第三十六回陸軍記念日を迎へて  陸軍大臣 東條英機

 ここに聖戦下第四回目の陸軍記念日を迎ふるに当り、遙かに、三十
六年前の日露戦役当時を回顧致しまするとき、感懐まことに深いもの
があります。
 顧みますれば、過ぐる明治三十八年本月本日、我が忠勇なる先輩
皇軍将士は、奉天の野に於いて、御稜威の下、優勢なる露軍に対し、
圧倒的大勝利を得て、その死命を制したのであります。
 この一戦こそは、日露戦争に最終の決を与へたものとして、歴史的
国民の記念日とせられたのであります。
 そもそも日露戦争は、露国の東漸の勢力に対し、朝鮮及び支那をそ
の侵略より防衛せんとする、いはゆる、東亜解放の聖戦でありまして
真に正義の戦ひであつたのであります。
 当時露国は帝国が、曩に悲憤の涙をふるつて還付した、遼東半島を
租借の名に於いてその勢力下に置きしばかりでなく、旅順、大連の地
に要塞港湾を構築し、遂に全満洲を軍事占領するとともに朝鮮の独立
を脅威し、延いては東洋をその勢力下に収めんとしたのであります。
 茲に於いて、遂に日本の立つべき秋が来たのであります。当時の露
国は世界最強の陸軍国として、自他ともに許してゐた強大なる国であ
りました。この大敵を対手として、敢然と決戦を挑んだ、わが朝野の
決意こそ、まことに悲壮きわまるものがあつたのであります。
 臥薪嘗胆を合言葉に、全国民が文字どほりの挙国一致によつて、真
に火の如き一丸となつて大敵に当つたことは、今日多くの美談によつ
て知られてゐるところであり、当時青年士官として出征致しました
私の今日なほ記憶に新らたなる感激であります。
 そして三十六年前の三月十日、我が満洲軍は総司令官大山元帥統率
の下に、川村、黒木、奥、野浄の四軍及び、先に旅順を屠りて息をも
つかず北上した乃木軍を、遠く左翼に迂回せしめ、奉天附近を中心に
敵軍司令官クロパトキン将軍の率ゆる四十数万の大軍を、劣勢なる兵
力を以て、良く之れを包囲して、史上曾て見ざる大勝利を獲得したの
であります。武器の不備、兵員の不足に苦しみながらも、世界列強を
して瞠若たらしめたる肉弾突撃は、露軍をしてその抵抗を断念せしめ
また忠烈なる我が軍人精神の迸ばしるところ、彼をして我に和を講ず
るの止むなきに至らしめたのであります。思ふに日露戦争こそは、東
洋を併呑せんとする西欧侵略国家に対して、東洋人が自らの手、自ら
の力によつて手強い反撃を加へた最初のものでありまして、爾来日本
は、東洋を侵略せんとする列強に対して不抜の障壁となつたのであり
ます。
 換言すれば、この一戦を楔機として、日本の正しき発展と、東洋の
繁栄とは、その第一歩を踏み出したといふべく、日露戦争は、実に
東亜解放の序曲である世界史的意義があつたのであります。
 その後日本の東亜建設の大業は、張一家の野望と、日本国内の自由
主義的思想の跳梁とにより萎靡し、その前途憂ふべきものがあつたの
でありますが、天の啓示は満洲事変となつて現はれ、遂に満州国の建
設となり、次いで日本は不退転の決意を以て、国際聯盟を脱退して満
州国を承認し、ここに東亜新秩序の第一歩を劃したのであります。
 今次の支那事変は、長年の支那の排日蔑日が原因となつて勃発した
戦であり、形の上では、日本の軍隊と支那の軍隊との戦でありますが
その実支那の背後には東亜侵略国家の手が動き事実に於いては、過去
百年、西欧覇道文明の桎梏下に呻吟して来た支那を東洋人の東洋に引
返すべき、東亜の解放戦でありまして、ここにも、日露戦争と一貫し
た世界史的意義の深く存することを認める次第であります。
 従つて、支那事変に直面する我々の心構と致しましては、三十六年
前、我が父祖によつて鳴らされた、東亜黎明の警鐘に覚醒し、石に噛
りついても、東洋永遠の平和を確立し、世界の平和に寄与するまで戦
ひ抜き、父祖の遺業を完遂しなければならないと思ふのであります。
 支那事変勃発以来茲に三年有半、之を日露戦争に比較して見まする
ならば、その規模に於いて支那の全域から仏印に延び、戦争の長さは
奉天会戦の二百三十「キロメートル」に対し、実に四千六百「キロメ
ートル」に達するのであります。之を第一次世界大戦の西部戦線が七
百九十「キロメートル」であつたのに比しても、如何に壮大なもので
あるかが窺ひ知られるのでありまして、この未曾有の戦陣を布きなが
ら、前線将士の赫々たる武勲によつて、いまや支那要域の大部は戡定
せられ、蒋介石政権は僻陬の地に逃避して、名実ともに一地方政権に
転落したのであります。而して、既に汪精衛氏を首班とする国民政府
は南京に成立し、帝国は、昨年十一月三十日正式に之を承認し、日満
支共同宣言により満支相互承認は行はれました。日本の大陸政策の根
本方針は之によつて判然と定まり、支那事変処理の方策は、既に決定
せられてゐるのであります。今や日本は甲論乙駁の時では無く、近衛
声明の主旨に則り、南京国民政府をして名実ともに中華民国唯一の政
