第六 国民的精神

国民的精神、此の言葉を絶叫するや、世人は視て以て夫の鎖国的精神又
は夫の攘夷的精神の再来なりと為せり、偏見にして固陋なる者は旧精神
の再興として喜ひて之を迎へ、浅識にして軽薄なる者は古精神の復活と
して嘲りて之を排したり。当時吾輩が国民論派(ナシヨナリズム)は(敢て自ら此の名称を取
るにあらず便宜の為め仮に之を冠するのみ)を唱道するや、浅識者軽薄
子の嘲りを憂へすして、寧ろ夫の偏見者固陋徒の喜ひを憂ふ、何となれ
国民論派の大旨は寧ろ軽薄子の軽忽に認むる夫の博愛主義に近き所あ
るも、反りて固陋徒の抱懐する排外的思想には遠かるを以てなり。吾輩
は今ま爰に国民論派を叙するに当り、夫の軽薄子の為め又は夫の固陋徒
の為めに、先つ泰西に於て国民的精神の如何して発達せし歟を略説すへ
し。

泰西国民精神の変遷

泰西の政学者は皆な揚言して曰く、近時の政治は即ち国民的政治なりと、
此の語簡なりと雖も其の旨や遠しと言ふへし、所謂る国民的政治とは外
に対して国民的特立及ひ内に向つて国民的統一を意味するものなり、此
の一点に於ても世人は「国民論派」の実に最新政論派たることを知るに
余あらん。如何にして泰西近時の政治は国民的政治たるに至りし歟、吾
輩の見る所によれば其の此に至る迄三段の変遷を経過したるが如し、何
をか三変遷と言ふ曰く、(第一)宗教的変遷、(第二)政治的変遷、終り
に(第三)軍事的変遷、吾輩請ふ此の三遷を左に略叙せん。

      其の宗教的変遷

国民と云へる感情は合理の感情なり、欧州に於て此の感情の発達甚た遅
かりしは如何なる原因によりし歟、史学家の説によれば夫の基督教の勢
力を以て其因と為す、宗教革命の以前に在りては、宗教の感情は愛国の
感情よりも非常に強かりしこと何人も知る所の如し。此時に当り基督教
を奉する者は国の異同を問はす互に相ひ結托して強大なる団体を作し、
以て国家法度の外に超立するの有様なり、去れば仏国人民にして宗教の
為め英国に叛き敢て隣国の西班牙に合同するあり、日耳曼の公侯にして
其国皇に叛き救援を共同宗教国の人民に請ふあり。宗教上の統一、寧ろ
宗教上の専制は殆んと国民と云へる感情を破壊し、政府なる者は唯た其
の空名を擁して実権を有せざるに至る、此無政府的禍乱に反動して起り
たるものは大の宗教革命なり。宗教革命は教権の統一及専権を破りて信
教自由を立つ、信教の自由既に立ちて教権漸く衰へ而して国民的感情
初めて再ひ人心に萌す、之を第一の変遷と為す日本近時の政論派にして
基督教と抱合し敢て国民的感情を嘲る者は正に泰西百年前の政論を復習
するに過きざるのみ、而して此の輩は自ら称して進歩と叫ふ吾輩は之を
呼ひて泰西的復古論派と曰はん。

