思想戦読本 (8)

思想戦の基底

内省

 いままで我々は、いろいろの角度から、思想戦とは
凡そ如何なる性格のものであり、従つて、我々の在り
カについて、自ら深く内省しなければならぬ点の多い
ことを知つた。
 いま我々は、我々の一生を、否、我々の祖先の光
栄も、子孫の光栄も、共にわれわれ自らの内省に基づ
く献身によつてのみ護り得る大東亜戦争のまつたゞ中
に在るのである。
 紀元二千六百年十二月八日、われわれ一億同胞が、
たゞ一つの心に米英撃滅の大詔を奉戴し、偏へに皇國
日本の光栄を護つて来たこと、さらに我々自ら
の献身によつて、それを継承し、前進せしめるこ
と、そこにのみ、我々は、同時に、紀元二千六百一年
十二月七日までの歴史を、我々の光栄ある歴史として
護り得るのである。このことの意義の深さを体認すれ
ば、我々の過去を構成する光栄ある歴史を、われわれ
自らの献身によつて、我々の子孫に譲り渡すことが出
来、そしてその時、我々の子孫もまた、立派な日本国
民として、いまわれわれ自ら身を挺して建設しつゝあ
る大東亜を、さらに明朗なる大東亜として建設し、
大東亜十億の民を安居楽業せしめつゝ、皇國日本の光
栄を継承し、護持することが出来得ること、そこにの
み、「歴史」の意義があることもよく体認されるのである。
 それがすべて、あらゆる職域を通じ、いま生きて
日本国民たる光栄を保有する我々の、不屈の闘志に基
づく献身によつてのみ為されるのである。このことを
念へば、われわれ自ら深く内省し、われわれ自ら立派
な日本国民として、祖先の光栄を保有し、子孫の道を
拓開する大東亜建設の道に挺進する心身の錬成に努め
なくてはならぬ意義も自ら体認されるのである。万が
一にも、我々がこのことを怠る時は、直ちたいま述べ、
たのと反対のことが出て来るのである。更(あらた)めていふ
までもなく、祖先の光栄を地底深く埋め去り、子孫の
生くる道をふさぎ去るのである。既に思想戦の激しさ
を知り得た我々は、篤と内省し、欠くるところはこれ
を補ひ、欠くるところの無いと思ふものも更に内省
し、いよいよ強靱なる日本国民の意志を堅持し、大東
亜戦争を戦ひ抜かなくてはならない。
 そこにのみ、尽忠至誠、以て皇國日本の光栄を護持
する大道に徹し、安んじて靖国の杜に鎮りまします護
国の英霊に報ゆる道があるのである。今日一日の、この
安らかな生命を念ふにつけても、たゞの一瞬一刻でも、
我々がこの点を忘れることがあつてはならないのであ
る。

