理 と 情


其の言ふ所を聞けば経国家なり、其の行ふ所を見れは小人女子猶之を恥
つ、乃ち言ふ所は如何に道理に合するが如きも、人の感情は終に之を善
受せす、所謂る辞柄政略なるものゝ時代は然り。今ま夫れ中外の学者を
集めて古今細大の道理を析き、以て其の政策を説明するの具と為すも、
天下人心既に其の実跡の見るへきなきを知るときは、所謂る道理なる者
益々以て世の感情を傷なふに足る。
人類の社会は情七理三を以て成る、苟も感情にして之に同せざれば千百
の道理何の価かあらん、吾輩は近年の政界に於て益々其然るを信す。若
し夫れ、泥棒の如き者、博徒の如き者、掏児の如き者、胡麻の蝿の如き
者、此の如き輩を近つけて而して篤実温厚の君子を遠くるありとせんか、
彼れ其の政事家たる者如何に舶来の道理を飾るも誰か之に服せん。若し
之に服するあらば是れ社会の腐敗のみ、辞柄的道理の能く感情に勝ちた
るにはあらす。
今の時は温かき感情を高むるの時なり、冷たき道理を究むるの秋にあら
す、憲法なり法律なり権限なり、凡そ此の如き冷理に拘泥して政界に立
つは迂なり、何となれは冷理は三百代言と雖とも猶ほ之を造るに難から
ざればなり。若し所謂る道理の在る所に赴かば、今の政府ほど道理の製
造に巧なるは莫し、三百の議士其れ挙げて政府に降らんのみ。感情の許
す所は固より道理の外に在り、理窟の外に赴きて而して感情を安んせよ、
真理は必す其の中に存せん。
行事に見るへき無くして唯た言辞を飾る、是れ辞柄政略なり、施政の方
針、党議の綱領、皆な辞柄にあらざるは莫し、若し辞柄を捕らへて去就
を決せは三百代言皆な我れの主公ならん。辞柄政略に対するは唯た感情
あるのみ、心疚しくして辞達するは辞柄の徒なり、辞窮するも意安きは
感情の徳なり、訴ふへきは感情に在りて道理に在らす、如何に辞巧みな
るも、如何に道理に合するも、イヤは何処まてもイヤなり是れ感情なり、
感情の面前には辞柄毫も権威なし。
吾輩は血性なる人士に望む、道理を深くる勿れ、今日の事は多言を用ひ
す、唯たイヤとオウとの二つ、若し理と情との消長を問はゞ有為の時代
には情長して無為の時代には理長す、今は実に理偏へに長するの時代に
して情は即ち消す、政界に立つ者宜しく中外の現状を察して其の情通す
る所に決すへし、区々の論理を争へば大事乃ち去らん。

                   (明治二十六年十一月十三日「日本」)