今次開戦と世界の動き
情報崩欝三帝長掘公一
今回は、束並に於ける最後の蟻粘シソガポールを正に失はんとして
ゐる英園及びその局偵の現耽と一月牛デラジル園で閑かれました米洲
外和伊靖の噂械について申上げます。
掃銃なる畠鞘のため†レーを失ひ、ビルマに七習を突きつけられて
をります英園が、やがて東頑から絶浪却を飴儀なくされることは想像
に難くないのであゎま†が、この東亜の敗退の情労が英帝圃の戚餌、
掛揺地に粥へてゐる鮨特は礪る托刻でありまして、七つの海に亙る英
甲の餅土には日の没すること紬しと蒙譜した大英帝閲の畠宅骨も棚普
のゆるみが衆たと見られるの戸あゎ甘す。
中でもオーストラリヤは英本図の葬求を容れこれ迄マレーや香沌、
その他敬洲、アフりカ等に兵除を出して英麟を援軌Lてゐたのeあり
ますが、皇軍の蘭研印壌進撃が始り、象にはニーー・ギエア,ニーI●
プyテy、−ニI・アイ几ランド串の日已の餅士に職火が扱大いたし
てまゐり危験がひしひしと身過に感じられるや与になつてまゐりまし
たので、その狼択し方は並々ならず、馳々裁々として英本図並に米回
に救凌を変誇し」印刻武器と兵豚を迭つてくれと申してやつたのPあ
ゎますが、英閲からは演手形だけでなかなか携琴はよこざない.それ
に閑敬以来英国はオーストラリヤに相談もせずに聯手に種々の政鮨を
環行する、又情報や作戦の滴報もないといふことで大挺不苧たらたら
でゐたの行あります。そこで接糊のカーチy嘗川は英闘に封L、幻−
に英帝囲職時内靭へのオーストラリヤ代哀の参加、妨〓に畢帝閉太苧
洋協顎曾の設置と、この〓つを蓼求して英圃がもつとオーストラリヤ
の防備について演身に々ってくれるやうに嬰求いたしましたが、なか
なか英姐はうんとはいつてまゐゎません。そこでいろいろと轡円に不
浦の駆が超り、又黎路の速申も公然と葵闘に到する恋態をぷちまける
やうになりまLた。例へばスベy〆−前陸柑は「オーストヲリヤの韓衆

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は伊硬だけで時局を切り接け上うとする英本醐の鰻庇には蛾気がさし
た。我々の欲するのは現甥の行動である。太平洋伺髄についてはオー
ストラりヤは本閑から著しく閑却された」と申してをります.これは
英図が欧州職牢鴇一主爺を噂へて太平酔方両を〓の衣にしてゐる.ナと
に封する不浦eあむますじ又駐炎オーストラyヤ特使TIル・ベーヂ
はPソドyで朝野の名士を前に溝孜をしまして「束亜馳学始つて以水
英園のやつてきたことは馳鴨的に何一つ成功してゐない。オーストラ
yヤは英駒から伺の指令も蛍けず乏しい兵カ、飛行機、潜水艦を動艮し
てきた。この上英園が訳算を換り返へせば大英砺印ほ致命傷を負ふに
繋るであらう」と替禽ヤ不甲を址べてをります。オーストヲ少†とし
てほ触に撫理からぬことであむまして、前大敬にも今既の職争にも−
番共凶の馬に鍵してゐるのほオーストラりヤPあります.而るにいぎ
となれば英本閥ほ何もしてくれない、恵見をきいてもくれないといふ
の.で大いにこばLてゐるの¢ありま†.英酔からの援助が普てになら
ぬなら米国に鯛る他はないといふのがカーチy首柏の考へで、オース
トラyやはだんだん英固の版餌から米国に桝る方向へ襲つてまゐつて
をむ、英帝由からほなれる兆候が柏常感じられるのeあゎま†。畠竿
が耶印その他ニI・ギエアの方へ南下もてまゐりましたので、英米
に欠のやうな救捷の督促をいたします−方、欺洲、アフyカから自酎
の軍除や飛行槻を引上げさせてをりますが今迄英飽の持に迭つた武撫