随順

 こゝで我々の内省に、最も肝要であるのは何かとい
ふことである。どうしたら、われわれ自らも立派な日
本国民となり得るかといふことである。更めていふ
までもなく、大御心に随順し奉ることである。大御
心に随順し奉ることによつて、天皇陛下の御宸襟を安
んじ奉ることである。こゝにのみ、われわれ自らそれ
ぞれの職域に奉公の誠を效(いた)し、それが同時に、皇國日
本の光栄を護持し、子孫の道を拓開するととにも通ず
る道があるのである。
 思想戦に関して、われわれ日本国民は、絶対に、世界
無比の強靱さを保有する国民である。我々の体に、いま
脈々と流れてゐる血液は、皇国日本の光栄を、いま
まで永きに瓦つて護つた遠い祖先から継承した血液で
ある。この血液が、如何なる瞬間にも、遂に我々を崩
すことな、大東亜建設の大業に邁進する時代まで持
つて来たのである。
 皇國日本の光栄を護つた祖先の血液が、ずつと我々の
体にも一貫してゐたために、たとへ米英の思想謀略が、
如何に深刻なものであつたとしても、遂に今日の隆々
たる国運を築き上げることが出来たことを確認しなく
てはならない。第一次世界大戦以後の、あの激しい米
英の政治・経済・思想その他あらゆる点を包合する謀
略にもかゝはらず、満洲事変・支那事変と、その謀略
を打開しつゝ、遂に大東亜戦争のもと、この赫々たる
勝利によつて、大東亜建設の大業を軌道の上に推進せ
しめ得るやうになつたのである。これ一に、われわれ
自らの体を貫き流れてゐる祖先の血液が、安んじて靖
国の社に鎮る皇国護持の大精神に結実し、そこに、何
ものにも屈しない極めて強靱なる信念となつて、われ
われ日本国民に堅持されてゐたからである。
 しかし、いま我々の直面してゐる米英撃滅の戦ひ
は、我々の一生は勿論のこと、我々の子孫まで、永き
に亙つて、同じ大精神に貫かれ、同じ強靱なる信念に
燃え立つのでなければ、完遂することの出来ないほどの
激しい性格を持つてゐるのである。従つて、大御心に
随順し奉る我々の信念を、さらにさらに強靱にし、以て、
これを我々の子孫に徹せしめるのでなくては、大東亜
建設の大道を驀進しつゝある我々の光栄を、我々の子
孫に譲り渡すことが出来なくなるのである。
 このために、我人の内省は、専ら、我々の血液を清
め、以て、大御心に随順し奉る道を、さらにさらに深め
つゝ体得するととでなくてはならないのである。

大御心

 大御心の深さを体得し、その体得によつて、我々の
心身を推進せしめる時、大東亜の建設は、さらにさらに
大いなる希望を我々の心に充満させる。そして、
ますます強靱に、如何なる謀略をも撃砕し、武力戦に
も経済戦にもま思想戦にも、完全に、我々の敵米英を
撃滅し得ることが出来ることを確信するのである。そ
の道は、決してむづかしいことではない。既に、我々
の血液が、我々の父祖の血液を通じて、我々に、篤と
確認させてゐるからである。その確認を、さらに確認
させて行くことが、いまの我々に絶対に必要なのであ
る。それほど、米英撃滅の戦ひは、我々の祖先が体験
した如何なる戦ひよりも激しい性格を持つてゐるから
である。
 戦線の広さだけ考へても、日清戦争や日露戦争とは
桁の違ふことは我々の現に見てゐる通りである。しか
も、皇國日本の光栄を護持する戦ひの理念においては
いさゝかも違ふところはないのである。
 そのために我々は、先づ、明治二十四年に、明治天皇が、

   とこしへに民やすかれといのるなる
       わがよをまもれ伊勢のおほかみ

と御祈念遊ばされた大御心の深きを体得しなければな
らない。やがて、明治三十四年に、

   ちはやぶる神のこゝろを心にて
       わが国民を治めてしがな

三十五年に、

   ちはやぶる神のまもりによりてこそ
       わが葦原のくにはやすけれ

と、つゞいて三十六年に、

   わがこゝろおよばぬ国のはてまでも
       よるひる神は守りますらむ

   民のため心のやすむ時ぞなき
       身は九重の内にありても

と仰せ給ひし明治天皇が、日露戦争の激しき日々を、
如何に御過し遊ばされたか、我々は、そのことを数多
く遺されて在る御製を拝しつゝ内省したいと思ふの
である。
 明治三十七年正月、日露の風雲急なる時に、

    あしはらの国のさかえを祈るかな
        神代ながらのとしをむかへて

と仰せ給ひし天皇は、二月十日、遂に宣戦の大詔を御
渙発遊ばされ、

 ・・・・事既ニ茲ニ至ル 帝国ガ平和ノ交渉ニ依リ求
 メントシタル将来ノ保障ハ 今日之ヲ旗鼓ノ間ニ
 求ムルノ外ナシ 朕ハ汝有衆ノ忠実勇武ナルニ
 倚頼シ 速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ 以テ帝国ノ光
 栄ヲ保全セムコトヲ期ス

