第三号 目次   (昭和12年11月11日発行)
遂に陥落した廟行鎭大場鎭 10.26
京滬鉄道と滬杭甬鉄道 10.27
公使館を儲けた南阿聯邦 10.28
蒙古聯盟自治政府成立まで 10.29
飛行機からの投下爆弾 10.30
上海の租界 10.31
敵の眼を眩す煙幕 11.1
我国と関係の密接な福建省 11.2
海の天使病院船 11.3
九国会議の立役者 11.4
満洲国の治外法権撤廃 11.5

遂に陥落Lた
廟行銘、大場鏡


                    一.っ
 我軍の猛攻撃によつて廟
 こ・ヽ●’ん
行鋸、大場鋸はl一十六日途
に陥落した.廟行節は上海
市の北郊にある部落で、過
ぐる昭和七年の上梅事奨に
際し、二月二十日沈潜鍋を抜いた我軍は翌二十一日廟行鋸に進=
み更に二十二日こ1を占壊したもので、江下、北川、作江爆撃こ
      きんけ
男士の肉時散拳によつて閃く知られてゐる研である∵吼
 大場鋸はこの廟行銀の西南、上海の北停革場から川粁許り東
北に常るが、この愉の上海事奨の際には三月一日総攻撃を開始
し、盟二日此虎を占嬢したのである。江渦鋸は大場銀の東三粁
          か◆’ナ’
飴の所にある.鼻軍勝開の舞養である此の逮一帯は」両碑、野
菜等の畑が迎つてゐるが、沈潜鋸の附紀は前と左右とをクリー
 クで固まれた小高い丘陵地帝で、この前の上海事理に放ては金
津歩兵弟七聯隊長林大入大佐が三月一日の総攻撃に際して名窄
 の戦死を速げた研で」先の上海攻撃哉に於ても廟行銀から江潜
叡、大場錦の攻略は犬激戦が員川されたのであつた.
 大場鋼、汀濁鋸北ハに人口約三、岬高位の部落であるが敵は此
虞にクリ−ク等の天然の地形陀利用してトーチカ、望壕等を以
 つて緊財な陣地を築き、之を悼みとして我軍に抵抗しょうとし
 たのであるが、我軍の猛攻撃の‥前には赦すべくもなく励行鋸大
   † つy
場鋸と央稗早やに略され、球る敵陣江潤鋸の燕命も今や風前の
灯となつて了つた.
   仰廓行仙掛、大場鎚といふ場合の仙媚とは我図の村に嘗るもので、又
 封官唱、犀官屯等といふ屯や李家宅、娘家宅等といふ宅は何れも村
       人り一q
 上り小さい字位の所で、屯といふのは北乾榔に多く、南支那では宅
 といふ字が多く使はれてゐる。而して屯の方は必ず何官確とあつて
 官といふ字がついてゐる。つまり何某といふ役人が其十地を治め
 そして開竣した革からその人の名をとつて何官屯といひ、之に反し
 南支で字のことを宅といふ時には.何家宅と富ふが、之は何某とい
 ふ家が竜郷の大家族制鹿によつて繁焚して行つたため杓名になつた
 といふわけで、屯も宅も鵜に人の名に周るものであるため自然と何
                                                      か′・
 じやうな地名の所が樺山出て来る渾なのである】又賓山楷.咋蛇等
 と首ふ場合り鞍といふのは我幽の粁騰山所祉地に箇るもので多くの
 場合城廓を以つてめぐらされてゐるので何々特城とも晋はれる.
                     (十月二十六日放逸)