      其の政治的変遷

欧州人は既に宗教上の圧制を破り外部に対して国民的精神を回復せり、
然れども当時の国民は猶ほ其の内部に於ける統一を失ひ権力の偏重によ
りて政治上の圧制を存す、是に於て人民は此第二の圧制を破ることに向
ひたり、八十九年に於ける仏国大革命は実に国民的感情の第二変遷を来
せり、此の革命は元と毫も国民的感情に関係なく其の鋒専ら旧慣の破壊
に向ひ封建論を唱ふる者を死刑に処したるが如きの点より見れば、寧ろ
国民的感情に反対するの観ありき。然れども国民的政治国民統一を以
て其の一条件と為す、封建遺制の錯雑を一掃して、夫の宣言書に所謂る
単一不分の共和国を立つるは日本の維新改革に近似して内部に於ける
民的精神
の発達と云ふへし。既にして仏人の国民精神即ち愛国心は其の
適度を越へて殆んど非国民精神を呼起したり、宣言の一条たる四海兄弟
の原則は端なく国民と云へる藩籬を忘れしめ、共和国の兵は国の異同を
問はす唯た暴君に向ふへしと大叫するに至りたり。是に於て欧州諸国は
曩に羅馬教皇の威力に脅されたる如く、其の第二として仏国革命の威力
に脅され、再ひ国民的感情の挫折に遭遇せり、而して此の恐るへき威力
に対しては又反動を来すこと自然なりと云ふへし。欧州人は既に革命の
思想に流圧せられたり、然れども其の自由を保ち其の幸福を全ふせんに
は彼等徒らに革命党の力を借りて一時に快を取るの不得策を感知せり、
彼等は国民的精神を以て国民の統一を謀り而して国民的政治を建つるの
必要に迫られたり。国民的精神は此に至りて再ひ活動し、宗教の異同は
勿論、政論の異同に拘らす、国籍を同しくする者掛共に団結を固くして
一致するの至当を認む、吾輩は之を国民的精神の第二変遷とす。

      其の軍事的変遷

革命の騒乱既に鎮りたり、希世の英雄ナポレオン第一世は欧州全土を席
巻したり、南地中海岸より北スカンヂナーヴに至る迄大小の諸図は仏国
の旗色を見て降を請ひ、万乗の王公は仏国武官の監督を受けて僅に其の
位を保ち其の政を執ることを得たり。是に於て欧州人の国民的精神は第
三回の挫折を為し、殆んど「国民」と称する団体を「地方」と云へる無
形人の如くに感知するに至れり、法律制度より言語礼習に至る迄人々皆
な仏国の風に倣ひ、偸安姑息の貴族輩に至りては争ひてナポレオン帝に
臣事せんことを望む。欧州の国民的精神は既に二回の挫折を経たりと雖
も、未た此回の如くに甚しきことはあらざりき、此の回の挫折は殆んど
社会の根抵に迄動揺を来たし
当時欧州諸邦が仏国勢力を感受したる様
は猶ほ日本が曩に欧州勢力を感受したる時の如し


    泰西に於ける国民論派の発達

斯る甚しき挫折に対し争かでか其の反動の起らざるへき、当時独逸の学
者ラインホールド、シユミード氏の著せし記述に曰く、
 仏国の斯る待遇は久しく眠りたる独逸国民的感情を喚醍するに至れり、
 千八百六年に於て耻づぺき敗北を取りし後、独逸人は其の屈辱を雪か
 んか為め国民的精神と云へる造兵塲に就きて新兵器を捜索したり曩に
 国民旨義を排斥して冷淡なる感情又は狭隘なる思想と迄に公言したる
 フヰフテ氏と雖も、此の実勢を見て夫の有名なる演説、独逸国民に告
 く
と題する有名の演説を為し、切に国民的感情を喚起して此の感想あ
 るに非れば自国の安寧を保つ能はず
と迄に切言したり、
伊太利の学者ジヨゼフドメストル氏の外交通信録も亦た当時の著述に係
れり、其の一節に言へるあり曰く、
 国民と云へる事柄は世界に於て忽にすへからざる事柄なり、礼容に於
 ても感情に於ても又た利益に於ても、国民と云へる思想は一日も忽に
 すへからす、(中略)各国民を統一することは地国の上に於て別に困
 難を覚へす、然れども実際に於ては全く反対なり、世には到底混一す
 へからざる国民あり、現に伊太利の国民的精神は今日正に激動するに
 あらすや、
斯の如く欧州の諸学者は当時ナポレオンの軍事的勢力に反動して国民論
を拡張したり、此の論派が遂に勝利を占めて欧州諸国は互に其特立を
全ふし、独逸及伊太利の如きは当時非常の屈辱に遭ひしにも拘らす、今
日は世界強国の中に算入せらる是れ一に国民的精神の発達に因らすんば
あらす。

