「日本人」 の上途を餞す


「日本人」将に出でんとす矣、如何なる文字を写してか爾が行色を壮にせん、吁嗟想ふて此処に到れば意匠蕭疎、転た筆を擲んとするものあり、何となれ爾が前途は迢々として啻に路八千のみならず、雲は秦嶺に横りて雪藍関を擁し、行程崎嶇、馬玄黄、長亭短亭到る処、斉く是れ爾が歩を碍(さゝ)へ脚を疲らし、爾が衣を裂き視聴を震驚せざる無きを以てなり、若夫れ爾の上途をして猶ほ逐臣の謫所に就くが如く、些の目的も無く希望もなき者とせば、予輩乃ち爾に餞するに陽関三畳の悲歌を以てせんのみ、然れ共予輩断信す、爾ハ逐臣に非ず謫所に就く者に非ず、復た必ずや若干の目的と幾多の希望を懐抱する者なるを、然れば其初め爾が征途偏に崎嶇曲折なるにもせよ、一歩一歩に漸く直く漸く夷く、行々重行々、竟に出でゝ平原に到れば天長へに地濶く、乾坤清澄、双眸瀰茫、閃々たる希望の光明早くも地平線上に掩映して、爾が目的する個処の遠きに非ざるを予報するならん、既に然り然らば則ち予輩爾に餞するに陽関三畳の悲歌を以てせずして、凱旋勝利の頒詞を以てせんか、否々爾「日本人」は其目的と希望とを斐然成就したりてこそ、百曲千曲の凱歌を朗唱すぺきも、今日是れ爾が行路難にせば上途の期節にして、爾が軍旅にせば猶ほ戦場に行陣するの門出なれば、予輩唯爾に勗るに克く天命を剣として戦ひ正義を銃として闘ひ、縦令刀折れ弾尽き斃而已むも偏に至理の犠牲となり、死後白骨の秋雨に暴露するも悪草をして漫に滋蔓せしめざらん事を以てする者なり
「日本人」若干の目的と幾多の希望とを懐抱すと、借問す爾が所謂目的と希望と何許にか在る、曰く

当代ノ日本ハ創業ノ日本ナリ、然レバ其経営スル処、錯綜湊合、一ニシテ足ラズト雖モ今ヤ眼前ニ切迫スル最重最大ノ問題ハ、盖シ日本人民ノ意匠卜日本国土ニ存在スル万般ノ囲外物トニ順適恰好スル宗教、徳教、教育、美術、政治、生産ノ制度ヲ撰択シ、以テ日本人民ガ現在未来ノ嚮背ヲ裁断スルニ在ル哉、吁嗟斯ノ千歳一過ノ時機二際シ白眼以テ世上ヲ冷観スルガ如キハ、是レ豈日本男児ノ本色ナランヤ

と、吁嗟閲して此処に到れば世人軒ち爾「日本人」が倨傲自から揣らず、漫に限りなきの希望を懐抱するを嘲笑するならん、世人果して嘲笑せん乎、蓋し爾之を多謝するなり、然れ共予輩爾の為めに世人が嘲笑するの転た薄情冷淡なるを哀訴せずんばあらざるなり、何となれば爾が庸を振ひ精を励まし満腔の熱情を極尽し之を写して寄贈したるに、世人縦令一顧の恩を詫びざるも、猶且好意を以て爾を待ち、言を尽して足らざる及ばざるを戒飾して可なる可し、安んぞ偏に爾を嘲笑するの理やあるぺき、蓋し爾萬斗の嘲笑を世人より買んよりも、寧ろ一般の哀憐を博せんとする者なり、爾豈に漫に倨傲鮮腆ならんや
斯くの如く爾「日本人」宗教、徳教、教育、美術、政治の完了円満なると、兼て理学、農工商業を奨励しで無形に有形に限りなきの慾情を蘊蓄せる者なりと雖も、蓋し這般の慾情たる爾一身の必要より発生したるに非ずして、爾自から揣らずと雖も、爾が同胞兄弟姉妹の徳義を厚からしめ、其智力を啓発し、併して其衣食住を豊足ならしめんと欲するの熱情より揮したる者ならん、然れ共爾矯激飛越、一躍して同胞兄弟姉妹の徳義を厚からしむること猶元禄時代の士女の如くならしめ、其智カを啓発する事猶ほエナゲッチンゲンの碩学鴻儒の如くならしめ、其衣食住を豊足ならしむること猶天津橋上繁華子の如くならしめ、又彼の此年餓死凍餒せる者を地下より喚び起して之に錦衣玉食せしめんことを希望するが如き至難至困なる目的を懐抱する者に非ず、唯冀く彼の「カヅラ」の根、蕨の餅、一歳一回鎮守祭礼の節、黍粥を畷るを以て人生第一の快楽となし、日夕催租の胥吏が柴門を敲く毎に輒ち心を乱し胎を落し、或被衣を典して之が督責に充て、母病床に臥して児飢寒に叫び、経営惨澹、意匠凄疎たること猶ほ

”Give me three grains of corn, mother,
 Only three grains of corn;
It will keep the little life I have,
  Till the coming of the morn.
I am dying of hunger and cold, mother,
  Dying of hunger and cold,
And half the agony of such a death
  My lips have never told.”

