戦時国民読本

 醜の御楯

r承珠浬を紀楷せ上」「良殊讃の革
を忘れるな」 − これはアメ,カ
がアメリカ酎民を封日取替にかり
たて、その敷革煮掛を撮るために
用ひた官蕪であります。アメリカ
はとの標語を、目につきやすいあ
ちゆる敏併にかかげて、アメ,カ
の取時盟籾を強頓にし、ルーズグ
エルトの現数力戦化に役だて上う
としました0
 兄殊#を仙藍和せ上1私どもも
ホアメリカとは別の意味で、わが
海軍部数の.ハワイ攻撃を決して忘
れないであケま亨へも十〓月入日
は、日本声民にとつて、忘れ上う
としても忘れることの出来ない日
であゎます.
 日本を転服せしめ上うと、匪迫
に転迫を加へ東つた米英に封し
て、日本が決然転つて、挑取ヒ点
じたのが十〓月入日であります.
十二月入日の感汲は、私ども均民
を、今後ずつと強〈ゆ†ぷり汝
け、米英革妹に封する必勝の信念
の根底となろでありませう。
 いま、大東亜の各地に、苛々米
く36)
秦野城の作敬をつづける崇鞘粁兵
の革帯を思へば、私ともは一揆ト▼
緊張せずにはゐられないのであ巾
ますが、殊に関取弊粥、虎珠帝にア
メリカ太平洋艦縁を一挙に領域し
去つた海耶購士の遜思潮隣の赤瀬
こそは、醜の御槻の穐として、きの
ふの⊂とのや′つに生々と私どもの
記憶にまって来るのであわます。
 今岡は、これら、わが海鰐魂の
一刷にふれながら、私どもの賀描
の範とサイきものを、そこか・h準
びたいと存じます中
 十二月入日、常時ハワイにあつ
て、わが軍の攻撃を日のあたりに
見、身を似て賠放Lた敵印アメリ
カの一新閲記者は、その場樺を次
のや弓に替いてゐます。
「屯珠#に日のあたり見た日本軍
の威力は、私をして、アメリカの白
木に珂ナる諷讃が牛世紀以上もお
くれてゐることを痛感せしめた。
・日本裾の敢闘将帥は、形狩の
諾盤を知らない。火を吐く堆肥を
操りながら、阿鮭檻のやうな捷政
撃をつづけ、今は耗後と知をや、
一風の焔とたつて目的物に突込ん
でゆく日本柁持の自爆を、満身の
血が逆流する上うな束縛で目前に
見た。そして感じた。日本峯の自
爆は決して牡鈷を輌んずる日亜日
粟な楯突ではないし」いふことをn
こわこそ付加砧にLて掛叩瀬な心の現
れでなくて何であらう。」
 か・ワいつて日本耶の散開力の旺
碓さ←散剤鮨塊の充甥を記錨して
ゐま†。
 これらハワイ舞襲にむかつた勇
士速の駒叫には一黙の「私」な〈
壊粥をまもら・つし」する拗い決意が
あつたばかりでこぎいませう。
 tかも、かうトて決意を決意だ
けに耗らせないのが、日頃の訓放
であb、訓様に上つて養はれた精
神力、耐久力、そして世力であつ
たのであゎます。決柁の態倍T
といつても、それは単なる決死で
はなく、敵を付すまでは死がない
といふ、かが粁止迂那されたる較
高の集地であb†す¢
 この彙耗の信念は頻つて、時珠
丹の御珠、九軍辞となゎまLた0
 咤珠汚の九軍紳に捧げまつる国
民的賂瀬新たなる中に、去る九日
私どもはまた、シドニー狂也“の特
殊藩舶艇の四顛士の英鼓を柿滞埠
細田に迎へたのでありました。
 去る五月≡十一日、マ〆ガスカ
ル島デイエゴ・スワレズ梅に射す
る奇襲と前後Lて、病オーストラ
リヤの宰穐シドニーに対しても、
南開海範部隊の勇壮穣りむい襲撃
が敢行されたこししほ、「帝国海軍部
扱は特殊藩舶艇を以て五月三十一
日夜破洲丈梓シドこ−港を強襲し
穐内衆人に成功、敵軍胞一隻を筆
汲せり、木政繋に金加せる我が特
秩潜舶躯中≡重来だ師遼サず」と
いふ大木誉の牽表とともに、騒く
私ともの脳裡にきぎみこまれてゐ
ます。
 私どもは、その時秩潜航艇の四
勇士、中腐敗出大尉、敬尾頓宇大
尉.大森托一軒妓嘗、都竹正雄二
等兵嘗の英蛙を交換鍛錬倉丸で迎
へ、戚稚は再びおさへ難いものが
あわ†した¢
 皇軍の将兵は、常に皇崩のため
に身を挿げる梵括で‡かれてゐま
す。しかし、一身を捨ててといふ
決心も、特殊潜舶擬の勇士のやう
に、その決心と勇名を何十日もず
つと繋粥の長演鵜に於て持ち快け
ろといふことほ、なまやさLいこ
とではありません。瞬間的な勇気
上bも、更に高〈、強い持紳力を
私どもほそこに畢ばなけわばなら
ないでありませう.
 Lかも、第一周のハワイ虔珠汚
攻辞が行ほれた後の改革でありま
すから、扱が特殊藩鉱挺の改革に
備へてゐたであらうことほ明かで
あります。かうした敷の意表をつ
く攻撃が二同日は一回目上りも、
三回日は二同日ヒりもだんだんむ
づかしくなるものであることほ聞
窪ひもりません。その馳に於ても
aドエー攻撃蝕の苦心は舞するに
飴わありまTが、それだけに、そ
の汝学籍#の強さ、はげしさは、
(37)