     泰西国民論派の本領

泰西国民的精神の変遷既に斯の如し、其の国民論派の功績亦た斯の如し、
去れば泰西に在りてはナシヨナリテーの原則を以て鎖国主義攘夷主義と
為すもの未た之あらざるなり、啻に之れあらざるのみならず、寧ろ此の
原則を以てするにあらざれば自由及幸福を全ふすへからす又国民の進歩
を望むへからすと言ふに至る。盖し国民論派は排外的論派にあらすして
反りて博愛的論派なり、保守的論派にあらすして寧ろ進歩的論派なり百
年前に現はれたる旧論派にあらすして実に近時に生じたる新論派なり。
我が国民論派の欧化主義に反動して起りたるは、猶ほ彼の国民論派の仏
国圧制に反動して起りたるか如きのみ、日本人民が欧州の文化に向つて
伏拝したることは正に欧州諸邦の人民が仏国の兵威に向つて伏拝したる
と同一般なり、去れば国民論派の日本に起りし原因は其の欧州に起りし
原因と比較して唯た文力と武力との差違あるに過きす。

      日本に於ける国民論派の大旨

世界と国民との関係は猶ほ国家と個人との関係に同じ個人と云へる思想
が国家と相容るゝに難からざるか如く国民的精神は世界即ち博愛的感情
と固より両立するに余りあり、個人が国家に対して竭すへきの義務ある
が如く、国民と云へる高等の団体も亦た世界に対して負ふへきの任務あ
り、世界の文明は猶ほ社会の文明の如く、各種能力の協合及ひ各種勢力
の競争に因りて以て其の発達を致すものたるや疑なし。国民天賦の任務
は世界の文明に力を致すに在りとすれば、此の任務を竭さんが為に国民
たるもの其の固有の勢力と其特有の能力とを勉めて保存し及ひ発達せざ
るへからす。以上は国民論派の第一に抱く所の観念にして国政上の論旨
は総て此の観念より来る、国民論派は其の目的を斯る高尚の点に置くが
故に、他の政論派の如く政治一方の局面に向つて運行するものにはあら
ず、国民論派は既に国民的特性即ち歴史上より縁起する所の其の能力及
勢力
の保存及発達を大旨とす、去れば或る点より見れば進歩主義たるへ
く又他の点より見れば保守主義たるへく、決して保守若くは進歩の名を
以て之に冠することを得へからす、夫の立憲政体の設立を以て最終の目
的と為す所
の諸政論派とは固より同一視すへからず是れ即ち国民論派の
特色なり。

     政事に於ける国民論派の大要

国民的政治(ナシヨンナルポリチツク)とは外に対して国民の特立を意味
し、而して内に於ては国民の統一を意味す、国民の統一とは凡そ本来に
於て国民全体に属すへき者は必す之を国民的(ナシヨナール)にするの謂なり、昔時に在
りては未た国民の統一なるものあらす、其の之あるが如きは唯た外観に
過きすして更に実相を見れば一種族一地方又は一党与の専恣たることを
免れざるなり。帝室の如き、政府の如き、法制の如き、裁判の如き、兵
馬の如き、租税の如き、凡そ此等の事物は皆な本来に於て国民全体に属
すへきものとす
、而るに昔時に在りては斯る事物皆な国民中の一部に任
して其の私領と為せり、是れ国民統一の実なきものなり、国民論派は内
部に向て此の偏頗及分裂を匡済せんと欲す。去れば国民的政治とは此の
点に於ては即ち世俗の所謂る輿論政治なりと云ふへし、「天下は天下の
天下なり
と云へる確言をば之を実地に通用し国民全体をして国民的
任務を分掌せしめんことは国民論派の内治に於ける第一の要旨なりとす