”The king has lands and gold, mother,
  The king has lands and gold,
 While you are forced to your empty breast
     A skeleton babe to hold,-
A babe that is dying of want, mother,
     As I am dying now,
With a ghastly look in its sunken eye,
   And famine upon its brow.”
                             - Miss Edwards.

の如き、多数民人をして責ては六日の勤勉一日の休憩を獲せしめ、恰も好し此夕村落の春雨、霏々として絲の如く担を繞るの点滴、声琴筑に似たる裡、眉雪の父老が鏡を把り一葉の新聞紙を展ぺ来り、家族の児孫を炉辺に集め之を購読しける後、共に携へて晩餐の食卓に就き、翁媼、夫婦、児孫団欒として相擁し、満盤の菘蔬雨を帯びて翠色滴んとする処、且一の鶏肉を賞味し罷んで、坐ろに飽き来れば、被髪紅頰花の如き八才の小孫翁媼の奨励に順従して輒ち起立し、可愛の音調もで一曲の「君が代」を朗唱すれば満室の喝采涌くが如く、為めに菜畦竹籬の鴿鳩(はと)をして驚起せしむてふ計(ばか)りしきの清福快楽と、智力利便とを博取せしめんと欲する者なり
盖し爾斯の如く同胞兄弟姉妹の最大数をして適宜の清福快楽と智力利便とを個々漸次に増進せしめ、而て這般の個々増進したる清福快楽を来集し、智力利便を湊合し、之を累々堆積し、以て鞏固確乎たる大日本の国礎を建築せんとする者ならん、爾「日本人」 の希望眞個に此の個処に至りて到達せりと謂ふ可き哉
盖し爾「日本人」が畢生懐抱する処の大精神ハ実に鞏固確乎たる大日本の国礎を建築せんとする者なり、爾が平素経営する処、周旋する処、勢力の極尽する処、熱血の澆(そそ)ぐ処、実に此の個処にありとせば、彼の国内宗教の嫉妬の如き、政党の軋轢の如き眞個に雲烟過眼ならん、落花流水ならん、安んぞ眥(まなじり)を裂き腕を扼して相疾視するを是れ用ひん、盖し汝保守主義を懐抱する者に非ず、何となれば爾日本の国礎をして愈鞏固に愈宏大ならしめんことを目的とする者なれはなり、盖し爾過激極端の主義を薀蓄する者に非ず、何となれば過激極端の言論と作業と動もすれば日本の国礎を揺動して撩倒せしむるの恐れあればなり、之を要するに汝革命者に非ずして、改革者たらさる可からず、顛覆者に非ずして修繕者たらざる可からず、何となれば革命者自づから破壊の分子を薀蓄し、当代の事物を挙げて悉く排撃斥攘するを本領となすが故に、基礎中の最も孱弱なる部分を見し、此処より直ちに之を顛覆せんとするの傾向あれ共、改革者基礎の最も孱弱なる部分を見して只管に修繕せんとする者なればなり、然れ共若し夫れ立国の基址たる柱礎たる最多教の国民か幸福、権利、勢力小数者の占領する処となり、国民即ち基本柱礎太だ鞏固確乎たらすして、而して這般の上に限り無きの幸福、権利、勢力を保有する者を盛(も)らんとせば、是れ国家の撩倒滅亡を速くの最大源因にして、即ち数理学の大法に違戻し、重学の大則に背馳する者なるを以て、爾「日本人」力の及ぷ丈け能ふ丈け、之を排撃斥攘せざる可からす、業既に教理学の大法に違戻し、重学の大則に背馳するを稔知し、而して黙々等閑に附し去らんとせば、爾が半生所得する学術の要竟に何たるを知らざるなり、呼嗟爾が平素学ぶ処は果して何の書ぞ、斯れ何の秋ぞ、知得せよ天命に順適し、倫理の大本に順適し、数理学の大法に順適し、重学の大則に順適し、且日夕爾が頻に汗して労役し、労して而して食し、役して而して衣す、而て後、爾が良心の縦認する処に追随し、以て満腹の経綸を吐き出さんとす、爾も亦日本の一男児なり、爾復た何をか怯れんや、行矣「日本人」よ、爾が行路難即ち爾が気力胆略の試験場なり、山羊四足、馬四足、天下復た爾を碍(さゝ)ふるのアルプス山あらん哉
                (明治二十一年四月三日「日本人」第一号)