兵制発布七十年を迎ふるに方り  陸軍大臣 東條英機

 畏くも米英に対する宣戦の大詔を拝しましてより、将に一周年を迎
へんとしてゐるのであります。この間皇軍は 御稜威の下、海に、陸
に、空に、連戦連勝、東亜における敵の牙城を粉砕して、今や皇威は
遠く北辺より南域に及び、大東亜共栄圏建設の聖業は、着々として進
捗し、帝国はここに必勝の基礎を確立するにいたつたのであります。
しかして帝国は、この有利なる態勢の下に愈々決戦に次ぐ決戦を以て
して、飽くまでも米英を撃滅せんとしてをるのであります。
 この秋に当り、兵制発布七十年の記念の日を迎ふるにいたりました
ことは、洵に意義深く、感激さらに新たなるものがあるのでありま
す。
 抑々帝国臣民は泰平無事の時に於ては、各々その家業に励み、一朝
事あるや斉しく 天皇御親卒の下に身命を君国に捧げて、国を護るの
大任を全うし、以て天壌無窮の皇運を扶翼し奉つて来たのでありま
す。然るに中世にいたりまして、兵権武門に帰し、兵農全く二つに分
るるにいたり、ここに挙国皆兵の制は一時全く破れたのであります。
 加ふるにこの武士も諸大名の私兵と化するにいたりました結果は、
徳川末期に於て、約四十万の武士を国内に擁しながら、諸列強の圧迫
に対し、帝国の権威を十分発揮し得ざる窮況に立ちいたつたのであり
ます。
 然るに明治維新にあたり、王政復古の大業成るや、畏れ多くも
明治天皇におかれましては、明治五年十一月二十八日全国徴兵の詔を
下し給ひ、ここに建国の大精神に基き、我が国兵制の大本を確立せら
れ、以て国防の完璧を期し給ふたのであります。
 明日は恰もその七十年の記念日に当るのであります。
 惟ふに、兵制発布以来ここに七十年、兵制の粋、年と共に顕はれ、
帝国の数次の戦役に於て赫々たる戦果を収め、さらに今日米英撃滅の
聖戦に心戦を確信して、堂々の戦を進めてをるのであります。国事草
創の際、かくの如く世界に冠絶せる挙国皆兵の制を定めさせ給ひたる
明治天皇の御深慮の程を拝察し奉り、洵に恐懼感激に堪へない次第で
あります。敵国米英等におきましては、今次の戦争に臨み、遅れ馳せ
ながら徴兵制度を採用し、或は徴兵の為の強制登録制を採用するにい
たつたのであります。これを思ふにつきましても、我が国の兵制の有
難さに感慨特に大なるものがあるのであります。
 今や大東亜戦争は愈々本格的段階に入り、一億国民が尽忠報国の大
精神の下に、総力を結集するの要、今日より切なるはないのでありま
す。正に七十年の兵制の妙を彌が上にも発揚すべき秋であります。
 古歌にありますやうに「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出
で立つ我は」との心意気を以て、一旦、召されては一身を捧げて君恩
に報ずべき秋であります。銃後に在っては第一線将兵の心を心とし、
一切の苦艱を克服して、その職域に渾身の努力をいたすべき秋であり
ます。かくして一億一心、兵農帰一の我が国兵制の精神を遺憾なく具
現し、敢然としてこの大戦争を戦ひ抜き、勝ち抜いて、国民皆兵の聖
旨に副ひ奉らなければならないのであります。
 ここに光輝ある兵制発布七十年記念日を迎ふるに当りまして、戦線
に在ると、銃後に在ると問はず一億国民斉しく「我等は 天皇陛下の
兵なりJとの我が国伝統の大精神に徹せられんことを切望いたす次
第であります。
(昭和十七年十一月二十七日放送)