此の理由によりて国民論派は立憲君主政体の善政体なることを確定す


     国民論派と他の諸論派

(第一)国民論派は立憲政体即ち代議政体を善良の政体なりと認むれ共、
其の善政絶たる所以は全く国民的統一を為すの便法たるを以てなり。他
の政論派は皆な曰く、代議政体は最も進歩せる政体なり、文明諸国に於
て建つる所の文明政体なり、十九世紀の大勢に適応する自由政体なり、
故に日本も此大勢に応して東洋的政体を変改すへしと。国民論派も亦た
其然るを知る、然れとも斯る流行的理論をひて軽しく政体其他の変改
を主張することは国民論派の敢てせさる所なり何となれば此論派は徒に
改革其物を目的とするにあらす、而して寧ろ改革より生すへき結果を目
的とする者なればなり。
(第二)国民論派は立憲政体を以て最終の目的と為す者にはあらす、是
亦た他の政論派と大に異なる所の一点なり、他の論派は進歩主義の名を
以て立憲政の施行を主張し自由主義の名を以て代議政の設立を主張す然
れ共国民論派国民的任務を尽さんか為に国民全般に此の任務を負はし
めんことを期し、此期望よりして代議政体の至当を認む。代議改即ち立
憲政は他の論派に在りては最終の目的なれども、国民論派に在りては
の方法
たるに過きず、然らば其の目的は如何、曰く国民全体の力を以て
内部の富強進歩を計り以て世界の文明にカを致さんこと是れ其の最終の
目的なり
。故に此論派は国家又は個人の観念を取りて其の一方に偏依す
るか如きことあらす、国の情態に応し国家の権力と個人の権利とを調和
し之をして偏依の患なからしめんことを期す、何となれば其偏依或は自
由を破滅し或は秩序を紊乱し而して国民的統一を失へばなり。
(第三)国民論派は社会百般の事物に付ての如く、政治法律の上に付て
国民的特立を必要の条件と為す、盖し此の論派は常に史蹟を考量の中
に算へ各国民の間に制度文物の異同あることをば確認せり、加之ならす
強固なる国民は其一国民たるの表標として特別の制度を有するの至当な
るを確認せり、是の故に代議制度は元と泰西より取来るにもせよ、一旦
之を日本に移植する上は必す之に特別の色容を附し、日本国民と此制度
との密着を図らさるへからす、是れ亦た国民論派の他論派に異なる所の
特性なり。元来代議政体は英国を以て其創立者と為す、然れども之を仏
国に移したる後は遽に仏国的色容を帝ひ、之を独国へ移したる後は又独
国的色容を帯ふ、而して其代議制度たる所以に至りては皆な同し、国民
論派は立憲政体を日本的にして世界中に一種の制度を創成せんことを期
するものなり


      国民論派の内政旨義

立憲政体に対する国民論派が他の論派と異なる所の諸点は以上に述べた
るが如し、要するに国民論派は単に抽象的原則を神聖にして之を崇拝す
る者に非す、先つ国民の任務を確認して之に要用なる者を採択し以て国
政上の大旨を定むる者なり。自由主義は個人の賦能を発達して国民実力
の進歩を図るに必要なり、平等主義は国家の安寧を保持して国民多数の
志望を充すに必要なり、故に国家論派は此の二原則を政事上の重要なる
条件と見做す、敢て其天賦の権利たり又は泰西の風儀たるか故を以てす
るにはあらざるなり、専制の要素は国家の綜収及活動に必要なり故に国
民論派は天皇の大権を固くせんことを期す、共和の要素は権力の濫用を
防くに必要なり故に国民論派は内閣の責任を明にせんことを期す、貴族
主義
は国家の秩序を保つに必要なり故に国民論派は華族及貴族院の存立
に異議を抱かず、平民主義は権利の享有を遍くするに必要なり故に国民
論派は衆議院の完全なる機制及選挙権の拡張を期す。個人のカを用て能
はざる者には干渉固より必要なり、国家の権を施して反て害ある者には
自治固より必要なり、国民論派は敢て抽象的理論を籍り以て一切の干渉
を非とし又は一切の自治を是とする者にあらす、要は国民の統一及ひ其
の進歩を期するに外ならす。個人主義を取る者は国家は個人の為に存す
と主張し、国家主義を取るものは個人は国家の為に存すと主張す、二者
共に旧時の迷想を争ふに過す、国民論派は個人と国家とを立して初め
て国家の統一及発育を得る者と為せり、即ち国民の事情に応して此の二
者の伸縮を決し、理論上の伸縮何れに在るも国民の事情に適応する限
其の実際上の結果は則ち皆な同一なれはなり。

