九国条約と
不戦条約

 九国条約は正確に言へば
「支那に関する九国条約」
と言ひ大正十年の十一月か
ら翌十一年の二月にかけて
開かれたワシントン会議で
議題となつて、大正十一年の二月六日にワシントンで日本、イ
ギリス、アメリカ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー
ポルトガル、支那等支那に利害関係を有する九箇国の代表者間
に締結されたもので、以上九国の間に結ばれたので九国条約
と言はれるのである。その後、デンマーク、スペイン、ノルウ
エー、スエーデン外数国が参加し、今日では十数箇国が参加し
て居るが、併しドイツとソヴィエトは参加してゐない。この条
約は九箇条から成り
 第一 支那の領土的及行政的保全を尊重すること
 第二 基礎の強固なる支那中央政府が確立される事を援助すること
 第三 支那に於ける商工業上の機会均等主義を樹立すること
 第四 支那に於ける他国民の権利を侵害する惧れのある特殊権利の獲得を認めないこと
といふ所謂ルートの四原則を約定したもので、要するに支那の
領土保全と、門戸開放機会均等との二大原則を強調したものに
外ならぬ。
 本条約は始め支那全権施肇基がワシントン会議で支那の所謂
十箇条の要求を提議したのに対して、アメリカ全権の一人であ
るルート氏がこの支那の十箇条の要求を調整し按配して所謂ル
ートの四原則といふものに纏め上げ、そして之を会議に提議し
之を骨子として大正十年の二月六日に本条約は締結されたの
である。而して他のルート四原則は本条約の第一条に掲げられ
てあるが、之は支那を除く他の締約国間の約定となつてゐる。
 本条約締結以来支那は之迄機会のある毎に締約国にすがつて
本条約の発動を希望して来たのであつたが、今回の事変に際し
ても支那は本条約の発動について列国に呼びかけてをり、聯盟
並にアメリカは我国の行動を以つて本条約違反であるとしてゐ
るのであるが、我国の行動は飽く迄自衛権の発動に基く暴支膺
懲以外の何ものでもなく、従つて支那の独立を侵害したり、そ
の領土を犯したりするものでないことは明瞭であるから、本条
約の何れの条項にも抵触するものでないことは勿論である。そ
れ許りでなく本条約締結後十五年も経過した今日では締結当時
とは国際情勢が違ひ、殊に支那を中心とする極東の情勢は全く
一変してゐるので、今や本条約は時代遅れの条約に過ぎす今日
に於ては適用することの出来ない条約となつて了つてゐるので
ある。
 尚今回国際聯盟が音頭取りとなつて九国条約関係国会議を招
集しようとしてゐるのは本条約第七条の規定によつたもので、
今回の事変に関し関係締約国の間で十分にして且つ隔意のない
交渉を開かうとしてゐるのである。又本条約は九箇条から成る
ものであるが別に本条約の条項を強行(つまり執行を強制する)
何等の規定はない。

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 不戦条約は正確には「戦争放棄に関する条約」と呼ばれ又普
通にはこの条約の提唱者である当時のアメリカ国務長官ケロツ
グ氏とフランス外相ブリアン氏の、名前をとつてケロツグ・ブリ
アン条約とも言つてゐる。一九二八年即ち昭和三年八月二十七
日パリで日本、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタ
リア等の十五箇国の間に調印され昭和四年七月二十四日各国の
批准を見て、同日から加入国の間に効力を発生したもので、そ
の後支那、ソヴィエトを始め各国が之に参加し現在では全世界
各国を網羅する六十数箇国がこの条約に加盟してゐる。昭和三
年に本条約が締結される迄の経緯に就いて述べれば昭和二年の
四月六日、米国の参戦十周年記念日にフランスの外相ブリアン
氏がアメリカ国民に一つのメツセーヂを送り、フランスとアメ
リカの間に所謂不戦条約を結ばうではないかと唱へたのに始ま
るもので、之に対して当時のアメリカ国務長官ケロツグ氏は独
りアメりカとフランスとの間だけでなく多数の国家の間に締結
した方がいゝと言ふので、昭和三年四月ケロツグ国務長官の多
辺的不戦条約案として列国に提議され茲に同年八月二十七日に
調印を見たもので、我国では田中内閣当時例の「人民の名に於
て」の文句で有名となつたものである。本条約は僅かに三箇条
から成り第一条と第二条に於て

 国策の手段としての戦争を放棄し、一切の国際紛争の解決手段とし
 て平和的処理方法による

といふ事を約定してはゐるが平和的処理を期する具体的方法は
一つも示されてゐず又制裁規定も無いのであつて、結局実際問
題としては本条約は道義的な価値しか持つてゐないのである。
殊に各国は本条約を結ぶに当り提唱国のアメリカを始め締約国
の全部は自衛権が本条約の範囲外であることを認めてゐるので
ある。国家の自衛権は個人の場合に於ける正常防衛権に当るも
ので、国家並に臣民の急迫なる危害を除くために国際法上認め
られた国家の基本的権利である。今我国のとりつゝある暴支膺
懲の行動はこの自衛権に基くものであり従つて何等不戦条約違
反等の問題は起るべきものではないのである。

                  (十月九日放送)