抗日将領
熊式輝、黄紹雄

 上海戦線に於ける的の増
援軍の指揮者として江西省
主席、熊式輝(ゆうしきき)、湖北省主席
黄紹雄(こうしようゆう)の両人が蒋介石によ
つて任命されたとの事であ
るが、熊式輝は江西省の人今年四十六歳字(あざな)を天翼といひ蒋介石
直系の人である。保安軍官学校を卒業後日本陸軍大学を卒業し
師団後一九二六年即ち大正十五年国民革命軍第十四軍党代表と
なり、更に北伐完成後は第五師長に任ぜられ、昭和五年反蒋介
石運動が起つた際には、蒋介石から淞滬(しようこ)警備司令兼任を命ぜら
れたこともあり、昭和六年江西省主席となつて今日に至つたも
ので蒋介石のブレーントラストの中の一人で将来を嘱望されて
ゐる。又湖北省主席黄紹雄は字を季寛と呼び今年五十六歳、熊式
輝と同じく保安軍官学校出身で、早くから広西(かんしい)にあつて李済深(りさいしん)
に従つて累進し北伐当時は第十五軍長として従ひ昭和七年には
南京政府の内政部長となり、それより浙江省主席を経て咋年湖
北省主席となつた。広西派の領袖としては李済深、李宗仁、白
崇禧(はくすうき)等につぐ地位を占めてゐたが昭和六年に広西派の代表とし
て南京に赴き当時の反対派蒋介石との妥協を結んだ際、妥協条
件のことから李、白等と意見が岐れてからは広西派を離れ蒋介
石系となつてゐたやうである (十月六日放送)