府としなければならないのであります。
 また一方昨年秋、日、独、伊三国同盟の締結によつて、日本の世界
政策の方向は確定し、旧秩序を打破して東亜の新秩序、世界の新秩序
建設に邁進する方針が明らかになつたのであります。旧秩序諸国は、
重慶政権を以て彼等国防の第一線となし、重慶政権をしてあくまで戦
はしめることによつて、彼等の旧秩序を保たんとしてをりまして、最
早事変は、好むと好まざるとにかかはらず、世界の大動乱と一連一環
をなし、支那事変を東亜若くは日本と支那との間のことにのみ、限定
することは出来なくなりました。
 かかる状態に於いて、日本の直面しつつある苦しみは、決して支那
事変が先の知れぬ長期戦であり、之が解決が著しく困難であると云ふ
やうな、暗いものではありません、東亜民族永遠の繁栄を築き上げん
がための陣痛であるのであります。
 古今東西の歴史に見まするに、何れの国家においても、苦闘なくし
て繁栄したる例は絶無であります。
 努力なくして発展はありません。
 大東亜共栄圏を確立し、世界新秩序を打ち立てんがためには、我々
は如何なる苦痛をも、覚悟しなければならないのであります。
 日本はいま戦ひつつあるのであります。我々は、戦時下の、しかも
砲弾下の国民としての覚悟を決めなければなりません。
 本次事変が、日露戦争に幾倍する大規模であるだけに、日露戦争に
実に数倍するの難関を、突破する覚悟を決めなければなりません。
 この困苦、この難関を突破してこそ、始めて日本の前途は洋々とし
て拓け、東洋の将来は永遠の平和に輝くのであります。
  戦ひは勝たねばならぬ!
  勝たずば断じて止むべからず!
  われわれは最後の五分間を勝ち抜かねばならないのであります。
 いまや、皇軍将兵は、東亜各地に転戦致しまして、北は極寒の地よ
り、南は炎熱百度の地にいたるまで、蜿蜒数千粁の地域に亙り、日章
旗は翩飜としてひるがへるに至つてゐるのであります。之、偏へに、
御稜威によるものでありまして、誠に偉観と申すべきでありませう。
  東洋を守るものは、東洋人のみ。
 日本にして、もし東亜の護りを断行し得るカを持たざれば、「アジ
ア」は再び虎狼の爪牙に委ねるより外はないのであります。
 かの三国干渉に全国民をして切歯扼腕せしめた祖父の痛憤を、再び
繰返さないためには、一億国民の総意総力を発揮して、挙国難局打開
に邁進し、もし東亜の天地に容喙するものあらば、断乎実力を以て之
が干渉をはね返すだけの力を、蓄へてをかねばならないのであります。
力とは、いふまでもなく国家の総力であります。軍備はもとより、
政治力、経済力、等一切の国力をあげて一丸となし、必要あらば何時
にても全力を発動し得るだけの、平戦両時を一貫する体制が必要であ
ります。いはゆる「国防国家」とは、その完成を目指すものであり、
新体制とはその過程に外ならないのであります。
 今日におけるドイツの戦力は、一言にしていへば、国防国家を完成
したるが故に外なりません。
 第一次大戦に、一敗地に塗れたドイツが、ヒトラー総統の下に、過
去八年間、鋭意、国家再建に努力し来つた血みどろの労苦は、全欧州
を睥睨し、新秩序建設の指導者たらしめたではありませんか。
 日本が、大東亜における責務を完遂して、ともに世界新秩序の大理
想を建設するため、国防国家の完成こそ、刻下急務中の急務といふべ
きであります。国民諸君の現在の労苦に対しては、誠に同情を申上げ
てをります。
 しかしながら、現在の一時の労苦は、他百百千年の繁栄を約束する
ものなのであけます。正に千載一遇の好機とも申すべき、世界新秩序
建設の変革期に際会せる我等は、仮へ、苦しみながらもこの歴史的使
命に感謝しつつあくまで戦ひ抜かねばなりません。
 而して、この光栄ある責務は、我等の手によつて完成するを要し、
若し之が次代に移りたる場合は、次代国民によつて更に是が非でも、
為し遂げざるべからざる祖国日本の大使命なのであります。
 軍は、断々乎たる決意を以て戦ひ続けんと致してをります、国民諸
君も総力戦の戦士として、国家の総力を挙げて、この大使命の達成に
邁進せられんことを切望して止まないのであります。
 聖戦下、特にこの歴史的転換期に於いて、四度び陸軍記念日を迎へ、
日露戦争の当時を回想し、忠勇なる先輩勇士の偉勲を偲びつつ、難局
打開の方途に思を致し、一億国民の奮起と熱誠なる御後援とを切にお
願ひして御挨拶に代ふる次第であります。
 終に臨み、私は国の礎となられましたる英霊に対し、その御冥福を
祈り、また戦陣に、或ひは傷き、或ひは病となられました方々に対し、
感謝の衷情を捧げまするとともに、御遺族の方々、並びに遠く異境の
征野に力闘しつつある将兵の留守宅の皆様方に対し、その心情を察し、
心から御礼と御慰問とを申上げる次第であります。

                            (三月十日放送)