三 国民性と桜花             伯爵  徳 川 達 孝

 香雲と見え彩霞と見えし桜花も、一朝強風吹き来れば、繽紛として白雪の飛ぶが如くに散つてしまふ。其の落花の潔きは、恰も武士が戦場に於て身命を君に捧げ、潔く討死を遂げる様と酷似してゐる。
 水戸烈公の歌に、『今日もまた櫻かざして武士の散るとも名をば残さざらめや』とか、また『さきがけて散りなんものは武士の道に匂へる花にぞありける』ともある。 実(げ)に桜の散り際の潔きが如く、君父の為に、忠節節義の為に死なんことは、古来武士の深き覚悟であつた。これ即ち犠牲的精神の根柢ではあるまいか。佐久間象山の桜の賦の中には『封2落英繽紛1。増2感慨1而同奮。』とある通り、落花に対して奮起の精神を強うするは、我が邦人性情の然らしめる所で、桜花の徳も亦偉なりと謂ふべきである。野矢常方(のや・つねかた)が楠公桜井駅の訣別を詠んだ歌に、『我が子には散れと教へて己れまづ嵐に向ふ桜井の里』といふのがある。また山田孝章(やまだ・たかあきら)の歌に、『散るもよし吉野の山の山桜花にたとへし武士(ものゝふ)の身は』といふものがある。皆これ我が武士道の精華で、即ち大和魂の発揮を歌うたのである。かの俚諺に、『花は桜木人は武士』といへるも、亦この間の消息を伝へたものである。藤田東湖の正気の歌には、『発為2万朶桜1。衆芳難2与儔1。』といへるもの、正に桜を以て神国の正気、即ち大和魂の権化としたもので、本居宣長は『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山ざくら花』といひ、賀茂真淵は、『唐土の人に見せばやみ吉野のよしのの山の山ざくら花』と詠じ、井上文雄は、『いさぎよき大和心を心にてよそには咲かぬ桜花かな』と歌ひ、頼山陽は今様に、『花よりあくるみ吉野の、春のあけぼの見渡せば、もろこし人も高麗人も、大和心になりぬべ゚し』と謡ひ、柳沢淇園(やなぎさは・きゑん)の詩には、『斯花真国色。異域罕2伝聞1。』と吟じてゐる。実に斯くの如く桜の咲くや、万朶朝日に匂ひ、欄漫として衆芳与に儔(たぐひ)し難く、然もその散るや、些かの未練もなく、その潔きはたゞ君父に一命を捧げて散る武士に譬へるの外はない。これ我が国民性を表現し、大和魂の特色を発揮するものといはねばならぬ。
 桜花を人の一生に譬へて見れば、春風に誘はれ春雨に催されて、日毎に蕾の赤み膨む様は、希望に満てる少年少女の生々(いきいき)しさに比すべく、今を盛りと咲き乱れたるが朝日に匂ひて繚乱たる様は、最も活気に富める青壮年の如く、繽紛として風に散る様は、老年に譬へることが出来(できよ)う。併し華やかな花の一生を、平凡な人の生涯に譬へるのは、相応(ふさは)しからぬことである。偉人天才か、美婦才媛かの光栄ある一生が、当(まさ)に桜花に類(くら)ぶべきではあるまいか。昨日まで蕾と見えた梢が、一夜にして繚乱たる壮観を呈する所以は、偉人天才の忽に群衆に擢(ぬき)んでゝ赫灼(くわくやく)たる名誉 人をして讃嘆措く能はざらしめるに譬へられ、日月光を収め、衆芳為に色なき様は、美婦才媛一度出でて嬋妍(せんけん)たる容姿、爛漫たる才華、人をして羨望に堪へざらしめるに類ぶべきである。殊に春雨に潤ひて一際(ひときは)の色を増せる、朧月夜に香夢の如く匂ひ出でたる、誰か典麗温雅、才色双美の人を聯想せぬ者があらう。
 また散り際の美々しくも潔き態は、健気な若武の一身を君国に捧げて、戦場に討死するに譬へられ、入相の鐘に、はらはらと散り行く様は、麗しき中に無限の哀愁を含んで、如夢幼泡沫の悲みを語り、かの平家の一門が、壇浦にて美しくも哀れなる没落を逐げた大悲劇を聯想せしめるではないか。
 桜花を観て、何とも言ひ様のない感に打たれるのは、即ち我等の渾身に伝はつてゐる所の精神が、その刹那に於て倶に爛漫たる美を争ふのではあるまいかと考へら れる。我等日本人の血液には、芬(かんば)しき桜の匂が充ち満ちて流れてゐる。 この血液の流れに充ちてゐる所の匂を以て、段々に濁りかけた世の塵と垢とを洗ひたいものである。
 桜花は、真に我が日本人の師匠であり、指導者である、美しい紅の唇を動かせて、無言の中に限りない趣味と教訓とを表してゐる。観桜の如き、之を君子的に清浄に行へば、まことに好個の娯楽であるといはねばならぬ。 況や之に依つて教訓を感受し、以て自己の修養を助けるに於てをやである。

(『国民道徳訓』に拠る)