      国民論派の対外旨義

国民論派の内治に係る旨義は大概斯の如し、今ま其外故に係る大要を吟
味せん、国民論派は第一に世界中各国民の対等権利を識認する者なり、
個人に貧富賢愚の差あることは実際上免れ難し、然れとも其の実際上の
差等あかにも拘らす、個人自身よりしては自ら侮りて卑屈の地に立つへ
からさるなり該論派は此の自負の感情を以て一国民にも存すへき者と為
す。各国民皆な其の兵力富力に差等あるは事実なり、日本国民は欧州の
諸国民に此して貧弱たることを免れす、然れとも一国民として世界に立
つの間は此の無形上の差等に驚きて自ら侮ることを得す
、此の点に於て
国民論派は内治干渉の嫌ある者に対し屡々痛く反対を為したり。国民論
の主持する所の国民的特立なるものは必す国民的自負心を要用と為す、
故に国民的自負心は決して不正当の感情にあらざるのみならず、之なけ
れば一国民たるものゝ存在を明にする能はざるなり、而して世界の文明
は此の国民的自負心の競争より起るものと言ふも不可なかるへし。去れ
国民論派は日本の比較上貧窮なることを知らざるに非れども、此の差
等をば別問題として国際上の対等権利は一日も屈辱すへからすと為し、
一旦不幸にして屈辱したるものは之が回復を一日も忘るへからすと為す。
之を要するに他の政論派は欧米諸国民の富強を以て其人種固有の能力に
帰し、到底東洋人種の企及すへきにあらすと断すれども、王公将相寧ん
ぞ種あらんや、国民論派は一国民自身の位地よりして又其本分よりして
彼の自然的優劣論をば痛く排斥するものなり。

      国民論派の発達

国民論派は実に欧化風潮に反対して起りたり、然れども此の論派は啻に
欧化風潮を停止することを以て満足するものにあらす、尚ほ進んて日本
の社交上及政事上に構成的論旨を有するものなり、去れば国民論派は一
時の反動的論派にあらすして将来永遠に大目的を有する所の新論派と云
ふへし。彼れ固より自由の理を識認す、然れども自由なるものは智識の
進歩に応して存することを信す、彼れ固より平等の義を識認す、然れど
も平等なるものは道徳の発育と共に生することを信す智識は自由の本な
り道徳は平等の源なり、自由の理明かに平等の義立ちて而して国民的政
は全きを得。自治の能なきものは人に治められざるを得す、自営の力
なきものは他に制せられざるを得す、自由は智識の進歩して固有の能力
を用ゆる者ほど多く之れを有す、貴賤の間に礼譲存し貧富の交に敬愛行
はれ、而して後に始めて平等の義、国民一致の実相を見るへし、国民論
は此の点よりして教育の要件たることを信す。曩に国民論派の始めて
世に現はれたるは『日本人』に於てし次に之を発揚するに与りたるもの
は我が『日本』是れなり、当初世人は其の言論の頗る世の風潮に逆ふの
甚しきを以て、或は之を攘夷論と罵り或は之を鎖国説と嘲り目するに排
外的激論の再生を以てしたり。且つ固陋にして単に旧物を慕ふの論者は
一強援を得たるが如くに感じ、争ひ起りて之に和し、遂に国粋保存と云
へる異称は守旧論派の代名詞と為るに至れり、是れ国民論派の発達を妨
けたる一大妨障なりき、吾輩は「近時政論考」を草し終はらんとするに
臨み、聊か其の大旨を明かにして之か妨障を除かざるへからすと信す、
今ま此編の終尾に於て吾輩は再ひ揚言せん曰く、君子の其真理を明にせ
んとするや、其の説の時に容れられざるを憂へす、其の理の世に誤解せ
らるゝを憂ふ、吾輩は特に国民論派の為に之を言ふ。

           (明治二十四年六月 日本新聞社刊『近時政論考』所収)