昭和十五年度
国際情勢の回顧

 今回は今年度に於ける国際情勢を回顧して見よう。今年の国
際情勢こそは真に波瀾万丈、幾多の目まぐるしい変転があつた。
 さて先づヨーロツパの情勢から回顧して見ると、ヨーロツパ
の戦局は前年に引続き、停頓の状態にあつたが、四月上旬にド
イツ軍はデンマーク、ノルウェーに進撃し、次いで鉾先をベル
ギー、オランダに転じ、五月初旬オランダ、ベルギー作戦を敢
行した。
 ドイツ軍はオランダ、ベルギーの平原を席捲し、又マヂノ戦[ママ]
を突破してフランスに進撃し、フランスとベルギーの国境方面
に於ては、英仏聯合軍を包囲殲滅して驚くべき戦果を挙げた。
 かくて英仏連合軍の大敗北となり、フランスは遂に六月に単
独媾和を結び、独仏休戦協定が成立した。
 一方これより先、イタリアはヨーロツパ戦争に参加しヨーロ
ツパ戦局はこれによつて地中海やアフリカ方面に拡大された。
 かやうにドイツ軍は赫々たる戦果を収め、北はノルウェー沿
岸から、南はフランス煙害に至る迄、その手に収めることにな
り、ヨーロツパの中心地帯を確保したが、更にバルカン地方に
進出して、十月にはルーマニアに進駐し、バルカン全土に睨み
をきかせるやうになつた。
 イギリスは「ドイツとソヴイエト聯邦との間にはバルカン問
題を繞(めぐ)つて離反する傾向がある」と宣伝したが、この噂を裏切
つて、十一月にはソヴイエトのモロトフ外相がドイツを訪問し
て独ソ会談が行はれ、ドイツ、ソヴイエト関係の友好的なこと
が明かにされ、ドイツは例によつて鮮やかな外交振りを示した。
 これより先九月には日独伊三国同盟が成立し、世界新秩序建
設の強力な地盤とされたのであり、更に十一月にはハンガリー
とルーマニアやスロヴアキアがこれに参加し、枢軸外交は華々
しくその活動を開始した。
 かくてドイツとイタリアはヨーロツパ大陸を制圧して、バル
カンからイギリスの勢力を一掃したが、イタリアは去る十一月
バルカンに於て残された、唯一のイギリス側小国家ギリシヤに
宣戦し、イタリアとギリシヤとの間に戦争が開始された。
 この戦争は地中海やアフリカ、近東方面に対して重大な影響
を及ぼすものであるが、イタリア軍の進出は目下停頓の状態に
あり、地中海方面や北アフリカ方面のイギリス軍は、未だ相当
の勢力を示してゐるやうである。報ぜられる所によると、ドイ
ツ軍の大部隊がルーマニア、又はユーゴースラヴイア[ママ]地方に移
動を開始したとの説があり、東部地中海方面の戦雲はいよいよ
濃いものがある。
 一方イギリス本土に対しては、ドイツ軍は九月から猛烈なロ
ンドン空襲を続けた。此の為めイギリス本土の要地は矢つぎ早
にドイツ空軍の爆撃を蒙つてゐる。
 ドイツの潜水艦もこれに応じてイギリスの輸送船を撃沈して
猛威(まうゐ)を振ひ、イギリス側はアメリカの援助は急を要すると叫び
ドイツ軍上陸の危機をさへ唱へてゐる状態である。
 アメリカではルーズヴエルト大統領が伝統を破つて三度大統
領の地位に就き、今や国を挙げてイギリスの援助に狂奔してゐ
る。
 東亜に於ては、去る三月には新支那中央政府が樹立され、九
月には皇軍の仏印進駐、十一月には日華基本条約が結ばれ、東
亜共栄圏の確立に向つて力強い体制が整へられた。
 一方去る九月には、前述の如くに日独伊三国同盟が成立して
世界に於ける新秩序の建設に日独伊が手をとつて進む事に
なつたが、新秩序を建設しようとする国家群と旧秩序を飽く迄
守らうといふイギリスやアメリカの国家群とは、いよいよその
対立の形勢を明かにして来たのである。この情勢が如何に展開
されるかつまり世界に於ける新秩序は如何に建設されるかとい
ふ事が、来年度に与へられた課題と言へよう。

 (十二月二十八日放送)