靖国神社臨時大祭に当りて 
          靖国神社臨時大祭委員長海軍大将子爵 加藤隆義

 今般畏くも靖国神社臨時大祭施行の儀を勅許あらせられまして
過ぐる満洲事変及び今回の支那事変に於いて、昭和十三年十二月
下旬までの間に殉ぜられました、一万四千九百七十六柱の英霊を
新らたに祭神として、合祀仰出され、その祭祀が、明二十三日よ
り二十八日までの六日間に亙り、厳に執り行はせらるることとな
り、私は臨時大祭委員長として、親しく祭典に奉仕することとな
りまして、誠に感激致してゐる次第であります。明日より行はれ
まする大祭の次第に就いて、概略申上げますれば
、明二十三日夜
は、招魂の式いと厳かに執り行はせられ、明後二十四日大祭第一
日には、特に勅使を御差遣になり、その翌二十五日大祭第二日に
は、臭くl 天皇、烏后嫡腔下に於かせられましては.行革潜遊
ばされ、瀦しく榊斉あらせられろのであります.泡に大御心のほ
ど拝察致しま†だに慈濯感憤の至りで御座います.
 私ほ委員長彰封命致しまして、取成っ憮大鮨鐘なるに感泣しっ
つ、只管紳々の御心に叶ひますやう、また三蕗飴の法族の方々が、
滑々なく参拝を潜まさるるやう、念鮎致してゐる次窮であ巾ます.
和も我が朗の釆犬非常時に際し、進んで身命を君酌に捧げますこ
とは、我が団民楷紳の哲音であり、また閉代温他の持組であゎま
す.それであ勺ま†から、粛囲の積めに命を棄て、耗痢の紳とな
りま†ことは、我等日本閉民の本懐至極と存ずるところでありま
†が、なほその上に、粛世不易の名を姥し、碕印紳靴の穀紳と決
められ、呉当の�去鼡�を揮う致しま†ることは、酸に臣子の冥利
之に過ぐるものはないと信ずるのであります。靖図紳敵性、もと
もと、明治天皇の叡艦に上りまして建水せられ、締約」那祀と申す批
蚊また撃破仁山たものでありま†.申†までもなく鮮園田耗にし
て.勒役事鍵に従卒し、商家の病め忠節を韻し、高瀬なる大柄紳
を讃拉し、死妓激しましたものほ、文武官描の拓下身分職兼男女
の如何を閃はず、詮謡の上合祀を仰せ出さるることになつてをり
(彗9)

まして・この度の合祀出前の祭紳は・前後五十七山に亙りて合祀
され、十九革≡T八田純でありま↑.その簸ぎ烈紳名及び略膳専
ほ頻紳準手有飴肪に氾兆され−副硬血として、正般奥深く約め
られてあります・余興は凡て勅旨を似て行はせらるるのでありま
して・毎年二間例大呉執行のことも、軌促に依るものであります.
惟ふに過去数次の職役・和睦刷1り、今次事鍵に於いても我が
息軍が繁盛・・海に、常に大勝し、赫々たる磯拳「虐め得たのほ、
慮れ偶に パ壱は下り卸機械に依るところであり誉γが、また我
が忠魂なる慨兵の滑柑完叩め・喜んで身命を挿ぐるところの食き
殉閥の緒紳に遊づ〈ものと申さねばなりませんごの間家む忘れ、
身を蛸つて、或ひは砲悦紺舶の間に倒れ、或ひは不串桝魔”摘め
に死残したる勇ま・烈々たる整忠湘樹の赤誠は、嬢として萬世
を照†ものがあり、その狩雨の聞に牽揚せられたる耗多の古顔や、
戦殊に悍し誉れたる液私奉公の精紳は、聞く繋妄して襟を正さ
しむものがありますごしれ等の争き英懸を.艶減に依り皇居にほ
ど速からの九段の故に・永へに和め叉ノることは、悪筆で菅に
その忠烈を期琴するのみならず・その禁高な晶紳を楢へて、以
て渾邦撫比の腕組を樺醸し−八紘の1御稜成を輝か†べき確固不
勅の国民純綿と榊頴帥成せんとするの・彗Hに外なら申もの上布
ずるものでありま†・いまや出棺眈に≡年九ケ月、蒜にほ我と
その雪国う†る‥=小火汝椛翌され・現に楷々力強く背戚数度
しっつあるのを見辛すが・併し鵜政桃は托職の迷夢よ勺究めず、
全面的和平の時桝・なほ泣く、加ふるに凶際情勢の騒泊麺柑、前
途の態測を響完いものがありまして、艶地目的航徹の日は、な
は前企丑強の浪があ豊す・攻誉H本団塊の東海は、正に今=上
皇肌犬な竜のほたく、今後慈左丁彗致前途攣多の雑槻仁向ひ、
爽池するの窮薙心を振ひ璽1必黎があると存じ互1.況んや世界
の鑓神川とも粥せられる今日の不軍躾迫せる周昭博労は、底に
搾刻であつて、その前途ほ、如何なろことになるやも計られない
現状に於いて・我埠は触多琴士の忠勇轟烈なろ索恥に感泣すると
ともに、悠丁団民将帥を作興し・臣子たるの本分に邁進し、似て
天執妹妨の皇超を沃潰し奉り・皇国の武威を雀邦に坪かさむこと
を好ひ奉らねばならぬと存ザるのでありです.ここに恭しく臨時
大祭に臨みまして、食き盤面の忠烈を柴め奉り.鶴首の豊裸の
御心中を椎堵致し写して・濠甚だ潔く毒所懐を彗ずした次
第でありま†・    (四月二十二日AKより放送)