や兵除を怒く返せととうアリックな叫びをあげる新柑さへ出て衆る有
様であむます。
カーナy首柑ほ叫月〓十六8オーストヲリヤは太苧洋作取に粥して
は粂声的変官祀を持つ、酔は胱に我入ロに迫つたとすつかり怖え切つ
た網子で畠肪廓を叫んでをります。海岸繰の長いオーストラリヤが
自南の軍繰を海外に沢潰してゐるのですから自由防砺に金く日付を失
つて恐怖状態に格つてしまつてゐるのがこの官装の中にも上く感亡ら
れるのPありま†。それだけに葵本騨に見殺しにされる反戚を満切に
感じてゐることeあむませ〜。
英挿としては勿輸オーストラyヤを助けたいのは山々ぐあむませ与
が、なかなかそこ迄手は掘らないの¢あむきす.而し沫石に軟つてゐ
るわけにもゆかず、】月三十一日になつて晰く、チ†Iチ・ルは英印填
曾のド院で、「オーストラyヤには洩に多赦の箪除、武辞その他の補
捻品が蓮られるであらう」と述べ、叉二十七8の師英後最初の浪挽の
中でも、封日取申象行の馬の桝合太平洋禽蛸設檻と、取時杓舶にオー
ストラ畑ヤその他鹿餌の代衷も参加させると口約東を致し、オースト
ヲリヤをなだめる態虎に出てをむま†.
又この頼孜の申で準開にオーストヲザヤの防棚を委託したことも妨
べてをむます。オーストラyヤにさういふ希屯があり、米固としてほ
今後の封日作馳の前池基地としで、又馳後に白己の牟下に入れたいと
いふ野畠からも、米隣ほ何とかしてオーストラリヤを竣けることにカ
増を入れることであむませうが、批に米オーストラリヤの独終の弊櫛
は日本の手におち、桝方海域から印舵洋迄仰び上うとしてゐる我が制
海馳の前にオーストラリヤはひしひしと英本拘の無カを歓き糾立無竣
の感を托くしてゐることと想俸されるのであbま†。
このやうな英閉に封†る愛恐づかしは摘むオーストラ少ヤ軒りでは
なく、頼アフyカでも、ピル†でも、印竣でもさては貫酵政棚の中で
も感じられるのであります.帝丁フリオの元挺英公使エリ,クP−と
いふ人は「南アフリカは英岡と粥係を晰つりとに上つて取申を呵海で
きる」と申しでをりますし、「吸雫に勤して、、頓の咤耗が反封であ
ることは灸鴇の均血巧である」とん叩ナ地叫良さへゐるのハあります●そん
なふうぐあbま†から、泡日の聯邦朽酎の封.指軸宜職投崇では賛成九
十、に封し五十大封の反封があつたのも撫埋からぬことrあります。
又印堆では毒の暴動や罷業が頻教いたし物憫陣然たるものがあると
いふ亡とで、英閑もその抑鮎に糊.頓となつてをります。又Pソドソに
ある印度聯盟の支部では】月二十四日に英閲政府に封L印駐掬立の郎
時承馳を弊求するメツセーヂを出したといふことeあむま†。
ビル†では先般】月十入日にウ1・ソI首柏が英固からの紆海速捕
されてをります。ウI・ソI首柑は英図政府に封しビルマの自治を黎
求しにまゐつてゐたのeあむまするから、反英分子の一人として隷捕
されたであらうことは想俄に難くありません。
文慶に於きましても、一月十七B立法院壌孫科が「米英粥圃が東頚
に於いて日本に聯手なことをさせ、欺洲馳を亀lに考へてゐるのなら
求顔政租は持本とこれ以上取ふ・】とが得鮨かどうか考虻せぎるを得な
いことになら与」と語つて、米英に凄助の少い不苧と骨し文句を並べた
の卜あむます・立旋としてはビルニ軍蝕や虎の子の飛札槻を出L乍
ら自分の方には】向に竣助をしてもらへない上に、米英のだらしのな
い敗け方を見捷つけられては、内心不安になり多少反省する封浄にな
るりほ常然でありませう。この戚嚇が利いたのかどうかわかbません
