日ソ中立条約について  情報局第三部長 石井康

 松岡外務大臣は独伊訪問の途中ソ聯邦の首都モスコウに立寄り、モ
ロトフ外務人民委員と会談を遂げましたが、帰途もさらにモスコウに
於いて、ソ聯邦の首脳部と懇談を行ひました結果、国交調整に関する
日ソ両国の意見一致しまして、十三日モスコウ時間の午後三時、即
ち東京時間の午後九時、帝国代表松岡外務大臣及び建川大使と、ソ聯
代表モロトフ外務人民委員間に、日ソ中立条約が調印せられたのであ
ります。
 省みまするに、日本とソ聯邦との関係は、大正十四年北京に於いて
締結せられました、日ソ基本条約に依り、国交関係の樹立を見たので
ありますが、爾後殊に満洲建国以来、彼我の国交関係は必らずしも常
に満足なものとは申されなかつたのであります。然るに一昨年欧州に
起りました戦禍のその後益々拡大せんと致しまするや、帝国政府は世
界の平和を保持し、大東亜の安定を確立する我が肇國の大精神に基づ
き、昨秋独伊と三国同盟を締結致したのであります。而て帝国政府は
さらに一歩を進め、三国同盟の拡充強化の目的を以てソ聯邦とも国交
を根本的に調整せんことを企図しまして、予てよりモスコウに於いて
折衝を続けて参つたのでありますが、今般松岡外務大臣の訪欧を機と
し、日・ソ間にこの国交調整交渉に関する最後的妥結を見た次第なの
であります。
 地理的に且つ経済的に密接なるべき日・ソ両国の関係が、従来兎角
明朗性を欠いた為めに、時として第三国に乗ぜられるやうな形勢もあ
つたのでありますが、松岡外務大臣が膝を交へてソ聯の責任者と意見
の交換を行ひ、我が国の公正且つ平和的なる意図を忌憚なく披瀝致し
ました結果、今回の合意となつたものと思はれるのでありまして、こ
の中立条約成立に依り、日・ソ関係は、ここに画期的なる新展開を遂
げ、東亜の政局太平洋の情勢に、新時代を画することとなつたのであ
ります。
 この条約は、情報局発表の通り、中立条約及び共同声明の二つから
成つてをりまして、中立条約前文並びに第一条に於いて、日・ソ両締
約国は、平和及び友好関係を維持し、強固ならしめ、且つ相互に領土
保全及び不可侵を尊重することを約し、第二条に於いては、締約国の
一方が第三国よりの軍事行動の対象となる場合、他方締約国は中立を
守ることとなつてゐるのであります。即ち本条約の実体は、相手国が
他国と戦争中は他の一方はその戦争全期間を通じて、中立を守ること
を約した中立条約でありまして、その精神に於いては、平和的なるも
のであります。なほ期間は五年でありまして、この期間満了の一年前
に本条約の廃棄通告を為さない時は、次の五年間は自動的に期間が延
長されるのであります。また条約の効力は批准を了したる時より、発
生し批准の交換は東京で行はれるのであります。
 つぎに吾人の注意しなければならぬ点は、日・ソ両国の共同声明で
ありまして、この共同声明に於いて、帝国政府は蒙古人民共和国の領
土保全及び不可侵を、またソ聯邦は満洲国の傾士保全及び不可侵を尊
重することを明らかに致しまして、満・ソ満蒙間の紛争の原因を絶ち、
該国境方面の明朗化平静化を期したる次第であります。
 かくて、帝国政府は、この日・ソ中立条約の締結に依りまして、一
には三国同盟の意義及び精神を名実ともに充実し、他方大東亜の平和
及び秩序の為め揺ぎなき一礎石を築き、以て大東亜新秩序建設の聖業
に、勇往邁進するの決意を益々鞏固ならしめむとするものなのであり
ます。変転極りなき世界情勢に於いて、未曾有の世界騒乱は、益々複
雑且つ微妙を極め行く趨勢にあり、この間に処し、世界に於ける帝国
の任務及び使命は、極めて重大なるものがあります。須く官民一致し
て内、国力の充実を図り、外国際情勢を冷静に判断し、三国同盟を経
とし、日・ソ中立条約を緯とし、如何なる困難も障害も克服打開し、
協心戮力昭和の聖業を完遂するの必要を、痛感せしめらるる次第であ
ります。            (四月十四日AKより放送)