と仰せ給ふたのであるが、この後、花咲く春が来ても、

    世の為にもの思ふ時は庭にさく
        花も心にとまらざりけり

    思ふ事たえぬ今年は春の夜も
        ねざめがちにてあかしけるかな

    戦のにはに立つ身をいかにぞと
        思へば花もみるこゝちせず

と御歌ひ遊され、暑い夏が釆れば、

    夏しらぬこほり水をばいくさ人
        つどへるにはにわかちてしがな

    千万(ちよろづ)のあたをおそれぬすらをも
        この暑さには堪へずやあるらむ

    いくさ人いかなるのべにあかすらむ
        蚊の声しげくなれる夜ごろを

    つはものはいかに暑さむ凌ぐらむ
        水にともしといふところにて

と戦ふ将兵の困苦を御想像遊ばされ、

    たへがたき暑さにつけていたでおふ
        人のうへこそ思ひやらるれ

と傷兵の身に、深き大御心を垂れさせ給ひ、しか
も、国内に在る国民生活の激しさに対しては、

    たちつゞく市(まち)の家居は暑からむ
        風の吹入る窓せばくして

    暑しともいはれざりけりにえかへる
        水田にたてるしづを思へば

と、都市の民に対しても、農村の民に対しても、同じ
大御心を深く垂れさせ給ひ、

    照るにつけくもるにつけて思ふかな
        わが民草のうへはいかにと

    事有るにつけていよいよ思ふかな
        民のかまどの煙いかにと

と、たゞ偏へに、民の安寧のみを御祈り遊ばされ、

    山田もるしづが心はやすからじ
        種おろすより刈りあぐるまで

    神垣に朝まゐりしていのるかな
        国と民とのやすからむ世を

と御祈念遊ばされる天皇は、秋の夜の明月に対しても

    たゝかひのにはに心をやりながら
        むかひふかしつ秋のよの月

と、戦場に在る将士の心を、御自らの御心と為し給う
てゐるのである。御縁側に、たゞ御一人、いつまでも
いつまでも、月を御眺め遊されてゐる御婆が瞼に映
る。真に恐懼感激にたへない。

    しぐれして寒き朝かな軍人(いくさびと)
        すゝむ山路は雪やふるらむ

    寝覚(ねざめ)してまづこそ思へつはものの
        たむろの寒さいかゞあらむと

寒き夜も、御安眠遊されないのである。

    ひとひらの地図ひらきみてつはものゝ
        すゝむ山路を思ひやるかな

    軍人(いくさびと)すゝむ山路をまのあたり
        見しは仮寝のゆめにぞありける

 ひとひらの地図を御ひらき遊ばされて、進む将士の
山路の困難さを御案じ遊ばされ、仮寝の御夢にさへ、
その山路を御覧遊ばしてゐる。

    いはがねのこゞしき山をてる日にも
        たゆまずこゆるわが軍人(いくさびと)

