六 日本の婦人と欧米の婦人    文学博士 幣原坦

 我が国の婦人は欧米に於て余程評判がよい。然らば欧米の婦人は、如何なる点で日本婦人に感服するかといふに、第一に『きもの』といふ言葉が彼等の流行語となつてゐるのを見ても、我が国の婦人の服装が、既に一種の美感を与へてゐることが分る。更に日本婦人の己を捨てて家の為に尽し、男子の為に尽す所の犠牲的精神に至つては、特に欧米人の感動を惹くものと見えて、近頃彼の地に於て演ぜられる日本婦人に関する演劇は、多く此の犠牲的精神方面をあらはしてゐる。これ欧米に於ては、動もすれば婦人らしき婦人を要求する声が起らんとするに際して、日本婦人は即ち此の要求に合するが如き観があるからであるまいか。
 併し彼等の我が婦人について感服する点は、まだ極めて漠然たるもので、婦徳の詳細なる点には考へ及んで居らぬ。一体、我が国に於て婦徳として最も重く考へられたのは、此の婦人らしき婦人といふことである。即ち我が国の婦人は、欧米の婦人に比して貞淑である、温良である、そして少しも勤労を厭はない。大抵の家庭に於ては主婦が自ら拭き掃除うぃなし、子供の世話、洗濯に至るまで、一々之を行ふのである。
 さて、また我々が欧米の婦人を見て羨しく思ふのは、まづ体格の強健なことである。欧米の婦人は姿勢からして、しやんとしてゐて、行動も敏活であるし、気分もしつかりしてゐるやうに見える。また教育の程度が高い故か、大体に於て判断力にも富んでゐる。中には随分愚痴な婦人もゐるけれども、平均して見れば我が国の婦人よりも物判りが早くて、はつきりしてゐる。但し一面には、欧米では社交が盛である為に、婦人社会に華美奢侈の風が行はれ易い、だがまた其の家庭の内情をよく窺つて見ると、大いに倹約をつとめてゐることがわかる。或英国婦人は、交通機関の発達と共に外国の贅沢品が盛(さかん)に英国に入り込むから、之を防ぐ為には、成るべく自国の品で間に合せるやうにしようといふ申合せをしてゐるといふ話をしてゐた。
 パリー婦人は随分贅沢をして、身体の装飾に憂き身を窶(やつ)してゐるやうに云はれてゐる。が、実際それは或一部の人または外観上のみのことであつて、普通の家庭にあつては、なかなか倹約である。冬物を仕立て直して夏着にするとか、或は同じ着物を染め直して着るが如きことは、我が国と同じであつて、殊に田舎の家庭に至つては極めて倹約なものである。普仏戦争で莫大な償金をドイツから要求されたにも拘らず、立ちどころに之を払い得た所似は此処にあると頷かれる。
 ドイツの婦人が平生絹物を着ないとか、十四金以上の物を帯びないといふことは誰も知ってゐる通りである。自分が或大学教授の家に招待されて行つた時の如きも、婦人が自ら燈火をつけたり、種々(いろいろ)の世話をして居られるのを見て、何となく我が国の家庭を見るが如き快感が起つた。そして何処までも質朴健全といふ理想を失はないやうにしなければ、一国の富強は図り難いものだといふことを今更の如くに感じた。
 欧米に於ける婦人の地位が我が国に於けるよりも一般に高いことは、言を待たざる所であるが、これは婦人の知能が概して高い故でもあらう。現に欧米の婦人は、往々男子よりも智識の発達に便利な事情もある。何故かと云ふと、学校は男女共に同じ程度の処を卒業するにしても、卒業後男子は外国へ行くとか、職業に従事するとか、とにかく生計を営むのであるけれども、女子は男子の如くに速に外国へ行くことも出来ず、また直に荒い仕事に従事することも出来ないから、家庭に居残つては余計に書物を読む、即ち読書の習慣は学校を出た後も依然として続いて行くから自然智能が発達するやうになるのである。
 次に職業問題について考へて見ると、欧米の婦人は随分独立生活をしなければならぬところから、それ相応の職業を求める必要がある。女子の職業教育は、こゝに於て一つの問題となるのである。我が国の現状では、婦人が独立生活を余儀なくされるまでにはなつてゐない。そこで女子教育の標的は良妻賢母といふことになつてゐるので、今日のところ主として家庭の主婦たる素養を必要とするのである。併し其の家庭を整理するについては、家庭の副業といふことを一応心得て置く必要があると思ふ。我が国に於て早くから奨励された養蚕の如きも、副業の一つである。瓜哇(はわい)の更紗製造及び竹細工の如きも、亦軽々に看過してはならぬ。欧米で見ても、婦人が家庭で作る品物はなかなか少くない。仏国の上流社会の家庭では、稍娯楽的に刺繍や絵画を行ふやうであるが、中流社会の家庭では真面目に刺繍や編物をする。また中流社会でも独身の婦人になると、教師、弁護士、医師等殆ど男子と異ならざる職業に従事してゐる。一層余裕のない社会になれば、刺繍や編物は勿論、仕立物、繕物、洗濯、造花、婦人帽製造等生計の補(たすけ)になることは何でもするが、是等の女子の所得は、仕事の種類と巧拙とに依つて一様ではないけれども、まづ一日に一フラン半から三フラン位まで、即ち平均二フランの収入を得るのである。
 主婦が料理をするのは、普通であるのみならず、鄭重にすべき客には特に主婦の手料理を用ゐるのが礼である。東郷大将が先般米国に回航された砌一夕ルーズベルト氏に招待された。其の時の御馳走の如きは、実(まこと)に簡単なものではあつたが、何れもルーズベルト夫人の手料理であつたといふことである。 (『世界小舟』に拠る)