慢心輩の能くする所に非ず」と、喝破す。正法 皇道の極大を知れ、然して之に到るの唯一道は行のみ。世の軽信慢心輩に道(い)はん、「些少たりとも滝行して正法の深きを知れ、更に進前して妙底に触れよとは道はじ、唯々正法の深きを知れ、唯これだけにて汝が思想は正方向に転ぜん。汝の増上慢は忽然として解消せん」

「意は毘盧頂(びるちやうねい)(一)を踏み、行は幼児の足下を拝す」。意は常

に最高正法を把握し、而して之を生活に具現せんために、謙々として行し来り、譲々として争はず。此の士真に 皇道の行者なり。万世を動かし感ぜしむるものは、言に非ず、終始行(ぎやう)なり。
回顧せよ、千歳の下、猶ほ吾人をして憂憤難に赴かしむる者は、唯忠烈義士の行為に非ずや。
殉皇の行を行して驀直に進前せよ。
脈々として子孫を叱咤励打するものは、唯此の行のみ。
殉忠せよ、忠死の一事は、生くる幾千万歳に勝る万々なることを銘記せよ。殉皇の行を行せよ、子孫に対し、長生に勝る幾千万倍の警策たることを牢記せよ。

          (昭和一二、八、三一)

 

   第二十章

      死生観

万人斉しく千古の大疑となすは死生なり。宗教乃至学問の極致は、死生透脱にあり。而も議論百出容易に決せざるもの死生なり。孔子曰く、「未だ生を知らず、焉
(いづくん)ぞ死を知らんや」と。永遠の謎は死生なり。
死は心身の滅なり、生は身心の活動なり。即ち心身に左右せられざる無執着こそ死なり、心身の滅なり。更に換言すれば、心身に拘らず無執着なる心身の活動は滅に等し。是れ心身活動の極天なり。生死一如とは実に此の謂ひなり。即ち知る、死生は生身にして解決することを得。如何にして此処に到るか、曰く、唯一なり、身心の放棄是れなり。自己滅却是れなり。
閑山国師は、人の死生観を問うあれば、「吾這裏無生死」と、一喝するを常とせり。宜なる哉、心身放棄の達人に生死なし。生死は茶飯事にも非ず、将又余事にもあらず、唯無生死一のみ。但し大死一番絶後に蘇りたる大達の死生観にして、凡庸の窺知を許さず。達人は生身にして観自在生死透超、凡百は心身死滅して無執着の域に入るも、菩薩たり得ず、仏たり得ず、神たることを得ず。如何となれば衆生済度の力無ければなり。遺し置きし行為乃至著述にして、後世の人々をして 皇國のため憤起せしむるに足るものあれば、此の人は神なり、菩薩なり、仏なり。
大楠公に過ぎたる仏なく、和気公に勝りたるの菩薩なし。酔生百年夢死千年の後なるも、此の人長生の人とは言ふを得ず、生ける屍に過ぎず。形骸は短命なるも、永く人心を支配し、後世を感憤善導するあり。小楠公・景岳・松陰の諸公等殉皇の傑士は、皆長生不死の神なり。死は一切の束縛より脱却せる境地なるも、凡傑両者隔絶すること天地遥かなり。殉皇の士は、不死永生、真に無生死の神仏と謂ふべし。
宗教は無執着・無生死の人を造るを以て其の真生命となす。然るに、今や宗教に心身放棄の真面目なく、愈々執着を多くし、益々生死の人たらしめ、生と死と区別して転生を説き、極楽往生に執着せしむ、是れ亡国宗教なり。皇國民たるもの、死生一貫、無窮に 皇運を扶翼せざるべからず。思はずして殉皇、勉めずして殉皇、一も殉皇、二も殉皇、寤寐恒に殉皇、行住坐臥共に殉皇、斯の如き人物を絶忠といふ、絶忠の士に三世なく、死生なく、常に殉皇なり。此の士にして、無窮に 皇運を扶翼し、無窮に国民を指導誘掖し、真の日本人を造り、八紘一宇、世界を 皇國たらしむるを得るなり。絶忠に死生なし、死生あるは絶忠に非ず。死生観を云々する間は、此の人未だ純一無雑に非ず、心身放擲に非ず。純忠に死生なし、唯々純忠に生きよ。
否、「生きよ」といふも、手緩し、唯々絶忠。忠も亦無し、是れ真の絶忠なり。


