海を制ぜょ

     頑倍大臣 村 田 省 蔵

 本日竺倒海の記念R穀迎へJし九を脱く朱御代硝君とともに感紡
津くいとも舵榊に戦地ナることが舶来写したことは・海に傑き関係を
持つ過信大田としまして・棚に欣快に存ずる次驚去ります9
現在閉家が整骨として・閥を挙げて解施して告りますものは・陸
海軍の雨犯念8の外、時の記念日・或ひは舶額記念日等なかなか数多
く行はれてゐるのでありまナが・四而海を環らす我がH木としまして
海の記念日が今日まで叫かつたことは、誠に租憾なことでありましたD
今日内外の僻弊ほ極めてg火であり・H木といたしましてはこの聴こ
そ、原に私絆例家たる舵耐日を型抑し、海の故りの海難は勿論・海濯
に水鑓に飛脚瑚尿を州ト、もつて七沖制削り仲繋に遇鵜しなければ
ならないことはいふまでもないと恩ひま†ので・政府は印属{jに・
海に射する紘拍竺膚深め・前件糾紳の昂鮎を阿ろ馬め・本日の海の
紀念Rを制定した衣帝であります0従つて本日は・桁舶を所管として
をります関係⊥返信省が、主として行郎等を尭皆甘地してをりまナけ
れども、記念日の行帯は現に瀕信省だけのものでほありません・海湿
胸係、水車関係、または海布教脊・その他海串各方面の閲係者を中心
としましで、全日本人の海への組艶耶む和する攻鮪であ勺ます・
 この海の氾念日を本日に決定しましたのほ、伽々七月l手日といふ
Rが畏くも明治大帝におかれまして、明治九年氷北御巡率の御物勺、
常時の環儀奔船明治丸に腎頼ま御沌舵に榊成勺・雨飴を軽て海路和
義なく櫛璃へ矧締遁遊ばされた拭き8に革りますので・この日を選ん
だ次第であります.
 木記念日には、海洋思想の背及徹底を目的としまして本日まり遍
閏年方面の協力を得まして・郁々な触しを始めたのであります・釦ち
山般に射しましてほ海に朗する潮蜘曾、展児牢海上哉捷曾、映竜骨
紀念放遠或ひは記念行進、船舶公欄琴を行ひ、また内に封しましては
慰怒琴胎負表彰、家族慰安禽等その他種々なる紀念卒業を行ふ−
といたしたのであ巾ます.
 かくの如く各方面の協力計褐まして・脱く快く木整骨の徹庶と和
しました所以のものは、海洋允朗が我が閑古求の大南是であるのみな
らず、今日の日木が漑南し1・■ゐる各方而の情勢が・海に封†る帝朗の
硝鹿妹に、表と礪化繊充を湖水してゐろからでありまナ・打水軸を
制するものは壮界を制すといはれてkりますが、塊祇の≠雑状勢む恍
めます時、全くその通りでありまして、海上に於ける聯敗が‡に列周
智糊の鍵となつてゐるのであります・
(ユ)

 今Hの如き戦時下におきましては、海の奄黎性殊に海軍の持つ電宰
性は想條以上であり、太平洋の汲浪今や高からんとする折柄、弊石の
如き我海軍の厳存は蓋し一大壮払といふペきであります.
 また今日我が閲に於きましても貪艶聞姐の喧しく論ぜられてをりま
す折柄、無限に購い悔の賓辟開頓にさらに力を址ぎ.世界に託たる水
産日本の虞償をさらにさらに襲挿することも蝕めて悪夢でおりま†.
海乗物の利用につきましては、常に食塩のみでなく、現在でほ搾油或
ひは加工等に上りまして化拳エ繋の麻刑としても、開拓研究の除地が
非常に大なるものがあるのであります。
        ☆
 さらに海運方面より見まして、平時に於いては兎にも角にも英米に
次ぐ世界筋三の海迩園として柑常の睨をきかしてゐたのでありますが
現在に於いて日本が曾つて無いほどの施荷を浄山背負つて、羨格極ま
り血仰い図瞭情勢の中を突破せんとするに常りましては、造憾ながh日
本の濫浬力は決して†分でなく、現に充絶兆焚飽を結びつけるだけの
ことを考へて見ましても、我が開現在の保有する糖悩食、或ひはこれに
伴ふ人的資瀕その他各般の革がすべて不†分であります。海に働いて
ゐる人々は勿論のこと、一般国民に於いてもこの鮎を十分に考へてい
たガき度く、この不十分といふことほ畔に晦鎚力のみの開祖でなく、ひ
いては一般鮎物資或ひは餉能諾にも析撚影騨女帝すのでありまして、
伸び進むべき園力もこの環めに伸ばすペき砥がまがれる虞れがあるの
であります.糖さわばならぬ樹藍鞋動も掛け駐のみで、椅箆の箕を革
ぐることが出水ぬのであります.
         ☆
  この時に労り一規山世海にJ粥一俸して働いてゐる人々はその山架態は和々さ
まぎまでありますけれども、皆一様一卜閉瀦の附碓に舶へてひたすら精
進を続け.各主職域を洩じ、その力を近してゐるのであります。併し
乍ら、我が海運政策の礪化、或ひは海洋立駒鮨の飛椛的施米を誠じま
す馬めにほ、これ琴海串粥係者の努力のみでほ刺践その目的を速し得
ないのでありますPどうしても一般詞民諸君の渉椚たる海への鵬心、
海への市弘故による潔い翔節と力強い援助に侠たわばならないのであ
ります.
         ☆
 鵡君試みに世外地陶を抜いて軋簸なさい.海ほ地球全面桝の的四分
三を占め、果てしなく轢いてゐるのでもりますが.桝外人口二十憶、
何れもその四分の一に過ぎぎる睦地に居を占め、ここ彰生活の本墟と
してゐる馬め、睦地に射する知軌は比瞼的多いのでありま†が、海洋
に封Lてけ甚だ教泌撮まるものであります.撃烽アの照大なる海洋は
未だ何人の所祁に机威しじをりませんP海洋は‖山弊政なる海蜘人の
清舞妓として捜されてをります.海に生き海に托したる弛収柴敢なる
組先の血を享けつぎたる我々の拉内には、なほ脈々として生命の艶軌
を鋭けてゐるのであ〜ますPかかる費き停統を持つ如嗣日本の封子の
前金にほ海野々人として、海員として、海遊人として、水産人として
終また海の料率老とLて、既決たる海洋が歓迎の大手を脱げて待つて
ゐるのであります。 、
 次の時代を荷ふ我が日本の青年粥君上、溺常の大地は拭き捜地にの
み限られてゐるのではありません。私ほ本日の海の紀念日を契放とし
てさらに晩を鹿女地域として穐されたる拭き耽き悔の万怖に向けられ
んことを切盗して木夕の挽賀の軒とナる衣約でありま†.
                       へ七月ニ†q放逸〕
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