栄ゆる御世

  御民われ生けるしるしあり‥
 四月二十九日、一億餉民が帝ぎ
準ろ社長の伏節、鈍れ多くも、
天烏畔†におかせられましては帝
大多難な時局下に大枚い上いよぜ州
しく.王憶溢1御堆かに挿し奉り
ますことは、私娼揖革の陰に慶統
の至りに桝へないところで軌趣い
・壱す.
 洩九森りますれば、ヰ熊浦凶年
に垂んとして、なほ戦局の前途泣
h址.鋭喋偶労また複雑多準」山る
昨今. 陛下におかせら丸まして
は、常に裏を悌ませ拾ひ、榊拷
用のはと.ただただ良き極みに拝
するのでありま†.殊に御政教、
副常務につきましては、特に朝早
く上り夜おそくまで舞上を醐召さ
れ、各秤の上妻帯斯を貌裁あらせ
られ、殆んど寸暇もあらせられず
畏れ多いことながら、牛ー馬の桝
運動を仰出されることさへ穣めて
稀な御由に拝承放しま†.
 今林艶に燈しましての 控下の
御杉志の欺々は、瞑に恐悦の外ほ
ありません.
 事襲地の情況につきましてほ「
殊に御心を留めさせられ、その報
告が入りま†と、日夜時を選ばず
閲召され、出征軍人の辻秩や家族
傷痍軍人等の身の上についてに、
常々大郷心を注がせ拾ふのであり
ま†。靖軌紳敵春の臨時大嶺に管
りましても.】弔ニbのニ†五日、
(40)
 l、くも蔓−【故に】汀辛染ばされ、
 Z叫の確舞に和親邦入らせられ、
 働鵡海の帝側にひぎまづ〈租族た
ちに鞍して、息召をもつて特に由
#をゆるめさせられ焦ろなる榊†
持を掛はつたのでありま†.
 史息のほど畏きとも長き極みで
あり†tT●
 この点召のほどほ私ども恐健感
計の甘黎を知らないのであ々ます
が、上榊一人をいただく日本に生
れた上ろこびをしみじみと感ぜず
にはゐられません.
 悠久ここに二千大官年、皇統適
綿として漁らぎる 天鼻をいただ
き、尺・」れにいつきまつる一大家
竣成家たる日本に生れた喜びと率
汚、l利尿われ、生けるしるしあり」
といふ感偲は私ども白木尉民にし
てはじめて昧ふ・」との出来るもの
であり、何物にもかへがたい縛り
であります.

   ×

 「日本は世界の執々が持つてゐ
 ないものを持つてゐる、それほ
天掃であ巾まナ.天髭勧閑寂であ
るといふ信念を持つてゐる.これ
と腕押しの出水る明が−挽とこに
あるのか、 天真政治とは如何な
るものか、「大君の墾にこそ祁な
め」といふことをはつきり掴めば
よいのである.これほドイツにも
イタリアにもy桝にもない.わが
均家の楷革である.」

       ×

 このほとばしる非淑の官業こそ
世界の外交の沖舛煮で大きな鋤き
をし丁州つて氷られた.枚」阿外教
大臣の心からの叫びであ〜ま†.
湘巻く伽軋の艦只中を、今日はベ
ルリンにヒットラ一級統と、明日
はJ−マにムソリエ■首相と、と
もに竹非の新秋拝む語り、さらに
「赤き和裁者」として、最低界か
ら港の神准とされてゐたソ聯のス
ターリン樹氾最上治られたときに
も、倶岬さ九に由倍を輿へ、力を
桝へたものは、外でもない桝例月
木の♯止井な一円一旺であり、止八大な
L刑捗【威であり、この卸稜威の下に
一也となつて頑張つてゐる一億再
民の姿であつたに窪ひありません

       ×

 私どもほこの同性の有耕さは、
】拝外.出て見るときにほつさり
と嫉ぜられるもので†.
 】度海を渡つて知るのは、母材
の力であり、御練成のたのもしさ
であ巾ま†.
 捕洲.箕郷.それから俳印へ行
つても.私どもは大手を振つて歩
くことが桝水ます0街ヨーロッパ
に行つても.幣邦は私どもを第び
迎へてゐます.

