薩摩風
宋人は愚なる例にて戦勝者の容子は常に立汲に見ゆされば隼人の薩摩人
が都ふりをさへょしと思ひてか書生の羽織が薩摩かすりなるを兵兄帝を
下腹に巷つけてもろ腕つ〜込み脛も露はに厚歯の下駄踏み出てたるも可
なりとせん巡査の薩摩靴めかすも恕すべしとせん賀眉考張せる軍人が室
内射的の女中に戯れたるに猶薩摩靴を眞似たるいと胸悪し森山孝盛が購
のをだ巻に
御奉公する者などの紀園風とて上下の眉を後へゆるにして紋所の眉の
先へあたる位にして着たり是は紀州の風俗なりと見えたり有廟紀州よ
り被魚入たれは江府の諸士も自然と紀州の風俗を眞似たるなり
とある享保の頃の人情も昔も今もかはらぬは勢につく世の人果敢なさな
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(明治二十六年十一月十八日「日本人」(第二次)第四競「樗陰散語」)