八 簡易生活に堪ふる国民     文学博士 芳賀矢一

 余が渡欧の時、往(ゆき)にドイツの船に乗つた。還(かへり)は郵船会社の船に乗つた。航海の暑さに、ドイツ人の水夫はビールやラムネを盛に飲むが日本の水夫はたゞ水を飲んで働いてゐた。この簡易に甘んじて働けばこそ、日本の船を出して猶ほ西洋とも競争が出来るのだと、その時感じた。若しも我が水夫が、皆西洋の水夫のやうに贅沢になつては、給金も高くかゝるし、容易のことではない。滋養物は喰ひ、衛生のことも考へるはよいが、贅沢するに及ばない。日露戦争でも、ロシアの兵士は茶を喫まなければ軍(いくさ)が出来ないと言ふ。将校などは三鞭酒が無ければならぬと言ふ。イギリスのトランスヴァールの戦争などは、まるで猟場にでも行つたやうに贅沢な有様であつたと云ふ。
 日本人は、そこへ行くと真剣だ。例の梅干と握飯とで我慢する。軍隊の方では、成るべく給養(きふやう)を好(よ)くするやうに努めたらうが、兵士の方では贅沢は言はない。これは古来からの勤倹の風がまだ遺つてゐるのである。この祖先鮮の野郎は、何時までも保存しなければならない。併し喰ふ物も喰はずに倹約するのは、固(もとよ)り兵の倹約ではない。倹と吝とは似て非なるものとは、昔の人も言つた。積極的に働く為には、飯も沢山喰はねばならぬ。たゞ分を守るといふ心得が肝要である。木綿着に慣れ、麦飯飯に甘んじた老農は、絹布を纏ひ、白米を喰ふのを勿体ないと言ふ.この勿体ないと言つて、身の程を守るだけは、何時までも保存したいと思ふ。『恭倹己ヲ持シ』で、成るべく新しい贅沢に遠ざからなければならぬ。古の武士は、何時戦場に立つかも知れぬといふので、平素麁食(そしよく)に甘んじ、弊衣を厭はぬといふことを常に忘れなかつたのである。然うでなければ、生を鴻毛に比することは出来ないのである.文臣愛銭武臣愛命といふことがあるが、その武臣が銭を愛するやうになつては武人はたゞ国の飾物になつてしまふのである。倹約は固より銭を愛するのとは違ふ。
 上に立つ武士がその通りであつたのみならず、仏教の教理からも亦之を助けたといふのは、武家が奨励して仏法は禅宗で、この禅宗は樹下石上に於て法を説くのを主眼として、一鉢一衣の生活に満足して、雲水行脚して淡白の生涯を送つた。いはゆる禅味といふものは、寂味を主として栄華に遠ざかつた。総て富貴栄華を度外に視るといふ超然たる態度を以て禅三昧に達するものとした。茶の味、豆腐の味がその生命である。賑かな華やかなことは、成るべく棄てて顧みない。鎌倉以後、五山の僧侶などは、学問見識を以て将軍にも頭を下げさせたが、自分は少しも富貴を貪らうとはしない。常に富貴に遠ざかつた態度を以て、将軍をも屈服させたのである。


(『日本人』に拠る)