東亜共栄圏の地位

寵共衆開を作り上げる放散の我ひ
であy、そしてとの共立共乗賦の
放散壮 大御竣成の下掃舵なる虫
軍の睾救脊間に上砂まして、開戦
以来僅か五ケ月忙してモの基港工
事がなしとげられたといつて上い
のでありモす0
 フイサツビンがバタアン牛島、
コレヒ「−ル抱を食後として生前
的に仙呼伏じ、又▼レI、yソ〆ぜ
Iルが眈に落ち、きらに悌印が全
部我に畔伏し、今やビルマもその
要衝は我に辟した今日で妊、これ
らK社狭から日本に協力して凍た
偽印と泰、監忙蛍那と浦洲幽を加
へますと、文部弗柴幽の漉きは絶
面轢一千二五溝平方粁忙達し、y
砺を除いた盆欣洲¢約ニ・二倍、
米穎の釣一倍平に轟し、人口忙つ
いて且まナとその私人口吐五億八
千耗に上y、世界総人口の七分の
ニ、y耶を除いた金敗洲の人口の
約一倍中米閑地人口の約四倍牛を
占めるのであ可ます.もしとの末
恵井紫朗の親耗の上に、末席幾埋
大臣の耗大な大東亜宜首の中に洩
べられでゐる印度鼓洲及びl三−
ジーランドが加はりミサと、その
粛き止せ界枯両桝の四分の「人
口にして世界総人口の通年を占め
ることになるのであります0
 この大親耗な水盤北ハ菜園に亜和
亜本衆の逝義に基きまして、経済
雑駁を行ひ、文煎民耗の8由を蚊
従し、垂井衷文化を頻レ‡すこ止
は士ことに歴史上孝甘有の姓♯セ
あり、その前途は裾如頓十位の氏
にとり賓に希留にみちみちた坪か
しいものであると申きなければな
打ません0
 大丸嘲硫畢が釣る前、政米英は
「日本は薮源がきはめて費瀬であ
って、由冷色足することの出水る
喪源は弛んどない、しかもその上
日本は四年に亙る党郡斗鍵によつ
て藤津上非常に衰「てゐる」と考
へてゐたのであ野ます.モルでル
ーズベル■を首従者とナる政米英
はこの鞭忙乗じて、先づ金舶此
担、鍵済肝尭を抒つて日本を軒洋
上抑へつけ、これによつて武カむ
用ひないで日本を層伏きせ、モし
てこめ馳新鹿を永く自己の舵氏池
としようとしたのであります.
 然るに焚隙はどうでありませう
か、今や五ケ月に亙る日本の森々
たる稗故K上す早くも東亜共菜園
には自給杓足の偲例の土鼻が刑務
上り反つで日本を風位させようと
(39)

した米英がその想弊な粂滞を欠ひ
束池を漉斯きれ鵜に封鎖きれるに
五つたことはまことに虫肉なこと
でありますb
 水流兆焚紳む衆源を見ますと姐
は蛍那、鵜洲に教官な外、俳印、
ヤ一レL、ス†トラ、ポルネオ、フ
イyツビンなどに渾山な棚殺生が
あ`一帝大切なポ油はポルネオ、
スマトラ、ビルマ、ジャバ時に非
常忙多く、これらの石油載淋は利
柵帯英鴎瑠が破壊しましたけれど
も、攻が箔下余部除の清純にも何
へまナやうに、急軍の仲蛾が偽り
にもはやかつたトめ、緻の破妓は
不完全であVモして、その後活は
漁池上りも斗いことは次々の感謝
に域へぬところであXまナ.Xマ
ンガン、クローム、ボーキサイト、
クγクステy、鋼、錫などの非成
金展も非甘に多く、ゴム、砂糖は
 いふ王でもなく、世界産軒の大部
のでありますが、これが洩斯きれ
るととになつたのでありまナ。
 かくて氷虎炎菜脱力で不足ナる
物梁は殆どなく、もはや光点兆費
圃は他に斬らなくても克粂に自立
することが川雑るのでありまナ。
 これに反し、.米鯛側では軍帝品
として最も大切なゴムや銘、ダン
グステソ、脱などは足¢なくなつ
て、今まで賛薄を組めた米材人の
日常生活はいふに及ばず、大事な
軍倒桝求に凛大な女緒を来すこと
になつたのであ苛まして、米国の
浪乱は賓に大きなものがありま
す。ルーズゲエルトは先月の二十
七日に「ルーズヴエルト式故清殴
粁」と錦うつた数沓を続骨に造つ
たのでありますが、その中でルー
ズヴエルトは新たな七つの組済故
梵を接げて米醐民生清の建艦しを
行はうとしてゐるのであります.
