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 殺 傷 論
                
     《刺客と文明政令の関係》


              
凡そ殺傷の非文明なることは、歴史ありて以来人皆な之を知る、必ずし
如や僻桝奔cr砕微少炉がや師fかが即舶か監rがかh大の人の肉
 を食らひ若しくは人の隅膜を列ねて名著とする攣族は格別、窄も国家を
 立てゝ法律を有する人民は、古今東西の異を諭せず誰れか人を殺傷する
                                 
 を以て善事と為すあらんや。蓋し人の生命は天授なり。人にして而して
                                
 人を殺し若しくは人を傷つくる、是れ天理に注がふもの、此の論法より
             
 せば自殺亦た天理に背くなり。儒造の理想に於てすれば、兵固より兇器
 にして戦も亦た危事なり、而して刑は則ち無刑を期すと云ひ、自殺の如
 きに至りては孝道に反すとさへ教ゆるにあらずや。儒道は二千五百年前
 の嘗物、猶ほ且つ殺傷の善事に非るを言ふこと大抵此の如きものあり。
 若し犬れ悌教は儒道よりも更に肯きものなるに、彼れ亦た殺生を戒むる
 最も深く、膏に人々の間のみならず、下等動物に対しても殺傷を禁する
 さへあり鮮酔酢弊酔いかが都僻辟併〕紗那如・ぷ労い、粋即掛沖田軒
舶中尉中郷l志仇即断iや僻濫汀いかがかかかh郎中尉靡桝沖弊晰
 かが桝、緋鮮畔仰が奔i中尉がや師少抑かが即か少で弊即妙知和かが
 や酔が卵い紳i卵
 道理を以てせば、人を殺傷するは絶封的に慈し、、濁り私闘のみならず
 公戦亦た惑し1、縦令ひ法律に依るとも筈刑死刑皆な慈しゝ、何となれ
 ば、人にして人を殺傷することは、天理に達へばなり。今や世論に於て
 は国法に於ての如く、唯だ私囲を意事とし而して公戦をば善事とし、答
 刑の頼を廃したるも両かも死刑は依然として猶ほ存する、是れ何の故に
                             
 か由る。説者轡な日く、『人弊社禽の不完全』に由ると。死刑可廃の論


                                
 は久しく己に存立し、戦争可禁の議亦た久しく己に唱道せらる、而かも
                                
世人多くは之を妄想迂論として痛く嘲笑するは何の理由ぞ。孟亦た『人
                         
頬紅禽の不完全』なる此の如き理想を容れざるを以てのみ。夫れ死刑可
魔の論及び戦争可禁の議は、近世欧米の学者往々之を唱へつゝあるも、
東洋に在りては、儒造俳敦数千年前より己に此の理想あり。然りと雖ど
 も『人頬紅合の不完全』なる未だ容易に行ふぺきの横合に達せず。是故
 に儒家は戦穀の碑に笑し、彿家は刑除の骨を葬り、而して満足せざるを
                                 
 得ず。人を殺ろし人を傷つくる、何の目的に出づるも何の方法を用ゆる
                                
 も、道理に於ては善事たるの場合あるぺき無し。帝王相賂と雖ども、甚
                                
 夫甚婦と雖ども、殺傷を以て善事と為す能はざるは固より異同あるぺき
        
 無し。是れ道理なり。
                    
 但だ記臆すぺきは『人顆政令の不完全』と云ふこと即ち是れなり。犬れ
 人類杜合の不完全は戦争をも必要とし又た死刑をも必要とす、甚しきは
 大の欧洲諸邦に在りて所謂る『決闘』をも必要として公許するさへあり。
 決闘なるものは私固なり、其の目的や個人互に其の私憤を漏らすに在り
 て往時の眞創勝負に頬せり〃酔秒針桝秤秤挙がぞ師評那加藤野即砕
         
 りても猶ほ然り。今ま一個の刺客出てゝ人を殺す。人を殺す者は刑あり、
 紳ぷ桝如卵廓鮮卵教師いや砕L欝h紳軒lHやかが舶朝晩酔bレや
               
 の恥辱か野攣囲たるの澄微か、然らば今日の世所謂る文明国は求むぺき
  
 無し。十年以前の蕾事は暫く措かんも、近年に在りて、攻囲の皇后は兇
 手に罷り、彿囲の大統領も兇手に興れ、伊国の皇帝も兇手に崩したりき。
 稗して基督敵国といひ誇りて文明社会と日ふものに在りてすら、近十年
 以来に於て時々此の如き凶欒あるを免れず。況んや、市井の間甚大睡婦
dの階級に於ては、殺傷自殺の類殆ど日として之れ無きはなしといふをや。
・         上 人一人 1 1 1一人              
 我が囲に在りても、強盗の富人を殺傷する、痴漢の情婦を殺傷する、乱
         1 上 人 1 上 人 上 人 上  人              
 人暴徒の互に私闘して相ひ殺傷する、殆んど虚日なくして、諸新聞紙の
         一人 1 1 上 人 1 1 1 1 1            
 哺哺代第与佃咄代議竺憎岬嶋増恨憫囁け諾甥佃倒さへ面白そうに記
 述して、以て読者の好奇心に投ぜんと擬するに非ずや。戦争可禁論、死

 刑可壌翰、此の兄弟なる二論は、天理人造に放て開くぺきも、今の世唯
 だ未の『人類融合の不完全』といふを以て寧者宗教家の妄想と目せらる
 而して決闘を公許するの囲もあると同時に、市井間の殺傷は尋常硯せら
                                       
 れて、寧ろ諸新聞紙の歓迎する所たり。今や刺客の出づるに及び、彼れ
                              
 日々市井の殺傷を歓迎する所の諸新聞紙が、疎かに文明論を捨ぎ出し、
                           
 殺傷の非文明なることを今更らの如く絶叫するは抑も何ぞや。
 殺傷の非文明なるは刺客出づるに及びて始めて言ふべきにあらず、諸新
聞紙が日々歓迎いて好材料とする所の市井間匹夫匹婦の殺傷は、皆な文
                              
 明時代の佳象にはあらざるなり。況んや、議員選挙の時に首り、所謂る
                                
 壮士等に凶器を授けて運動せしむるが如き、其の凶器を以て反封の候補
                         
 を狙撃するが如き、皆な蓋く非文明なるを免れざるをや。苛も殺傷の非
 文明なるを言ふ者は、天下に戦争可禁論又は死刑可廃論の如き有るをも
 知らざるべからず、古今東西の別なく凡そ一切の殺傷は紹封的に善事な
 らざる所以をも知らざる可らず、従つて市井亡頼匹夫匹婦間の殺傷も亦
                            
 た文明論と関係あることをも知らざる可らず。濁り刺客のみに付きて文
              
 明論を櫓ぎ出すは、是れ偽文明論者なり、文明論をロにするの資格なき
   
 者なり。
                  (明治三十四年六月二十六日「日本」)