政界の技術及批評


 距今十年前の政裳は皆な批評家たり。自由業といひ、改進篤といふ、彼
 れ等は時の政府官局者に向ひて批評するのみを能事と為し、早晩自ら局
 に官らん時の其の技術を研くことには蓋し甚た疎なりしなり。或は自ら
 局に官らんと欲するの希望をだに抱かざる者ありて徒らに批評を試み、
時と虞とに随つて大異同あるへき資際の事情をば殆ど眼中に置かすして、
 五十年乃至百年前の古書陳説に基き峯漠たる道理をロにし、以て自ら政
事家たるを得へしと思ひたり。常時の政其は是れ政界の批評家たり。
憲法政治賭に行はれんとし、帝国議合格に開かれんとし、政集内閣婿に
 来らんとするや、民間の人士漸く実際の事情を考量して政府嘗局者に近
 接するの必要を解せしのみならす、政府官局者亦た民間人士と相ひ提携
 するの必要を解して麦に政府薫の如きものは出つ。此の薫や専ら実際の
 事情に基きて、時の問題を解決するに傾き、他を指斥して乃ち杢論汲と
 為す、首初の議合に於ける夫の国民協曾汲の卵子たる人士は即ち是れ。
 自由業及改進薫は此等の人士を指斥するに政府薫又は藩閥其を以てし、
 己れ等は則ち依然として批評家の地位を保ち、専ら或る理想の費行せ希
 望したるが如し。されど、此の時よりは技術家めきたる政薫の卵子は始
 めて民間に現はれ、やがて犬の囲民協合てふ一国は政界の」偶に割捜し
 たるを見る。眈にして自由薫亦た漸く批評家の地を離れ、所謂る貨際の
 事情を考量するの薫汲と為り、特に外交論に付きては前年に於ける其の
 批評を放棄して、全く嘗局の実際談に左祖したるより、之に反対して封
 外硬渡の聯合は起れり。改進薬及ひ革新業が国民協曾と共に自由薫に抗
 したる所以は此の鮎に在り。やがて戦争の起れるや此の封抗は忽ち滑滅
 したるのみならす自由業と国民協曾とは外交及軍事に付きて自ら技術家
 たるの地に立ち、他の諸其汲の依然として批評を専らにす名こ)とを嘲け
 るに至りしは時勢の一柊なり。
 国民協曾を吏薫と罵りたる自由業は今や自ら更篤となりて協倉と提携し、
一大臣一局長二知事を其の集中より出し政界の技術家を以て自任せり。
 依然批評家として残留したる改進革新の二集はやがて合同して一の大圏
 結と為る、今の進歩業は是れ。自由薫及国民協曾を更篤と罵りたるの此
 の薫亦た漸く批評家たるの不可を自ら悟りけん、前内閣の朴るゝや、敢
 て進みて新内閣の味方と為り所謂る吏真の栴を甘んす。此に至りて政篤
 といふ政薫は皆な自ら技術家と為り距今十年前の状態とは全く相ひ反す

 るに至れり。
 此状態や殉に政界の一大進歩たるを失はず。眈に政薫として世に立つ、
 宣に批評家と為りて己むへきものならんや、其れ必す技術家ならざるへ
 からず。既に政界の技術家たり、宜しく実際の事情に基きて経線の方法
 を撰拝せざるへからさるや論なし。更薫たり猟官たり降参たり被買収た
 り、凡そ此の如きの悪評は彼等が眈牲に於て之を他に加へたる、固より
 誤れり、現在及将来に於て他より加へらるゝも、彼等宜しく斯る誤評に
 頓着するの理由あるへからず。要は自ら樺勢の地を占め以て輿論を満足
 せしむるの政を行ふことを務むるあらんのみ。実際の事情は固より理想
 と相ひ達ふ、縦令へ一時は意の如くならざるあるも屈損せすして努むる
 は、是れ政界技術家の本色なり。
 然りと雖とも、政界の技術家を以て自任する者は他に批評家の存在する
 ことを忘るゝ勿れ、批評家は是れ技術家の良友なり。若し批評家の存在
 を以て技術家の妨筈と為し、此の妨害を除かんと擬して強て批評家を其
 の提灯持と為さんと欲するは、是れ良友を欒じて封間と為さんと欲する
 者、技術家としては最も劣等の品位に陥るや自然なり。政界の批評を嫌
 らふ者は藩閥政事家の大弊なり、政薫より出でたる政事家又は人民を友
 とするの政事家は、寧ろ鰊直の批評家あるを以て国家の礪と為さゞるへ
 からす。今や政薫皆な技術家と為れり、政薫以外別に批評家ありて縦令
 へ同情を表するも必す訣言を呈する無るへし。政界の技術家は幸に良友
 を求めて可なり。
                (明治三十年五月一日「進歩窯業報」第一競)