    おのが身にいたでおへるもしらずして
        すゝみも行くかわが軍(いくさ)びと

    わがこゝろ千里の道をいつこえて
        軍(いくさ)の場(には)をゆめにみつらむ

 畏れ多くも同じやうな日を御つゞけ遊ばされてゐる
のである。そして、

    かぎりなき世にのとさむと国の為
        たふれし人の名をぞとどむる

    はからずも夜をふかしけりくにのため
        命をすてし人をかぞへて

 暗夜、お静かに、一人、二人、三人と戦死者の教を
御かぞへ遊ばされてゐる天皇の御姿、そして

    たゝかひに身をすつる人多きかな
        おいたる親を家にのこして

と、遺族たちのことを御考へ遊ばされてゐる天皇の
御姿、また

    くにのため心も身をもくだきつる
        人のいさをたづねもらすな

    よとゝもに語りつたへよ国のため
        命をすてし人のいさをを

と御述懐遊ばされ、

     戦のにはにたふれしますらをの
        魂(たま)はいくさをなほ守るらむ

     年へなば国のちからとなりぬべき
        人をおほくも失ひにけり

と御述懐遊ばされつゝ

     たゝかひの場(には)はいかにと思ふかな
        いなゝく駒の声をきくにも

     仇まもる船をいかにとおもふかな
        青海原を見るにつけても

と、いなゝく駒に、青海原に、陸海の将兵の身を御案
じ遊ばされる天皇の御姿を拝察し、更に

     ひさしくもいくさのにはにたつひとは
        家なる親をさぞ思ふらむ

の大御心を想へば、たゞたゞ感激あるのみである。
 静かに瞑目(めいもく)して、大御心の深きを体認しよう。真に
万国無比、ありがたき國體は、こゝに在るのである。

     かみつよの聖(ひじり)のみよのあとゝめて
         わが葦原の国はをさめむ

     橿原の宮のおきてにもとづきて
         わが日本の国をたもたむ

 共に、明治三十七年の御製である。旧き肇國の理念
は、この激しい戦ひのまつたゞ中にあつて、畏れ多く
も、明治天皇の御心に充ち溢れてゐたのである。

御稜威

     軍人(いくさびと)ちからつくしゝかひありて
         仇もなかばゝまつろひにけり

 この御製に示さるゝ明治三十七年は過ぎて明治三十
八年、三月の奉天会戦、五月の日本海海戦を以て、遂
にロシア撃滅の戦ひは終つた。

     戦にかちてかへりしつはものゝ
         勇ましくこそたちならぴけれ

     いさましくかちどきあげて沖つ浪
         かへりし船を見るぞうれしき

と仰せ給ひし明治天皇の御心を拝察すれば、我々の父
祖の献身が、いかばかり御宸襟を安んじ奉りしことか
とうれしく思ふのである。しかしなほ天皇は、

     外国(とつくに)にかばねさらしゝますらをの
         魂(たま)も都にけふかへるらむ

     むかしよりためしまれなる戦に
         おほくの人をうしなひしかな

     万代(よろづよ)もふみのうへにぞのこさせむ
         国につくしゝ臣(おみ)の子の名は

と仰せ給ふたのである。これ一に、

     とこしへに民やすかれといのるなる
         わがよをまもれ伊勢のおほかみ

と御祈念遊される天皇の大御心に発する御稜威の深さ
に基づくのであり、明治十一年に、

     いにしへのふみ見るたびに思ふかな
         おのがをさむる国はいかにと

と仰せ給ひし天皇が、日露の戦勝を

     世の中にことあるときぞしられける
         神のまもりのおろかならぬは

     くもりなき朝日のはたにあまてらす
         神のみいつをあふげ国民(くにたみ)

と御寿(ことほ)ぎ遊ばされ、明治三十九年には、

     日の本の国の光のそひゆくも
         神の御稜威によりてなりけり

と、明治四十三年には

      あまてらす神の御光ありてこそ
         わが日のもとはくもらざりけれ

と御歌ひ遊ばれてゐるのである。この御稜威が、日露
の戦ひに勝つて迎へた明治三十九年の春、

     よろこびのうたげするこそ嬉しけれ
         もゝの司をうちつどへつゝ

の御製に、また四十年の

     平かに世はをさまりて国民と
         共に楽しむ春ぞ嬉しき

の御製、つゞいて四十三年の

     千万(ちよろづ)の民と共にもたのしむに
         ます楽はあらじとぞおもふ

の御製、さらに四十五年の

     国民の業(わざ)にいそしむ世の中を
         見るにまされる楽はなし

の御製に拝されるのである。その同じ年に、

     心からそこなふことのなくもがな
         親のかたみと思ふべき身を

と、我々の心身は、親の形見であるぞとの有りがたい
御言葉を御示し遊ばされてゐる。こゝに我々が、父祖の
心を我々の心として献身すべき基底がある。こゝに体
認する御稜威こそ、「八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(せ)むこと、また
よからずや」と仰せ給ひし神武天皇の後、御歴代の天
皇が、たゞ偏へに、民の安寧を皇祖皇宗の御神霊に御
祈念遊ばされた道、祭と政の一体として在る道を御護
り遊ばされるところにのみ発するもの、皇國日本の歴史
を貫く光りである。
 この尊くも有りがたき尊厳なる國體を体認すれ
ば、紀元二千六百一年十二月八日、米英撃滅の大詔
に、