が、今月二日になつて農閑ば五千乾ポyド、米覿ほ五億ドルの倍款む
正騨政抽に輿へるとの頓昏を準或してゐるやう¢あわま†.而しビル
▼公路が完全に我が制駐下に入つた今この倍欽に上る援助物賛を如何
にして富慶に輸逸し得るか、iに又自酎の取曙他制に上む物毀の不兄
を稲切に拡ずる米英が如何にしてその持ら必弊とする物賛を常顔に割
牙し持るか、これらのことを考へますれば、今回の非米の封安帖鉄な
るものは、朽詮」片の楚宅丁形であり正慶に封する尉めの款一果を一狙つた
ものと見られるの′りあります。
さうかうして英帝困ほ演前の危礎わし胎んでゐるのピありますが、チ
†−チル嘗印もそれを詑めて、「現在の串態は〆ソケルク敗吸の】九
凹○年の定上り妃に定大であり且耕放はだに麒化することを宅惰せね
ばならない」と」月二十七uの晩訟で申してむります。而しそれだけ
でほ飴りに悲軌的過ぎると考へたのであゎませう。「一九凹三年箆に
は太苧洋の形弊を建直し得るであらう」と強がりをつけ加へてゐるの
であります。
チ†Iチルが米国にゐる間に英図内の蛮親は瀬魂の敗吸ですつかむ
鵜くなつてをりまして、彼が野つたら賛任を岡ふてやるぞといふ麓鋭
が強く、内関改逝を野射する鞋も有カであつたのであむます.そこでチ
†−チルは肝圃するや抜打的に「もし串態の瓜化に封して賛任潜あむ
とすればそれは余チ十−チルであゎ、靖倉も英閑もチ†I≠ル自身を
叔くべきである」と大見得を功り内賄から半任者を出すととを在んだ
のであります。それに封して下院では「南民は政府に欺捕されてゐた
といふ感じは破ひ難い、朽倉は何ケ月も前から埠倫は大丈夫かと掃い
てゐたのに政府ははつきゎしたことをいほなかつた。チ†トチルは臼
本の政撃を粒ける噂節があると簡晋してゐたではないか」等といろい
ろ降ぎ立てたのでありますが、綽局チ†Iチル内閣ほ一窮の反封があ
つただけで貼倒的多赦の信任を得たのであります。この信任投巣はチ
ャーチルの一種の芝居で、茸任を−身に亀ふと的を叩いたとりろが、
英賦人の貯みに投じたのでありませう。盤にチ†Iチルは居坐ること
になつたのでありますが、このことは吏に考を池めてみますと、英鞘に
ほ凱在の妖弊を全然改率L待るやうな新しい方鮨も見普らず、別に上

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む強大な人間もゐないといふ串球の反攻とも見られま寸う.つまり誰
が出ても大した襲りはあるまいといふ英醒人の諦めがこゝに鋭はれた
のであると恩ひます。そゞろに秋楓落葵たる宅大憐イギリスの授落の
日を息はせる現状であむます。而し飽迄長期取で頑娼らうといふのが
役等の唯】の鮫であむ、又そりが英園人の根強いところであbますか
ら、我Aは英閥内のごた〈や触領の悲鳴に嵐を上くして油断をして
はならないと風ひます。
次に米印に脱を柏じまするに、尋も大きな外受的な動きは汎米外相
禽粥であむます.米州外柏倉流が西牛球防衛と米洲の坪済的連碍を目
標に一月十五臼プラジルのりオ・ヂ・ジャネイPの伯印鎖現監で二十
一ケ熊のさ加の下に閑かれたことは新閲に報道せられたところであむ
ますが、鶉一8の本禽損でグアルガス伯閏大統儒、プラジルのアラー
ー】ヤ外柏等が桝毀を行ひ、「琵鴨を受けた準囲と手を収つて米大陸防
価に鶉池する」といふ封労をあげました。ところが米圃代表のウール
ズは犬襲おだやかな網子で次のやうに申したのであります。「米図は
との際常米稚国がどうしろ、かうしろとは云はない。・朗米緒囲の行軌
は自由である.
