第二 大同論派

大同論派は自由論派より来るものなるや明白なり、然れども其の旨とす
る所は唯た藩閥政治を攻撃して政党政治を立つるに在り、而して此の目
的を達するには理論上の異同を棄てゝ事実上意見の大同を取らざるへか
らすと云ふに外ならす。斯くの如く其の論基は唯た現実的問題に在り是
を以て一の論派として算するには頗る難し、若し強て之が理想を探らば
矢張り自由論派の理想と同一ならんのみ、去れば吾輩は爰に理想を探る
ことを為さす、単に此の論派の傾きが当時何れの論派に近かりしやを一
言せん。彼れ実に自由論派より来る故に其の傾向は自由論派を近しとす
ること是れ自然なり、然れども自由論派の深奥なる理想は彼れ毫も之を
継承せざるのみならず、却て之に反対したるが如き傾向あり、彼れ自由
主義を以て非藩閥主義と為すのみ、自由平等の理を取りて世界共通の人
道と為すが如き理想は彼れ更に之を抱懐せす。唯た国権を拡張するの一
事に至りては自由論派より継承したるが如くなるも、其の主旨は則ち大
異同あり、国権拡張は自由論派に在りて個人自由を伸張する方法なれど
も、大同論派に在りては矢張り国民の利益及名誉を計るに外ならす。彼
れ又た痛く政府の欧化主義に対して反対し、泰西摸擬の弊は一国の滅亡
に係ると迄に攻撃したり、此の点に於ては新論派たる国民論派と頗る相
ひ合し、大同論派の代表者たる後藤伯が当時即ち十九年二十年の交に於
て国民論派の代表とも云ふへき谷子と偶然にも条約問題に反対せしは著
しき事実なりとす。藩閥政府を非とするの一事を以て政論社会を動した
ることは、政論ありて以来未た大同論派より強大なるものあらす、吾輩
非藩閥論派として此派の功績を認むるに躊躇せす、而して廿二年の条
約問題に付ても此論派の勢力少しと為さす、吾輩は此の点に於て国権論
派の一種と為す。