払どもを打たすにはをbません。
生還を湖することなく敵の心持部
に突込んで行つた傲培の水倒さ、
符さに私どもの心も替ひたつのを
髄えすにほゐません.
 私ども国民ばかりではあゎませ
ん。わが窮土建の弟掟心は、敵な
も動かしました。その蕩を収容
した敵は海軍合同葬をもつて、わ
か葬士の燕をともらひ、シド三−
蓼塾郡司令官〆ルードは「われね
れのなかの溌人がこれら日本の窮
土たちの沸つた犠牲の千分の山な
抑ふ数倍を持つてゐるであらう
か」と日脚人をいましめてゐるが
如き、わが特別攻撃陳の武勅は開
蛇を準えて人々の心を糊へたのご
あゎま†U
 梁に私ど≠は、何物も崩しない
わが海桝魂の竣綜を、マキソ島の
W兼ォにも見ることが〓水ます。
ギル.ハード甜良のマキソ島は妃岬
の占排他レししては、太平搾の鮫も
丈に位L、四面蒋に閏まわ、海繊
Lからの建紡ほ許常た網棚を什ふ小
さな鳥であbます。アメリカ箪は
去る八月十七日、ここに苓頻上陸
したのであ巾ますが、わが守備除
の崩柑架赦む反撃にあつて隈〈も
粉砕されたことほ、すでに皆様、
御存じの洩りであゎます。
 わが守備蝕は寡兵われに十括す
る野宵名の敵を相手に、死恥‡に
里丁時間、上くその守備を】掌っL
たのでありますが、この小さた島
を粍め毎Lた敵に封して、火力の
乏しきは肉河を以て封抗L、守つ
て弘さ陣馳験の持報を出様た〈套
揮いたしまLた。
 粥の海に不断の括椛をつづける
わが海畔部隙が、北アリd−シヤ
ソ万両に於て、払暁の守hを勧め
てゐろこ′も林、私ともの陶裡を
雌れますん。
 すでは隣1い渡さの見解つてゐ
る北ガでは、わが肺矩は、あらゆ
る閃那と不便を1の人で、わが国
土をまもるため、日夜秋々エ野備
に満つてゐます。トかも、それほ
架帆にさトされた鳥桝を守d鮎
氷す・り茄海女蟻めるばかbではあ
わ甘せん〔
 大本密から#炎されましたやう
に、わが撫敵潜水艦は去る入月≡
十】日、敵の反撃の機先を肋し
て、熱田、鴨紳鵬鳥の瀬の洋上に
ある7トカ鳥ナザソ搾の奥扱く、
果敢にも壷を加こし、栄甲扱巡
洋推ノーザyプトン型l空に大損
事を鞘へ、耶遽艦は軌潜水振を辞
批してゐます〔そこには、あくま
で敵亨ったうとするDはげLい耶
魂の燃え上つてゐるのを知るので
あhます。
 か勺して、わが患革の肺兵は、
身を鴻毛の撫きに比して、郷国の
ために、内に北に取つてゐます。
 ここには、大東碩馳琴似末女拝
された烈火たる海箪魂のいくつか
の例を、皆祓とともにふりかへつ
てみま−たが、そこにうかがへる
わが照兵の掃耐力、持久力、際力、
更にこれらを最も高い俄鋼力にま
で引き◆のげろ訓触し」いふものにつ
 いて、私どもは粍〈考へさ叶■られ
るのでありま†.
 この大東覗馳争を取ふ私どもは
自らもそのやうな大きな巧鮎上観
い構群力々必野といたTま†¢た
だ今までに申しあげた海難魂は、
軍人の精跡とLてだけでなく、
又、私ども摺らのものとしなけれ
ばならないのであ〜ま†¢
 亡れからの日本人は、その戦域
に放て、その生活に於て、最後の
決定的な勝利を締ろまでは敬ほな
けわばなゎませ人。敢ふ措辞に放
ては前Z緑も鉄管ないのであり
ます。前線に於ける弟士建と同じ
やうに私どものすべてを 大君に
搾げまつて、取ひに験たうと†る
ととろに、弊制への通が租ずるで
ありませう。
 兼備捜理大臣が取は正に今後に
あるといはれました.現下の釈苛
に生み、私どもは鮭瀬な心を以
て、男土建の悍勤を革んで、めい
めいの生活に活かしたいと息ふの
であh・ます○


     (昭和十七年十月二十三日放送)