 橘曙覧先生歌

   大皇の醜の御楯といふものは
           かゝるものぞと進め真前
(ままへ)

                         (昭和一ニ、九、四)

 絶筆(遺品手帖より)
      
汝、 吾を見んと要せば、 尊皇に生きよ
     尊皇精神ある処、常に我在り

 


附録

 杉本五郎を語る 臨済宗大本山仏通寺派管長・山崎益洲

 

   第十七章

       戦 争

大義明白なる戦争発起も、之に従ふ上下、大義不分明ならば、各々自己を執つてその保存に懸命の努力を終始せん。上は其の功を競ひて他の損傷を顧みず、下は自己保存の極限を発揮して上を怨嗟す。一度敵地を占領すれば、敵国民族なる所以を以て殺傷して飽くなし、略奪して止まる所を知らず。悲しむべし
(八十八字略)、万端悉く 皇軍の面目更になし。皇道は空華、施布は国裏の禅(十八字略)、現皇軍が 皇化第一線の使徒たること遠しも遠し、正に白雲万里なり。(十五字略)
聖上を尊崇し奉る、戦庭に立つもの皆靡々として然らざるなし。歩一歩を進めて、皇道宣布に邁進
(三十六字略)尊皇だに透徹しあらば、皇道布施の大業は自ら流れ出づる清泉なり。極大尚少しと憂ふべきは 尊皇の聖精神、極少尚多しと忌むべきは自己保存の汚精神。此の自己保存の汚心を剪滅し、尊皇の聖心を拡大し行く、是れ心的戦争、即ち修養なり、一身の維新なり。尊皇を無視する利己的不逞を一掃し、君民一如の國體を顕現する、是れ一国維新戦なり。御稜威布施途上障碍たる不靡国を討伐し、皇化に進前する、是れ世界維新戦、即ち 皇國の対外戦なり。身・国・世界と区別すれど、三者一貫せる精神は一なり。尊皇と其の宣布にあるのみ。故に 皇國の戦争は聖戦なり、神戦なり、大慈悲心行(ぎやう)なり。即ち 皇軍は、神将・神兵ならざるべからず。此の精神だに徹骨徹髄透徹しあらば、忌むべき 皇軍汚辱の自己功名保存の利己的戦争とはならざるなり。神将は戦術秘奥の極上を傾倒し、神兵は訓育精華の極底を吐露して、殉皇す。茲に万生化育の聖業は進む。 皇軍の真面目躍如たり。然るに見よ、一会戦終わる毎に、上下の秩序は愈々乱れ、下は増上慢となり、自己所属の将にあらずんば、全く無差別下克上となり、上之れを指導するの明識を欠き、功名に酔ひて一時を糊塗して、皇軍崩壊の遠因素縁をなし、皇国の安危慮外に在るものの如し。皇軍緒戦に於て既に然り。(百二十六字略)世界興亡の足跡を仔細に検討せよ。其の滅亡の最大原因は常に飽くなき利己心、停止を知らざる自己保存ならずや。かくして今次の戦争は帝国主義戦闘にして、亡国の緒戦と人謂わんに、誰人が何んと抗弁し得るものぞ。(四十五字略)国を廃頽に導くものは共産輩に非ず、人民戦線に非ず、乃至社会主義にも非ず。此等の主義は日本精神練磨の大砥石なり、為に 皇精神は愈々光を放つ。亡国は底なき自己保存、飽くなき利己心にあるのみ。
戦争は一身乃至世界の修養なり、利己心滅却にあり、自己保存崩壊にあり。我執無きものにして始めて尊皇絶対、外に向つて 御稜威を布伝し得るのみ。
軍よ、
(十六字略)より脱却せよ。戦は先づ心に向つて開始せよ。一身の維新を計りて、真の日本軍人に蘇生せよ。かくして始めて、軍は 皇軍、将は神将、兵は神兵、戦は聖戦なり。

    昭和十三年八月三十一日

   長城戦参加有感以誌