世界史に観る首都陥落史

 

 怒濤の寄せるが如く南京
を目指して、迫りに迫る我
が皇軍の猛進撃に、今や南
京城の陥落も全く時間の問
題と見られるに至つた。
 人類の歴史が始まつて以来、国家の興亡は枚挙に遑なく、戦
争の歴史も数多くあるが、一国の首都が陥落したといふ例は余
り多くは無いやうである。殊に近世に入つてからは、大抵の場
合首都が陥落する迄に大勢は既に決して、和を結ぶといふやう
になつた為、首都の陥落といふ事はさう多くはないのである。
そこで今や正に南京城の陥落も目睫の間に迫る時に当り、古今
東西の歴史から首都陥落の例を並べて見る事にしよう。
 先づ西洋で歴史に名高いのは、西暦紀元前の二百六十四年か
ら百余年に亙つて、ローマとカルタゴの間で戦はれたポエニ戦
役で、西紀前百四十六年カルタゴの滅亡となり、英雄ハンニバ
ルの雄図空しく挫けたといふのが先づ歴史に名高い例であるが
ずつと下つて十五世紀に入ると、東ローマ帝国の首郡であつた
コンスタンチノープルが西紀一四五三年に新興のオスマントル
コの為め陥落し、かくて7ウ〆スツス皇藩以来、千四百飴年に
及ぶ大}−マ帝国は終りを曾げてゐる.之等は古い時代に於け
る骨郡陥落の大きな例であるが、紀世に入ると、ナポレオン戦
争及びその後に起つた各囲間の戦争に敷皮首都の陥落を見てゐ
るのである。とりわけ一世の英堆ナポレオンは、残度か敵囲の
首都を陥落させてゐるのであつて、尤づ一入〇五年にはイギリ
スがウシ7やオーストリアと同盟してフランスに宣戦させょう
       ●’ヽ−・†く
としたので、長騒オーストyアに進撃してその首都ウィーンを
占領したのを手始めに、盈一入〇六年にはプロシヤがイギリス
ゃ。シアと同盟し七フランスに宣戦したので、オーストリアを
◆フ †ぶ  よ い ’
撃ち埠つた飴戚を騒つて、プロシヤとサクソエアの聯合軍をイ
エナに破つてペルサンに入城したのであつた.更に一入〇七年
にはポルトガルを討つて首都リスボンを占領し、叉一入○入年
                こ・つh′†く
にはスペイソの首都マドXツーを攻略して之を陥落し、次いで
一入〇九年にはオーストザアがフランスに対して兵を奉げたの
              つ
で、再び長騒してウィーンを衝いて之を占領したのである.叉
一入〓一年には有名なロシア遠征で首郡ではないが、曹郡のモ
スクワを占領してクレム少ン官を本営忙したことは、辟りにも
ょく知られてゐる朗である.然し乍らこのモスクワ遠征が失敗
               せい▲つ
に移るや、久しくナポレオンの制度の下に置かれてゐた各国は
           けつl                       けつ†い
時を同じうして欺起し、フランスに対する同盟軍を結成し、こ
の聯合軍は途に一入】四年三月末.ハヮを包囲して之を陥落した
恕しあるが、次いで整六〓九年に再起をはかつたナポレオン
                   号い」■
が、ワーテルP−のl戦檻破れてからn聯合軍の.ハサ入城を見
(6)
てゐるのである.

              ふ ふつ
下つて一入七〇年に起つた普悌戦争では、フランス軍を破約
               くだ
ナポレオン三世をセダンの城に降したプロシ丁軍は、.ハりを包
                    ちかひ
園し、翌年一月逸に之を格落させて城下の盟をし、プ†シ丁王
転臥l
                      たいくわんし■−
サイルヘルム一世は、ヴエルサイユ宮殿で戴冠式を奉げて、ド
イツ皇帝の位に如き、ドイツ統一の事兼をここに完成したので
あつた.
 最近ではエチオピアの首都アヂス・7べ.ハがイクワア軍の塙
めに昨年五月、途に陥落してゐることはまだ世人の記憶に新な
る朗であらう.
                         はん●く
一方硬洋の歴史を見ると竜郷の歴史に放ては、北方の蟹族の
     おか    きんけん
濱め、南郷を犯された例が散見し、紀せに於ては十三世紀の噴
には宋が元の食めに亡ぽされ叉十七世紀には明は清の筑めに亡
灯されたが、その時囲郡北京を犯されてゐるのであるが、降つ
              r わ だん
て一九〇〇年(明治三十三年)の義和囲事件に於て、我囲を始め
                          †いたい
各囲の聯合軍は、同年八月北京を格落し、時の皇帝徳采と西太
ヽ−う     も’じん
后は速く西安に京島したのであつた.最後に今や正義の師を支
              かく
邪大陸に進めた我が日本は、癖々たる武動を以つて敵の首郡南
              きん甘ん  甘んじ たふ
京を改め落し、世界の鹿央に長〈燦然と輝く金字塔を打ち樹て
ょうとしてゐるのである.ハ十二月九日放蓮)