雨米は自分で上く考へて今後の串態に威すれば上い。唯一つやつて
くれて困るのは確軸側の酵に笹斡基地を輿へるやうなこと、かういふ
−しとだけはゃつて貰ひたくない。」
又南米汚囲との滴商拍係については「器拘は約束通り菩しい中から
雨米#申へいろ〈な物を費つてゃつて南米の希尊に削ふやうにする
から、拷米も米囲に宰帝品の斡ハ料費材等を更つて協カして欲しい」
これは券一国らしい琵文であります.何紋なら米圃は東亜の粥とか静
頸、タソ〆スチソ等の槻治を斯たれて軍領生竜に】大支辞を衆してゐ
るのでありますゃそこでこれらの資材を何とかして南野から仰がうと
いふ魂階であります。つまりこの言集は「持てる国」米国が、お蜂元
の南米籍固に、由るから何とかしてくれと粥を下げてゐる拭とでも申
すことが出来ます。米国は多年弗外交のカを襲抑して全再米を自已の
牟下に収め革制的支醗を行はうとして来たのであむますが、大丈亜蛾
学の打撃で米園の南米に封する地位が襲む、象に南米の樫拷壌助を求
めなければならない立堵に立つたのであわます.今申しましたウ・−ル
ズ次官の雷鶉にも親はれますやうに、米閑が寓米持図を一丸として馳
雫にひき人れ上うと禽粥の前、曾粥中を流しいろくと曙粍むやつた
のであります。米鱗の手先になつて助いたドミー【カ印のモyナ大続餌
は一月六日「封柘軸共同宜職布告案を捉出する」と鞋明を致しました。
ところがそれに封して各拭とも栢る冷淡な上、丁ルゼソチソ外柏は公
然反封を競明しましたので、モリナは形労非なりと見て前官を柑回い
たし、串に勢樋軸噺交案を堤旬するといふことに契へたのでありま
す●ドミニカの堤唱には勿翰米駒が後で糸をひいてゐたのであむ、従
つて米園はまづ鶉一の段帽で蹄鉄敢した詳であります。そこで今既は
ウル〆アイの外柑に禽娼の第→日に「南米紹組は鴇軸と外変朋條を晰
さるべき何専不便はなく、本穴zは今固の禽訪の主班開堵とLて討訊
抱してもである」と云はしめたのであります。
かうして米国ほ表簡すまし艶をしながらいろいろ扶で熊動をしてゐ
たのであります。
ゴニしこの禽巧は各執から填出した六十件からの粥案を簿瀾したので
ありますが、粥案の中費大開頓は何といつても封槌軸共同▲軒交築と券
仙叩梓済肋桝力■買のこつであゎました0ところがりの封福軸弛」同晰考山苛が
宅音の】葛に上b折硬がh開始されまナと、アルゼ叱チ√革、ナyIは
はつきb反鞘を襲明致しました。十六8の鵠二回本禽約でもア騨代衷
は「丁ルゼンチンは何等樅衆の政報を埠更Tるものではない、米図を
非交敬南と馳めたことが勤米塊鞘に封するγ観のむ意を示すもので、
.Jの態寧Jそ今次取学に於いて他の如何なる固の態庶上りも米閲を利
するものであると僧ずる」といふ大統飯の鞋明を代睨致し、アルゼソ
ナyの正々萱々たみ方針を妨べてをむ、帯耳叉総始二耳掬臼の允場を
耳いてまゐつてをります.