       ×

 それは何故でせう.銭久二千六
宵年の体妖に#く入故一宇の大理
想が、或ひほ硯梵に東亜の天地に
硯ほれ、或ひはその糊想を同じう
†るところ、瀬野鰯邦の囲き同鞭
となり壮者れ、わが同席が外に頓
一‖してゐればこそセムり‡す●

  七十年前の戎■一国I

 ■拝みに七†救年前の日本を息ひ
起して見エうでけありませんか.
太平洋上の島日本ほ.姫川三青
年の鎖周の夢を点腑のためゆり起
されて、所内は♯燃としてゐまし
た.
        ×
 支郷大睡から南洋万両を出色人
称の支配下に放いた外聞は果糖に
名をかりて、捜された魔女地日本
におそひかからうとしてゐたでは
ありませんか.それがどうでせう.
明治維新で立ち直つて屏他の精華
を葡錐し、弊閲の飛想に如して、
開成を変換し.臼済・日好の柄役
次いで第一次軟洲大戦から浦琳‡
襲を経て、押しも耕され山瀬椛の
隈主としての地歩を築き上げたで
はありませんか.
 かつては束拍の一鳥閉として押
 へつけられ上うとされた日本が、
今や、東郷事艶を取ひつつ、共犯
(jl)

の新秩序建設に着手し、率先して
世界の推進力として頚直して釆た
のでありま†.この足どりは、世
界のどこに比ペるものがありませ
うか.
 日本は、今や日純安手を溌へて
さらに術方砧穎を含めての大東誰
共焦患の建設をめぎして立ち上り
安部本艶を四年間にわたつて職ひ
りつ、世界の日本として、純飛出
禾る国力を養つてゐるのでありま
す.

      X

 ♯娃、生活が少し不自由になつ
た、牧の魂り具合が少し憩いとい
つて、「支那車鍵も四年になつて物
♯が沖山滑耗した緒果だ」と心配
 してゐられろ方がありますが、犬
一な私軋不足です.陸海軍をA是
 て音感に近い大破罫を費つてゐろ
 F木です.しかもその大部分が、
 いづれも潜水に対する憐肪カをた
 かめるために、併はれてゐるので
  ♪】一
支郷事鍵によつては、海軍の貯
取などは、一隻も傷を受けてはゐ
ません.
 尤大な珠算が、支那事鍵に粥耗
されてゐると息つたら、非常な誤
解で†.

       ×

 このやうに日本の所カは、ここ
敷十年の間にすばらしく破くなつ
たし−また現在も閃逸爪二漁を辿
つてゐるのであつて、支那本鍵に
上つて日本は非常に強い南となつ
て来たといつて葬支へないのであ
 ります.
 蔑陛一系の 天皇をいただく図
柄が、外聞が糞むほどの強みを興
 へてゐることを、はつきり硬解せ
 ねばなりません.
  皇圏外交の成果
 妖みにここ敷勿月朔の外交をふ
 り過つて見ませうり昨年九月二十
 七日には日・粍・伊三園膝的が緒
 ばれ、最も細讃亨に上つて我が殉
の行くヘム品名劉秩拝べの盤が明
らかにされましたが、十一月には
旺挿祢氏の所民政府との聞に日華
浜本條約が頼ばれ、今年に入つて
ほ・泰圃と仰印との紛率の調停が
行はれたことは、皆櫻方の紀憶に
鮮かなことでせう。そして今駐、
日ソ聞の中立條約の綿棒む見て、
二面條約に一段の周めをなしたの
ですが、これは溌に盤酎の仰統た
る八紘一字の衆れであり、また番
麟滋好を昏とするわが平和政策を
一度偲界に明らかにしたものであ
りますの
    ×
 枚同外務大臣が、今何の瀬棚行
きで成功を収め得たのも、この日
木の観みを油つてゐるからこそで
す。拇展の強みなくして何が出来
ませう・    ゃ
 それだからこそ像岡外務大田も
♯朝鼓の第一#で→私が若し少し
 でも.今岡鳩歓の他命に副ひ得た
 とすれば、それけ時の力であり、
 またわが前艶が然らしめたもので
ある.
 香、魚に微竣成によるものであ
る」といつてをられるのです.
 囲鍵の認識に徹せよ
 白木の今日の際酵、今後の硬弛
も梁に、この犬御稜戚の泰鍵にか
かるのでありますゥさればこそ、
私ども開局たるものは、この周柄
の構華に徹して妊に大政寮費.臣
藩来演の誠をいたすことでありま
す.
 既に行くべき軒家の方向ほきま
つてをります.
       )へ
 私どもが一人々々、各1 睦下
の雅子であることを自敬し、努力
することによつて確分でも紳東嶺
を安じ奉りますことこそ、大仰耗
戚の下に、私どものつく†べき荘
 であり、鼻閑の薮畏を糊する所以
 と礪ずろのでありま†.
     (四月二十入8放送)
(4男)