四   日本人の特色
         海軍中将 佐藤鐵太郎.


 我が国人として最も尊ぶべきは、日本人の特色である。我が建国の理想を発揮して、我が国存在の所以を明らかにすることである。時局と精神問題も之と離れては考究の要がないのである。然るに現在の青年は、日本人としての特色を発揮すべき忠孝の思想を時代遅れの思想となし、所謂新しき思想と称する低級の思想裡に彷徨してゐるが、是れ実に誤れるの甚だしきものである。今日彼等の新しいと称する者は、何ぞ図らん今日の識者が十数年前(ぜん)一時西洋かぶれの理想に魅せられて称道したもので、今日我が国の識者の思想は既に更に一歩進めてゐるのである。即ち個人の自覚を喚起せんが為に唱へたる余弊が、今日の青年の所謂新しいと称するのである。実は陳腐の旧説であるので、決して新思想と称すべきものではない。さりながら実際此の余弊となれる個人主義を以て忠孝を説影かんとするから、理解し得ざるものあるも無理からぬことであるが、忠孝を全(まつと)うせざるものが個人として果して完全のものなりや、国家社会の為に尽して忠ならざるものが個人として決して完全なるものではないのである。
 然るに現代の青年は、新しいと称することに囚はれて、日本人の特色を発揮して固く結合すべき重大なることを忘れてゐるものが多いやうである。゙『新』は其の悉くが決して善なるものでなく、また美なるものでもない。実は現に試験中の如何がはいものが多いのである。永久に信じて来た決定的真理こそ最も尊ぶべき美しきものである。されば日本人としては日本人らしき行動を執るべきであつて、其採るべき思想は千代万世に伝へて渝らないものが存するのである。古くからあるものは善きものだに依つて永続するものと認むべきである。
 凡そ道徳上の真善美は、己れを忘れて他の為に図つた時に顕れるもので、各人互いに自利を主張して相下らず、各々其の望むまゝの事を為さんとしたならば、少しの美をも認めることが出来ないので従つて世界の平和といふことも之を永久に求めることが出来ない結果となるのである。
之を個人に於て観るも亦同様で、其の極まる所は独り其の求めるものを得ざるのみならず、却つて各人相害するの状態に陥るに至るであらう。されば個人相互の利益を求めんとするにも、道徳上自己を犠牲とするの美を伴はなければならぬ。社会国家世界といふが如く広大なるものゝ相結合して共に光栄ある生活を営まんとするには、自利を主とする個人主義を以てしては到底期待することが出来ないのである。
 卑近な例ではあるが、動物園に於ける猿の日常生活を観ると、彼等はたゞ自己の欲するまゝの事を為して他を顧みない。或物は樹上に眠を貪つてゐて、其の傍に相争うて叫びつゝ引掻き合ふを観ても、全然風馬牛の有様である。併し彼等は斯くても生活し得ることは明らかであるが、彼等の生活の何処に美といふものを認め得るか若しも人類生活に於ても其の行為に美といふことなく、全然個人主義を以て進まば、或は猿の状態と相去る遠からざるものとなるであらう。固よりリフアインド゙された個人主義に依つて養成されたる個人の生活は、斯るものでないことは明らかであるが、とにかく真善美の三つは、恰も三つ巴の如く相合一し、殊に情操の方面に於て発達したる美を以て之を結合せねばならね、ドイツに於て彼のトライチケの如き権力万能主義を唱へ、またベルンハルデーも盛に之を唱道し、其の結果今日見るが如き有史以来の大惨状を生み出してゐるが、彼等の観念には美といふものが欠けてゐるからである。若し大聖者が地上に現れて、権力万能主義を執らば、四浄平和の基が築かれて、万民皷腹の楽を享けられるであらう。彼の世上に非難の声ある本能主義の如きも、大聖者が其の本能の示すがまゝに行動せられたならば、地上は忽ち理想の天国と化するであらうと思ふ。然るにドイツが弱者に向ひ権力万能主義と共に本能主義を発揮し、乱暴狼藉を働くので、却つて其の醜を極度に現し、爰に今日の状態を来したのである。之を個人主義に観るも、国家と称するものも、各個人が相強力して初めて強大を致すのであるから、各個人が完全なる人格を確立せざれば、国家の向上発達も得て望むことが出来ないから、個人主義必すしも悪いと言ふのではないが、個人と個人との間を連絡すべき美がなければ、決して強気団体となることは出来ないのである。故に如何なる主義でも徹底的に論究する時は、其の帰着点は同点に達するのである。
 吾人が痛切に一般国民殊に青年諸君に望む所は、国家のため更に進んでは世界の為に我が国家の天職を味識し体得すべきことである。換言すれば、我が日本国は今日の国家学者の一般に説くが如き欧米諸国の国家と其の成立の意義を異にし、深遠なる建国の理想を有するので、我等国民は此の点に対して深厚なる注意を払ひ、此の建国の理想より涌出する思想を根本義となし、進んで国際道徳的の鼓吹を我等日本人の理想となし、粉骨砕身して、世界の為に全力を尽すべきである。

(『時局と精神問題』に拠る)