学 問 論


      一
   かくぞくいツか げん
我輩ハ革俗一家言の南三項に革問に関したることを挙げたれども猶ほ言
                      こゝ
ひ表さゞりしところあるを以て故に別項を設けて陳述するところあらん
            おほりうかう
とす近来賓寧とか云ふ事大流行にて革問をするからハ賓孝でなけれバな
   など
らぬ杯と言ひはやせども其質草と云ふハ果して如何なるものなるや一向
                を
明解も無し中にハ随分誤解し居るものもありと聞けバ故に一言して其
 まどひ
惑を舛ずべし或ハ日く鉄道電信等の賓革を修むぺし杯とんでもなき事を
主張するものあるに至れり成程鋳造電信の如きハ賓寧より生ずる結果の
費業にハ相違なけれども最早之を資施する以上ハ技蛮的の事にして寧間
            もと            ちようがく
とハ云ひ難かるぺく其の本を推すときにハ矢張敷革重寧等を應用して
得たる結果に相違なかるぺし猶ほ其他百般の工業殖産腎業の事凡そ西洋
                                 しん
流のものハ皆な寧間に基きて起りたるものにて此等の事業こそ異に東洋
人の西洋人に及ばざるところなれ又た無形の事業即ち法律商業の如きも
其の虞理の精密なるに到りて畢問即ち理学の訓練によりて進歩したるこ
と多し然らバ今日の文明開化の精神とハ理化の効用の酒蔵なるの謂にて
                            はい
此理畢こそ眞に資撃と云ふも可ならん然れども無季の輩ハ其因て来ると
ころを察せずして直接に利益のなき事ハ賓寧に非らず杯との思想を起し
 やゝ
動すれバ俗人を瞞着せんとするの傾向なきにしもあらず故に其例を挙げ
て今一層之を極言すれバ現在今日の祀曾に身を立つるにハ学問ハ必用な
                            か−し
りと百も承知し居りながら教育の馬めに金を費すを寄む袖の往々之れあ
 しかう                        ヵ
り而して此等の輩を攻撃するの地位に立つものに於ても夫の直接の利益
                     とが
 のみを得んと考へ居る輩に到りてハ矢張尤めて之に数ふの弊ありて理章

瑠の原理を研究する等非常の耐忍と労力を費して一身を犠牲にするの士を
 重んずるを知らず却つて此等の輩を管親し迂潤となし迂遠となすに到る
       0 0
是れ皆な偽筆を修めたるの過ちなり若し此誤解にして其人一身に止まる
                                    かいご
ものとせバ我輩又何か言ん然れども前述の如く遽に世間の公衆を謹誤す
                 いさゝ
るの恐れなきにしもあらざれバ嘲か之を排ぜざるを得ず試みに思へ歌洲
諸国に於ても国威を外国に輝かし開明の度の高き国々を見れバ其理学上
の研究の如きも貰業上の事と新進し決して外相を粧ふて虚勢を張るに止
                  いづく   かく
らず其養成するところ深きに非ずんバ焉んぞ能く此の如くなるを得んや
                    ぜんちん                        じ げ て
固より俗人より之を見れバ前陳の如き理拳熱心家の為すところハ兄戯手
 付しな
品に類似するやも料り難けれども是れ固より斯あるぺきことにして所謂
                                        こと
民ハ之に依らしむぺし之を知らしむぺからずとの古人の言の如く敢て知
                      たゞ
らざるを厭はざれども大の偽畢者の如きハ曹に知らざるを知らずとせざ
るのみならず却ツて理学者の妨害をなすの恐あれバ我輩己むを得ず之が
紳護を為さんとするものなり我輩ハ此第の終りに臨んで世間公衆に封し
猶一昔ロせんと欲することあり大の児戯手品の如く見ゆる埋草者の事業こ
そ眞に繊道電信等の如き文明要具の母なれバ其の拳を賛成して菅に口上
にて賛成するのみならず相官の寄附金こそ望ましけれ是れこそ大の記念
碑の馬めに寄附金を出し若くハ後世の馬めに寄附する杯に此すれバ眞に
                く どく
有益なる寄附金にして其功徳たる賓に莫大なりとす而して紳俳若し垂あ
らバ此等の人をこそ極楽往生せしむなるぺし今や帝国大革命の態布あり
         まさ
て学問の基礎終に建たんとす因て我輩ハ故に公衆に赦して理寧研究(サ
                                うなが
 ヤンチイツタ、イングエスチゲーション)の為めに醸金あらんことを趣
す所以なり然れど我輩ハ又理寧研究者に封して期望するところなきにし
 もあらざれども是れハ第二篇に譲らんとす