かうして晰交案を巡つて米閑及びその息の掛つた図々とアルゼyチ
y、チy専の晰交反弊前とが粥然と封立いたしまして、愈荊はうつか
bすると決裂す福かも知れない有械であつたので†が、米国はりの聞
にいろノ\拡迫や熊動を確烈に行ひ、デヲジルが堀り持ち餌に折衷案
を考究したりして曾辞をうまく耗め上うと努カいたしました。米固は.
各個撃披の意味下反封印ペルIに目をつけ、干クアドルと汐崩境紛学
開樋をベルIに有利に解決してやるとか、前に押収した十入葺の飛行
槻を返してやるとか、軍儒鍵物やベルI棉を買つてやるとか、一等図
攻ひにしてやるとか、いろ〈ペルIを口孜いたやうであります0り
の覗魅に抗し得ず、ペルIも仕方なく読拭といふふ与になつたやうで
あります。
雨しこの倉粥の決窮は全骨−致でないと成立しないことになつてを
りますので、アルゼソチy、チリが強硬に反封すれば共岡軌交案も成
北致さないのであむます。そりで米駒は畠己の両日を保つため何らか
の形で餅交案を成立させ上うといろく骨を折り、初めの方針をだん
だん評歩してアルゼyチソの催正意見を容れることになb、ニ十三
日、封槌軸共同晰安勒告耗むるものを成鼓させるに繋つたのでありま
す.その竜夢條項はr米州共和沼は臼囲津令の定むる魂琵に徒ひ、.且
現在の大陸的紛苧に於ける各財の允場、群憫に基き、8畑伊との外変
湘係断紹を拗脅す」といぷのでありまして、即ち跡交するか杏かは各
閑の決定に委したものであります。
このやうに米閑は最初の共同宜敬案から共同断交案へ、茫に拘東カ
のない断交拗昏案へと三段に次々許歩しまして、熊にもならぬ策を成
立させ兎も角も襲両だけは】臆糊弟し得たのでありますが、米洲の君
臨者を以て任じた米固としては粂く威信を失墜した次坊であります.
倉革はこの外に封鴨軸粒済晰交案、第五部隙取締琴、封拒軸油侶交
鵡蕪止案等を可決しこ十入日に終了いたしました。
この軒交拗普に従つて、アルゼソチソ、チリIのこ囲を除く鞘米各
拘は相次いで我が国L晰交するこ止になつたのでありますが、右ほ永
年の友誼から申して械に汝憾至振なことであります。尤も晰交は軌申
とは輿れまして、在留同胞が直に敵囲人たる堀扱をうける罪ではなく、
主として外変朗係の晰絶でありますから、在留同胞の生活には直に‡
大なる影替ほなく、又各開の在留揺に封する収攻も現在のところ槌め
て寛大なやろであります。
かやうにして米囲の弘−の計態は敗れましたが、勿冷米開は右を以
て浦足せず、今後とも帝米にいろ〈蝕きかけ、桝拗の日的を撞して
自己の成信を固復し上うと弊カすることであわませう。
英囲も亦その元水の特貿たる粘わ臥竣揮し今後兆往丁日本に封し各
種の攻勢に出てくること必定なのであります。裳へたりと蹄も老檜英
朽図のとるべき今後の大弊挽周鮨や米園一流の触手妨職法に封しては
日本人と致しましては十分なる瞥破を必嬰とするのであります。敵駒
の】時の失敗や鮎飴に上つて俄に心院る如きは尤も恨まわはならない

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とと勿漁でありますと同時に、頚々各自が乾坤一都の大東墟勒申に於
いて各出の守わを十分に輸めますことに上つて「守bあれば心安し」
との心媚を常に持して行きたいと思ふのであります●

(二月六日放送)