北支の排日
団体に就て


 今回の北支事変の勃発に
最も重い責任を有する第二
十九軍の第三十七師は兎も
角も撤退することを約束
し、又冀察政務委員会も二
十三日夜陸軍省から発表された通り、去る十九日自発的に次の
三項を実行すると申し出て来た。即ち
一、日支両国の国交を阻事する人物を退かせること。
二、共産党を徹底的に弾圧すること。
三、排日的の機関や団体、排日運動及びこれ等の原因と目さるべき
   排日教育を取締ること。
 以上の如く申出たのであつた。而してその中で日支両国の国
交を妨げる人物を退かせるとか、共産党を徹底的に弾圧すると
かいふ事は当然至極のことであつて今更説明を要しないと思ふ
が、第三項の排日機関団体及び之等のやつてゐる運動、排日の
教育といふやうな事に就ては中々複雑して居るので簡単乍ら大
略の説明をして見よう。
 先づ排日的の各種機関団体であるがこの中には左翼だけでは
なく右翼のものをも含んでゐるのである。右翼の方から述べれ
ば先づ真先に例の藍衣社である。之は支那にファッショの制度
を打ち立てようといふ目的の秘密結社で、今から足掛け八年前
に成立した団体で黄浦軍官学校出身者が中心となつて居るので
ある。支那にファッショ制度を布いてその統領に蒋介石を持つ
て来ようといふのであつて、この目的のためには如何なる秘密
テロ行為でもやらう、手段方法を選ばない暗殺でも何でもやる
といふ至極物騒な団体である。純然たる蒋介石の私党であり一
面ロシヤのゲーペーウーの様な組織を持つてゐるのである。最
初の間は大した活動もしなかつたが、満洲事変後当時蒋介石の
反対党であつた国民党の左派即ち汪兆銘一波に対して非常な圧
迫を加へ、終には之を屈服させたことから俄然藍衣社なるもの
の存在が知られたのである。

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 それから後、彼等の活動は益々露骨になり、上海で共産党或
はその系統の人物を盛に暗殺し終には北支那にまで手を延ばし
て、親日系の人々が随分暗殺されたのである。その中で未だに
吾々の記憶に残つてゐるのは一昨年天津で起つた親日満系新聞
社長白逾桓(はくゆかん)、胡恩溥両氏の暗殺である。之には藍衣社だけでは
なく国民党々部や北支の支那官憲とも連絡のある色々の機関も
関係してゐたので、その影響する所は大きく我方としても捨て
置き難い事件であるので、北支の官憲に対して藍衣社の取締り
を要求したのである。そこで支那側も之を聞いて一応藍衣社の
北支駆逐を実行したのであるが、その後冀察政権の取締不徹底
に乗じて何時の間にやら又また北支那の地下に潜つて来て盛に
排日扇動をやつてゐたのである。

  殊に昨年十二月の西安事件以後は北支那を完全に南京の支配下に
 置かうといふ所謂北支中央化の方針を体して、冀察政権の切崩しや
 反蒋的人物の監視、脅迫、北平及天津の大学の教授学生等は眼に余
 る様な策動をしてゐたのである。

 尚藍衣社の外これと異名同体の関係にある団体としてC・C
団といふものがある。之は国民党の大立物、陳立夫(ちんりつぷ)、陳果夫(ちんくわふ)兄
弟を中心とするもので蒋介石幕下の文治派の大同団結である。
 藍衣社は軍人を主としてゐる「武の私党」であるが、之に対
してC・C団は「文の私党」ともいふべきものである。換言す
れば前者の抗日テロに対し後者は抗日思想の鼓吹に重点を置い
てゐるともいへよう。

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 右翼抗日団体はこれ位にして次に左翼の排日団体としては、
学生救国聯合会、民族解放先鋒隊、文化界救国聯合会、婦女救
国会、文芸座談会等が主なもので、之等はその殆ど全部が背後
に共産党及び共産青年団の息がかかつてゐるのである。

  その概略を述べば民族解放先鋒隊は、昨年十二月北平の学生が
 北支那自治反対の大示威運動をした時、宣伝隊として北支那の農村
 地方に出かけた「南下宣伝隊」から生まれたものであつて、共産青
 年団の直接指揮下にあつて、もつばら宣伝工作を担当してゐるので
 ある。
  学生救国聯合会は北平各大学内にある救国会の連合機関でその目
 的は北平教育界の赤化である。文芸座談会はプロ文化研究会、文化
 界救国会は自由主義者の団体で大学教授がその中堅分子である、そ
 の他人民戦線派は北平東北大学を根拠として盛に抗日宣伝をして居
 る。

 かうした各種の組織機関によつて盛に排日を鼓吹してゐたの
であるが、就中彼等が主力を傾注したのは第二十九軍の将兵に
抗日意識を吹きこみ且之を強化するといふ工作で、その為には
軍事委員会といふものさへ設けられ、これに属する尖鋭分子
は厳重な警戒を潜つて盛に活躍してゐたのであつて、上層幹部
はとにかく下層幹部及び兵士がこの扇動に乗つてゐた事は疑ひ
ない所である。
 上述の様な次第であるから我国が三十七師の撤退だけで満足
せず、各種排日団体の取締を要求したのは当然すぎる程当然の
事である。  (七月二十四日放送)