 即ら輝一は粒金の引上げ、帝こ
は最高榊柿の釘附け、渉三は労働
涙金の姿定、藤田は農産物桝椅の
 軒先、帝五は王朝の璃咋公僕の冊
化、欝六は束醍杓賓の割常配給制
度の確立、帯七は勝算の初潮と世
慣貸その他各錬の負撥の沸桝炎抑
であります0
 そしてその現日の放逸班逮務詣
でルーズヴエルトは「余は余栄由
民渚粥に射し改称の紙耕地紫の焚
地主妨香しないやうに畢紳ナるも
のやある。政府はこれら既定の政
繁多蜃施するためにその金力を挙
げるつも軒であるゥそれでも必黎
な場合にはきら忙新たな法令を壊
布することになるであらう。城野
を勝利に尊くためにば金米幽艶め
弟敢と自制心と犠牲とを抱掛に必
撃とする。陳兵も海兵も農民も野
他者も食態蒙も誰も枚もナべて米
国の帯成夙として共同に穎はなけ
ればならないのである」と述べた
のであрワナq     ヽ
 かうしてこれまで自由主義、個
人主戟の粗本山であつた米尚も汝
に錬磨級済に及ぷ王で、金両的な
統制無済を行はぎるを得なくなウ
たのであXます.そしてルーズヴ
エルトは伽人夫轟は許されなくな
つたとして、瞬民の協力を柴んで
ゐるのであXますが、長い閃繋沖
な生活になれた舞踊氏姓、ん−
ガヴエルトのやり方に粕儲不卒不
満があり、とりわけ一年の触牧人
をこ耗五千沖にとゞめょといふル
ーズヴエルトの虫求に対しては、
共和濃の下掟洪負スデ少ンかが、
「まづルーズグエルトはその年伴
七耗五千亦と二溝五千井に切X下
げて耗を示せ」と叫び、鍵甘の株
式相墟は未開的ウて以来の大暴落
を偶じるなど、此域に伴ふ米幽鍵
済界の野牛は耗列なものがありt
ナ。又今や印庶簡を失は与とし
てゐる英粥は、丈並のま畢な基
地を相次いで失ひ印度洋む制止‡
れた1め、革帯物染も又民間で必
要な物求も著しく考乏を骨げ、粥
民生冊は汲乍の限定まで切竹下げ
なければならなくなつたのでちり
士ナ。とりわけ杷木その輪ど珠洲
印鹿埠海外の枯民地に仰いで水た
全穎は、モの不足のたあ珠殉な叫
(40)
ィドは良平ポルネオ上陸に取し、
r凍蒋建捗の瀬果をあげつ▲ある
日本軍が、今度旨的油少シンガポ
ールを占萌し、その耕具として、
香群、英領ボルネオ及びシンガポ
ールむ払鶴ハむすぷ)】壌を確保
ナる如き卒慮を免じたら、日本は
今筆一十年竹年はおろか、ニ有年
判漑酢‥‥H」い一英樹製自由主義の正膿叫 い糾=か報約閑gg
r亀となつて魂たのであり王す.ハ
トソン農鶏大臣ほ「われく壮今
次の戦争榊瀬以兆故も東大な乙幡
多に瀬野してゐる。英幽の凍るべ
き名の食粒欺慈はこの巻上り更に
遺大化し、舶朕及び人的教師に封
ナる必弊蝕も森々増大ナるであら
ぅ.これは凍蛮に掛ける海上捨違
賂の水火乃至は脅威にょつて、金
控の故人が替るしく瀬少したゝめ
である」といひ、東亜の輸遜賂杜
樽忙よモ閑内の食程肘確が一段
と鹿北したことをハツキyと告白
してゐるのであり士ナ0
 かくしてわが帥と敵米英の立壊
は金魚故になつたのであり‡ナ・
Tニ昔年でも自己の欽ナる如く救ひ
を費しうるやうにならう」とい
ったのでありまナが、それは既に
貿現ししかもそれょりも大きくジ
ャバ、スマトラ、ビルマの繰を確保
し印蛙拝まで例鹿したのであり‡
ナ.准つて日本の地位は確尚不動
しかも鼻軍郷兵は、この不敗の地
位に立つて酷熱炎暑を物ともせす
敢米英を樫残しっくナベく力戦♯
凧してをられるのであり‡す.
 私典明民は昭和十六年十二月∧
日以前の日本の地位、昭和十大年
十二月八日以前の東和髄の峯と今
日の日本の地位、虚和議の葬は全
く*つてしまつてゐることを肝に
拓じ、私共の心と来歴共紫朗の先
達にふさはしい大きな心とし、し
かもその任券の崇高忙して耗大な
こよに思ひを致し、私炎の生活も
この捷殴のヰ薬が如何に長くかゝ
りましても、晰rてこれを成しと
げるにふきはしい生満とナること
が大切であり‡す.これこそ私ど
もが肘頼五ケ月忙して早くも東亜
井乗瀬の港虫件られた息軍沖兵の
#々たる♯異に鹿〔る盤でありま
ナ.
ハ五月十六日放漫)