168(1940・1・3)
169(1940・1・10)
170(1940・1・17)

一月十七日号が出ました

☆スキーを穿く東北の乙女
☆豆提督は寒かないよ----海洋少年少女団の艦上訓練
江南の春近し 
  旧正月を前に支那の農民たちはどんな生活をしてゐるだらうか
☆戦友はまだ戦つてゐる
  北京の衛戍病院に傷病の身を養つてゐた勇士たちは
  捲土重来の意気にもえてまた第一線に向つてゆく
陸軍始観兵式----代々木原頭にて
☆ヘルシンキ爆撃に曝さる
☆海外通信  ★児童科学室----勝鬨可動橋
☆漫画 非常時ウィンタースポーツ
☆カメラのいたづら 大きいものが小さくなつて小さい
  ものが小さくなかつたら
☆読者のカメラ

写真週報
『読物頁』を新設します
  --- 一月廿四日発行の次号から ---
 姉妹紙『写真週報』が次の一月廿四日号で第百号に
達します。昭和十三年二月十六日に創刊号を皆様の
御手もとへ送つてから約二年になります。この第百
号を迎へるに当つて一段の飛躍を期するために、こ
の号から写真週報に『読物頁』八頁を設けることにい
たしました。この『読物頁』は時局の動きや政府の方
針を、緑の『週報』よりもずつとくだいてわかり易く
お伝へし、豊かな読物を提供しようとするもので、各
方面から熱心に要望されてゐる『週報大衆版』『週報
家庭版』要求の声にも応へるものと思ひます。
 しかしパルプ資源の貴重な戦時下の今日、紙の国
策は『週報』『写真週報』も実行しなくてはなりませ
ん。そこで『読物頁』新設と同時に、グラフ頁は常に
表紙共二十頁とし(現在は二十項と二十四頁との交
代制)、読物文の用紙は『週報』の建頁を按配してこれ
に振り向けることになりました。
 かくして『写真週報』はグラフ頁の刷新と相まつ
て、飛躍的の発展を期して居ります。『週報』と共に
御愛読の程を。

第百号を迎ふ

171(1940・1・24)
172(1940・1・31)
173(1940・2・7)
174(1940・2・14)
175(1940・2・21)
176(1940・2・28)
177(1940・3・6)
178(1940・3・13)
179(1940・3・20)
180(1940・3・27)
181(1940・4・3)
182(1940・4・10)
183(1940・4・17)
184(1940・4・24)
185(1940・5・1)
186(1940・5・8)
187(1940・5・15)
188(1940・5・22)
189(1940・5・29)
190(1940・6・5)
191(1940・6・12)
192(1940・6・19)
193(1940・6・26)
194(1940・7・3)
195(1940・7・10)
196(1940・7・17)
197(1940・7・24)
198(1940・7・3)
199(1940・8・7)
200(1940・8・14)
201(1940・8・21)
202(1940・8・28)
203(1940・9・4)
204(1940・9・11)
205(1940・9・18)
206(1940・9・25)
207(1940・10・2)
208(1940・10・7)
209(1940・10・9)
210(1940・10・16)
211(1940・10・23)
212(1940・10・30)
213(1940・11・6)
214(1940・11・13)
215(1940・11・20)
216(1940・11・27)
217(1940・12・4)
218(1940・12・11)
219(1940・12・18)
220(1940・12・25)