       二
我輩ハ畢問論第一篇に於て世間償畢の輩が眞理の為めに身を犠牲として
寧術に汲々たるを見て兄戯手品の顆となし遂に公衆を謹誤する恐れある
 を以て之を攻撃したりしが今故に再び寧者の事業を論じ我輩の析謬する
学者とハ如何なるものなるかを舛ずぺし若し世間倍率の輩が攻撃する蓉
                      たゞ
者輩にして眞に寧術を研究するものに非ず只陽に学者の皮相を飾るもの
とせバ我輩固より此等の輩の鳥めi勝護する能はざるなり我輩ハ敢て某
畢士の為めに折護するに非ずして我邦寧術の為めに弊護し従つて我邦に
於て一大態明ありて以て宇内の尊敬を得ん事を折るものなり堂他あらん
 や
 そもそ
抑も我邦に西洋の革間の行はれて以来今猶僅に三十年全体より之を見れ
                   とて
バ其交際ハ師弟の如き有様なれバ辻も及ばぬことながら壮年血気の士に
 あつてハ出藍の才とならんとて随分最初の程にハ慣餞心もありて畢術に
 精励すれども一旦海外に航して其賓況を窺ひ知りたるものに在りてハ其
 風に心酔して一にも西洋二にも西洋とロにハ言へども共感風にのみ心酔
           くわきかうしやう
 して西洋と錐も白から和照高尚の気風あるを察せざるものも亦世に少し
 とせず是れハ一種の洋僻にして最も普通のものなりとす此他に洋僻種々
        ▲ノち
 ある内孝者の中にも亦洋僻とでも云ふぺき種類の人物ありて只管撃とか
        たいき上くづせつ   けんはくい どう
 何撃とか云つて太極朗読若くハ堅自異同の排を為し一足飛びにへ−ゲル
 カント粁貯野けと云はんとするの勢ひなれども如何せん其拳問の仕方の
 通常ならざるを以て其正味の脳カを論ずれバ欧米諸国の小寧校の教員の
                                      とゞ●−
 程度に過ぎず若し偽学者流にして此等の輩のみを攻撃するに止るとせバ
                              ぎ 0 0 しや
 我輩も亦必ず偽畢の構を下さずして直に之に同意しカを極めて侭哲寧者
  hソーhノ
 流の攻撃を為すぺし         王ちんじゆつ
 扱て又理畢者の研究せんとする寧科に於ても己に前陳述したる如く三十
                みだ
 年の後に開け始めたることなれバ浪りに西洋人と眉を並ぺんとするも到
 底言ふぺくして行はるぺきことに非ざれバ何とか工夫を付けざるぺから
        lノち
 ず即ち理孝の中にても数学物理化寧等の如きに到りてハ何か蜃明せんと
       やゝ
 種々工夫の中梢新奇なることを思付き数月香一二年問も研究せしに何ぞ
            ど い つこく                まゝ
 料らん此事ハ十数年前に濁逸園の某氏己に俊明せりと此の如き事も問あ
 ること1存じ兎に角に我邦に於てハ自国の最も通常の位地なりとする寧

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                          きき
業を研究すれバ利益多からん是れ我輩が農に陳述せしところあ灯し所以
                        こ れ ら
 にして我輩の如き素人の見るところによれバ虎列刺脚気等の病因及び其
治療法。暴風律。地震観測等其他地質。動植錬物拳の如き我邦に固有せ
 るものを研究せバ畢問上にも必用にして費業上にも亦必用のことなれバ
一個人の生命を救助するも柏官の褒賞ある世の中に一国の幸摘を定むぺ
 き大事業を挙げたるに報酬なきの道理あるべけんや
                (朋治十九年三月六、九日「讃費新聞」)