青年学校教育の根本方針
 
      文部大臣 橋 田 邦 彦

 昨日の陸軍記念日から向ふ一週間に亙りまして、文部省は全国的に
青年学校振興運動を展開致すことになりました。よつてこの機会に青
年学校教育の主眼につきまして、申述べまして御参考に供し、青年学
校振興につきまして、広く各方面の御協力を得たいと存じます。
 青年学校は御承知の通り、昭和十年にその制度が布かれたのであり
ますが、昭和十四年からは男子だけにつきましては義務制と相成つた
のであります。青年学校は小学校を出まして後、男子は大体徴兵検査
の年まで、女子は結婚適齢期までを教育する機関でありまして、即ち
背年数校歌簡ほ射女封年が一人創とかるまでの卿附に於いて、これを
夙に閑寂の馬めに役立ハ∴正しき、力ある一人前の月末研年に鍛へ上
げる抗めむ教育であります.
 それではどれくらゐの人数の瀦が耶咋蝉桧山純に詣爪するかと印し
ますと、毎年小串校を出まして他の中呼艶校時に弛みます者は、大捜
その一割五分にしか過ぎませんから、次が閥の軒年の入創玄分がこの
有年革校の生徒となるわけでありまLr、型づ約三引払人、女子約二
宮嵩人、併せて五官常人といふ我が酌軒年の火多扱が.軒年世故金鉱
たるペきものであります。細していふ超もなく之稚の州女貯年は、E
れも何等かの甥耕に従事薮して、現に純曾の山只として婿勅歓して厨
るのであります.
 然らば之埠の男女守年を何故に尚家が教育蚊さねばならぬかと岬し
ますとその答は一言にして轟きるのであります.即ち閥毅興陸の兆鍵
を増ふにあるのであります。将来日本をその双屑に筋魚つて立たぬば
なら虫背軒の思想を確立しハ盟カを鋏胸し、技髄を檜池し月つ所防偶カ
を強化敷L誉すことは、酎浬軋厳の其艇を独ふ淑味に於きま⊥て→一
刻もゆ最がせに出水丘い園鮭@耶鹿本であゎますことは、印す進もな
い本であ山まして特に我が朗曾рトむい潔大時局に池過しあらゆる朗
銚音楽破Lて、水割共祭鵡を跡立し、軋んで漑射新秋件の捷滋に薪輿
する馬に、嗣寂の組力を挙げて、折維邁鮎改さねばならね今日に於き
まして、誠に大切たことであります.かく教しまして我が有年敬校ほ、
壌務に従卒薮⊥て厨る影女苛年に射しまLて、
 串間軒年として閣膿執念黎明砿に把都生し舶J山り触粂な野敵を判
 へしめること。その樅串してゐる也紫、工業、締薬、水鮮梁等の掛
 家的激戦を睦得せしめ、皿づその知伯捷離を鎖厳打あこと.
 分に厳ずる範粛的基躯の艶カを附糾すること“
 及女子にありまし茫ほ鍵粂鹿家庭生瀬を曹むに必智故知弛枝髄毅長
 けること.
を心身−艶の鍛鉄に沈づて解放させ、筑に脚乾布岱の野年☆鍛へ止げ
ようとするものでありまナ.
 そこでこめ目的を為或教Lまけ窮めに、有年轡収め教育では、特瓜
どの鮎に茄普教酔いて通風かに懲せまして、そのニ、≡を印巌代たい
と#℃ます_
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 允づ第一に青年準校は、前速の凍り架移に擁はつてゐる者の嬰ぷ革
校でありま†から.いろいろの靴で他の準校とほその軸をちがへTゐ
るのでありますが、等しく園衆目的完成の積めの教育であります以上、
教育方針の板木は、教育に湘する勅語の伽藍昏を革捜することにある
のは申すまでもないことであります.
即ち苛年中して教育に醐する盟叩に於トて掛取し拾ふところを舶を
以て艶躁舶行するところの人材に育成する耕が根本であります.ここ
に於きまtて、忠君愛珂の大義を明らかにし、鰍身率公の心柄へを脊
年の生活に即して不抜に打桝てることが何より大切なことでありま
†.この意味に於きまして青年革柁は正に良材腎年錬成の潰壕である
のであります.
 次は青年の全生活を指導すといふことであります9脊年数校生徒の
幾胴ほ.丈にさまぎまであり、家庭の事情、職粟の稚斯はそれぞれ拉
つてをり、殊に人に罷傭されてゐる老が非常に多いのであります関係
上.青年桝攻で直凍教育を受ける時間ほ、一年問に桟かニ、三宮時間
でありますから、その教育の教架教有数劉切ならしめる馬めにほ、生
徒の各個人について.その職莱の鱗教生活に於ける指掛は来より、家
庭生活の現減に郎願して、その生晒を金柑的に指移し、航に長閑民と
しての自兜ある勤労者年として、他念なる生涌を馬さしめ、閤家革仕
の躾を革げしめることが肝腎であります。附してこの場合背年の向上
の指紳士澗遠な気風とを伸ばすこと、その情操穀堅かにすることを忘
れてはならぬと同時に、創造を伺び、勤労を触ハし丸生繋に励むの習慣
を養ふことは最も大切なことであります。
 次は教育方法が鍛鉄主義であるといふことであります.
 青年革校の教育に於いては捏けられる知胎枝隈は十分に甥操餐智せ
しめて生後の身にしつかりついたものとしてしまはなければ止まねの
であ勺ます.それで青年準校では教育するといふことむ、教授及び訓
蚊するといふ特別の官報を似て窮はしてゐるのでありヨして、即ち心
身一晩の甥頗鍛錬を日ぎしてゐるのであります¢祥年朋むに必黎な鶴
間な意志と鳩触な身馳とは、溌にこの鍛鉄によつてのみ錬成されるこ
とはいふまでもないことであ巾ます.
 以上腎年革校の軟膏方針の喋鮎を中越へましたが、我が幽の青年準
校は特に男子は義戦側として、青年を徹底的に訓放nる捌端数育とし
て他界に獅例のない制圧でありまして、その数智の数兆は今次の串艶
に於いても前線銃後を通じて甥にめざましいものがあるのでありま
す.背年数背が徹底するか杏かが山閻の盛衰を決磁致しますことは、
苛年教育に非常なカを注いだドイツのあの肝炎的椛池と、鞘年数背を
馳にしたフランスのあの惨憺たる没落の串蚊とむ見れば、醗ちに明ら
かなことであります。
 支那草野は巳に韓五年日に入り、開催情弊蔵王楽浪して参りました
今U、高度圃防の柄へ、}刻も等閑にすることの酢されね秋、剛毅興
隆の邦雄を増ふ青年準校の充溌と振興との矯めに、解方面の補別の抑
努力御協力を衷心より切増するとともに、男女苛年硝子の}段の轡起
を染んで巳まね次約であります。
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〔三月†】日茨超)