 事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起
 ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ
 皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武
 ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シ
 テ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保
 全セムコトヲ期ス

と仰せ給ひし大御心の深きを体得、こゝに、御稜威の
もと、この赫々たる戦果を基底に、大東亜建設の軌
道を驀進し得るに至つた根源も、自ら体認されるであ
らう。若し体認することが出来ないとすれば、それが
米英思想の禍ひに陥没したことに基づくのを内省しな
ければならない。

献身

 明治元年の後、昭和十七年は、正に七十五年目であ
る。従つて、その半ばは三十七・八年、その時、我々の
父祖が完遂した日露戦争は、神武天皇の古に基づく
ことを大理想として断行された明治維新の大業が、ほ
ぼ実を結んだ時であつた。
 日露戦争の後、正に三十七年にして展開した大東亜
戦争は、日露戦争によつて、漸く軌道に乗つた皇國
日本の興隆を、いよいよ決定する戦ひであり、しか
もいま我々は、そのまつたゞ中にあるのである。
 日露戦争の間、如何ばかり、御宸襟を安んじ奉るた
めに我々の父祖が献身し、それが我々の時代を創造
し得た基底であることを思へば、いま我々が、大東亜
戦争を完遂する献身に、我々の生を一貫することが、
如何に歓喜に満ちた光栄の道であるかも体得される。
我々は、たゞ偏へに、大御心に随順し、大御心を安
んじ奉る献身によつてのみ

     とこしへに民やすかれといのるなる
         わがよをまもれ伊勢のおほかみ

と御祈念遊ばされる天皇陛下のもと、万民一体となつ
て、この戦ひの完遂に挺身し得るのである。
 この原理の確乎たる体認によつて、我々が、それぞ
れの職域に至誠奉公の道を推進する時、米英の思想謀
略の如き、いさゝかも、我々の国土に侵入し得るもの
でない。我々は、いよいよ強靱なる日本国民の意思を
堅持し、祖先の光栄を護持し、子孫の光栄を保有す
るのである。しかして、大東亜十億の民また欣喜し
て、皇國日本の光栄を護持し、御稜威のもと、大東亜
の建設は、逞しく前進するのである。
 これすべて、いま生きて、皇國日本の民たる光栄
を保有する我等一億国民の献身に基づくのである。こ
の原理を体認すること、こゝにのみ、大東亜建設の大
業を推進する日本国民の光栄は、永遠に我々と我々の
子孫に護持され、同時に、我々の祖先の光栄も護持さ
れるのである。
 最後に、日露戦争の際、

     国をおもふみちにふたつはなかりけり
         軍(いくさ)の場(には)にたつもたゝぬも

     なりはひはよしかはるとも国民の
         同じこゝろに世を守らなむ

     国の為いよいよはげめちよろづの
         民もこゝろをひとつにはして

     思ふことつらぬかずしてやまぬこそ
         大和をのこのこゝろなりけれ

と仰せ給ひし明治天皇が

     よもの海みなはらからと思ふ世に
         など波風のたちさわぐらむ

と四海みな同胞と仰せ給ひし大御心を銘記し、しか
して、昭和十七年正月、大東亜戦争の勃発直後の御製に

     峰つゞきおほふむら雲ふく風の
         はやくはらへとたゞいのるなり

と仰せ給ひし大御心を拝察、以て、大御心を安んじ奉る
われわれ日本国民の献身に、米英撃滅の思想戦の基
底もまた在ることを銘記しなければならないのであ
る。

思想戦読本 −終−