支那空軍の
現状を衝く


 中央軍の空軍が続々北上
して河北省に入りつゝある
との情報が伝へられ、又更
に国民政府軍政部では空軍
作戦に主力を置いて、河南
省の洛陽、江蘇省の徐州に約三百五十機を集中したと言はれ
南京には予備空軍の一部として卅機が待機してゐると伝へられ
て居る。近代的立体戦はまづ空中戦の展開に火蓋を切るもので
ある事は今日一般の常識であり、又このためにこそ世界各国で
年々盛んに防空演習が行はれてゐるのである。
 そこで支那空軍の現勢について、この際若干の詮明を試みる
ことは何より必要ではないかと思はれる。
 支那空軍は昭和六、七年の頃迄は極て幼稚であり微々たるも
のであつて殆んど問題とするに足らなかつたのであるが、満洲
事変並に上海事変の際に嘗めた苦しい経験から南京政府は之が
整備の必要を痛感し、その後主としてアメリカ、イタリア両国
に援助を依頼し努力した結果今年六月末迄に中央空軍は約八百
五十機、その他の空軍約九十機合計約九百四十機に達し、而も
今後更に増加されようとする趨勢にあるのである。
 又南京政府は昭和九年に航空委員会を設けて空軍の全国的統
一に努力した結果已にその目的は概ね成就せられ、現在に於て
は海軍部が約二十機、広西(かんしい)、晋綏(しんすゐ)、四川、雲南等の各軍が夫々
いくらかづつの飛行機を持つてゐる外は、すべて中央軍に所属
してゐるのである。
 中央空軍の現在に於ける兵力は九大隊三十一機で、その機数
は第一線約六百五十、第一転機約二〇〇、合計八百五十機で、
之を昭和六年末に比較すると約四倍に増加して居るのであつて
優秀且新鋭なものも少くないのである。例へば重爆撃機には最
大速力ー時間三百キロに達し、且つ爆弾搭載量も一瓲を有する
ものもあり、軽爆撃機の中優秀なものはその爆弾搭載量は四〇
〇瓲以上、時速又三百キロ以上に達するものがあり、又戦闘機
の最も便秀なものには時速二百九十キロに及ぶものもあるので
ある。しかしながら一方又その装備中の飛行機には頗る旧式
のものも少くない.而して之等の飛行機は悉く外国製殊にアメ
リカ、イタリアの製品であつて、たとへ支那製と称せられるも
のでも其の部分品及び附属品を外国から買入れて単に之を組み
立てたに過ぎないないのである。併しながら最近航空工廠の建
設充実に伴つて、機体の修理、製造等はほぼ自国で出来るやう
になつた模様である。
 次に操縦者はどうかと言へば、現在の処約九百名の支那人操
縦者が居るが、その大部分は杭州及び広東の各航空学校で教育
を受けたものであつて、中にはアメリカ、イタリア等に留学し
たものもいくらかあるとの事である。なほこの外、アメリカ、
イタリア等の顧問或は教官が約五、六十名居て主として技術教
育に当つて居る。そして各航空学校からは今後毎年相当多数の
卒業者を出す筈であるから将来支那の空軍が相当拡張されても
之に応ずる操縦者は大体自国内で補充する事が出来るものと見
られて居る。空軍の建設維持の問題については各国共に懸命の
努力を払つて居るが、支那に於ても中国航空協会の活動に基い
て、民間の献金で資金の吸収に努め、漸く今日迄の空軍を建設
して来たのであつて、現に蒋介石の誕生祝賀に当つて全国から
献納された飛行機だけでもその数は九十余機に達した有様であ
る。今後かうした飛行機の献納は年々増加して行くものと思は
れ、近い将来に於ては支那空軍は侮るべからざる実力となるの
ではないかと考へられるのである。 (七月二十一日放送)